3月7日(木)〜13日(水) 
東奔西走の一週間

  • 雪で隠れた髙徳寺本堂
  • 永代経での法話
  • 若者向けの真宗講座
  • 「こじま」での懇親会
  • 求道会館での「東日本大震災犠牲者追悼法会」
  • 佐々木さんのスピーチ
  • 法要の様子
  • 小生の法話
  • 同朋会館での講義
  • 御影堂での晨朝法話

この1週間は、北海道雨竜郡秩父別(7〜8日) ⇒ 東京(9〜11日) ⇒ 京都(11〜13日)とめまぐるしい一週間であった。

北海道は少なくとも前日に入らないと、特に冬は大雪で飛行機の欠航が相次ぐ。前日は法友の一色義行君と手稲の温泉で疲れを癒し、夜は札幌で秩父別髙徳寺の金倉住職と合流して食事会。岩見沢から北は豪雪地帯だが札幌がここまで積雪があると一体秩父別はどんな感じなのだろうか。翌日、札幌からスーパーカムイで深川へ。雪がさらに深くなっていく。中標津の吹雪で亡くなった人たちのことを考える。娘を抱きかかえて亡くなった父親は小生と同じ年。かつ真宗門徒だそうだ。生きてほしいと父親に願われ、数年前に癌で亡くなった母親に願われている娘さん、「生死無常」というが、なかなか受け止められないものだ。その受け止められないところに顔を出す本願。娘さんには悲しみの中からなんとか本願に生きてほしいと祈るような気持ちで雪景色を眺めた。深川駅に着くと早朝に寺に戻られた金倉住職が出迎えてくださり、秩父別髙徳寺へ。本堂が雪で半分以上埋まる中で2日間にわたって春季永代経法要が勤まった。法話は計7座。永代経法要の他、婦人会報恩講&物故者追弔会、そして夜に青年の集いが開かれる目いっぱいの日程。2000人ちょっとの町に、これだけのご門徒が集まってくるのは、さすが髙徳寺さんだが、特筆すべきことは、仕事が終わった若者が十数人集まって仏法聴聞の会を持ったことだ。東京でもなかなか集まらないのにたいしたものだ。秩父別周辺の若者の印象は、その土地の良さを持った面がまだまだ残っているが、やはり感覚は都市の若者と変わらない面も見られた。ただ、都市にそまらないで地域の伝統を大切にしてこの土地にもどってきた若者も多く頼もしい。真宗の教えに対して、素直に聞いてくれるものの、やはり難しく感じるようだ。若い人に仏法を伝えるのがいかに難しいか、あらたな課題をいただいた。その後は、北のフレンチ「こじま」で懇親会。酒を飲んで若者と話すとまたちがった面を知る。結婚したばかりの中西君夫婦のういういしさが印象的だった。9日の最後の法話が終わったのは午後3時40分。深川発4時17分のスーパーカムイの飛び乗って新千歳空港へ。途中から吹雪となったが、心配した飛行機は無事飛んだ。羽田に着くと夜なのに20℃もあり、小さな日本なのに、これほどの気温差には驚くばかりであった。

東京に戻り、土日は法事、9日の第2土曜日は法事後、門徒倶楽部だが、20日の春彼岸会&永代経法要を例会としたためお休み。法事後は明日の法話の組み立てをした。10日の日曜日の午後の法話とは、求道会館を会場に東京4組が主催する「東日本大震災犠牲者追悼法会」。この追悼法会は平松組長を中心にに組と門徒会が時間をかけて温めてきたもので、今年で2回目。被災地の二本松眞行寺の佐々木さんのスピーチ、4組を代表しての平松組長の表白、そして小生の法話が核となっていた。佐々木さんのスピーチは生きた言葉ばかりだった。「原発事故があってよかったなどまちがっても思わないが、ただ原発事故によって、子どもたちから自分の生き方を問われた。いかに無関心で生きてきたか、今日の社会を作ったのはまさに自分だった。でもその愚かさに気づいたら何か勇気が出てきた」という佐々木さんの言葉が胸を打つ。被害者でありながら人間存在の悲しみに眼を向けている彼は数少ない念仏者だと直感した。ややもすると、原発の対策、対応に終始してしまう。そういう緊急の課題を大切にしながら、人間を深く見つめることこそ根源的問題。それにしっかり真向かいになっているからこそ念仏者なのだ。そして「福島を忘れないでほしい」という言葉でスピーチが終わった。多少彼のスピーチが伸びたため、その後の法要は予定より10分ほど遅れてはじまることとなった。

ここで問題が起きた。法要途中で大地震が勃発した2時46分にお念仏申し上げることになっていた。しかし、あとで気づいたことだが、法要が始まる直前に2時46分になっていた。会場内もそれに気づいている人はほとんどいなかったのではないか。そんななかで法友の田口弘君が一人大きな声でお念仏を称え続ける。小生は最初、田口君は一人で念仏を称えだしてどうしたんだと思ってしまったのだ。進行役も気づかず、その中で4組の僧侶の出仕が始まった。尚、念仏申す田口君にまわりの人が静止をする。小生ははっとした。田口君は自分の中で2時46分という象徴的時間を受け止めて念仏申していたのだ。会場内にも彼と同じ人はいたかもしれないが、ほとんど進行に捉われ気づかなかったのではないか。小生と言えば法話時間が短くなるのがいやで、早く出仕してほしいということに捉われていた。その後の平松組長は「この法会は慚愧の法会である」と表白をしていたが、小生には空しく響いた。小生が2時46分を忘れ、念仏申す田口君に「?」を持ったからだ。恥ずかしい。情けない。その後の小生の法話はこのことへの慚愧から始まった。「佐々木さんが忘れないでほしいと言われ、深く頷いた自分は、時間ばかりに気をとられ、2時46分を忘れていた。忘れないでほしいと言われたそばからこれです。なんと愚かでしょうか。皆さんはどうですか?」と。会場はシーンと静まりかえった。多くの人が「申し訳ない」という顔をしていた。人間は悲しみを忘れてしまう。悲しみ続けるどころか、佐々木さんの話を聞いたそばから忘れている。

人間は悲しみを忘れるか、あきらめてしまうか、怨念に代わってしまうか、悲しんでいても縁によってはいかようにもなってしまう。そんな人間存在に大きな悲しみ(大悲)をもって見つめているのが如来である。しかし、だから小生は法話をする資格がないのではない。立派になってから法話するというのであれば、永遠に法話できないし、ただの傲慢である。田口君によってうきぼりになった小生の愚かさを隠さず語ることが本当だと思う。そして、現代の人間が抱える共通問題を語り、被害者も加害者も共に救われる道とは何かについて語った。法会によって、一人ひとりが問われる。それこそが大切であろう。

11日は、寺でデスクワークをしてから夜に京都入り。翌日午前中に本山同朋会館に入り、翌日の3時まで、山梨組門徒会奉仕団指定の教導として、生活を共にした。真宗の教えの基本を学びたいと言うことで、帰敬式と報恩講とお内仏について講話した。山梨は真宗の地盤が弱いと言われているが、一人ひとりと向き合っていると、宗教的課題を持った人もちゃんといることを感じる。人は千差万別。真宗伝統の地にも真宗にほど遠い人もいるし、真宗砂漠と言われる地でも、深い問いを持っている人もいるのだ。13日の晨朝法話は、10日のこともあって、原発の問題に関連しながら、人間そのものを見つめる眼の大切さを語った。法話中、終始佐々木さんが小生に寄り添っているのを感じた。

〔2013年3月24日公開〕