10月1日(土)〜6日(木) 報恩講「御礼言上」に学ぶ ─札幌別院支院報恩講─

現来寺支院「御礼言上」。外陣中央の緑の衣が主任(住職)、その前に門徒代表
現来寺支院「御礼言上」
円山支院「御礼言上」

3年連続で札幌別院支院報恩講に出講した。平日は別として、土日がかかる地方出講はこれで終了。これからの季節は法事の数が急増するので、土日をこのような形で出講することは不可能だし、寒くなるにつれ、葬儀も増えるから1週間も寺を開けることもできなくなる。せいぜい長くて4日ほどの出講が限度だろう。

それにしても急激に気温が下がり、特に前半の3日間は日中でも5℃程度しか上がらない日もあり、暖房が全開であった。東京とは15℃以上ちがうことは驚くべきことで、やはり日本は縦に長いと感じた。驚くべきことといったら、山鼻支院の近くで熊が現れ、そのままススキノ方面へのっさのっさと歩いたというニュースが流れた。ススキノにある札幌別院近くのホテルに滞在する小生にとって、熊が歩いた時間は、ちょうどホテルに戻ってきたころだから、何とも恐ろしい話である。しかし、熊が札幌市内まで出現したとなると、よほど山に食べ物がないのだろう。それはやはり乱開発か。近代以降、人間は自然との関係を断絶してきた。震災、原発事故によって強く問われた「人知の闇」は至るところであらわになっている。

さて、今回は6支院のうちの山鼻、現来寺、円山の3支院。2年ぶりに会うご門徒の方々が暖かく迎えてくれた。3支院を通して、一番教えられたことは「御礼言上」の深い意義である。支院は一昼夜2日間にわたる報恩講であるが、「御礼言上」は、2日目の御満座法要終了後、最後の法話の前に行われる。導師を勤められた梨谷ご輪番と布教使の小生が中央に座り、列座の方々が左右に座る。そして、門徒代表と支院の主任(お寺で言えば住職にあたる)、坊守が参詣者の一番前に座り、門徒代表が、報恩講が勤まったことへの感謝の言葉を我々に述べるのであり、それを受けての梨谷ご輪番の言葉が「おめでとうございます」ではじまり、御礼のご挨拶が行われるのである。「おめでとうございます」という言葉に報恩講のすべてが表れていると直感した。報恩講を迎えるに当たり、住職、坊守、門徒が一体となって準備をして、ご輪番たちをお迎えし、法要に参列し、繰り返し聞法をする。その感動が感謝の言葉となって述べられ、お招きいただいた我々は、報恩講の円成を心から祝うのである。これは真宗寺院が、門徒が寺族とともにお寺を作っていく聞法道場であることが十分表現されているのであり、その道場とは、生活の様々な苦悩や悲しみのなかに仏法がはたらく場である。「御礼言上」の雰囲気を写真で少しでも感じていただければありがたい(山鼻支院は撮れず残念)。

山鼻支院 大逮夜法要
山鼻支院 大逮夜法要
現来寺支院 大逮夜法話
現来寺支院 初夜後の懇親会
円山支院 初夜法話
円山支院 初夜後の懇親会

先月25日に本山で行われた「生老病死」のシンポジウムで、鷲田清一氏が、あらゆることが、サービス業や行政に分業されて、家庭でやることが激減し、いのちの世話がすべて代行になってしまい、誰も自分の手で何かをしたり、協力し合うということがなくなったしまった。すべてやってもらう形だから、それが不十分だと文句を言うクレーマーばかりになってしまったと。そして独立と自立はちがい、人間に独立はありえず、協力がないと生きていけないと提起したことを思い出した。

すべてが画一化し、マニュアル化してしまって、自分が自分でないような感覚に陥っている現代人が非常に多いのではないか。そんなことを思うとき、手作りが基本となっている報恩講そのものが、関係性を大切にした人間回復の場になっている。そういうことからも報恩講の伝統は受け継ぎたいと強く思い、今年の拙寺の報恩講でも「御礼言上」を行うことにした。報恩講のパンフには、「御礼言上」の大切な意義を掲載し、単なる形式ではないことを呼びかけていくことにしている。

3支院ともそれぞれの顔があった。婦人会の方々が心をこめて作ってくださった食事もけっしてマニュアルではなく、それぞれの個性があった。勤行、法話だけでなく、すべてがお育ての場になっている。関係性から学ぶことを忘れた現代に、報恩講は大切な視座をあたえてくれる。

札幌別院の列座の人たちとは毎年のように会うので、非常に親しい列座の人たちも多い。おそらく、大谷派で唯一の体育会系の集団であろう。ある若い列座の子が「上下関係が厳しいですから、時折つらいこともありますが、こういうつらさから学ぶことが多いので、このつらさも大切だと思うし、それがなかったらだらけてしまうだけですから」という言葉は実に印象的であった。けっして体育会系が全面的にいいとは言わないが、何かあるとすぐ人権だとかハラスメントだと客観的に決めつけられ、責任問題に発展したりすることがある。関係性が弱く、何かとクレーマーだらけの現代において、別院の体育会系はなかなかいいなと思った。「かわいい子には旅をさせろ」という言葉が死語になりつつあるが、

このところ、苦しみとか不条理のなかに身を置くことの大切さをひしひし感じる。温室では何も生まれない。

来年はいよいよ札幌別院本院の報恩講に出講する。報恩講の伝統が継承されている北海道の空気を吸って、それを常に自坊に持ち帰りたい。

〔2011年10月16日公開〕