12月27日(火) 宗教的関心に目覚める

東京8組。前回の正福寺さん(吉祥寺)での写真

24日の東京8組の聞法会で今年の法話はすべて終わった。8組では『歎異抄』の講義が終わり、前回から『正信偈』の講義にはいった。2回目の今回は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の二句を味わった。この二句は、親鸞の信心表白であり、『正信偈』の結論である。条件を変えずして、今の自分を受け入れて生きるものになっていく。念仏に呼び覚まされて、凡夫と自覚して、そのままの世界に帰っていくことが人間の本当の願いであることをこの二句から感じられるが、このことに頷くのは容易ではない。容易ではないが、8組のご門徒が真剣に聞いて下さるのは、今のままでいいのだろうかという問いを抱えているからであろう。今までのままではよくないということを感じているということは、「本当に生きるとはどういうことか」ということを求めているということなのである。

ティリッヒは、本来の自分に対する関わりを「究極的関心」という言葉で表現したが、このことこそが、宗教的関心、宗教心である。人間は、単に日常関心だけで生きてはいない。だが、自我そのものが虚偽の構造を持っているのだと自覚させるはたらき(念仏)に出遇わないかぎり、日常の価値意識を超えることはできない。だから純粋な宗教心を人間は持つことはできない。宗教心とは人間を超えた心である。だから人間が求めていく世界ではなく、人間に求められる世界といってもよい。それは理性的世界を突き破った、身に響いた世界、うなずきの世界である。人間の自我を徹底的に批判することを通して、人間に事実を事実として受け止めて生きていく世界を開いていく。その本来の世界に帰れと呼びかけられるはたらきそのものが宗教心であろう。

このような宗教心がはたらき出ていることを感じることが多い今年の聞法会であった。いくつか印象的だったことをあげてみる。

湖南地区同朋婦人の集い

10月5日(水)に京都教区「湖南地区同朋婦人の集い」(栗東芸術文化会館)が開かれた。小生に対する御依頼のチラシには「蓮如上人の薫陶を受けた近江門徒ですから、伝統的に寺を大切にしたり、法座を大事にする習慣は残っています。昨今の現状として、寺での聴聞や研修会での学びが知的学習にとどまり、生活のなかで仏法を確かめることになっていないように思います。それは聴聞することと念仏が離れてしまっている。聴聞が念仏のいわれを聞くことではなくなってきていることがひとつの原因だと思います。(中略)今回は真宗門徒が大事に伝統してきた称名念仏についてお話を頂戴できればと思います」と書かれていた。「蓮如上人の薫陶を受けた近江門徒」という言葉が実に味わい深い。人間の知性の行き詰まりを歴史的伝統から尋ねていこうという姿勢も宗教心の表れである。どうにもならないという身の上に宗教心が顔を出す。心の奥底で突き動かすものが近江門徒に流れている。それを回復しようということだといただいた。

法運寺(北海道芽室町)

北海道河西郡芽室町の法運寺さんでは、10月17日(月)から19日(水)まで報恩講が厳修された。今年は台風が次々と北海道に上陸したが、芽室町にとって、その極め付けは台風10号であり、芽室川が氾濫し、多くの農地は水害を受け作物が収穫できなくなった。十勝川にもまだその爪痕が残っていた。ご住職は「今年の報恩講は、台風の被害が大きく参詣はかなり少ないのではないか」と心配されていた。しかし、いつもより若干少ないとはいえ、どの法座もかなりの人たちが集まったのだ。紋付き袴を着ておられた総代のお一人は「被害は受けましたが、報恩講は何よりも大切ですからね」と明るい笑顔を見せてくださった。農業を営んでいる門徒さんは、いつも自分の畑で採れた作物をご僧侶などに御礼としてお渡ししているとのことだが、今年は収穫がないので、隣町の農家で作物をわざわざ買ってお渡ししているという珍事がおきていると前住職からお聞きした。こんな状況の最中でも報恩講が盛大に勤まった。経済システムにすべて組み込まれている現代だが、地域を丁寧に見ていけば、まだまだ念仏の土壌が生きているのであった。現代人は歴史的伝統を感じていくところに、現代の行き詰まりを打破していく糸口があるように思える。どの法座も正信偈の声が響き渡っていた法運寺さんの3日間の報恩講であった。

難波別院

12月10日(土)、難波別院暁天講座に出講した。商社が立ち並ぶ御堂筋。御堂とは東西本願寺の御堂のある道路ということ。大阪商人は本願寺でお参りをしてから商いをしたと語り継がれている。今はビルに囲まれてしまった御堂筋ではあるが、難波別院(南御堂・東本願寺)、津村別院(北御堂・西本願寺)が堂々と肩を並べて、何の矛盾もなく立っている光景は感動的である。それは、微かな声かもしれないが「本当に生きるとは何なんだ」と呼びかけているようにも見えた。現代文明を貫いて真宗の法統が生きている。法話では、御堂筋に象徴される現代文明の闇と、それを破る念仏のはたらきについて語ったのであった。朝早くから50名ほどの人たちが真剣に聴聞してくださった。

日本全国、宗教的関心のあふれ出た人たちが教えを求めて聴聞している。その数は年々減ってきてはいる。しかし、人間の苦悩を貫いて心の奥底にある本当の願いに目覚めることなくしてはむなしい一生になってしまう。そこに目覚めていく縁が熟するかどうか、今岐路に立っていると痛感している。

今年もあとわずか。あっという間の1年であった。来年はどんな年になるのだろうか。聞法精進に尽きる。

〔2016年12月31日公開〕