4月8日(月) 
はじめての熊本 ─主催者の熱意と呼応─

  • 熊本教務所内の本堂
  • 講話の様子
  • 番外 熊本名物「馬刺し」 体調不良の小生は赤身を少々食べただけ(涙)

はじめて熊本で法話をする縁を得た。法話3連発の最終出講であった。6日(土)は法事数件勤めた後、3時から中野の高徳寺で法話、7日(日)は真宗会館の「花まつり法要兼日曜礼拝」で法話と懇親会、夕方は葛飾仏教会役員会と続き、8日(月)に10時過ぎの飛行機で熊本へ。体調不良の小生にとって、さすがにしんどかったが、その小生を支えたのが、小生を待っていてくださる主催者の姿勢にあった。法話を依頼されても、主催者側の熱意が伝わってこないと、利用されているだけだなという感じを持ってしまうものだ。講師偏重で自ら学ぶことをしない単なるプロデューサー的発想は、宗門内でも問題視されてはいるが、この発想こそが親鸞の姿勢に背反するものだ。

主催は熊本第3組解放運動推進協議会。組主催であるが、他組にも呼びかけて熊本教務所の教区会館で行われた。今回の御縁は実は1月の金沢教区の公開講座と関係する。この公開講座は金沢教区解放運動推進協議会(解推)が主催で、その委員長である開善寺坊守の今井由三代さんが、北陸中日新聞に掲載された小生の記事を見て、小生の姿勢に共鳴してくださったことで、小生が金沢へ出講したのであった。支援という緊急の問題に関わりながら、人間そのものが問われること、つまり「人間とは」という深い宗教課題こそが根源的に最も大切な視座であることを確認し合えたのであった。その今井さんが、熊本の解推の浄慶寺住職の井上善文さんに安冨歩さんと小生の共著『今を生きる親鸞』を送り、それを読んだ井上さんが小生を招へいしてくださったのだ。

熊本の公開講座の案内チラシには「現代において何よりも人間を深く見つめていくことが、あらゆる問題の基本になると思います。親鸞が明らかにした「愚」に立脚していくこと、つまり「愚」を自覚することで、自覚する以前とはまったく違った生き方が開かれていくのではないでしょうか」という拙書の小生の一文を取り上げ、「人知」が根底から問われていること、そして原発に反対、賛成と考えるだけでなく、そのことをとおして自分自身が問われることと、事故の加害者、被害者ともに救われるということはどういうことか、この講座で、私たちの問い、課題が明らかになればと思います。と、結ばれている。

宗教課題とは、人間存在を問うものである。この視座を失えば、原発賛成でも反対でも、まったく同質と言わねばならない。だから「3.11」は、対策や対象化された人やものへの批判だけで終わってはならない。人間の批判は必ず善悪に捉われてしまう、もっと言えば、人間は「善」に迷うのである。だから人間そのものを問わないのならば、問題の本質を見失うことになるということを力説した。原発の被害者も加害者もともに救われていくことがなければ、本当の救いにはならない。その救いの道とは、業縁存在であることの自覚、凡夫としての自覚にあるのではないか。

わが宗門には「信心派」(教学派)と「社会派」(実践派)という言い方があるようだ。誰が言いだしたか知らないがおかしな区分けである。仏教は関係性に根ざした教えであり、苦悩の現実から問われ聞こえてくる教えである。問われて頭が下がることを信心という。社会とは政治問題だけを言うのではない。自分を取りまくすべてのことが社会である。現実を見ないで知識として教学を学ぶ者、教えに照らさずただ社会実践をしている者に対する批判として使われているのならいいが、現実は、信心派とよばれる人たちと社会派とよばれる人たちとの対立構図として語られるのだから何とも閉口してしまう。しかし、実際、小生は信心派(そんな教学がしっかりしているわけでもないのに)の枠として見られたのも事実であり、それは実に不愉快極まりない。あえて社会派という言葉を使うが、社会派主体の某法要で、小生の法話を聞いた主催者の一部の人間が、その後小生の法話を批判し、一言も口を聞かずに無視されたこともあった。ぜひお話を聞きたいと言うから出講したのに、すでに答えを持っていて、その答えにあわない小生の法話を一方的に断罪し、そこから何かを学ぼうとしないどころか、懇親会では終始無視された。これって何? 意見が合わないなら合わないということで、語り合えばいいだけの話じゃないか。

そんな経験もあったので、金沢、熊本での解推の人たちとの交流は本物であったし、信頼のなかで学び合えたのはかけがえのないことだと思う。正直うれしかった。また、3月10日の求道会館での二本松の佐々木さんの語りは、実に深い宗教課題を持っていた。様々な現場で苦悩を通して、深く我が身が問われてくる。そのことを見失っては迷いを深めるばかりである。信心派、社会派といったセクトなど真実の前では何の意味をなさない。

〔2013年5月2日公開〕