7月27日(水) 石川県松任・仙龍寺の暁天講座で法話
─土徳のある地域だからこその出遇い─

日頃お世話になっている春秋賛さんのお寺の暁天講座で法話するご縁をいただいた。ここ数年、小生を通じて、常福寺の八田君も春秋さんと接する機会がたびたびあったので、「八田君もよかったら、いらっしゃい」と声をかけてくださり、26日、八田君の車で松任に向かった。夕方に松任のホテルに入り、その後、春秋ファミリーと富住職と楽しく飲み語った。熊谷前総長は本山安居の最終日で、坂本住職は本山の議長会で合流できず残念であった。

松任市内 暁天講座は朝5時30分から 定刻に勤行が始まりました 春秋住職の御挨拶 法話の様子

松任は金沢より車で15分ぐらいのところに位置している。現在は白山市と言うが、やはり松任市に春秋さんはこだわるし、小生ですら松任の方がしっくりくる。先日、還浄した父は愛知県豊田市の出身であるが、「トヨタ自動車の力が強いから仕方がないのだろうが、挙母市が豊田市に変えられてしまったことだけは納得いかない」ということをよく口にしていたことを思いだした。名は単に名にあらずということか。合併して適当に名前を変えても、その名に歴史がないからやはり受け入れられないのだろう。人は故郷にやはり特別な思いを持つのであろう。古くはわが町の亀有も亀撫(かめなし)だった。合併して変更したとかではなく、昔のよくある話で、「なし」ではマイナスイメージなのか、不吉なのか、そんなことで「あり」にしたようだ。何とも笑ってしまうが、亀有になじみ親しんでいるから、わが亀有も改名ということがあったのだなという程度だけど、もし原点に帰って亀撫にもどそうという運動があったら、絶対に反対したいと思う(そんな運動はないだろう)。何を書いているやら、最初から脱線してしまったので、軌道修正する。

暁天講座は真宗の盛んな地方では、別院レベル、組レベル、寺レベル、様々な形で活発に開かれている。東京ではありえないというか、まず人が集まらない。松任の印象を一言で言えば、やはり真宗王国であった。確かに信仰の力は以前よりは落ちているかもしれないが、東京のようなところから来ると「さすがだ」と感じずにはおられない。朝5時30分にはじまるのは「暁天」という名が示しているように、太陽が昇ったころにはじまる法座である。こんな朝早くから、近所のご門徒が次々集まってくるだけでなく、住職、坊守と会話を楽しむご門徒たちの姿が目に焼き付かれていった。地域一体型の真宗の宗風が色濃く残っていた。春秋さんとは、7〜8年前になるが、本山の御遠忌テーマに関する委員会でごいっしょさせていただき、その時からなぜかとても気があった。委員長の春秋さんのもとで御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」が誕生したことは、小生の僧侶活動のなかで特に忘れることができない宝となっている。そういうこともあって、大震災、原発事故を通して、御遠忌テーマから問いかけられていることをあらためていただき直したいと思い、そんな内容で法話をさせていただいた。様々なところで法話していると、話しやすい話しにくいということが皮膚感覚でわかってくる。仙龍寺さんでは、演台の前に立つやいなや、もうすぐ話しやすい雰囲気であると直感した。話し始めるとご門徒は熱心に聞き入ってくださった。

終了後、思いもかけないことがあった。拙寺の門徒で、松任出身の山本さん(亀有在住)の妹の旦那さんがわざわざ聴聞にいらしていて、控室にご挨拶に来てくださった。昨年12月、山本さんの御主人の一周忌の法要にも松任から夫婦で参詣に来られ、小生の法話を聞いてくださったそうで、小生が松任に来ると言うことを聞いて、仙龍寺さんの門徒ではないけれど、わざわざ朝早くから来てくださったのだった。これはうれしいことだ。真宗のつながりとは本当にありがたいものだと思う。春秋さんとも楽しそうに話をされていた。他の門徒が朝早くからこうして気楽に上がることのできるお寺が本来のお寺だろうし、わざわざ聴聞に来てくださるのも、土徳のある地域ならではのことかもしれない。

もう一つ思いもかけない出来事があった。ホテルに戻り朝食を済ませ、帰りの支度をしている時だった。部屋の電話がなり、受話器をとってみると、女性の声で「さきほど聴聞させていただいた門徒ですが、もう一度本多先生とお話がしたいのですが‥‥」ということだった。ロビーに降りていくと、60前ぐらいだろうか、その女性は小生に親しみを覚えたので、思わずホテルに来てしまったということだった。特に小生の法話のなかで、池田勇諦先生のことを話されてジーンときてしまったそうだ。というのも彼女は法座が定期的に開かれた家に生まれ育ったのだが、池田先生が法話にこられていたということであった。池田先生の「おじいさん、おばあさん」という何とも言えない優しい響きが耳の底に残っているそうだ。そしておもむろに手さげ袋から写真を取り出し、小生に見せてくださった。なんと池田先生の仏前結婚式の写真であった。色の変わった白黒写真は時代を感じさせ、毛がしっかり生えている若き池田先生を見て、こっちが照れてしまったが、その横に彼女のおじいさんがいっしょに写っていた。彼女のおじいさんは池田先生に仕えていたそうだ。その池田先生のことを小生が法話で話したことから、彼女は池田先生─小生というつながりにお念仏の世界を感じたと言いたかったということが話しているうちにわかってきた。さらに94歳になる認知症の母は池田先生の名前を言うと、しっかり反応するそうだ。これも驚きである。詩人の藤川幸之助さんが、認知症の母親に父親が母に聞かせた歌を歌っても反応しなかったが、父親の真似をして歌ったら反応したということを話してくれたことを思いだした。本当に関心を引くことがあると反応するのであり、「イケダユウタイ」という発音で、認知症の母が反応するとは本当にお念仏の力はすごいと思わずにいられなかった。

「母に池田先生のお声を聞かせてあげたい」とおっしゃるので、「池田先生の声をなんとかCDにおとして、仙龍寺さんに送りますから少し時間をください」と話したら、「無理のないようにしてください」と言いながら、「春秋住職さんが、本多先生はお酒が大好きとおっしゃっていたので」と手さげ袋から日本酒をとりだし、「重いけど持って行ってください」と差し出され、大変恐縮してしまった。また妻に、名菓しば舟の生姜せんべいまでいただいてしまった。「それでは」とホテルを出ていく後ろ姿を見ながら、一期一会という言葉をかみしめていた。

土徳のある松任だからこその話ではないか。こんな地域がまだ残っている。さらに、このご門徒の旦那さんは、先にふれた富住職と坂本住職と従兄弟関係だそうで、これもまた北陸らしい話である。しかし、金沢をはじめ、松任にも急速な都市化の波がそこまでやってきている。新幹線が開通し、何よりも経済が優先されていくとともに真宗の宗風が風化していってしまう。真宗伝統の地域のご僧侶、ご門徒はぜひこの灯火を消さないで念仏を相続していってほしい。しかし、画一化、マニュアル化した大都市東京でも、人はみな自分の意識構造よりもっと深いところから浄土を求めている。そのことを忘れてはいけない。東京こそ、真宗が待望されているのであろう。

〔2011年8月3日公開〕