11月18日(金) 高橋源一郎さんと対談

高橋源一郎さん
語り合う高橋さんと小生

同朋新聞の「人間といういのちの相」のインタビュー対談で、作家の高橋源一郎さんと赤坂でお会いした。

3.11以降、作家の高橋さんの言葉によって、様々な問題提起がなされてきた。特に朝日新聞の「論壇時評」での高橋さんの問題提起は注目度が高い。昨年発刊された『悪と戦う』を読むと、彼の考えを読者に伝えるのではなく、相手に問いを与える作品であることがわかる。高橋さんは「なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない」と言われていることが、この小説に実によく表現されている。「問われる」ことの大切さは真宗がずっと語ってきたことでもある。

小生がよく問題とするマニュアル化、画一化、思考停止ということを、高橋さん自身も大変大きな問題として押えられている。原発は見えないものに囲まれていると高橋さんは言う。だから3.11は見えていなかったものが見えてくる大切な機縁と高橋さんはとらえている。彼の最新作で今月17日に発刊された『恋する原発』では、3.11以降の問題を表現するのにどのように考えていけばいいかをあの手この手を使って問題提起している。たとえば「あらゆる戦争は憎むべきものであり、二度とおこしてはならない」ということろから出発しているのは「正義の論法」であり、建前にすぎないという。9.11の時にスーザン=ソンタグは「テロは絶対に許されない」の前に「テロとは何か。時に、テロを必要とする者もいるのではないか」という問いをたてて、アメリカ中から批判を受けたが、ものを考えるとはどういうことかということを提起している。インタビュー対談では、哲学者の鶴見俊輔さんが「なぜ自殺はいけないか」という質問に「あってはならない」とは答えず、自分の考えていることから答えていったということに注目されていたが、要するに自分が思っていないこと、考えていないところから、すでに正しいものがあるかのように、それが前提となっているところに、現代の大きな問題があることを言われたかったのだと思う。自分ではない感覚で生きているのが現代人の共通した問題であろう。

高橋さんの言いたいことを深めるために、朝日の論壇時評のいくつかを挙げてみよう。まずは「指さし男」の話。

真っ白な放射線防護服を着て顔面をマスクで覆い隠した男が、無言で、こちらを指さし続けている…。いったい、なにを訴えているのかと。「震災」の後、どこかで、ボタンのかけ違いが起こってしまったのか。正しさを求める気持ちが突っ走り、その結果、逆に「正しさ」の範囲を狭めて、息苦しい社会が作られつつあるのかもしれない。だとするなら、「指さし男」のメッセージは、「そうやって、あなたたちは、誰かを指さし、攻撃しているけれど、一度その指を自分に向けてみてはどうだい?」なんだろうか。どれほど科学技術が進歩しようと、それを扱う人間の愚かしさは今も昔も変わらない。そして、そのことにだけは人は気づかないのである。「指さし男」が、ぼくたちに向かってその「愚かしさ」を指さすまでは。自分の愚かさは自分では気づけない。

⇒ 仏教で言う「無明」「愚」という問題をきちんと押さえ、問いかけられることの大切さを語っている。どこまでも自己を問う、つまり如来の眼によって問われるということがなくて、単に原発賛成、反対では、いつのまにか政治問題となり、対象化され、本質が見えなくなるということを小生は3.11以降学んだのであるが、同じ視座で考えている人がここにもいたということが小生にとって大きな感動であった。「不合理な原発をどうするか」ではない。「その原発をどうにもできない人間の愚かさ、執着」にこそ光が当たらねばならない。それは、原発に限らず、我々のあり方が根底から問われているところに目が開かれないと、善悪に迷うだけである。

次に「希望の共同体」の話 『山口県上関町の原発建設に30年近く反対し続けている祝島(いわいしま)の人たちを描いた映画「祝(ほうり)の島」の一シーンを取り上げている。

80歳近いおじいさんが、ひとりで水田を耕している。その水田は、おじいさんのおじいさんが、子孫たちが食べるものに困らぬよう、狭く、急な斜面ばかりの島で30年もかけて石を積み上げて作った棚田だ。子どもたちは都会へ出てゆき、ひとり残されたおじいさんが、それでも米を作るのは、子どもや孫に食べさせるためだ。息が止まるほど美しい空や海に囲まれた水田の傍らでおじいさんが話している。次の代で田んぼはなくなるだろう。耕す者などいなくなるから。「田んぼも、もとの原野へ還(かえ)っていく」といって、おじいさんは微笑(ほほえむ。そして、曲がった腰を伸ばし、立ち上がる。新しい苗代を作るために、だ。若者たちが、もう島には戻って来ないことを、彼らは知っている。受け取る者などいなくても、彼らは贈り続けるのは、「戦い」を通じて立ち現れる、大地に根を下ろしたその姿こそが、ひとりで「原野へ還っていく」老人たちから、都会へ去っていった子どもたちへの最後の贈りものであることに、ぼくたちは気づくのである。(中略)「一つの場所に根を張ること」だ。そして、そんな空間にだけ、なにかの目的のためではなく、それに参加すること自体が一つの目的でもあるような運動が生まれるのである。震災の中で、人びとは支え合い、分かちあったではないか。その共同性への萌芽(ほうが)を、ぼくは、「祝の島」に感じた。ひとごとではない。やがて、ぼくたちもみな老いて「弱者」になるのだから。

⇒ 祝島が終わっても、人間にとって大切な生き方が形を変えて継承されていくが願われているのであろう。上野千鶴子氏が「個人を基礎としたまったく新しい共同性の領域」を模索していることへの共鳴も感じられる。「親鸞一人から始まる一切衆生の救済」という問題に通底していると感じる。次代の人たちへという、まだ見ぬ未来の人になぜ願いをかけるのかという小生の質問に高橋さんは「仏教に往相と還相がありますね。そういうことではないかと」とおっしゃった。「80歳のおじいさんの還相が、次代の人たちの往相になるのですね」と小生が言うと深くうなづかれた。「縁としかいいようがない」と二人で笑った。まだ存在せぬ人々を、この問題の大切な関係者として召喚することを高橋さんは「非正規の思想」と呼んでいる。

さらに話を進めると、高橋さんの幼い二人の子どもの話になった。そこでなるほどと思った。高橋さんは、究極の弱者を自分の子どもの中に見て、弱い者の声に静かに耳をすませることで、自分のなかに眠っていた「ほんとう」を呼び起こそうとしていることが感じられた。それは弱者の声を聞く形をとって、本当の自分を聞いているのかもしれない。そういう身近なことのなかに自分を開いていく大切さを見出した高橋さんだからこそ、客観的に作られた善悪に迷う閉鎖的人間観を打破することが人間回復の大切なポイントだと押えられたのだろう。「3.11という凄まじい落下は、日本人が忘れていた過去の記録の封印を解いたのかもしれない」という高橋さんの言葉は、問われることを通して、善悪の呪縛から解放され、それによってはじめて本当の問題に向かい合うことができると言いたかったのだと思う。それは「他力」を語るものである。高橋さんは仏教をリスペクトしていた。2時間の対談ではまったく足りなかった。もっともっと語り合うに値する奥の深い人だと思う。もう一度語り合ってみたい。

〔2011年11月28日公開〕