12月1日(金) 三条教区第20組「推進員養成講座」を振り返る
─前期教習&後期教習&おさらえ教習&蓮光寺団体参拝&エトセトラ─

  • 前期教習の様子(組内寺院)
  • 後期教習の様子(東本願寺同朋会館)
  • おさらえ教習(組内寺院)
  • 蓮光寺団体参拝
  • 専念寺報恩講
  • 廃止になる「MAXとき」に最後の乗車、東京へ

いつのまにか師走を迎えた。2月に初めてインフルにかかったが、今現在かなり流行している。ついこの前インフルにかかったばかりだと思っていたら、今年も1カ月とは驚くべき早さだ。年をとったということであろうか。

今年もたくさんの法話の旅をした。今月もまだ6回の法話が残っている。法話はどこでさせていただいても全力投球であるが、今年の印象深かった法話と言えば、足かけ10ケ月もの間、関わり続けた三条教区20組の「推進員養成講座」であろう。

三条教区第20組「推進員養成講座」は僧侶・坊守スタッフがとても真剣に関わり、聞法意欲が高かったことから、参加されたご門徒も充実した学びができた。従来前期教習(2月〜5月・全5回 会場は組内寺院)と後期教習(6月・2泊3日 本山東本願寺同朋会館)で終わる講座であるが、後期教習後も、7月におさらえの講座が20組の寺院で行われ、最終講義を行った。ここまできちんと行う組はめずらしい。

しかし、そこで終わりではなかった。「御礼参り」と称した団参が10月23日に組まれたのであった。23日の朝、東京は天気が回復したが、台風は新潟を直撃した。やはり今回は中止だろうと思ったが、決行するという。もちろん、ご年配も多いことから、家族に止められた人、自分自身も不安である人、また仕事がある人など泣く泣く欠席をしたご門徒もそれなりにいらっしゃったが、18名の住職、寺族、ご門徒が参詣された。この団参のすごいところは、1泊2日の日程の中身が、あくまでも蓮光寺中心で組まれていることだ。目的は蓮光寺で勤行をして、小生の法話に耳を傾けることにあり、宿泊も亀有から一番近い綾瀬国際ホテル、夕食会は亀有の日本料理「須田」であったことから、東京旅行のついでに蓮光寺に参拝するということではなかった。台風で時間がかかることもあり、オプションの柴又帝釈天と寅さんミュージアムは中止としたことからも、その真剣さが伝わってきた。我々蓮光寺門徒役員も10名近く集まり、道中を心配しつつ20組一行を待っていた。

一行が寺近くまで来たという連絡を受け、蓮光寺門徒、坊守、そして小生は正門で待機した。無事到着した時、お互い安堵し、自然に笑みがこぼれた。親鸞聖人に人生を訪ねる門徒同士、お互い気もよくあって会話もはずんだ。本当にあの台風のなかをよくいらっしゃった。この出来事は『歎異抄』第2章を想起させた。「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。」(意訳:あなたがた一人ひとりが、はるばる長い道のりを、(台風のなか)大切な身体と生命を危険にさらしてまで、たずね求めてこられた志は、凡夫という自覚を通して苦悩が生きる力に転換される道を問い訪ねたいという一点にあったのです)。まさに現代版『歎異抄』第2章の一説が、今ここに具現していた。お出迎えの写真を撮り忘れるほど、到着した瞬間の感動は大きかった。

まず客殿で少し休憩をとってもらうことにした。草間文雄総代(新潟県山古志村から父親が亀有に出てきて商売をはじめた)が蓮光寺を代表してご挨拶をしながら、ちょっとした茶話会となった。それから本堂に入り、皆で「正信偈」「同朋奉讃」を唱和した。新潟と東京と離れていても、「正信偈」で一つになる。いつも思うことだが、どんな山奥に行こうとも、「正信偈」の声が聞こえる。新潟のご門徒と「正信偈」を唱和していることは歴史的出来事なのである。それから小生が1時間ほど法話をした。推進員養成講座で学んできた要をあらためて聞き開いていきたいという願いから、教えを通して、苦悩の根本原因である自我分別を翻し、凡夫であることを深く自覚して、苦悩の最中にあっても存在の尊さを失わないで意欲をもって生きていける道があること、その具体的な話として、田口弘君の死とその生き様から確認したのであった。

その後、諸殿を少し見学。そしてバスで「須田」に向かった。小生もバスに乗り込んだ。外から手を振る蓮光寺門徒役員。その光景を見ていて、またも大事なシャッターチャンスを逃してしまった。「須田」ではかなり盛り上がった。一言コーナーも活気に溢れていた。2次会、3次会へと繰り出す人たちもいて、小生も最後までお付き合いした。門徒のつながりは本当にすばらしい。住職になってよかったと思えた一日であった。

しかし、これで終わりでなかった。この団参に参加できなかったご門徒夫婦が、後日、蓮光寺にお参りにいらっしゃった。さらに11月15日(水)〜16日(木)の20組の専念寺さんの報恩講に出講したが、推進員となった他のお寺のご門徒や住職、寺族も聴聞に来てくださっていた。念仏による深いつながり、利害を超えたつながりの尊さを感じる。

現代は自分から進んで学ぶ以前に、レールが引かれ、その上に乗せられて学力向上だけをめざす教育になっていて、やらされ感をもちながら、そこに序列が生まれ、劣等感、優越感ができ、それが社会のなかでも同じことになっていて、自分の内側にある、心の奥底にあるさけびが封印されている。そういう点から言っても「学びたい」という内なる声によって、専念寺さんにも足を運ぶ他寺のご門徒の姿は、人間回復への道程だと思うのである。

この20組の「推進員養成講座」で小生は多くのことを学んだ。講座に参加するご門徒は、なかには聞法経験が豊富な方もおられるが、どちらかというと、これからぜひ教えを聞いてほしい、またお寺を支えていってほしいと住職から声をかけられたご門徒が多く、そういう意味では、自我の闇を照らす教えというのは、そう簡単に聞こえてこない。どうしても自分の思いを基盤として教えを聴いてしまうからだ。

前期教習の1回目はインフルエンザにかかってしまい、休まざるをえなかった。ただ休むのは失礼なので、講座参加の方々にお手紙を書き、インフルに罹った自分、思い通りにならなくがっくりしている自分の姿を照らすのが親鸞聖人が明らかにされた本願念仏の教えだということを書いて、2回目につなげていこうとした。2回目から『歎異抄』をベースに講義をしていったわけだが、2回目の小生の講義は評判が悪く「難しい」「理解できない」といった感想が多く出たことをスタッフ反省会で聞かされた。小生は少しおちこんでしまったが、最初からすんなりとはいかないのが親鸞聖人の教えだし、わかったつもりになるより、本心を言ってくれて、むしろたのもしいということも感じた。そして3、4、5回と会を重ねるごとに、わからないということの大切さや、自我分別は迷いの構造をもっていて、自分の思いが自分を苦しめているということに少しずつ眼が開かれていった。前期教習での座談はきちんと発言できる雰囲気があったので、スタッフの姿勢が、前期教習の盛り上がりにつながったのだと思う。ご門徒も小生に親しみを感じるようになっていった。いつも思うことだが、やはり僧侶、坊守の姿勢がいいかげんだと聞法会が形骸化してしまう。やらされ感では、ご門徒に失礼だと思う。ご門徒は住職、坊守がこの私を受け止めてくれるということがあるから、座談会でも活発に発言するのである。本心が言えず自分を殺して生活せざるを得ない現代にあって、自分の内側にある気持ちを話すことは大切であり、それこそがお寺の存在意義である。話をしているうちに自分が気づかなかった、自我よりもっと深いところで、本当の願いが胎動していることに気づくことがおこる。前期教習は、法話の内容を座談できちんと語りあえたところに、後期教習につながる道を開いたと言える。

後期教習については7月16日の「住職の安心して迷える道」にも少し書かせてもらったが、一番書きたかったことは、後期講習で自分を習うということがより徹底できたのではないかと思う。東本願寺の親鸞聖人のご真影に身を置くことで、一人ひとりが引き締まった感があった。これが本山の土徳というものであろうか。皆が念仏の僧伽に参画していることへの喜びを感じていた。最後まで小生に対峙していたご門徒もすっかり教えを通してのつながりを持つことができた。その門徒さんは、後期教習終了後、自分で作った枝豆を送ってくれたり、自分のお寺をどう開いていくかについて手紙を何通かいただいたのであった。お互い、きちんと語り合ったからこそ、こういう関係が開けるのである。意見の相違も大切である。要は、きちんと語り合えるかどうかだ。蓮如さんが「物をいえ」と言われたことが、現代においてなお一層大切な教言として聞こえてくる。

おさらえ教習では、一体感となった雰囲気のなかで行われた。推進員になったということは義務感ではなく、まず自分がすすんで聞法をする、そのことが推進員といわれる要であることが自覚となっていた。その自覚ができたとき、住職とともに寺を開いていこうと自ずから持てるようになるのであり、そのことが講座を受講したご門徒一人ひとりがうなずかれていたように思えた。

そして、蓮光寺への御礼参り団参、さらには専念寺さんの報恩講にも他寺の推進員の方が参加されるという、寺の垣根を超えた聞法の広がりを持つまでになっていった。誰もが、どこかで苦悩を超えて、「生まれてきてよかった、生きてきてよかった」とうなずきたいのである。それはどんな苦悩をもって生きようとも、如来の眼から人生を見つめ直し、かけがえのないいのちを生きている、どんな境遇にあっても、存在の尊さを自覚して生きるということに他ならない。この10ケ月、三条教区第20組の「推進員養成講座」に関わり、「御同朋御同行」の世界の深みをあらためて教えていただいたと思う。

来年の3月には、20組が核となって、三条教区の推進員の研修会に出講する。再会が今から楽しみである。念仏の世界は深くて広い。

〔2017年12月4日公開〕