2月23日(木) 本多雅人氏『今を生きる親鸞』出版記念祝賀会

2月23日(木)、浅草ビューホテル28階「ベルヴェベール」において「本多雅人氏『今を生きる親鸞』出版記念祝賀会」が開催され、約150人の方々にお集まりいただきました。

受付の様子
入口の看板
会場からスカイツリーがよく見えます
発起人代表の白川さんの開会挨拶
山本さんの安冨さん代行挨拶
宮浦さんのご祝辞
河村さんのご祝辞
近田先生のご祝辞
発起人全員登壇し、武田さんによる乾杯

成人の日法話会講師の川村妙慶さんと住職
二階堂先生、渡邊晃純ご夫妻の姿も
蓮光寺の門徒さんも数多く出席。右は一乗寺さま
おお、重鎮!
坊守も挨拶周り。右は二組の福田門徒会長

帯津良一先生のスピーチ
渡邉直子さんのスピーチと歌
田口弘さんのスピーチ
青木新門さんのスピーチ
鈴木君代さんの歌
プレゼンターの旦保広美さん。住職の高校教員時代の生徒でした
司会の渋谷育子さんも同じく教え子です
住職の謝辞
出口でご挨拶

今日はたまたま住職の52歳の誕生日。二次会は住職の誕生日パーティーになりました
奥の方々は北海道チーム
弁護士の髙城敏郎先生も(中央)
酔っ払いモードに入ってます
坊守のサプライズプレゼントは老眼鏡でした
住職の閉会挨拶。右端は蓮光寺世話人の松本功さん

『今を生きる親鸞』の共著者である来賓の安冨歩東京大学教授は残念ながらインフルエンザで欠席されましたが、病床からコメントを送ってくださり、その肉声が流され、また蓮光寺報恩講2011「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の安冨氏の感話の模様がビデオで流され、欠席のままに安冨氏の存在がアピールされ、またもう一人の来賓で安冨氏と蓮光寺住職を結びつけた山本伸裕東京大学東洋文化研究所研究員にも安冨さんに代わってスピーチをいただきました。

本多雅人の閉会挨拶でもふれたことですが、発起人の方々がこのような会を開いてくださった深い願い、また祝辞を述べられる方々、そして出席者の方々の声を聞かせていただいて、拙書が様々な問題の渦巻く現代をどこまでも人間を深く見つめ「愚」に立ち続けた親鸞の姿勢とその思想に学び、「人間とは何か」「真に生きるとは」という問いを明らかにしていく時として受けとめ、親鸞思想が現代に生きる私たちに何を語っているのかという一点を様々な切り口から掘り下げ、論じたことに対する祝福であった同時に、一冊の本が出版されたというお祝いに留まらず、いやそれ以上に、宗門外の研究者と大谷派寺院住職が値遇することにより、宗門の枠組みを超えて、現代に生きる様々な人を通して親鸞思想が現代社会に応えることができる、これこそがこれからの大切な方向性である深く感じ取られた方々がご参集されたことを深く感じ取らせていただき、あらたな意欲が湧いてきました。

その祝賀会でご挨拶をしてくださった方々をピックアップし、ほんの一部ですがここに披露させていただきます。

プログラム

18:00 主賓・来賓 入場
発起人代表 挨拶 ─ 源隆寺住職 白川良行氏
18:10 来賓挨拶
─ 安冨歩氏(コメントおよび蓮光寺報恩講での感話の映像を披露)
─ 山本伸裕氏
18:20 祝辞
─ 宮浦一郎氏(東京教務所長)
─ 河村和也氏(蓮光寺門徒総代)
─ 近田昭夫氏(顕真寺前住職)
18:35 乾杯 ─ 武田定光氏(発起人 因速寺住職)
18:40 祝宴
19:20 スピーチ
─ 帯津良一氏(帯津三敬病院名誉院長)
─ 渡邊尚子氏(愛知県 守綱寺坊守)
─ 田口弘氏(発起人・真宗大谷派僧侶)
─ 青木新門氏(作家)
─ 鈴木君代氏(真宗大谷派僧侶)
20:05頃 記念品贈呈
─ プレゼンター: 旦保広美氏(宗泉寺准坊守・住職教え子)
─ 飛び入り プレゼンター: 渋谷育子氏(司会者・住職教え子)
20:10〜 主賓謝辞 ─ 本多雅人(蓮光寺住職)
20:30〜 二次会 アイスハウス(B1F)

スピーチ抜粋
 

白川良行氏(発起人挨拶)

本多雅人さんの出版記念祝賀会に多くの方々がご参集されましたこと、まずをもって御礼申し上げます。ありがとうございます。また共著の安冨さん、コーディネーターの山本さん、樹心社の亀岡さんにも厚く御礼申し上げます。

著書にも「場と人」ということが書かれておりましたが、まさしく「場と人」があって、この本が出来上がったことと思います。そういった関係性を通して、今後親鸞の教えが現代の問題に応えていけるものと予感しております。どうぞ、今日はゆっくりとお祝いをしたいと思います。

安冨歩氏(コメント披露)

体調を崩し出席できないこと、まことに申し訳ございません。

本多さんの文章には多くの人が感銘を受けております。例えばアレン=ネルソンさんのエピソードが掲載されていますが、私はネルソンさんの本そのものを読みましたが、本多さんはそのネルソンさんのエピソードを親鸞との出遇いという形で表現されているので、ネルソンさんの本そのもの以上に、ネルソンさんを引き出しているという点において心に沁みました。そんな本多さんと共著で本が発行できたことを本当にうれしく思っています。

現在、「親鸞ルネサンス」というプロジェクトを立ち上げていますが、親鸞思想に基づいて、人間の知、学問を問い直すことをしております。現代の大きな問題は、いかに人知の闇に向かい合うかということにつきます。このプロジェクトは「親鸞を研究する」ばかりではなく、「親鸞で研究する」という方向を重視します。それは既存の学問分野に親鸞を導入するのではなく、既存の学問分野が対象としている問題を、親鸞思想に学びつつ、全く違った角度から論じる、ということです。この研究によって、学問全体に新しい息吹を吹きこむことが可能となります。それは同時に、親鸞思想の持つ意義を新たに発掘することになり、人々の親鸞への見方を変革し、刺激を与えることになるのです。

このようなことを親鸞に生きる方々といっしょに学ばせていただきたいと思っています。

山本伸裕氏(来賓挨拶)

私は安冨さんのような天才的な方とはちがって、地味な研究者ですが、もし私に天才的なことがあるとすれば、安冨さんと本多雅人さんをつないだことだと思います。実際、二人が結びついて本を出したら大きな化学反応が起こりました。その役割が果たせて、とても満足しています。

安冨さんは『今を生きる親鸞』と同時に『生きる技法』と『原発危機と東大話法』を発刊し、どれも非常に売れております。こういった本を読まれる方に安冨さんはツイッターなどで「親鸞の本を読んでほしい」と呼びかけていますし、本で直接的に親鸞を出さなくても、十分に親鸞思想を表現されています。ですから、今まで親鸞を知らなかった方々が親鸞にふれる機会を得たばかりでなく、その思想を通して、人知のあり方に乗った知そのものに対して反応を示される方が増えていったことは大きな光だと思います。

宮浦一郎氏(祝辞・東京教務所長)

本を読ませていただき色々なことを感じさせていただきましたが、本多さんは、様々な問題に直面した時に、それを避けるのではなく、対象化するのではなく、自らの問題として、苦しみながら問うていかれた、それが大事な姿勢ではないかと思います。評論家のほうが楽なのですが、そういう無明性、わかったつもりになる、そこに落ち着きたいということではなく、そこにおちつかないで問うていく姿勢に敬意を表します。

宗門外の人々との交流を通して、真宗を問い直されていかれるその姿勢が、安冨先生との値遇を得て、この本が出版されたのだと思います。

河村和也氏(蓮光寺門徒総代)

近年のご住職は、全国を法話、シンポジウム、取材、会議と休むことなく駆け回られていますが、ご住職は旅先での出来事を私たち門徒に語り伝えてくださいます。

旅をすることとは出遇うということ、出遇うとは語ることであり、聞くということ、聞くとはうなずかされるということだと。報恩講に身を粉にして尽くされるご門徒の願いの言葉も、死を目前にした病床でいのちについて語られるご門徒の言葉も、大切な方を失くし絶望のなかで、生きる勇気を取り戻したご門徒の言葉も、様々な思索を通して親鸞に出遇った社会学者の言葉も、ご住職は等質の言葉として受け止めておられます。「教えは人にあり、思いもよらぬ人の上に教えがある。教えを握るな、親鸞をにぎるな」とご住職が日ごろ繰り返えされる言葉と通じるものを感じます。

安冨先生には、昨年の蓮光寺報恩講「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」に感話をお願いいたしましたが、お聖教の言葉ではない「学究」のことばで語られる他力の教えに、めまいにも似た爽やかな感動を覚えましたと御礼の言葉を述べさせていただきました。今日的知性を象徴される方が語られる親鸞の言葉には、現代の闇を破る新たな視座と勇気を与えてくださるように感じました。

近代以降の常識にもとづけば、学問は深く、またせまいものです。研究者と自称する人々も、ご自分の専門領域から一歩ふみ出したときに新たな地平が開けるのだと思います。それは研究者に限らず、あらゆる人たちに言えることではないでしょうか。本多ご住職をはじめとするご僧侶の方々が寺を守りつつも寺を開き、現代の知性に深く関わろうとする姿のふれる時、親鸞の言葉が今を生きるものとして位置づけられる胎動のようなものを感じます。

ご住職の生き方が一冊の本となったことは、蓮光寺門徒一同大変うれしく思いますし、新たな出遇いを予感させてくださいます。ご住職におかれましては、どうかお体を大切にして、今後も私たち門徒をお導きください。私たちは真宗門徒として、ご住職が身をもって示してくださった生き方に学び、蓮光寺が真に教えの息づく場として、未来の人々に受け継がれていくためにも、私たち自身が聞法精進してまいる所存でございます。

近田昭夫氏(顕真寺前住職)

本を読ませていただいて、安冨歩さんは実に面白い方だと思いました。「しょうもないこといい」「ええかっこしい」と言われたら大阪では生きていけないと。その言葉に真宗の教えがしみ込んでいる大阪の人たちの姿があると。大阪という地名は蓮如さんが名付け親ですからね。なるほど面白い視座だと思いますね。

本多雅人さんは蓮光寺で積極的に教化活動をされていることは言うまでもありませんし、今や宗門では全国区です。しかし、全国区といっても所詮宗門という狭い範囲にすぎません。それが山本伸裕さんという実に鼻の聞く方のおはからいによって、安冨さんと出遇った。これは大変なことですね。

私たちは親鸞聖人を宗祖とかご開山とお慕いしておりますが、ややもすると本願寺の聖人で終わってしまうのです。在家の仏者として、大地を生き抜かれた親鸞に出遇い直していく道筋を、宗門という狭い枠を超えて、本多さんと安冨さんが我々に示してくださったことはありがたく喜ばしいことで、単に一冊の本が出たという小さなことではないのですね。

本に語られております「人知の闇」という言葉は、今やマスコミでもふつうの生活者のなかでも取り上げられるようになりました。その本の中で特に感銘を受けたのは、お二人が強調されておられます「原発推進」と「反原発好き」という言葉です。善悪の良し悪しで判断をしておりますから、どちらも良し悪しの域を出ない、そこから突破することが親鸞聖人のお念仏の教えの大切なところではないかと思います。

武田定光氏(因速寺住職)

私が一番言いたいことを近田先生が言ってくださいましたが、人知の闇の問題で、原発のことですが、原発反対でも賛成でも同じで、反対と言っていればいいと言う形で自己を問えないということを本多さんと安冨さんが対談の中で語っているところが一番教えられたところで深いところだと思います。

「親鸞ルネサンス」という運動は太陽ではなく月のような運動で、月の光のように照らされている運動であってほしいと思います。

『今を生きる親鸞』のご出版、まことにおめでとうございます。乾杯!

〔2012年3月4日公開〕