3月24日(土) 新潟に対する思いと三条教区第10組同朋会報恩講

  • 越後湯沢の景色
  • 浦佐の景色
  • 組長さんのご挨拶
  • コーラスの皆さん
  • 勤行
  • 展示展
  • 小生の法話

三条教区で初めて法話をした。不思議なことだが、どういうわけか新潟県の三条教区と高田教区には今まで一度もご縁がなかった。富山県、石川県に行く時、越後湯沢、直江津を経由して通過する地域にすぎなかったが、今回は本当にいいご縁をいただいた。

実は小生にとって新潟県は思い入れの深い県である。大学生から教員時代にかけて、スキーヤーとして、苗場・石打丸山をホームゲレンデとしながら、100回を楽に越えるほど新潟県の様々なスキー場に通ったものだ。そして、コシヒカリに代表されるように米倉であり、酒もおいしく、人情も厚い。日本酒は今でも新潟びいきで、緑川、越の景虎、久保田、〆張鶴、吉乃川はよく口にしている。

まず上越新幹線で長岡へ。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という川端康成の小説のごとく、大清水トンネルを抜けると一面に銀世界であった。今年は26年ぶりの豪雪で3月下旬だというのに、まるで厳冬期の景色であった。ところが小生の目に飛び込んできたのはリフトが止まっている越後湯沢駅周辺のスキー場であった。土曜日なのに駅前のスキー場はすでに閉鎖していた。原田知世主演の『私をスキーに連れてって』という映画が大ヒットした1987年前後から、本格的はスキーブームが到来したが、そのスキー黄金時代はすでに去り、特に昨今のスキー、スノボー人口の激減は、まだ3月中だというのにスキー場を閉鎖に追い込んでいるのであった。さらに湯沢の町にバブル期に建てられた東京資本の象徴である高層マンション群が小生をとても不快にさせた。正直、雪国に高層マンション群は不似合である。作るだけ作ってどうしたものか──川端康成が常宿とした「高半」をはじめ、風情を残している建物をぜひ大事にしてほしい。湯沢には原発はないが、戦後、東京の犠牲となった地方の一つの形が湯沢の町にも象徴的に表れているのだと感じた。

長岡駅からは、受德寺の井上さんが出迎えてくださり、彼の車で柏崎に行った。この地域は金沢に新幹線がつながると、いよいよさびれてしまうそうだ。さらに情報化社会なので、若い人たちの感性は東京とさほど変わらないから、いよいよ地域社会が解体へ向かうのであろうか。心苦しいことだ。

さて、同朋会報恩講は毎年、柏崎市産業文化会館で行われ、今回で13回目を数える。今回の報恩講は、被害状況やらボランティア活動の展示などもあり、3.11を風化させず大切な視点を学ぼうという願いがあふれ出ていた。また合唱団も入り、門徒さん中心の手作りの報恩講として厳修されたことが大きな特徴であり、本来の報恩講の姿だと納得した。

第10組は柏崎刈羽地域にあたり、2度の中越沖地震の経験と刈羽原発を抱える地域である。3.11に先がけて、3.11の経験をした地域といっても過言ではない。2007年の中越沖地震では、刈羽原発運転中の全ての原子炉が緊急停止した。原発沖に活断層の存在が確認されたことから、現在でも柏崎の人たちは不安を抱えて生活しているのである。また中越沖地震で本堂が全壊したご寺院があり、7月に本堂の落慶が行われるとのこと、そういった苦しみを抱えているところで、3.11に関連しての法話はつらいという思いもあったが、こういう場でこそ小生の法話が真の意味で問われるのだと思い、むしろ、気持ちがぐっと引き締まった。3.11の中心課題は何と言っても「人知の闇」の問題。そのことに参詣されたご門徒が深く頷いてくださった。

懇親会では、小生の席に僧俗問わず、次々と御酌にいらっしゃった。さすがに日本酒のふるさととあって、法事でも、親戚が次々と御酌してたらふく酒を飲むのが通常だということを聞いていたので予想はしていたが、御酌のすさまじさにはやはり驚いてしまった。柏崎の銘酒「越の誉」をたらふくいただいた。しかし、御酌のすさまじさだけが特徴ではなく、いやそれ以上に驚いたのは、必ず法話の感想を述べながら御酌されることだった。それも妙な門徒意識を持っているわけではなく、素朴に話されるので、言葉に嘘がなかった。

感想を述べられるなかで、特に印象に残ったのは、小生自身が3.11によって動揺し、救いがわからなくなり、今まで何を聞いてきたのか呆然としたことを正直に話したこと。また、宗教用語を使わずに日常の言葉で語ったこと。ご門徒がこの2点に特に注目されていた点であった。前者について言えば、聞法会では親鸞の教えが絶対的な答えであるかのような雰囲気が多少なりともある。しかし、自分自身が腑に堕ちて頷かされるということがなければならないし、それがないと教えに合わせる偽りの自分が作られるだけなのだ。自分自身の疑問とか苦悩とか、そういうものから出発すること、つまり苦悩という入口を見失った教えはすでに腐敗している。そういう意味で、自分自身の疑問とか苦悩が大切だと深く頷かれておられる人が小生の正直な吐露に感銘をもってくださったのだろう。また宗教用語を使わずに日常用語でということであるが、宗教用語を使わない方がいいという短絡的問題ではない。自分自身の了解したことを相手に伝えるためにきちんと言葉を生み出していくことが大切なのである。言葉が生きたものになっているかどうかであり、日常語を使えば通じるといった翻訳的なことではない。どこまでも自己の了解を言葉によって相手に伝えるということに尽きる。そのことをご門徒が喜ばれたのだと思う。

スタッフの方々によると、法話時間が短かったので、もっと聞きたかったというご意見を多数いただいたようで、また縁があればお話しさせていただこうと思う。

帰りは柏崎から電車に乗って長岡経由で東京へ。遅い夜は、長岡行きの列車はガラガラで、外にはところどころしか明かりが見えなかった。そこが田舎の雪国としての魅力でもあった。

〔2012年3月29日公開〕