2月4日(木)〜5日(金) 「釋」を名のる以外に生きる道なし

最初の2枚がNさん、次はSさんご夫婦 しだれ梅がいっきょに開花

小生が住職になって早11年あまりの月日が流れた。蓮光寺のご門徒には、日常の苦悩を通して教えに出遇ってほしいという願いから帰敬式を奨励し、今日に至るまで100名ほどのご門徒が帰敬式を受け、法名を名のられた。

帰敬式は教えにふれてから受けないと、なったつもりの真宗門徒でしか生まれないということから、真宗入門講座を受講していただくことを大切にしてきた。それは今も変わらない。しかし、ここ4、5年は、2年に一度の講座まで待てないというご門徒、つまり心から今すぐに帰敬式を受けたいというご門徒が増えてきたのだ。もちろん、なんとなく法名がほしいとか、真宗の教えにきちんとふれたことがないというご門徒には真宗入門講座まで待ってもらい、きちんと講座を受講していただいてから帰敬式を受けていただくようにしているが、実は、すぐに帰敬式を受けたいというご門徒のほとんどは、苦悩を抱え「釋」を名のる以外に生きる道なしと決着している方が多いのが特徴で、むしろ、こちらが教えられてしまう。

今年の元旦の修正会の時だった。報恩講や大きな聞法会には必ず顔を出すNさんが、「時間がかかったが帰敬式を受ける決心がついたので受式させてほしい」と言ってきた。また、すでに帰敬式を受けられている責任役員のSさんが「妻に帰敬式を受けてもらうよう説得しました。ぜひお願いします」ということであった。Nさんは2月4日に、Sさんの奥さまは5日に受式された。

Nさんは、35年前に娘の出産の時の苦悩のなかではじめて真宗の教えにふれた。それから真宗の教えを聞く生活が始まったのだが、本当の意味で、人間の心の奥底に、南無阿弥陀仏のはたらきを感じえたと実感できるまで実に35年に月日が必要だったと言われた。定年退職しているNさんは、自宅で母親を妻とともに介護している。介護を通して、自分が見いだされ、家族が一層結束した。厳しい介護生活のなかで本当に意味で喜びを得、ありのままの現実を受け入れていくことの大切さを真宗の教えによってうなずかされたと言う。帰敬式の「誓いのことば」も、自分の言葉で、自分の歩みを吐露したのだった。誓いのことばを読むNさんは、時折涙で声をつまらせたのであった。

責任役員のSさんは、長い間の聞法生活のなかで、闘病を続ける妻に、病気のままに尊い存在であることを少しずつ話されていたようだ。どんな状況であろうとも南無阿弥陀仏の教えは私たちを捨てることはないということを身をもっていただいているSさんは、老い病んでいく夫婦にあって、妻に教えに生きようということを伝え、妻もうなずいたのだった。あまり声の出ない奥さまにかわって「誓いのことば」を朗読したSさん。老夫婦がそろってご本尊の前に立つ姿に感動した。Sさんの娘と孫、家族全員が見守っていた。Sさんは妻のみならず、孫までお念仏が相続していくことを深く願っていることがいただけた。

この2日間、とても尊い世界に出遇わせていただき、あらためて感じたことがある。やはり教えがまず先にあって、それを学ぶということではけっしてない。まず苦悩するということ、人間として生まれた悲しみということがあって、その中から教え(本願)が顔を出すのだ。苦悩を通して、教えが思いもかけず聞こえてくる、うなずかされるということがおこるのである。人間としてのいのちの営みはさまざまな相(すがた)をとって映し出される。そしてただいたずらに苦悩しているのではなく、そこには苦悩とともに祈りにも似た深い願いが生きているのである。

教えが我が身に響き、私に先がけて教えに生きた宗祖を想うとき、本当の意味で宗祖に頭がさがるのである。宗祖の歩みが、まさにこの2日間の帰敬式のなかに具現されていた。帰敬式を執行した住職である小生といえば、ただただ頭が下がりっぱなしであった。真宗寺院の住職の仕事は、悩んでいること、同時にそれを通して教えに出遇うこと、そして本願に生きんとする人々に出遇わせていただくこと、この三点ではないか。東京の真宗寺院のなかで展開された「人間といういのちの相」の物語は実に深く重かった。

今年は宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌である。親鸞聖人を結論というか、親鸞聖人をたてにして、人間として生まれた悲しみを共有することもなく、さもわかったようなことを言う僧侶は一番の大罪人であることを深く自覚させられた。それこそが親鸞聖人対する裏切り行為ではないか。肝に銘じたい。

〔2011年2月11日公開〕