8月25日(木)〜9月14日(水) 各地を駆け巡る3週間

  • 光専寺本堂
  • バストイレ付き講師室
  • 2日目の結願逮夜法要
  • 結願逮夜での法話
  • 2日目 初夜 『御伝鈔』下巻
  • 講師室からの風景
  • お斎の一例(2日目朝食)
  • 3日目 結願日中 法話
  • 3日目 結願日中法要(御満座)
  • 御礼言上
  • 別れ際に婦人会の皆さんらに囲まれて記念撮影。前列左から若院、坊守、小生、住職

様々な活動が一気に重なって疲労がマックスの状態になることが1年に何度かある。睡眠時間が3時間程度の日がたびたびあったこの3週間は、自分でもよく続いたと感心してしまう。続く秘訣は何であるか、ちょっと考えてみた。根性だけでは到底続かない。でも、何ていう事はない。人とのよき出遇いによって、自分の小さな殻が破られて解放される、その一点ではないか。法事や葬儀で人と出遇い教えられる。寺報作成や原稿作成もそれを待ってくれる人がいるからできる。さらに法話の旅で新たに出遇う人たち。人間は関係を生きていることをつくづく教えられる。

この3週間、北海道安平町(光専寺「報恩講」)-札幌(札幌別院「職員研修」)-名古屋(名古屋別院「人生講座」)-京都(東本願寺出版会議)-北海道旭川(旭川別院「公開シンポジウム」)と出講しながら、寺の法務やデスクワーク、聞法会、学習会、会議と、休む暇なく駆け巡った。

北海道安平町にある光専寺報恩講は8月26日(金)〜28日(日)の3日間にわたって厳修された。小生は前日の夕刻に新千歳空港に到着し、空港のホテルで前泊した。飛行機の料金は不思議なものだ。当日の朝の飛行機代より前日の夕方の飛行機代が10000円ほど安かった。ならば前泊してホテルに泊まっても料金が変わらないので泊まることにした。空港には温泉があり、宿泊者は無料で入浴できる。新千歳空港を利用する場合、疲れを癒すためにこの温泉に必ず立ち寄って帰るのが常だ。今回はこれからという出発前に、この温泉に浸かって鋭気を養うというわけだ、温泉から出て、寿司屋に入り、ちょっと飲みながら寿司をつまんだ。寿司屋の板前とする会話がやけに楽しかった。そして、ホテルにもどって、パソコンを開き、仕事に取り掛かった。ホテルの窓からは飛行機が見える。普段とは違うひととき。こういう時の仕事は実にはかどるのだ。時計を見たら午前2時。あわててベッドに横になった。

26日、光専寺さんの総代さん、世話方さん2名が空港まで迎えに来てくださった。総代さんは小生の大きなキャスターバッグを持とうとする。小生は断ったが「布教使の先生に持たすわけにいきません」と小生を制して運び始める。総代さんは本気でそう思っておられることがひしひし伝わる。1年で一番大切な報恩講、その布教使に対する尊敬の念があふれ出ている。それはこの総代さんの個人の人柄ではなく、光専寺ご門徒全体を表現していることがすぐ了解できた。光専寺の古卿住職、坊守さんの姿勢の表れでもあった。新千歳空港から車で30分ほどにある勇払郡安平町光専寺。安平町は、追分と早来が合併してできた町で人口は8000人あまり。室蘭本線と石勝線の交差する地点にあり、古くから鉄道の町として栄えた追分。早来は橋本聖子の出身地で一躍全国区になった。安平町は、酪農と軽種馬生産で有名で、小生の大好きな「はやきたスモークカマンベールチーズ」の生産地である。その社長が光専寺の総代の一人であったと聞いて「びっくりポン」(古い流行語…)であった。

光専寺さんは本堂が新築されて2度目の報恩講を迎えた。報恩講を厳修するために新しい本堂が建てられたことを住職さんは何度も語られていた。住職さんは北海道で指折りの布教使であり、坊守さんは北海道の坊守会活動も積極的に関わっておられ、息子さんは声明作法がきちんと身についており、門徒さんも活気にあふれ、これぞ伝統的真宗寺院だと感じた。3日間に法要が9座開かれ、法話も8座9席あった。3日間、法話の連続で心地よい疲れを覚えた。お斎はすべて手作りの精進(最終日の最後のお斎だけは特製いくら丼であった。これがまたうまい!)で婦人会の人たちの心のこもった料理をありがたくいただいたのであった。東京などの大都市とはちがい、お寺と門徒さんとの関係が十分保たれている。この関係をどう維持するかが宗門全体の課題だろう。子や孫が東京や札幌に住んでいるという光専寺の門徒さんは実に多い。その子や孫とのつながりを維持していくために宗門レベルでやれることはいっぱいあるはずだが、そこに目が行かないのは残念なことである。小生だったら、ご門徒の子や孫の住所を聞いて、故郷とつながれるような刊行物を年に何回か送ることをまず提案したい。都会の経済生活に埋没して忘れてしまっている一人ひとりの宗教性を回復していくような紙面を作り呼びかけることはできるはずだ。そして時折、小さくてもいいから聞法会を開いて、故郷の親といっしょに聞法していく機会を持つことだ。そういうところに宗門レベルでお金を使ったらいいのではないかと痛感したのであった。大きなイベントはやってもそれで根付くことはない。地道な活動こそ大切である。それは地方も東京もいっしょである。蓮如上人は膝と膝を突き合わせた教化を行ったが、それが、あれだけの門徒を生み出すことになったのだ。マスプロではだめだ。冷めた時代だからこそ、熱意をもった呼びかけに人は振り向いてくれるのではないか。今こそ蓮如上人に学ぶことだ。光専寺さんに広がる伝統的な真宗の風習を消してはならない。わが蓮光寺の課題でもある。

光専寺さんを去る時に、住職、坊守、副住職、総代、世話方、婦人会の人たちが総出で見送ってくださった。いっしょに仏法聴聞した喜びに包まれていたからこその雰囲気が漂っていて、去るのがとてもつらかった。日頃、つまらない人間関係に迷わされている自分が心から解放される瞬間でもあった。空港まで送ってくださった総代さんと世話方さんとは楽しい会話がはずんだ。

  • 札幌別院
  • ご挨拶される三浦崇ご輪番
  • 講義風景

光専寺さんを出て、夕刻に札幌に到着した。翌日29日の札幌別院職員研修会に出講するためである。この研修会は、なんと声明学習会として開催された。小生が声明に関して講話をするのは実ははじめてであった。テーマは「勤行と聴聞」。主催者から、勤行と聴聞は「荷車の両輪の様に、どちらが欠けても動けない如く」と教えられているが、それについての小生の了解を述べてくださいということであった。小生は、「勤行と聴聞」ではなく「勤行が聴聞」ということから語り始めた。声明作法はとても大切なので、あえて両輪と表現せざるを得ないだけで、実は2つに開いて1つの大切なことを語っているのである。それは回向を往相、還相に開いて語るが、回向が往相と還相と2つあるわけではない。そういうニュアンスであり、実は勤行と聴聞と2つあるのではなく、勤行が聴聞なのである。「如是我聞」の言葉のごとく、声明は聞き合うということが要であり、それは如来の回向によるのである。如来の回向を私有化することで聴聞上に起こる問題が、学生沙汰であり、信心一異諍論であり、信不退・行不退であり、声明においても同じ問題を抱えていることを1時間40分のなかで様々な事例を出して述べた。声明作法に真剣に取り組んでいる列座の人たちを前に、正直、気が引けるところもあったが、小生の講話に共感したと三浦ご輪番や藤田さんをはじめとした列座の方々が言ってくださり、肩をなで下ろしたのであった。

大型の台風が近づいて東京に帰れるかとても心配だった。23日夕刻に心筋梗塞で急逝された蓮光寺世話人の横倉勇二さんの通夜葬儀が30、31日と蓮光寺で行われるからだ。24日朝に枕経を自宅で勤めたが、小生が帰ってくるまで通夜葬儀を待っていてくれているのだ。飛行機が飛ばなかったらどうなるのだ…。研修会が終わったら帰ろうと思った。しかし、29日の飛行機は全便満席。皆考えることは同じであった。少しでも早く戻ろうと、30日の朝一番のJALに変更した。不安だが腹をくくって懇親会へ。ひさしぶり三浦ご輪番と飲む縁があたえられ、藤田さんら列座の人たちと旧交を温めた。明日の飛行機を心配しながらの酒は量が増え、酔いがまわった。

30日、無事に飛行機が飛んだ。紙一重の人生を生きていると実感。とにかく戻れてよかった。横倉さんは聞法精進した世話人さんであった。寺を愛したご門徒だけにお寺での通夜葬儀は南無阿弥陀仏の御仏事となった。いのちはコントロールできない。いのちの厳粛な事実を横倉さんが身をもって示してくれた。これは、横倉さんの小生への今生の最後のプレゼントであった。

  • 名古屋別院
  • 「人生講座」のテーマ
  • 講座の様子
  • 質疑

9月に入り、1日は法事と組会、2日は原稿作成とテープ起こし、3日は法事を3件勤めてから名古屋別院の「人生講座」に出講した。人生講座は午後6時〜8時。会場となった別院の議事堂は満員であった。小生の話をわざわざ岡崎教区から聞きに来る門徒さんたちには頭が下がる思いであった。テーマは「生死を超える道 ―仏教における終活―」。名古屋教区では終活が活発化していくなかで、真宗の葬儀が形骸化しつつあることに危機感を持ち、本当の終活について、真宗の仏事について、学びを深めてきた。そんななか、小生が『旭川別院だより』に「真宗の葬儀と終活」と題して3回にわたって寄稿したのをスタッフが読み、小生への依頼となったわけである。いわゆる終活を頭から否定することは避けたが、終活が生み出されてきた現代という時代の持つ闇にスポットを当て、関係性のさらなる貧困化を背景として、人間の自我が死を商品化し、私有化してしまっている現状を述べながら、自我の迷妄性を破って本当の願いに立ち返ることの大切さについて懇切丁寧に語らせてもらった。そこに目が開かれていく御縁となるのが真宗の葬儀(仏事)なのである。そういう葬儀になっていないとすれば、僧侶の責任はあまりにも重いと言わざるを得ない。また真宗門徒の生活は、御仏事の生活と言われている。つまり仏事という儀式(聞法)が生活のなかで生かされていくということが大切で、儀式で終わるのではない。儀式が内容を伴ってよみがえってくるのが生活現場である。そこに御仏事の生活と言われる所以があるのである。終了後、スタッフが懇親会を設けてくださり、そこでも真宗が現代において時機純熟の教えであることを確認し合った。その日は宿泊した。

翌朝(4日)に東京へ。午後から3件の法事を勤め、その後2つの会議に出席した。5日(月)〜11日(日)までのことは細かく書かないが、いくつもの法事を勤め、また葬儀もあり、真宗会館での会議もあり、学習会、門徒倶楽部もあり、『ふれあい』作成などもあり、時間にふりまわされる一週間であった。この間の9日には京都で東本願寺出版の会議にも出席した。とにかくクタクタ…。

  • 旭川別院
  • 小生の基調講義
  • 青木新門氏の基調講義
  • シンポジウム全体像
  • 司会の名畑格氏
  • パネラーの金石潤導氏の語り
  • 小生も熱く語る
  • 新門さんも熱弁
  • 新門さんと小生

そして12日(月)朝に旭川に向かった。旭川別院で「真宗の葬儀」をテーマとしたフォーラムに出講するためであった。フォーラムは午後3時〜6時。小生と作家の青木新門さんがそれぞれ50分の基調講演を行い、その後、シンポジウムが開かれた。パネリストには、新門さんと小生、さらには金石潤導氏(北海道教区教化委員会本部長)が加わり、名畑格氏(北海道第13組名願寺住職)が司会を務めた。新門さんは行き先(無量寿)の大切さを語り、小生は如来回向による無意識の宗教性の開発の大切さを語った。新門さんは僧侶が葬儀に対する対策会議みたいなことをするなら耳を貸さない厳しさがあるので、小生は人間に求められる宗教性について力説したのだった。シンポでも、そのことが深められながら、金石氏が北海道の現状を語りながら、真宗葬儀を通して教えられたこと、葬儀では大切な問いがあたえられることに気付くかどうかなどを語られた。時間は短くあっという間であったが、真宗の教えの大切さをあらためて確認したことであった。その後の食事会でも言い足りなかったことを語り合うことができて有意義であった。翌日は休養をかねて旭川でひさしぶりゆっくりすごした。

14日(水)朝に羽田に飛んだ。羽田から東京駅へ。堀田護先生と合流し、足立区の常福寺へ。門徒会研修会に出席し、堀田先生の法話を聴聞。合掌なき現代の問題と、合掌を通して人間が回復していく道があることを、ご自分の経験を通して語る堀田先生の法話に脱帽。心地よい仏法の風が小生に吹いてきたのであった。

とにかく飛びまわった3週間であった。忙しさに自分を見つめる余裕がないのだが、実はただ忙しいのではなく、仏法にふれ、仏法に生きる人に出遇うことで、自ずから自分が照らしだされることを痛感している。これがあるから生きていける。そんなことをひしひしと感じたのであった。

〔2016年9月19日公開〕