蓮光寺はこんな所

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より正確な地図はこちらをご参照ください。

蓮光寺は、JR常磐線(営団地下鉄千代田線)亀有駅より徒歩約10分です。

常磐線・千代田線に不慣れな方は、電車をお間違いになることが多いようです。上野発の常磐線普通列車は亀有に停車しません。山手線方面からは、千代田線(西日暮里、新御茶ノ水などから)の常磐線直通列車(我孫子行き)にお乗りになるのが一番スムーズです。

所在地 〒125-0061
東京都葛飾区亀有1丁目-25-31
電話 03-3601-2034
Fax 03-5650-7023
メール CBE07907@nifty.com
(住職・本多雅人)

蓮光寺の400年

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山門から本堂を臨む

蓮光寺は、1603年(慶長8年)に徳川家康が江戸幕府を開いて間もなく、三河国(現・愛知県)の家康の領土に住んでいた刈谷の領主・本多忠春(法名:釋了賢)によって岡崎に寺基をかまえたと伝えられています。徳川幕府は、江戸城を守るため、武士以外に町民や寺院を江戸の周りに集める方針を打ち出しますが、そのような流れの中で、1609年(慶長14年)、2代将軍秀忠の時、蓮光寺は三河より江戸の神田に移されました。

浄土真宗は北陸、関西、愛知など西日本で一番大きな教団として、庶民の間にその教えが広まっていましたが、幕府の政策によって、結果的に浄土真宗の教えが江戸に広まる機縁となったのでした。この頃、江戸にたくさんの浄土真宗のお寺が建立されています。

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1657年(明暦3年)、蓮光寺は明暦の大火によって全焼してしまいますが、ご門徒の力で持ち直しました。その後、1806年(文化3年)に蓮光寺は浅草(正確には現・台東区東上野)に移りましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で再び火災に遭うことになります。このような困難を経て、1928年(昭和3年)に葛飾区亀有に移転し、1936年(昭和11年)には本堂も落慶し、今日に至っています。

このように蓮光寺は幾多の困難を経てきていますが、そのたびごとにご門徒と僧侶が一体となって困難を乗り切り、浄土真宗の教えを伝えてきました。釋了賢を初代として、蓮光寺住職は第17代を数えます。

蓮光寺の歩き方

阿弥陀如来立像(本堂内)

御本尊の前で私たちは御教えに聞き、語らいます。阿弥陀仏は無碍の光、私たちの無明を照らし出す真実の光であります。

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親鸞聖人像(本堂前)

私たち真宗門徒・僧侶が宗祖と仰ぐ親鸞聖人(1173-1262)は、法然上人の門下にて、自ら「凡夫」(仏の御前においてただの人間、世界にただ一人の人間)であると深く自覚され、苛酷極まる人生の中でその浄土の御教えを広められました。私たちの道は、親鸞聖人とともに歩ませていただく道であります。

親鸞聖人は晴れの日も、雪の日も、いかなる季節も、いつもご門徒さんを待っていてくださいます。

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池(境内裏手)

「亀有」というだけに、蓮光寺池には大きな亀が生息しています。亀を目撃した人には、良いことがあったり悪いことがあったり何もなかったりします。

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竹林(駐車場前)

春先には近所の幼稚園児たちが竹の子を掘りに来ます。もちろん大人が掘ってもかまいません。でも無断で取っていくのはちょっと‥‥。

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客殿の入り口

お参りに来られた方はほぼ間違いなくこの戸をくぐって客殿や本堂へ向かわれることになります。例外的に一度、強盗さん(未遂)がほかの所から上がってしまったことがありますが、ちゃんとこの戸から入りましょう。

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客殿

法話会・勉強会が開かれたり、コンサートが開かれたり、飲み会のドンチャン騒ぎが繰り広げられたりします。

どこからもきれいな庭を望むことができます。

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仏間

ここでは法話の講師の先生など大切な方をお通ししたり、会議などが開かれます。

ここも「お内仏」(仏壇)と洋間と中庭のコラボレーションがすばらしいです。

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松の寺・花の寺

蓮光寺は「松の寺」と呼ばれ、50本に及ぶ松がありますが、「花の寺」として四季折々の花々を見ることができます。

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