8月24日(日) 「コミュニティ21」の本活動 5年ぶり復活へ!

蓮光寺での打ち合わせ Rio 記念写真。前列右が新しく会計になった近田聖二君。後列左から2番目が教え子

来る12月12日(金)(時間は6:30会場・7時開演を予定)、求道会館(文京区本郷)で久しぶりに、社会福祉法人日本点字図書館(高田馬場)をサポートする「コミュニティ21」主催のチャリティコンサートを行うことになった。出演はブルースシンガーのRio(リオ)さん。

「コミュニティ21」は、目の不自由な小生の法友・田口弘君を通して点字図書館とご縁をいただいたことから、先輩の白川良行さんと点字図書館のサポート活動をしようと、大谷派の仲間をスタッフに募って1999年に結成した。小生はその幹事を勤めている。日本点字図書館では、さまざまなジャンルの点字図書や録音図書を所蔵しているが、書店や一般図書の膨大な本の数から見れば、点字図書館の本はほんのひとにぎりにも満たないのが現実で、不況の昨今、各方面からの寄付金も減少している。そんな中で「一冊でも多くの本に出遇うチャンスがほしい」という声に、少しでも応えたいという願いをもって、小林完吾さん、キングトーンズ、永六輔さんなどの協力を得て、チャリティートーク&コンサートを3回行ってきた。2003年夏以降、「コミュニティ21」の本活動は停止したままであったが、小生の寺では、02年、04年、06年、07、08年とお寺でのコンサートを通して、点字図書館に寄付するという形で蓮光寺独自のコミュニティ活動を続けてきた。

さて、今回「コミュニティ21」が久々にチャリティー活動を行うことになった経緯を話そう。小生の教え子から、「知り合いのRio(ここから敬称略)が先生のお寺でコンサートをしたいと言っているので、一度話し合いがしたい」と小生に連絡がきた。とてもいい話であったが、小生の寺では隔年でコンサートを行う計画になっているものの、このところ予定に反して3年連続コンサートを行っていることから、すぐにはできない状況で、どうしたものかと頭を痛めていた。色々考えた結果、「コミュニティ21」を復活して、「コミュニティ21」主催で行えば一番いいのではないかと思い、白川さんに相談した結果、今日、小生の寺で具体的な話し合いを行うことになったのだ。Rioは蓮光寺を会場にしてのコンサートにとても魅力を感じたのだが、本堂でのコンサートとなると120名が限界ということもあって、久々に「コミュニティ21」の活動を行うのだから、もう少し大きな会場でもいいのではないかという意見も出た。といってもふつうのホールではRioの願っていることでもないということから、求道会館の案が浮上した。Rioに求道会館の写真を見せると、とても感動してくれた。蓮光寺でもいずれ行うとして、今回は求道会館にすることにし、近角真一さんに連絡したところ、喜んで会場を提供してくれた。

Rioは大阪出身の31歳。独特の嗄れヴォーカルが魅力だ。それにブルースといってもへんに黒人チックにならず、日本人としてのアイデンティティを持っているところがなんともうれしい。実力は相当のものだ。彼と色々話をしていくなかで、彼の生き方、考え方が少しずつわかってきた。彼は「空き地」という言葉を大切にしている。誰もが入れる場所が「空き地」。今、都会のどこに「空き地」があるだろうか。この殺伐とした現代のなかで、「空き地」を確保し、一人でも多くの人が自分の音楽にふれて感じてほしいという彼。だから彼はお寺とか色々な場所で出遇いを求めているのだ。「空き地」とは、無条件の空間、そして、その無条件の空間は、だれもがいていい空間だと小生は理解した。もっと言えば、その空間には自分を生かしめる他者がいるということだろうか。だからこそ、響きあう、感動しあう、魂によびかける空間が「空き地」という言葉をもって語られるのであろう。「現代人は居場所を求めている」とRioは言う。まさにその通りだ。彼の考え方は小生の課題でもあり、意気投合した。

「コミュニティ21」の活動が再開される今、あらためて思うことがある。小生は親鸞の明らかにした本願念仏のみ教えをいただくものである。もちろん、「コミュニティ21」の活動は教えに適うものであろう。しかし、親鸞聖人の教えを絶対視したところから「親鸞の教えに照らして、社会に関わり、点字図書館をサポートすべきだ」とか「こういう活動に関わることが真宗門徒だ」とかいう考えは毛頭ない。小生は縁があったので、ご縁のままにやりたいからやるのである。いちいち親鸞を立てて活動する必要はない。というか、立てるところに虚偽を感じる。そもそも親鸞の教えは、社会と関わりのないところでは成り立たない。社会とは何か。この私を取り巻くすべてである。いわゆる政治的運動、社会運動だけを取り出して社会ということではない。あらゆるものが社会であり、そのなかで一人ひとりが関わりを持って生きている。その関わりを通して、自己を明らかにしていくのが教えである。点字図書館に縁をもったから、何とかしようと思っただけで、親鸞の教えが前提ではない。問題はチャリティー活動が本当に純粋なものであるかどうか問う眼である。その眼が教えである。人間は愚かである。チャリティー活動をすることで、名利心をくすぐられたりすることがある。「名聞・利養・勝他」ということがつきまとうのは我々が根源的に持つ愚かさである。その愚かさを気づかしめて、本当のチャリティー活動に立てと促してくださるのが教えである。人間はどこまでも愚かな凡夫である。その凡夫が凡夫のままに縁あってさせていただく。その愚かな凡夫をいつも照らしてくださる教えがある。そういうことではないか。いつのまにか、自分が如来のようになって声高らかに親鸞を立てて叫ぶのとはまったく異質である。親鸞の教えを聞いたことがない人もいっしょに協力していくことができるのが「コミュニティ21」だと思っている。その活動がいつも原点に立ち返っていけるのは教えがこの私を照らしてくれるからだと思う。だから「安心して迷う」ことができるのである。「コミュニティ21」を立ち上げた時、白川さんと田口君とそんな確認をしたことを思い出し、なつかしく思った。

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〔2008年8月25日公開〕