報恩講教団 ─門徒主体のお寺の魅力─ 12月27日(土)筆

早いもので今年も終わろうとしている。9月以降の報恩講シーズンでもあり、様々な地域にも出講し法話をした。2011年の御遠忌前後に比べると減ったとはいえ、9月以降の法話の日数は40日ほどでハードな日々だった。

報恩講の参詣が全国的に減少し、報恩講教団と言われながら、真宗寺院そのものが現代の流れに負けて、報恩講の簡略化が進んでいる現実は憂慮すべきことではないかと思う。そんな今だからこそ、報恩講を核として、様々な問題を抱えている多くの人々がお寺に集い、聴聞することを通して、生きる意欲をいただいてきた歴史の重みを噛みしめていきたいと思う。なぜなら、関係性が崩壊した現代において、報恩講を勤めることそのもののなかに、関係性を回復し、人間が人間として生きる喜びを見ることができるからである。まだまだそういうパワーを真宗寺院は持っているのである。東京近郊のお寺についてはいずれまた紹介するとして、真宗が盛んな地域のお寺の報恩講をいくつか紹介し、報恩講の大切さをみなで共有したいと思うのである。

本龍寺

  • 御門徒による報恩講前の朝の清掃
  • 厨房でのお斎作り
  • 本龍寺のお斎「本膳料理」
  • 小生の法話

12月、安城市本龍寺の報恩講に始めて出講した。この地域では3昼夜4日間が伝統であったが、都市化の波もあってなかなか3昼夜の厳修は難しくなってきている。そんな状況だからこそ、樋口住職は3昼夜4日間の報恩講を厳修し続けていくことに全身全霊を傾けている。法話の講師は日替わりであり、小生は2日目の日中と御逮夜で法話をした。4日間、何度も法要が勤まるが、ほぼ満堂に近い門徒が毎回集まることにも驚くが、お斎も毎回出され、すべて手作りであり、また子ども報恩講も勤まり、お年寄りから子どもまで集っているお寺だ。樋口住職と歓談をしているなかで、樋口住職の「坊守の仕事は、坊守が仕事をしなくていい寺になることです」という言葉に、このお寺においては、どこまでも門徒主体で動いていることが手に取るように頷けた。実際、多くの総代、世話人、婦人会の人たちが動き回っていた。小生の接待にも3人ほどの女性門徒さんがつき、尊敬の念をもって接してくださった。寺を媒体として、ともに教えを聞く同朋として、喜びをもって動いているのが印象的であった。長丁場の報恩講の準備や進行は本当に大変だし、お斎も4日間ずっと作り続けるのであるから気が遠くなる。ところが門徒さんは、現代の損得勘定の価値観で動いているのではなく、お寺には尽くしていきたいという姿勢が身についているのである。法話をする小生に皆暖かく挨拶をしてくださるのも義理でできることではない。人間は縁起的存在である。縁を大切に、出遇いを大切に、そこからお育てをいただくということが、私が私になる必須条件であると再確認した。本龍寺は報恩講を核に様々な活動をしている。婚活もお寺で行っているが、ただの婚活ではなく、教えをともに聞き座談をするといった教えにふれてもらうことを忘れない。その上で、手作りの食事をいっしょに作ったりしての交流が行われる。詳しくは本龍寺のホームページを見てほしい。本龍寺には、本来的真宗寺院のすがたを見ることができる。安城市の人口は約19万。トヨタ自動車関係で豊かな市である。豊かになり都市化すればするほど報恩講の参詣は減っていく傾向にある。しかし、人間の迷いは深まるばかりである。都市化しつつある地域で、門徒同士の交流を通して、親鸞聖人の教えに出遇い、生きる意欲をいただいてきた報恩講の伝統を守っていこうとする本龍寺から学ぶことは多い。都市化すればするほど人間が見えなくなっていく。そのなかに真宗寺院が悠々と存在している意義は大きい。

樹教寺

  • 樹教寺から見た新十津川 一面水田です
  • 浅野住職の御挨拶
  • 小生の法話

では、過疎地域の真宗寺院はどうか。過疎地域を多く抱えた北海道のお寺を見ていこう。北海道のお寺はどこへ行っても大きな厨房があり、門徒さんが動き回っている。9月に、来月の成人の日法話会に法話される浅野俊道住職の樹教寺の報恩講に出講した。樺戸郡新十津川村は一面田畑であり、典型的過疎地域でありながら、多くの門徒が集ってくる。樹教寺にも4回目の法話とあって、門徒さんが親しみをもって迎えてくれる。北海道は寺を中心とした地域社会がまだまだ生きている。だが、次世代の人たちは札幌や東京などに住み、はたして教えが続いていくだろうかという問題も抱えている。樹教寺のある世話人さんが「この地域もつながりが弱くなって、人間関係がだんだん東京のようになってきています」と嘆かれていた。しかし、札幌や東京に出て、ブラック企業で働き疲れ果てた若者たちが帰っていける唯一の場は故郷である。そこに樹教寺さんが昔のままに存在し、無条件に受け止めてくれる場として迎えてくれる。都市に出て行った若者にそういう存在の故郷としてのお寺があることは大きな励ましになるのではないか。副住職さんもこれからの過疎におけるお寺のあり方を真剣に考えておられる。

願成寺

  • 法要の様子

  • 10間もある広々とした本堂
  • 小生の法話

樹教寺の近くに願成寺があり、このお寺の報恩講にも出講した。樹教寺と同じく2昼夜3日間にわたって報恩講が勤まり、全法要のすべての法話を小生が受け持つ。願成寺は滝川市の中心にあるが、滝川市は年々人口が減少し、過疎の問題を抱えている。願成寺は別院級の本堂を持つ御大坊で、境内に滝川幼稚園があり、いつも園児の声が聞こえてホッとするお寺だ。今回、泉住職さんが体調を崩しておられたが、すべての法要に出仕された。出仕する住職を気遣う門徒衆が印象的だった。どちらかと言うと地味な住職さんという印象を持っていたが、ここぞという時の姿勢に小生も震える感動を覚えた。報恩講を勤めるのは住職の責務というが、体調を崩している中で計7座の法要を出仕するのは並大抵のことではない。報恩講がいかに大切で尊い場であるかが身に沁みていないとできない。父親である住職を見ながら、旭川別院で列座を勤めている副住職が、報恩講のご満座の後の挨拶で、お寺を背負っていく決意を述べられると、多くの門徒が涙した。皆、苦悩を背負ってお寺に集っている。だからこそ、住職の姿や副住職の決心に感動するのであろう。そこにもお寺を支える坊守さんや門徒さんたちの姿があった。町がどんなに人が減ろうとも、念仏相続の灯火は消えない。ここにも帰ってくる場としてのお寺があった。

西辰寺

  • 大逮夜での法話
  • 午後7時30分 初夜法話中

  • 大柏住職

北海道のお寺といえば、今回初めて紋別にある西辰寺の報恩講に出講した。北海道の報恩講は9月頃が多いが、この地域は11月に厳修する寺が多い。小生が出講した日は、今秋初めての寒波でまとまった雪が降っていた。オホーツク海に面した紋別は東京ではそれなりに名前が通っているが、実は鉄道が通っていないのには驚いてしまった。バスと自家用車が交通の手段なのである。その紋別市内から15㎞内陸に入った上渚滑里町にある西辰寺はやはり過疎の町である。まとまった買い物は市内に行かないとないし、大きな病院も同様で、救急車を呼んでもすぐには来ないようだ。そんな町でも、西辰寺を囲むように門徒さんが住んでいて朝早くから報恩講に携わる。今年の報恩講にかける大柏住職の意気込みはすさまじく、小さい町なりの報恩講の勤め方があると、1昼夜の報恩講に全力を傾ける。それが門徒衆にも伝わっていく。このお寺で印象的だったことは、出仕する僧侶は自坊のお参りもあり、法要の合間に一旦帰る人も多いが、大柏住職の呼びかけなのかどうかわからないが、出仕した僧侶すべてが小生の法話の時間もずっと聴聞されていた。また他地域から僧侶がわざわざ聴聞に来て、出仕もするといった光景も見られた。大柏住職は御礼言上で感動のあまり涙をこらえることができなかった。どちらかというと天真爛漫なタイプで実に俗っぽい住職であるが、やる時はきちんとやる、その姿勢にこれもまた本物!と頷かせてもらった。

僧俗ともに仏徳讃嘆し聴聞の座に座ることが報恩講の基本である。東京周辺では報恩講の基本が壊れ、形だけのやれやれ報恩講が少なくないが、こうした過疎の町では、報恩講の精神を失わずに、門徒との関係性を大切にしているお寺がたくさんあるのだ。人口が多く経済面だけが豊かな国の人間より、太平洋の島で少数で素朴な暮らしを大切にしている人たちが方が、人間的に豊かで充実した生活をしているのと同じように、過疎地域の報恩講にはとても豊かさがあった。

きちんと報恩講を勤めているお寺の本堂は、広かろうが狭かろうが、どこも歴史的重みを感じる。今は亡き多くの人たちが、苦悩や悲しみを抱えながら本堂で聴聞し、本願に出遇ってきた歴史そのものが本堂である。どんなに設備のいいホールであっても、歴史的重みを持った本堂の前には色あせてしまう。一人ひとりの悩みは様々でも、けっして個人的な悩みではなく、根底においては存在の尊さを回復していくという同じ課題を抱えている。だから一人ひとりが歴史的存在として見いだされてきた時に救われていくのであろう。現代における真宗寺院の存在意義もそこに極まるのではないか。経済至上主義によって失ってきた人間性を回復する場はお寺であると確信している。聴聞は、やはりお寺の本堂やお内仏のある部屋が一番だと思う。

三条別院

  • 三条別院本堂(御堂)
  • とても広い本堂
  • 旧本堂(旧御堂) 本堂の左にあります
  • 旧本堂での法話の様子

それに関連してのことだが、伝統の息づいた旧本堂を聴聞の場として修復したのが三条別院である。新しい本堂は大きく、沢山の門徒が参詣できるが、百数十人まで入れる規模の聞法会は伝統の漂う旧本堂を使用している。三条教区では来年の宗祖親鸞聖人の750回御遠忌法要に向け、様々な聞法会を行っているが、そのひとつに親鸞聖人讃仰講演会が6回にわたって行われている。小生も11月に講師として出講したが、旧本堂での法話はとても格別であった。

現代は関係性が失われた社会である。現在の関係性も、過去とのつながりもすべて断絶している。現代は関係性を持たずに生きることが可能になった恐ろしい社会である。「スマホ・コンビニ・サイフ」があれば一切の関係性を必要としない。さまざまな縁によってこの私が成り立っているということは、縁(関係性)を通して私自身にも出遇っていくのである。機械化されマニュアル化された大きなシステムに流され、関係性を喪失していくということは、私自身に遇わずして一生を終えることになる。これほどむなしいことはない。それを回復していく場が、報恩講を中心とした聞法道場としての真宗寺院なのである。それも歴史的存在として、このかけがえのない私が見いだされていく場である。

報恩講教団と言われる我が宗門の使命は実に大きいものがある。先に見てきたお寺は、過密であろうと、過疎であろうと、どんなに殺伐とした世の中であっても、「あなたはあなたのままで無条件に尊い」と受け止めていく場の力を持っている。8800あるといわれる真宗大谷派全寺院が、地道な活動を大事にしていくと本当に大きな力になるのではないか。

宝皇寺

  • 客殿での法話の様子

最後に、ちょっと余談になるかもしれないが、8月30日に北海道1組の推進員研修会に出講するため函館に行った。北海道は実に様々なところで法話をしているが、不思議なことに函館は今回が初めてであった。実は函館は新婚旅行以来28年ぶりであったので余計に感慨深かった。会場は宝皇寺。函館で一番はじめに建てられたお寺であり大きなお寺であった。200人は収容できる大きな聞法の広間があり、そこで法話した。ここにも聞法を通して関係性が開かれており、門徒さんは熱心に生き生きと聴聞されていた。多くの人たちによって親鸞聖人の教えを聞かせていただいた小生が、多くの人たちにその了解をお伝えしていく。それを聞き開いた人たちがまた伝えていく。こういう伝統を大切にし、「生死を超える道」を尋ねてきた伝統を継承していくことが、そのまま自分に出遇う道となる。非人間化が進む現代、皆どこか不安であり、孤独であり、むなしさを抱えて生きざるを得ない。だからこそ真宗のお寺に来てほしい。

〔2014年12月28日公開〕