8月1日(木) 念仏は、現代人を救う時機純熟の教え 
─福井別院第2組「暁の真宗講座」三条教区「若坊守・准坊守のつどい」「法話入門講座」等─

年が明けたと思ったら、いつの間にか8月・・・年々早く感じるようになったのは、還暦間近という年齢になったからだろうか。「住職の安心して迷える道」を一度も書いていないことに気づいた。ふり返ると、今年も時間に追われる生活が続いた。

例年通り、色々な地方で法話をしてきたが、一番最近は、7月30日(火)の福井別院で行われた福井第二組主催「暁の真宗講座」であった。梅雨が明けて間もない頃で、暁天講座といっても、それなりに暑かった。この暑さは、自然と共生してしか生きられない人間が、自然を格下のように利用し、共生することから決別したからである。毎年猛暑とゲリラ豪雨に悩まされるのだが、悩まされるのではなく、自分が巻いた種である。その人間の自我分別をじっと見つめる親鸞聖人の教えに耳を傾けることが何より大切だと思う。さて、福井別院では、朝5時20分から、勤行が始まり、6時から約1時間、法話をした。朝早くから大勢の参詣があり、真宗王国の風格を感じた。

参詣者はとても熱心に聴聞されていたが、念仏の声が小さいのが気になった。導入に、福井別院での暁天講座に関わる話として、作家の高史明さんの妻で、歴史家の岡百合子さんが福井別院に参詣された話をした。

これは岡さんから直に聞いた話であり、また、どこかの冊子にも掲載されていたように記憶している。高さん、岡さん夫婦には、1975年、12歳で自死された息子さんがいらっしゃった。高さんは、息子さんに「他人に迷惑をかけず、自分に責任をもって生きなさい」と言ったことが、息子さんを死に追いやったことに気づかされ、『歎異抄』に引かれ、お念仏に帰依された。岡さんは「夫は科学的な人間であり、自力で世の中を変えていくのだと理想に燃えていたのに、息子の死を契機に『宗教』になど助けを求めていいのだろうか。キリスト教ならまだわかる気がするけれど、なぜ夫は親鸞聖人の教えに夢中になったのか」と疑問を持ち、ある時、夫が夢中になる正体を見極めようと、福井別院の暁天講座で同行され、高さんのお話が終わると満堂の本堂には一斉にお念仏が興った。その光景を見て、岡さんは「地の底から湧き上り、水が勢いよくあふれ波立つさまのような念仏が、本堂(福井別院)いっぱいに広がりました。私はそれを耳で聞いたのではなかったと思います。私の固くしこっていた心を包み、ゆさぶる響きでした。理屈ではなく、全く別のところから来た強い力でした。私は呆然として本堂に座っていました。」と振り返られている。

これは小生の受け止めであるが、岡さんの「『宗教』に助けを求めていいのだろうか」という言葉は、小生がお寺に生まれていなければ、まちがいなく同じ感覚であったと思う。つまり、近現代という時代は自然のみならず、宗教世界とも決別し、人間の自我分別(理性)がモンスター化してしまったである。

岡さんが学んできた日本史のなかに、このような人たちはいなかったのだと思う。小生も歴史を専門としてきたが、こういうことを子どもたちに教えることはなかった。人間の理性に基づく実証主義的歴史観しか小生は持ち合わせていなかっただろう。しかし地の底から湧き上がり、水が勢いよくあふれ波立つさまような念仏が広がったなかに身をおいた岡さんは、おそらく、人間存在を根底から支えている世界に出遇ったのであろう。本願史観にふれたといってもいい。「耳で聞いたのではなかった」ということは、念仏は自我崩壊の響き(金子大栄)であったのであろう。いくら知識を積み重ねてもお念仏が出ることとはちがうのだということを感じ取られたのであろう。そう感じられた岡さんに頭が下がる。

高さんの言葉で言えば、「あらゆるいのちは繋がり生きている。そのいのちは根底からまるごと私の存在を支えるはたらき、生きる力を与えるはたらきにふれたことがあるか。足の裏の声を聞いたことがあるか。大地に支えられ、生きよう生きようとしている力を感じたことがあるのか。いのちは私物化できない」のである。

あれから約45年の月日が流れ、現代はますますひどい状況と化している。科学の力で豊かさを追求していくなかで、大きな経済システム、国家システムに飲み込まれて生きざるを得なくなっている現代人。自然や宗教を見下すだけでなく、生産性ある人間だけが評価の対象となり、人間同士の関係性も崩壊の一途をたどっている。成果を出すために仕事をしていると、何で仕事をしているのか、もっというと、なぜ生きているのか、自分とは何か、わからなくなってしまっている。現代人は孤独である。そんな状況のなかで「どうせ私なんか」と自虐的になりやすい。自己肯定感が極めて弱い。それが自分ではなく、他者や社会に向けられると憎悪感となっていく。カリタス学園の事件の犯人も孤独であったと言われる。ひどい事件だと思うが、現代に生きる我々の中にも同じ問題を抱えているのではないか。

そんな中で、最近、門徒だけではなく、門徒ではない人たちが親鸞聖人を求めてくる状況が目に付くようになった。経営コンサルタントの紹介で、ある大企業の人たちが寺を訪れた。働く意欲の減退は、生きる軸をもっていないと気づいたという。日本には優秀な経営者が多くいるものだ。小生の話をよく聞いてくれた。その経営コンサルタントは蓮光寺の衆徒(櫻橋淳君)になっている。近くに親鸞を大切にしている人がいれば、行き詰まりのなかで、親鸞聖人の教えを聞いてみたいと思うのであろう。教えに生きている人に出遇うことがとも大切に思う。税理士の安徳陽一さんもまた同じである。「安徳さんの好きな親鸞聖人はどんな方ですか」と安徳さんに人々が『歎異抄』を学びに来る。それから、つい最近、一人暮らしの老人が多い老人会の人たちが、2組寺を訪れ、親鸞聖人の教えを聞いて喜ばれていた。「老いたままに尊い。あらゆるものはつながっていて支え合って生きているから、一人じゃない」ということに大変喜んで帰られた、また医療関係、保育園関係の人たちからも法話依頼を受けた。まさしく親鸞聖人の教えは時機純熟である。

寺院関係で言えば、腐敗している点も多々あるが、自分を通して親鸞聖人の教えに出遇っていこうとする動きも以前よりも活発になっていて、教えられることが実に多い。5月に三条教区に2日間連続で「若坊守・准坊守のつどい」「法話入門講座」に出講したが、「若坊守・准坊守のつどい」では女性スタッフが、参加者をリラックスできるよう、とてもフレンドリーな会話を通してにムードを作ってくださり、それから法話に入ったので、とても気持ちよく法話ができた。新潟の若坊守、准坊守さんは、7割が在家出身であったが、坊守という形をとって、現代人が抱える問題を共有していること、そこに教えに訪ね行こうという熱意が感じられ、教えられることばかりであった。また本当に誰もが語り合える会にという願いのもと、案内の段階から会の名前を公募していた。最終的に「結の会」と「蓮華の会」が同数であった。スタッフの方々に「では本多先生に決めていただきます」と言われ、緊張しながらも「結の会」を選んだのであった。この会は、単に若坊守、准坊守が対象ではなかった。夫とともに参加する若坊守、准坊守さんが何組がおられた。いっしょにお寺作りをしていこうという願いを感じた、それを受け入れてくれる会であった。会終了後、スタッフで座談会を行った。皆、色々なことを抱えつつ生きているなと感じた。坊守会長、副会長も若いスタッフを自然体でリードして、とてもいい雰囲気であった。

翌日の「法話入門講座」は、駐在さんによれば、教区で見たことのない寺院の方がずいぶんおられたという。なかには法話のハウツーを聞きに来た人がいたかもしれない。しかし、やはり、こういう時代にあって法話をきちんと話して伝えていきたいということのほうが大きくあったのだろう。教区の教化センターが主催であったが、「法話」ということを、一から考えるという企画は実にタイムリーであった。法話のテクニックやハウツーも時には大切だが、それは二の次、三の次。自分が教えからいただいたこと、自覚内容を外しては、法話は成り立たない。法話は、仏法を通して生活現場での自分のあり方、自覚内容を言葉に表現することが大切である。その言葉から、また問いが与えられる。仏法を聞くということは、仏法によって呼び覚まされた自分と向かい合うことである。つまり、自分の法話を自分がいただくことが基本なのである。自分がいただくことで相手に伝わる。けっして相手に教えるのではない。問いが深められ、問いがさらに問いを与えていく。それが歩みとなる。また自覚内容と言っても、自覚しているつもりになっていることも常に教えに照らされて行かねばならないだろう。それだけ「わかったつもり」になりやすいのだ。「聞即信」というが、実は「聞不具足」、「信不具足」のわが身であるということをはずしてはならないだろう。

「寺離れ、墓離れと言われるが、念仏離れは問題ですね」とは、狐野秀存先生のお言葉である。念仏がはなはだわからなくなった時代であることも事実であるが、念仏は、現代人を救う時機純熟の教えであることもまぎれもない事実である。

〔2019年8月8日公開〕