10月15日(木) 真宗寺院の存在意義

  • 勤行の様子
  • 講義の様子
  • 班別座談会の様子
  • 研修センターに隣接する北海御廟での晨朝
  • 晨朝法話は浅野理事(樹教寺住職)
  • 北海御廟
  • 藤岡巧教務所長のご挨拶
  • 宮本春美委員長のご挨拶
  • 北海御廟敷地内に新設された御廟塔

9月29日(火)〜30日(水)にかけて、大谷婦人会北海道連合会秋の研修会に出講した。大谷婦人会の役職者の研修会ということもあって、非常に内容が濃いものとなった。テーマは「真宗寺院の存在意義」。このテーマからわかるように大谷婦人会では、「これからのお寺がどうなっていくのか」という強い危機感を持たれていた。

本来、人間は、人生を貫くような真のよりどころ、換言すれば、自分を丸ごと認めてくれる世界を持たなければ生きていけない。これに取り組むことが宗教的課題と言われるものであり、この課題は、どうにもならない苦悩を抱えている時に表出するといっていい。しかし、現代は苦悩に向き合わないでよい装置がたくさん用意されている。それはすべてが経済的システムに組み込まれてしまっているからで、すべてが財布の開け閉めによって決まる依存社会、すべてを委ねてしまう社会になってしまっている。

そういうなかで、ネットによる僧侶派遣や「終活」が登場し、小沢牧子さんの言葉を借りれば「死の商品化」という現状を生み出し、それとともに本来の真宗の葬儀がきちんと行われにくくなっている。それは教えに出遇う機縁を失ってしまっているということにつながる。「終活」がすべて悪いと言うわけではないが、生の延長上の視座から出ることはない。そして死後のことも財布の開け閉めによって専門業者に委ねてしまってはどうなのだろうか。その背景には家族の解体に代表される関係性の崩壊という問題が潜んでいる。人間は関係性によってのみ育てられる。つまり自分とは出遇うものに他ならないのに、あらかじめ用意された答えのようなマニュアルに当てはめていては、本当に生きたことにならない。「死」というどうにもならない問題に向かい合うことで、日ごろの思いよりもっと深いものに出遇っていく機縁になるのに、その視座がなくなってしまっている。

このような状況が進むと、お寺は存在意義をなくし消えていくだろう。しかし、このような時代だからこそ徹底的に自分のあり方を照らしだす教えが待望されているとも言える。なぜなら気が付かないだけで、人間は自分の存在が尊いものとして回復されることを願っているからだ。そういう人間の思いより深い願いが心の奥底で胎動しているのである。人間は自分の思いよりもっと深いものに出遇いたいのだ。そう考えると、お寺の存在意義は実に大きいものがある。常に苦悩を抱えながら生きざるを得ない人間が、教えによって励まされ、事実を受け止めて立ち上がってきた歴史がしみ込んでいるのがお寺だ。土徳があるのがお寺の良さではないか。現代におけるお寺の存在意義は「如是我聞」(教えが聞こえてきて頷かされる)の歴史の継承にほかならない。教えを通して、自分の愚かさに気が付かされながら、本当の願いに生きんと立ち上がってきた歴史が今、ここに届けられているのである。関係性が崩壊しつつある現代において、膝と膝を突き合わせた関係が保たれている、これがお寺のいのちである。

現代は何事も三人称の世界になってしまった。真宗は必ず自分を問題にすることを強調する。三人称は自分不在の世界である。一人称、二人称の世界を通して、あらゆる人々と共感していく世界を開いていくのがお寺であろう。それによって三人称の世界も開かれていく。このままお寺は消えていくのか、いよいよ存在意義を示していく時なのか、それはまず私一人の姿勢から始まり、いっしょに教えを聞く人とともに歩むことではないか。8000ケ寺以上ある大谷派寺院がそのことを大切にしたら、とても大きな力になるのであるが、どうなっていくのであろうか。

法話の後の座談会は、どの班も途切れなく語り合いが続いた。坊守さんも門徒さんも、お寺を消してはならないという強い決意が感じられた。つまり念仏相続を閉ざしてはならないという危機感である。このままではお寺が貧しくなり、おまんま食い上げだということを言う人など一人もいなかった。どこまでも念仏相続の灯火を消すなという一点であった。門徒さんのなかには、子どもや孫にお内仏の生活をしてもらうこと、子どもや孫に死顔を見せて、死の視点から生を見つめ直してもらいたいこと、こういったことは私でもできると言われた方もいた。坊守さんはもちろんだが、門徒さんがそういう強い気持ちを持っていられることに感動した。宮本晴美全国大谷婦人会委員長(北海道連合会委員長)の「坊守も一門徒となって、真宗寺院にある教えの伝統を受け継ぎ、次代に繋いでいきましょう。そのためには様々な課題に真向いになり、共に語り合うことを通して、担わなければならない使命を明らかにしくことです。」という言葉は、男女平等参画をめざす宗門において、坊守が一番大切にしなくてはいけないものは何かを語ってくださったように思う。住職も坊守も一門徒である。

  • 夏季講習会(豊田市・豊田福祉会館)

地域ではこの問題に真剣な僧侶、門徒が多いことも事実だ。北海道の研修会の前に出講した岡崎教区24、25、26組や京都教区但馬組の方々も大きな危機感を持たれていた。岡崎教区第24、25、26組合同夏季講座(8/27)では、その前日、主催の26組が急遽研修会を開き、今日のお寺について問題提起をするように依頼された。この3つの組は豊田市にあり、父親の実家である浄覚寺は24組であるから、小生にとって第2の故郷である。この地域は蓮如上人の影響が大きい真宗伝統地域である。講座には200人を越える参加者があり、午前午後と3時間にわたる講義を熱心に聞いてくださった。しかし、同居している世帯は少なく、子どもや孫は、名古屋や東京で生活しているという人も多い。その人たちにはお内仏はないという。三河門徒も危機に立たされている。経済的価値一色で行き詰ってしまった現代において、ぜひ子供や孫にお内仏の生活を伝えていかねばならないと思う。

  • 但馬組同朋大会(生野マインホール)
  • 生野駅

その後に出講した京都教区但馬組同朋大会(8/29)でも、大変危機感を持たれている方が多かった。但馬組は、銀山で有名な生野から豊岡にかけての100㎞を超す細長い地域に6カ寺(うち2カ寺は女性住職)という小さな組である。兵庫県なので山陽教区と思っていたが、文化的にはなるほど京都であった。人口も少ない過疎地域でありながら、女性住職の西木組長をはじめ、寺族、門徒が「ぜひ真宗の教えを聞いてもらいたい」と声を掛け合い、当日は300人の門徒さんが参集された。東京は大都会だが人が集まらない。過疎であっても過疎の良さがあり、過疎でできることをやろうという意欲こそ学ぶべきことであった。

こうして、小生は色々なところで法話をさせていただいているが、いつも教えられて帰ってくる。真宗の教えを伝えていきたいという地域の願いをなんとか大きな輪にしていきたいと思う。真宗葬儀が崩れつつある、お寺が消えつつあるという問題に対して、宗門はなかなか目を向けなかったのではないか。この大きな問題は宗門レベルでもっと取り上げてしかるべきではないだろうか。

〔2015年10月16日公開〕