4月5日(火)/ 5月14日(土) 無自覚の宗教性の回復

高田教区若坊守会(すずなの会)主催「公開学習会」 於:高田別院 三条教区20組主催「公開仏教講演会」 於:新潟ユニゾンプラザ

南北の長さでは九州に匹敵する新潟県、長いがゆえに上越、中越、下越にはそれぞれのちがいがある。ちがいはあるが、真宗の教えの伝統という意味では共通しているところにうれしさを感じる。

この春、新潟県の二つの教区、高田教区と三条教区で法話のご縁をいただいた。4月は高田教区高田別院で教区若坊守会(すずなの会)主催の「公開学習会」、5月は新潟市のユニゾンプラザで三条教区20組主催の「公開仏教講演会」に出講した。

高田は研修会、三条は法話会と、形式はちがうものの、この二つの会に流れている願いに共通性が感じられた。もっと言えば、東京、いや日本全体が抱えている問題を新潟県の寺族、門徒から問い返されるような思いがしたのであった。そのことを少し書き綴ってみたいと思う。

高田教区
  • 勤行 広い本堂
  • 森田教務所長挨拶
  • 「すずなの会」石黒さん挨拶
  • 講義の様子
  • 懇親会の様子 お寺で開催
  • 若坊守さんが手作り料理を持ちあって
  • 一言コーナーもありました

高田教区の公開学習会のテーマは「お寺の魅力を再発見しよう」であった。お寺でどう生きていったらいいかという若坊守さんの生活のなかからの問いがまずあり、それは同時に血縁、地縁社会の崩壊と共にお寺の存在意義が問われている問題でもあった。すずなの会から、この問題をいっしょに考えましょうと、門徒や教区内寺院へ積極的な呼びかけを行った結果、すずなの会の熱意が伝わり、120名を越える寺族、門徒が参集した。

すずなの会にとって、若坊守を越えた枠で行う研修会は初めての試みであったことから、研修会の日まで、代表のIさんとは、メール、電話等で何回も話し合ってきた。

Iさんから2通のご依頼状をいただいたが、とても考えさせられた。1通目の一文に「若い方は結婚したら若坊守になった。なりたくてなったわけではない。アパート暮らしも、したかったがお寺で暮らしている。どうせ逃れられないのならお寺の生活が楽しくなればいい。おてらの生活を自分自身も楽しみたいとお寺のこと考えております」とあった。表現は素直でさりげなく書いてあるが、これは全人類的課題を背負った言葉だと直感した。つまり、現代人は、それぞれの生きる場において、この課題を背負っているのである。これを突き詰めて言えば、「どこで本当に生きたって言えるのだろう」、「なぜ生きるのだろう」、「自分とは何だろうか」という宗教的課題に他ならないのである。今ここで生きている自分がこれでいいと、どこで言えるのだろうか。Iさんの一文は坊守という形をとって、人間がだれでも抱えている問題を明らかにしようとしているのであった。

ただ、現代の巨大な経済システムのなかに投げ込まれてしまって、なかなかこの課題に向き合うことができないのが現実である。誰もが本当は宗教的課題を抱えていながら、意識化されてこない、つまり「無自覚の宗教性」を明らかにしていくことが、現代におけるお寺の存在意義ではないか。つねに人間を見つめ、生きる意欲を回復してきた伝統的な場がお寺である。表層ではお寺が消えていく時代でありながら、深層では、いよいよお寺が本当に必要とされる時代になったのだと思う。

Iさんの二通目の御依頼状には「若い人にしっかりバトンを渡すという意味で、先ずは若い人が

寺に関心を持ってもらうにはどうしたらいいかを教えて頂けませんか。お寺だからできること、お寺に住んでいるからできること、そして坊守として求められていることは何かを知りたいのです」とあった。これも実に素直な感覚であり、なんとかしたいという気持ちがとてもよく表れている。

ただ、この文章で一か所だけ気になるところがある。それは、「坊守として求められていることは何かを知りたい」とある。この「坊守として」というのが危うい。それは小生自身も抱えている問題であるのからこそ危ういと感じるのである。よく聞法会の開会の挨拶で「私たちは真宗門徒として、どの様に親鸞聖人の教えを聞いていくべきでしょうか」といった言葉をよく耳にする。正しいことを言っているので、その毒に気づかない。「真宗門徒として」ということが、実は人間を縛っていくのではないか。「サラリーマンとして」「坊守として」というあり方が、現代人が超えていかねばならない問題であろう。

「〜として」というところに自分を当てはめようとするのは、他人から自分がどう思われているか、どう評価されているだろうかということが知らず知らずのうちに一番の関心になってしまっているということなのではないか。それは、自分を生きるのではなく、自分の立場を生きているのである。

せっかく宗教的問いを持ちながら、何か理想像を作って、そこに自分を当てはめようとする、それはけっして「自分になる」ことではない。それどころか、益々自分がわからなくなっていくだけなのである。関係を自分として生きているということが真実だと仏教は呼びかける。自分とは関係のなかで出遇うものなのである。

そのことに真向いになる場がない現代において、前述したように、その場こそお寺、とりわけ真宗寺院だと言えるのではないか。例えば、ひとり歩きした坊守の理想像に自分を当てはめようとしてしまうのだが、これは、本当に生きるという方向と真逆であったとしても、やめろと言われてもやめられない。やめられないのだけれども、本当にこれでいいのだろうかという心の奥底の叫びに気づけというところに親鸞の教えの深みがあるのだと思う。つまり迷いを包んで超えていく仏道である。

そのお寺という場で大切なことは、住職も坊守も門徒も悩んでいるという一点ではないかと思う。仏教の教えは、苦悩から生まれたのである。教えが先にあることはない。教えが先にあると、教えにあわせた人間を演ずるようになってしまう。同じように坊守像が先にあると、坊守像に合わせてしまう。これが、現代の共通した人間の一番の問題だ。苦悩が先、苦悩があって教えが聞こえてくる。教えが自我を突き破って「聞こえてくる」という形しかない。

「〜として」ということが自分を縛っていくのだが、その根は自分の思いである。つまり、自分の思いが自分を縛って苦悩しているのである。その苦悩を通じて、どうにもならなくなった時に教え(本願)顔を出すのである。この「無自覚の宗教性」を開発(かいほつ)する場はお寺だけと言っていい。

事実を事実と受け止めて自分が自分として生きるという道と、その自分を根底から支える場ということが、ひとつのこととして開かれてこないと人間は本当に満足するということはない。これは如来回向による信心と、報酬の浄土という問題がひとつのこととして明らかにしていくという問題に他ならないのではないか。このようなことを語った。

三条教区
  • 池守教務所長挨拶
  • 法話の様子

続いて、5月に出講した三条教区20組「公開仏教講演会」について、教えられたことを語ってみたい。新潟市亀田地域一帯が20組であり、「お東亀田郷寺院」と呼ばれ親しまれている。公開仏教講演会は、新潟市の新潟ユニゾンプラザという公会堂を会場として、亀田地域のご門徒が約200名参集した。テーマは「本当の幸せとは―かけがえのない私の回復―」。公開仏教講演会は40年の歴史を持ち、宗祖親鸞の教えに出遇ってほしいという願いによって相続されている。この法話会が開催される日まで、スタッフのSさんとは何度もメールでやりとりした。法話会にかけるスタッフの熱意は、高田と同じであった。

小生を講師に依頼した理由は、仏法を日常の言葉で語ってほしいとの願いからだということだった。果たして小生が適任かどうか、大変な課題を突き付けられていたのだと冷や汗ものだったが、安直な依頼ではなく、きちんとした願いがあることに納得した。

なぜこのことを書くかというと、20組の方々のきちんとした願いというのは、真宗の話は難しいので、わかりやすい話をしてほしいという短絡的なことではないということを言いたいのである。難解な宗教用語も、もともとは生活を通して生まれた言葉であり、その教えの言葉を現代の言葉で表現できないのなら、それこそ講師失格なのである。かといって、どんなに平易な言葉を使っても、真宗をいただくことは簡単にはできない。なぜなら理解と言うのは自我の範疇であり、その自我が破られてはじめて聞こえてくるのが真宗の教えであるからである。つまり、生活の苦悩を通して仏法が語られなければならないし、本当に仏法をいただいたならば自分の言葉で表現するのがしごく当然のことにすぎないのである。それでも相手がうなずいてくれるかどうかはわからないが、そういう姿勢は貫いていかねばならない。「如是我聞」(私はこのように教えを聞きました)が仏教の歴史、つまり教えられた人が伝えてきたのが仏教の歴史そのものであって、わかりやすいかどうかということが一番の問題ではないのである。逆に言えば、知的レベルの人がどう背伸びしても、一文不知の聞法者には遠く及ばないということが基本である。だからもともと自我を突き破って聞こえてくる教えを簡単にいただけないからこそ、どうか自分の了解を現代の言葉で語り、教えを共有していくことが最も大切な一点である。これが20組の願いなのである。御意!

  • スタッフとなったご門徒、住職、坊守さんと熱く語り合い。日本酒がめちゃくちゃうまかった! 写真は少ないけど熱気が伝わってますね!

結局、一番奥に何が願われているのかというと、高田教区同様、三条教区という念仏信仰の熱い歴史を持つ土地柄であっても、門徒が現代の価値観に侵され続けるなかで、なんとか「無自覚の宗教性」を教えにふれることによって開いてほしい、また自分自身も開かれていきたいという、門徒さんも含む20組のスタッフの願いがかけられたのが仏教公開講演会であったのだ。小生が適任だったかどうかわからないが、話す小生自身が、自分の言葉を聞き返しながら話していったことで、自分がいただき直すことができた。20組からの願いは真宗の教えをヒューマニズムとしてとらえて疑わない傾向性を持つ宗門のあり方そのものを問うものでもあったのではないだろうか。

懇親会、そして二次会を通じて、今後のお寺のことなども語り合った。共通の考えとしては、宗門は寺院崩壊の流れの中で様々な試みをしているが、それはそれとしてわからないでもないが、9000近くある末寺寺院に対しての施策が乏しいということである。アドバルーンをあげて目立った動きはできても、一番大切なことは一カ寺一カ寺が元気になっていくような協力関係、丁寧に言えば一人ひとりの苦悩を基本としたお寺の再興こそ宗門の悲願ではないのか。そんなことを語り合い、とてもよい意見交換だった。宗門も現場の声を第一にしてほしいものだ。

高田教区はどちらかというと寺族坊守向け、三条教区は門徒向けに見えるが、実はそうではない。寺族、坊守、門徒、そして真宗門徒ではないすべての人たちの「無自覚の宗教性」を開発(かいほつ)していく一点でまったく同じであると頷けた。開発は如来の仕事である。しかし、教えを聞く縁作りをするのは我々の仕事である。新潟に行き、あらためて自分の課題をいただき直したように思う。

これからは新潟-東京といった横のつながりこそが大切になってくると実感させられた。

〔2016年5月29日公開〕