8月27日(木)~28日(金) 6カ月ぶりの関東圏外の法話 新潟市光圓寺永代経法要

  • 光圓寺

新型コロナウイルスの感染拡大により、次々と法話がキャンセルとなっていった。寺院の住職は、大きな法要を行うことができず、色々と苦慮している。

感染拡大のことももちろん頭にいれなければならないが、不要不急に値しない法要や聞法会などを簡単に中止にはできないし、十分な感染対策をとれれば、寺はいつでもご門徒に開放されていなければ、寺の存在が失われてしまう。感染症も危機だが、お寺のいのちが奪われてしまうことはより大きな危機かもしれない。春の彼岸お中日の法要は、本堂にご門徒を入れずに(焼香してすぐ退出は可)僧侶3名で厳修した。厳修しないよりはいいが、落胆を隠せず、悔しい思いをした。

小生の寺では、緊急事態宣言が解除になると、すぐにお寺の定例聞法会や自主学習会などを開いた。大きな法要、聞法会については、「新盆合同法要」は昨年90名以上のご門徒が参詣されたことから、3回に分けて厳修し、一家族の参加人数を減らしたり、お盆前後に一周忌などの法要があるご門徒には、その時に新盆の法要もいっしょに勤めていただくなどして、とにかく密にならないよう配慮した。「真夏の法話会&蓮光寺ビアガーデン」についても毎年80~100名ほどが参集されるので、開くことはできなかった。特にビアガーデンなどはもってのほかであった。しかし、主催の門徒倶楽部で話し合って、23年間続いた伝統のタスキを来年に伝えていくために、門徒倶楽部に加えて法友会、門徒役員の一部が集まって、内勤めの形で、都内の講師の先生をお呼びして「ミニ真夏の法話会」を開催した(今年招聘したご講師は来年に来ていただく)。法話会が終了すると、「やはり法話会の雰囲気は独特で、このなかに身を置くことが大切ですね」という意見が多くみられた。感染症拡大防止のためオンラインでの法話ももちろん大切ではあるが、やはり法話をする人と聞く人たちが奏でる何とも言えない生きた法話会の雰囲気こそが一番である。8月20日(木)に開催された「弘願忌・法話に学ぶ会」でもやはり独特の雰囲気を醸し出していた。

さて、6月に入ってから関東圏で法話をすることが少しずつ始まった。しかし、関東圏外の法話はなかった。ところが7月下旬、新潟市の光圓寺様よりお電話、そしてお手紙をいただき、今後よほどのことがないかぎり永代経を厳修しますとのことであった。昨年も法話をさせていただいたお寺であり、感染拡大防止策を十分にとって、待っていてくださることがなんとも言えず頭がさがった。大切な法要は不要不急に値しないということを光圓寺様からも強く感じ取れた。

  • 新潟駅
  • 光圓寺本堂
  • 初夜の法要前
  • 初夜の勤行
  • 初夜の法話
  • 日中の勤行
  • 日中の法話

8月27日(木)、上野から上越新幹線に乗った。新幹線も半年ぶりである。今まで当たり前に乗っていた新幹線に緊張しながら乗車した。新潟駅に着くと、副住職さんが迎えに来てくださった。フェーン現象により、今夏一番の暑さが何日か続くとのことで、東京と変わらずの蒸し暑さであった。午後5時すぎにお寺に着くとなつかしさを覚えた。初日は初夜法要で、夜の7時からであった。こうしてまた地方で法話をすることが本当に夢のようであった。2日間を通じて「コロナ禍を生きる ─生死を超える─」を法話のテーマとした。夜の法要にも関わらず、ご門徒が足を運ばれ、小生の顔を知るご門徒とは挨拶を交わしたり、声をかけていただいたりした。やっぱりこの雰囲気がお寺のいのちだと感じた。三条教区20組や17組の若い僧侶も聴聞されていて、お寺の垣根を越えて、誰もが身を置くことができるのもいい光景であった。演台は飛沫防止パネルが演台を取り囲むように覆われていたが、違和感なく、マスクをしながら話すことができた。椅子の間隔も開いているので、ご門徒一人ひとりの顔がよく見えて、そのお顔を見ることで、飛沫防止パネルなどまったく気にならなかったのであろう。これぞ法話の世界である。初夜の法要が終わると、新潟の銘酒もいただきながら、副住職さんや聴聞に来た若い僧侶としばらく歓談した。新潟産の茶豆ととうもろこしが日本酒にとてもよくあった。

翌日の日中法要は10時からであった。朝8時に朝食をいただいたが、坊守さんの手料理であり、まるで高級旅館の朝食のようであった。ありがたいことだ。10時になり、本堂の入ってみると、コロナ禍と猛暑のなか、大勢のご門徒が座られていた。三条教区の二人の駐在教導さんも聴聞されていた。光圓寺様もこんなに参詣されるとは思わなかったと言われていた。しかし、9間の本堂で、外陣は81畳もある大きな本堂である。密にはならず、しっかり距離をとって聴聞してくださった。新潟の寺院は庫裏に冷房があっても、本堂には冷房がないお寺が多い。逆に言えば、この温暖化がなかったら、夏でも十分涼しかったのであろう。温暖化の問題は深刻である。今日は今夏最高気温を記録したが、本堂の障子等を全開にし、扇風機が数台回っていたが、それほど暑いとは感じられなかった。それだけ本堂には涼しさがあるのだろう。この後、本来ご門徒といっしょに「お斎」をいただくのであるが、今年はお持ち帰りのお弁当が用意されていた。去年は、色々な方からお酌されてたらふく日本酒をいただいたのであるが、お斎も大切は時間である。しかし、お斎を出すにはまだ時間がかかる。小生の寺の報恩講も手作り精進料理をやめお持ち帰り弁当で対応することを決めている。お昼は、控室にて、ご住職、副住職さんと会食し、またまた日本酒をいただいた。准坊守さんから1歳の息子さんがべったりくっついて離れなかったが、それをご住職夫婦と副住職さんが目を細めて見ていた。道場性と家庭性のふたつの面を持った、いや二つが一つになっているのが真宗寺院なのだと改めて感じたことであった。帰りがけに婦人会の人たちが暖かく声をかけてくださった。来年は北海道のお寺の報恩講とバッティングしているので、来年は一度お休みさせていただこうと思っていたら、光圓寺様は日にちを変えて永代経を厳修するので、また来てくださいとのことであった。小生などにはもったいない話であると同時に、法話をする使命を深く感じたことであった。

これから本格的な報恩講シーズンに入る。秋冬に向けて、インフルエンザも流行し、新型コロナウイルスとの区別がむずかしいという難題を抱えながら、各寺院がそれぞれ報恩講をどうすべきか考えている。泣く泣く内勤めにする寺院もあれば、報恩講をしっかり公開していく寺院もあり、様々であろう。その寺院を取り巻く状況があるので、色々な選択肢があってもいいと思う。ただ共通して言えることは、仏法聴聞は不要不急に値しないという絶対真実を忘れてはならないと強く感じた光圓寺様の永代経法要であった。

〔2020年9月4日公開〕