7月1日(日)〜8月31日(金) 
あっという間に駆けぬけた夏 ─恩人の医師と法座の御縁─

  • 岡崎21組親鸞講座
  • 岐阜教区東濃地区「暁天講座」
  • 岡崎別院
  • 北海道大谷保育夏の研修滝川大会
  • 大谷保育 懇親会
  • 大谷祖廟(京都)
  • 大谷祖廟の控室〈初公開〉
  • 新盆合同法要(蓮光寺)
  • 真夏の法話会(蓮光寺)

あっという間に駆けぬけた夏 ─恩人の医師と法座の御縁─

いつのまにか9月になってしまった。お彼岸が過ぎるとすぐ10月、そして報恩講シーズンを迎え、いつのまにか今年も終わっていくのであろう。年々その速さに加速がついている。

「住職の安心して迷える道」を少しさぼってしまったが、言い訳だがやはり忙しすぎた。実は平均睡眠時間が2時間30分で平気でいられる期間が6カ月も続いた後(平気というかすぐ目が覚めてしまって眠れない、要は不眠症である)、突然、読経中に記憶を2、3秒失ったり、食欲が減退し、酒も受け付けなくなって、体重も8kgも減った(今は3kgもどった)。さすがにあせって、5月になってついに自分から大学病院に足を運んだ。脳梗塞や内臓の疑いがあり調べたが、心配していた脳には問題はなかったが、肝機能が著しく減退しているのがわかった。結局、極度の慢性過労と診断され、仕事量を減らし、睡眠を多くとるよう言われた(酒もほどほどにと言われたが、主たる原因は睡眠時間と仕事量なのであしからず…)。52歳という年齢を考えると無茶すぎた。

2月から千歳烏山にある乗満寺で毎月法話をさせていただいているが、そこで出遇った東洋施術の医師が小生を気に入ってくれ、小生の体質改善に全力を尽くしてくださり、6月下旬から2週間に一度のペースで、自坊で小生に長時間の施術をしてくださったことから、睡眠時間も5時間ほどとれるようになり、酒も受け付けられるようになって、食も進むようになった。なんといっても目の下のくまが消えはじめ、顔に生気がもどった。東洋施術はすごいなと思ったが、その医師の臨床施術のレベルの高さもさることながら、「本多先生には末永く真宗の教えを語り続けてほしいのです」と力説され、小生の体質改善にいのちをかけてくださる姿勢にただただ頭が下がる思いだった。その医師は被爆を受けた医師である肥田舜太郎さん(95歳)の施術をしている人でもあり、小生を肥田さんに会わせてくれた人で、それによって肥田さんと小生の対談が成立して同朋新聞の6、7月号に掲載することになったのだ。完全な体質改善までもう少しであったが、その医師は7月28日に脳梗塞で倒れてしまったのだ。悲しいことに今も意識が回復されていない。仏法の御縁のなかで出遇った医師によって、小生の体質が改善に向かうことになったことに、出遇いがたき御縁を喜んでいたのだが、「生死無常」とはいえ、実に無念である。この医師は門徒ではない。乗満寺さんにたまたま入っていき、遠藤住職と会われ色々と話をしているうちに真宗の教えを聞きたいと思うようになった方で、そしてそれから一か月後に小生の法話を聞くことになるのである。だから遠藤住職のお導きが大きい。やっぱり住職がどんな人か、大事なポイント。真宗の教えがいくら大切でも、その寺院の住職がどうしようもなかったら、その寺の門徒はかわいそうと言う言葉では片づけられないほど悲惨である。学校の先生なら1年我慢ということで済むが、寺の住職は何十年も在任するから、とんでもない住職の寺の門徒は数十年我慢しなければならないという、まさに地獄である。そういう意味では、遠藤住職は、門徒ではない人も丁寧に応対するのであり、その姿勢こそが門徒が住職に求めている者なのだろう。真宗に出遇い生きるよりどころを得たばかりのその医師におそらく施術をしてくださることはないと思うが、もう一度、法座に座っていただく日を待ちたい…。非常に危険な状態にあるが、真宗に出遇うことができた喜びは感じられていると確信している。そして小生はと言えば、また顔色が悪くなり、睡眠時間も短くなりつつある。こんなことではいけないなと、その医師の願いにも応えていきたいと思うのだが、なんとなくショックが消えず、なんとも体たらくで情けなく申し訳ない気持ちである…。

その医師が倒れた夏はあっという間に過ぎていった。とにかく法話ラッシュと会議、お盆、法事で、立ち止まることなく走り続けた夏であった。

法話遠征は特に前半の1カ月に集中した。岡崎教区第21組の親鸞講座、岐阜教区東濃地区の暁天講座、岡崎別院(京都)の暁天講座、北海道大谷保育夏の一泊研修会、千歳烏山の乗満寺の定例公開講座、大谷祖廟の暁天講座へ出講。下旬にも中野の高徳寺「寺子屋の時間」に出講。9月1日になるが、東京二組門徒会研修会でもやはり法話。自坊においても、新盆合同法要、平和を願う法要で法話。また真城先生お招きしての門徒倶楽部主催「真夏の法話会&蓮光寺ビアガーデン」があり、その他、前住職の一周忌法要があったり、また7、8月とお盆、そして法事、葬儀…と自坊でも次々と予定が舞い込んできた。その合間に寺報のひとつ『あなかしこ』も発行したり、ホームページを更新したりした。また会議もまた次々とあった。教区会議員懇談会、教区会、割当調査(門徒戸数)委員会学習会、割当説明会、伝道講習会会議、組会、組教化委員会、京都での同朋新聞の会議と、大谷派は7月新年度ということで特に大きな会議が目白押しであった。そんなこんなで気が付いてみると9月…そして9月も3分の1が終わろうとしている。

そんななかで、法座で出遇う御縁のありがたさをしみじみ思う。乗満寺で出遇った医師が倒れたことのショックとともに、その医師の情熱に学ぶものが多かった。また、岡崎教区の親鸞講座は午前、午後と長時間の法話を熱心に聞き続ける三河門徒。そして暁天講座は格別であった。夏の涼しい時間を選んでの聞法ということであろう。早朝から熱心に聞法をするというところに真宗門徒が生活の中に教えを聞き続ける伝統が伝えられているのである。岐阜、岡崎別院、大谷祖廟、どこも大勢の聴聞者であふれた。京都では各暁天講座をすべて出席する門徒さんもおられるようだ。岡崎別院でも150名集まったが、大谷祖廟では本堂に入りきれず、外の椅子席や木陰で聞く門徒さんなど計180名ほどの方が聴聞しておられた。話を聞きに来る門徒さんの熱意がこちらを引き出してくれる。東京ではまったく考えられない早朝からの聞法。しかしわが蓮光寺も暁天講座をやってみようかと思っている。朝5時すぎに門を開けると多くの人たちが散歩やジョギングをしている。夏の早朝の貴重な時間にお寺で法話が聞けるひとときがあるということになれば、聞きに来られる門徒さんや地域の人たちは結構いるのではないか。むしろ東京では根付かないと決めつけている小生に問題があるのだろう。なぜなら人間は誰もが根本的な救い(目覚め)がほしいと願っているからだ。今夏は3つの「暁天講座」で法話をさせていただいたが、現代における「暁天」が持つ意味をもう一度考えさせられる機縁をもらったように思う。

それから、大谷保育の一泊研修会は圧巻!150人以上の若い保育士、関係者を含めると延べ180人以上の人が集う研修会。2日間で4時間を超える講話にも若い人はきちんとついてくるし、夜の懇親会での余興では、自分が失いつつある純心の気持ちをとりもどしてくれるような明るさとひたむきさに脱帽。「本願に生き、ともに育ちあう保育」という真宗保育の理念は、現代の状況において非常に説得力がある、実に時機相応の理念である。だからこそ、「本願に生きる」ということを保育を通して明らかにしていくことが大きな課題でもあるであろう。

そうそう忘れてはならない中野の高徳寺さん。年6回の法話、すでに5年の月日が流れている。高徳寺の門徒さんは、まるで蓮光寺の門徒さんのような感覚になってきている。それは新井住職が信頼されている証で、その信頼が小生への信頼へとつながっている。その信頼の根底には御同朋御同行ということがあるのは言うまでもない。

医師の帯津良一先生が「医者は病院と外と二つをまたにかけて学べ」ということをおっしゃっているが、寺の住職は観念で生きてはならぬ。まして教えを知的に理解してはならない。人間は縁を生きる存在である。住職は外で多くの人と出遇い、人間の根本的問題をあきらかにすること。本当に自分の寺のご門徒を大切にするなら、自分が色々なところに出かけて行って、様々な関係を通して教えを聞かせてもらうこと、これを抜きにして、自分の寺のご門徒をただのお客さん扱いにしてはならない。「如是我聞」。私はこのように教えを聞かせていただいていますということをご門徒にお伝えするには、関係性の中から学ぶこと、この一点に尽きるということを再確認した夏だった。ただ何でもかんでもやろうとする若さではない。52歳という年を自覚して分限をわきまえて活動していくことが大切なのだろう。集中治療室から出て一般病棟に移った乗満寺さんで出遇った医師は、顔色の悪い小生を見たら悲しむだろう。一人で生きているのではないという責任を少し感じるようになってきた。そんな夏だった。

〔2012年9月9日公開〕