10月10日(金) 結婚披露宴

媒酌人の挨拶 嵩君は緊張気味 嵩君の主賓は、親鸞仏教センター所長の本多弘之先生 会場もなごんできて、次々と写真撮影 なごやかに無事終了しました

今日は、帝国ホテル(光の間)で結婚披露宴の媒酌人を務めた。媒酌人は2度目なので、特に緊張することはなかった。ただ媒酌人にしか話せないことをきちんと出席者の方々にお伝えしていくことに心がけた。

新郎の嵩海史君と新婦の智美さんはすでに5月15日に結婚している(「住職の安心して迷える道」5月15日分参照)が、なぜ結婚式と披露宴が別々なのかというと、できれば5月に結婚式と披露宴をとり行いたかったようだが、嵩君が年末以降、非常に労力の必要とする擬講論文(擬講とは大谷派の学位)執筆中のため、十分な準備をする時間を持つことができなかった為、10月に披露宴となったわけだ。10月に結婚式と披露宴という形もあったであろうが、二人の歩みからは結婚式は5月がベストだったのだ。やはり結婚式というのはタイミングが大切なのだと二人を見ていて感じた。そして、披露宴を迎えるまでも、一つひとつ夫婦として関係を深めてきているのを見ると、結婚してしばらくしてから披露するということもなかなかいいものだと思った。こういう時は、娘を嫁に出した父親のことばかりを考えてしまうが、すでに結婚して半年経っているからか、いわゆる父親的悲哀は感じられなかった。小生はどうしても自分の娘とダブらせてしまうのだ。

婚約をしてからは、この二人は聞法を大切に歩み始めた。昨年の嵩君の自坊の了善寺での報恩講でも、小生の1時間以上の法話を二人できちんと聴聞していたのに感動したことを昨日のように覚えている。報恩講に限らず、二人で様々な聞法会に出席して聞法をしている。そういう歩みの中で、結婚式があり、披露宴があった。本当の夫婦の関係を作っていくには、夫婦を映し出す鏡が必要で、それは教えから呼びかけられるという形でしかありえない。つまり、夫婦が夫婦として歩む立脚地が仏法にあるかどうかが最も大切な課題である。お寺が私物化され、マイホーム化されている寺院には門徒は寄り付かない。聞法道場であることがお寺のいのちである。そういう点からも、この二人にはとても大きな期待を寄せている。

それにしても帝国ホテルの料理はさすがにおいしい。マナーも対応も実にきちんとしていて、安心して媒酌人を務められた。やはり日本を代表するホテルである。12月には、またこのホテルで、そして同じ光の間で、再び媒酌人を務める。その日は、仏前結婚式後に披露宴である。娘を嫁に出す父親の顔をまた見てしまうだろう。もし辛そうな顔をされていたら、小生は何を思うだろうか。媒酌人は泣くわけにはいかない...。喜びのなかに、一人ひとりの思いがある。結婚式、披露宴には様々なドラマがある。

〔2008年10月14日公開〕