12月12日(金) “空き地”と“ホタル” Rio の世界


求道会館外観 求道会館内部 リハーサル風景 田口弘君の開会挨拶 コンサート開演。熱唱する Rio 会場が一体となってコンサートを作りました スタッフの打ち上げパーティー風景(約40名) Rio と熱く語り合いました

12月12日(金)、社会福祉法人「日本点字図書館」をサポートする我が「コミュニティ21」主催のチャリティコンサートが開催された。小生の教え子の紹介で知り合った Rio については、「住職の安心して迷える道」8月24日を見ていただきたい。

会場は本郷にある求道会館。求道会館は、真宗大谷派僧侶である近角常観の願いを受けて、西洋建築に精通した武田五一が12年にわたる設計期間の末に完成したものである。こうして、ステンドグラスの西洋建築に阿弥陀如来が安置された会館で真宗の教えを聞く場が開かれ、近代仏教に多大な影響を与えてきたのである。昭和28年以降、会館は50年以上も閉鎖されることになったが、1994年に東京都の有形文化財に指定されて、2002年に復活した。この伝統ある求道会館で130名あまりの聴衆を前にして Rio のチャリティーコンサートが開かれたのだ。

求道会館と Rio の音楽とトークによるメッセージのコラボレーションは言葉では尽くすことの出来ないなんともいえない空間だった。 Rio の言葉で言えば、まさしく Rio が探し求めてきた“空き地”であった。 Rio の言う“空き地”とは、誰もが入れる、そして誰もがいていい無条件の場所。“空き地”を誰もが求めているということだろう。真宗の救いとは、この人生を尽くしていくことができる真の居場所が明らかになることだから、求道会館の精神に Rio の願いが感応道交した実に見事なコンサートとなった。

Rio は、悲しみや悔しさを身を通して知っている、いわば大地を引きずっている男である。彼の歌そのものはもちろん、その合間に語る Rio の言葉にも強烈なメッセージ性を感じたのは、彼のそうした生き様からくるのであろう。音楽を通して語る彼のメッセージにはリアリティを感じる。 Rio 自身は気づいているかどうかわからないが、 Rio のメッセージには真宗の大切な課題と類似しているところが多い。コンサート中に語られた彼のメッセージのいくつかを紹介しよう。

“がんばること”が大切だと思って生きてきたが、“ふんばること”の方が本当は大切だと知った。自分を変えるのではなく、自分のままにふんばることが、とても難しいけど大切なんだ。

戦後はがんばることが美徳とされてきた。“がんばれ”という構造の中で皆もがき苦しんできた。

しかし、それはすべてが手段となった生き方であり、「今」ということが完全に見失われてしまった。「今、ここに」生きている自分そのものをすべて受け入れて生きていくことの大切さ。 Rio の気づきは真宗の教えに照らせば、「人事を尽くして天命を待つ」生き方から「天命に安んじて人事を尽くす」という生き方の転換をまさに語っているのだと思う。

3年半前は新橋のSL広場で歌っていたんだ。その当時の仲間と今こうしてコンサートを開くことができることがとてもうれしい。

Rio をささえているひとつは、新橋のSL広場。あの時の彼の姿勢が彼の原点。まだ売れる前の厳しい体験。その体験がなければ今の Rio はない。苦悩が宝。きれいなところでは覚りを得られない。暖かさしか知らない人は本当の暖かさを知らない。寒さに震えた人ほど本当の暖かさがわかる。つまり、暖かさをささえているのは寒さなのだ。今の Rio をささえているのは新橋のSL広場である。“人生には何一つ無駄はない”のである。

大きいものからは何も伝わらないけど、小さいものからたくさんのことを教えられる。

Rio がとても大切にしていた猫がなくなった。これはたわいもないことにしか感じられない人もいるだろう。霞ヶ関では大きいことを言う人はいっぱいいるけど、観念的で何も響かない。ところが、何でもない日常には教えられることがたくさんある。そのことに気づいたとき、何でもないことがとてつもなく尊いことだと教えられる。小さないのちの死が Rio に日常の大切を教えたのだろう。何でもない日常の中に普遍性がある。日常から遊離した言葉は観念に過ぎない。親鸞は日常の中から真の仏道を見出した仏者だった。

人と人のつながりが希薄になって、自分のことしか考えない世のなか。街は汚れ、ホタルが住めなくなってしまった。ちょっとずつでいいから、自分のためではなく、誰かのために動いていくことをみんなでやったらホタルが帰ってくる。人と人がつながっていくことを願って「ホタル」という歌を作ったんだ。

Rio は、11月下旬にシングル版「ホタル」をリリースした。歌詞には「ホタルひかる時代(とき)を映しながら ひかるホタル居場所を探している きっと繋がってる まだ繋がっている じっとじっと夜明けを求め」とある。「ホタル」とは自分のこと、この私のことだ。自分を抜きにして社会を風刺しているのではない。人間が根源的に願っていることを「ホタル」と比喩的に表現しているのだ。もちろん Rio もその一人である。居場所とは“空き地”。“空き地”と“ホタル”というたった2つの言葉に Rio の思想が、いや人間の根源的願いが言い尽くされている。

明治の念仏者・清沢満之(まんし)は、「我々が世に在るにあたっては、必ず一つの完全なる立脚地をもたなくてはならない。もしこれなしに、世に処し、事をなそうとするのは、あたかも浮雲の上に立って技芸を演じようとするもののごとく、転覆することを免れないのはいうまでもない」と言った。東本願寺の「同朋新聞」12月号に「まず人間がいて、その上に関係を結ぶのではなく、関係を“我”として生きるのが人間。関係とはその人にとっての生きる世界」と書かれている。この2つの言葉と、 Rio の言う“空き地”と“ホタル”は通底している。 Rio にはぜひ真宗の教えに出遇ってほしい。 Rio に先立って、 Rio の課題に生き、証した親鸞に出遇ってほしい。Rioの課題は、釈尊の課題、親鸞の課題、小生の課題、日常に出会う人たちの課題、つまり全人類的課題なのだ。課題に生きよう。そこに開かれてくる世界がある。

今回のチャリティー活動によって、日本点字図書館には 50万円 70万円 を寄付することができた。きっと繋がってる まだ繋がっている・・・そうだろ? Rio!

12月17日追加

Rio のブログにもこのライヴの記事があります:
「Rio official Blog」 | 「本郷 求道会館/東京」

〔2008年12月14日公開、16日、17日訂正〕