6月5日(火) 殉教記念法要で法話 ─大浜騒動と念仏相続─

愛知県西尾市の赤羽別院での「殉教記念法要」で法話するご縁をいただいた。大正14年から続けられ戦時中も中止することなく続けられているので、小生の計算がまちがっていなければ、93回目の法要であった。三河は北陸と並ぶ真宗王国であり、16世紀半ば、織田信長に接近する徳川家康の政策に対抗した一向一揆がまず浮かぶが、その殉教者も、この法要の対象になっていると感じた。そもそもこの法要が厳修される直接の出来事は、明治4年(1871年)の明治の一向一揆とも言われる「大浜騒動」である。

以下、正念寺さん(西尾市)のサイトより

  • 石川台嶺
  • 殉教記念碑
  • 明治4年3月8日の結集

詳しくは正念寺様のホームぺージを見ていただければと思うが(月間「同朋」6月号にも「大浜騒動」が取り上げられている)、明治政府は近代国家を建設していく中で、天皇崇拝を核とする国家神道によって、国民の思想統制を始めた。仏より神が上であるとする「神仏判然令」が出されたが、これが全国各地で寺院破壊、仏教排撃という「廃仏毀釈」に発展した。

明治4年2月、碧南全域、西尾、安城、豊田の一部を占める菊間藩が、統括をはかるため大浜に出張所をかまえ、寺院の統廃合、僧侶の帰俗、天照大神や歴代天皇への崇拝、神前念仏の禁止などを打ち出した。

これに対し、真宗の教えに生き、真宗の宗風を大切にしてきた真宗門徒や、石川台嶺を中心とした青年僧で結成された三河護法会には、それを断じて受け入れられず、護法精神のもと、3月に菊間藩との談判のために大浜へ向かった。途中に門徒が次々と加わり、鷲塚まで来た時には数千人の門徒でふくれあがった。

片山俊次郎宅で、菊間藩の杉山少属と石川台嶺ら三河護法会との談判が行われたが、何時間たっても話は平行線のままであった。帰りを待つ僧侶、門徒らは次第に感情が抑えられなくなり、蓮成寺の鐘を乱打し、片山邸へ乱入し、役人の一人である藤岡薫を殺害してしまうこととなった。翌日の3月10日、石川台嶺をはじめ事件に加わった僧侶、門徒は逮捕された。12月27日に石川台嶺と藤岡薫を殺害したとされる榊原喜代七が死刑(斬罪)となり、かかわりの深い僧侶、門徒は懲役刑に処せられた。その後、東本願寺の仲介もあって、寺院統廃合、神道的行儀の強要は撤廃されたが、これ以降、近代国家が加速をつけて確立していく。

大正9年、石川台嶺の50回忌を縁に、西尾藩牢獄跡に「記念碑建設を」の声が西尾寺院(現岡崎教区第11組)から起こり、大正13年に完成、殉教之士追悼法要が厳修され、殉教記念会が結成された。

翌年の大正14年から、殉教記念会により、今日まで法要が続けられている。毎年6月6日に厳修されていたが、清沢満之の「臘扇忌」と同日のため、現在は6月5日に厳修されている。法要前に殉教記念碑に参拝するご門徒も数多くいらっしゃった。

正念寺様のホームページにはきわめて重大なことが書かれている。それは「大浜騒動が時代を越えて訴えるものを正しく受け止め、自らの信仰を突き通した人々の魂を甦らせねばならない」とある。

一貫して言えることは、天皇中心国家を作ったといっても、それは西洋の近代国家を真似たもので、ある意味、国家神道という形をとりながら国民国家を形成したものと考えている。戦後は天皇は象徴とされたが、近代国家の流れをさらに強化し、強力な国家システム、経済システムのなかに人間が投げ込まれる形となった。システムのなかで生きる人間は、他人が自分をどう見ているかということが最大の関心事となり、立場を生きるようになってしまった。そこには、何を大切に生きるのかという人間の根本問題が見えなくなってしまった。その根には人間の自我が絶対的なものになったことにある。古代の王国が一番権力が強いと思っている人が多いと思うが、圧倒的に近代国民国家こそが非常に強い力をもってシステム化されているのである。

人間中心主義によって、宗教的権威が否定され、超自然的秩序・宇宙観が背後に追いやられていくのが近代である。いつの時代でも、自我の問題はあったにせよ、人間が完全に絶対化されたのは近代以降である。近代の人間は独立した知的主体として確立されていき、この流れの中、あらゆるものを対象化した近代科学の力によって、自然を支配し、産業革命を経て、確固たる資本主義の道が開かれていくことになる。現代において、その流れはAI(人工知能)を生み出し、近い将来、人工知能が人知を上回る時が来るだろう。

実は「私」という実体は存在しないのである。大きないのちの世界のはたらきが、この私のすがたをとって生きている(今、いのちがあなたを生きている)のにもかかわらず、そのことを忘れているどころか、その世界を捨て去り、独立した絶対的な「私」(自我分別)を立てて、常に「私」から出発するので、確固たるよりどころ、存在根拠を持ち得ない。立場を自分として生きる依存傾向が強まっていく。そこには、かけがえのないいのちをいただいているという存在の尊さが捨象された社会である。実体化した「私」ではなく、関係を自己として生きているのが真実である。だからアイデンティティの確立とよく言われるが、人間は確立されるといった固定的なものではなく、関係において、つねに自分が生まれ続ける、出遇い続けるのではないか。そこに「共に生きる」世界が開かれていくのであろう。

「全国の天気」という言葉がまだ残っているが、自分が生まれ育った故郷(国)は、自分が生きるよりどころとなっていた。大浜騒動以前は、自分がそこにいていい場、念仏の風が吹き、人と人、人と自然が共存していた場(トポス)であった。

システム世界から、本来の共存の世界へ戻ることができるかどうか。それは人間の愚かさを照らす本願念仏からの呼びかけに出遇い、自我分別心から生まれた価値観や意味づけから解放されなければならない。人間の思いから解放され、どのいのちも尊いという存在の尊さの目覚めることが本当の救いである。

「大浜騒動が時代を越えて訴えるものを正しく受け止め、自らの信仰を突き通した人々の魂を甦らせねばならない」という言葉の内実は、自我をつつむいのちの世界(本願・浄土)が、自我を絶対化して虚妄顛倒して生きる私たちに、その愚かさに気づかしめ、人間が回復されていくことを一人ひとりがいただいていくことにある。

小生の心に「念仏相続」こそ苦悩する現代人を根こそぎ救う道だと深くいただいた殉教記念法要であった。

〔2018年6月25日公開〕