5月15日(木) 仏前結婚式 —新しい生活は教えを聞くことからはじまる—

今日は埼玉県東松山市の了善寺さんで仏前結婚式があり、媒酌人として出席した。5月4日の結納とは別で(という言い方はわかりにくいので⋯4日は真教寺さんである)、今年は媒酌人を2度務めることになる。ある人からは小生の本職は住職ではなく、媒酌人ではないかとからかわれている始末である。了善寺の副住職さんは親鸞仏教センターの常勤研究員を勤め、小生と切磋琢磨してきた関係からだろうか、気がついてみると媒酌人を引き受けていたのだった。

仏前結婚式

了善寺さん夫婦と真教寺さん夫婦には共通点が多くびっくりする。新郎と新婦の年の差がともに10歳あり(うらやましい⋯)、どちらも妻が夫をリードするタイプである (笑)。また、10歳の年のちがいがあるためか、夫が妻を非常によく気遣うというところもよく似ている。ちがいがあるとしたら了善寺さんの新婦さんは、小生の教え子ではないということぐらいであろうか(とはいっても、夫婦それぞれその夫婦しか持っていない良さがあるのだから、あまり短絡的に見るのもまちがいであるとも思っている)。

ところで、披露宴にいたってはその共通性に拍車がかかる。了善寺さんは披露宴を秋口に、真教寺さんは仏前結婚式と披露宴を年末に行うが、両寺の披露宴のホテルが同じであるだけでなく、会場までも同じ、さらにはホテルの担当者まで同じなのである。まあ、よくもここまで似たものだと思う。

さて、仏前結婚式について少し述べてみたいと思う。仏前結婚式はご本尊(阿弥陀如来・南無阿弥陀仏)の御前にて、司婚者によってすすめられる。媒酌人はそれを見守る役目といっていいであろう。

まず、全員で合掌礼拝し、「嘆仏偈」(『大無量寿経』)を唱和する。世間では、お経は亡くなった人のために読むものだと思われているようだが、そうではない。お経は迷い多き我々に説かれている教えである。結婚し、新しい生活を始めるに当たり、生きる方向性を教えに尋ねることから仏前結婚式ははじまるのである。ちなみに法事も同じである。亡き人を偲びつつ、死すべきいのちをどう生きることが本当の生き方であるかを、亡き人を縁として教えに尋ねていくのである。これを讃嘆供養というのである。だからお寺は生きている人のためにこそ開かれているのである。そして亡き人を、教えに導いてくださった諸仏としていただくのである。仏前結婚式からそれてしまったが、どうしてもこのことは書きたかった。とにかく、新しい生活はご本尊の御前で教えを聞くことからはじまるのである。それが仏前結婚式の要といっていいであろう。

さて、その後の流れであるが、 司婚者の表白 → 司婚の言葉 → 新郎新婦の誓いの言葉 → 念珠授与(同時に指輪交換をする場合がある) → 新郎新婦献香 → 新郎新婦交杯 → 親族交杯(媒酌人発声) → 司婚者の法話 と続き、閉式となる。時間にしてだいたい40分ぐらいである。

お斎

記念撮影後、お斎(お食事)の場が設けられた。披露宴は秋であるから、気楽に考えていたら、ひな壇が用意されていてびっくりした。古きよき時代の自宅での披露宴の様相を呈していた。当然、媒酌人の挨拶を求められた。でも、ご親族とお手伝いのスタッフだけであるから、披露宴のように固い挨拶はせず、二人の出会いから今日に到るまでのことを面白おかしく話させていただいた。ご親族の方々は終始笑顔で聞いてくださり、肩の荷が下りた。お酒が入ってくると、大きな声で結婚を喜ぶお年寄りがいたり、実にわきあいあいとしていて、こちらまでほのぼのとしてきた。東松山は埼玉県北部に位置する。首都圏といっても緑に囲まれた実にのどかなところである。都市化がすすむなかで忘れかけていた人間味のある関係のなかに身を置くことができて何ともいえない喜びがこみ上げてきた。暖かい陽ざしとさわやかな風がさらに心をなごませてくれた。

〔2008年5月18日公開〕