11月6日(土)〜11月7日(日) 根室別院「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け同朋大会」
─納沙布岬から見る歯舞・国後─


納沙布岬灯台 風が強く寒いー! 歯舞群島。よく見えます 国後島。見えにくいかな? 歓迎会での合唱 ペルーのプロのグループ。亡き高藤元輪番が札幌の路上で演奏している彼らにぞっこんだったそうです。今や、札幌のお寺で数々のコンサートをしています。
主賓席の左が信悟院殿御連枝、右が小生 酒も入り、和やかに雰囲気に 根室別院 お待ち受け同朋大会 開会式前にも合唱が入りました 勤行 本堂で帰敬式。真宗宗歌斉唱 おかみそり 帰敬式記念写真 (前列左から)金﨑御輪番、河野組長、小生、信悟院殿御連枝、藤岡教務所長、野間堂衆 小生の法話。午後もまずは「三帰依文」から 雲海

「根室別院&北海道第20組の宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待ち受け大会」に出講した。北海道教区&別院レベルの「お待ち受け大会」は2008年9月30日の札幌パークホテルにおける「北海道教区お待ち受け大会 ─婦人の集い─」に始まり、この根室別院で終わる。始まりと閉めが小生だということを藤岡北海道教務所長さんから聞いて、「そうなのか──」と何となく感慨深いものがあった。

朝日が最も早く昇る町「根室」には初めて訪れた。6日の夜の歓迎会から参加してほしいということであった。羽田-根室中標津線は1日1便、11時50分発のANAしかない。夜には間に合うから当日に根室入りしたが、法話をする昼間なら1日前に入るのが必須である。しかし、前日にその1本が欠航になった場合は大変なことになる。羽田-新千歳便を使い、新千歳から根室中標津へ飛ぶか、中標津が閉鎖なら、6時間ほどかけて電車で行かねばならないことになる。そう考えると大変遠くへ来たものだと思った。宿泊ホテルに到着後、教務所長や所員の方々に納沙布岬に連れて行っていただき、歯舞群島と国後島を見ることができた。予定では信悟院殿御連枝といっしょに門徒さんの船で歯舞群島のロシア領ぎりぎりまで行くことになっていたそうだが、ただ曇りで風が強いため中止したということであった。

今回、ロシアのメドベージェフ大統領が国家元首としてはじめて国後島を訪問したことから、根室には東京などからのマスコミが大勢入っていると聞いた。納沙布からは歯舞群島が間近に見える。水晶島など、どうしてロシアなのかと不思議に思うぐらい目前にあるし、納沙布より知床岬に近い国後島は、島の南部においては、知床半島の方が北に位置しているし、実際、根室には歯舞群島や国後島に今も本籍がある人たちがたくさいらっしゃり、とても複雑な感じを持った。もちろん現在ロシア人が住んでいるわけだから、様々なことを考えながら対話していくべきだが、ロシア大統領が国家元首としてはじめて国後を訪れたことに対する日本のきちんとした対応ができていないのにいらいらする。

日本の外交が不安でならない。北方領土ばかりではない。尖閣諸島での船の衝突ビデオ流出といい、沖縄の基地の問題といい、真に自立した外交を期待したいものだが──。それにこれに乗じて竹島問題も浮上しかねない。やはり、ここにきてアメリカ依存体質のつけがきたのではないか。東西冷戦が終わり、アメリカ主導が確立したかに見えたが、イラク戦争とサブプライムローンの破綻で、アメリカの地位は大きく揺らいでしまった。現在、米中二大国と様々なネットワークでつながる世界状況のなかにあって、いつまでも55年体制の頭でいてもらってはこまる。この新しい世界秩序構築の時に、日本がきちんとした主体性をもった外交ができないと世界からつまはじきにされてしまう。主体性とは自国の主張をがむしゃらに突き通すということではなく、他国の主張も聞き入れる懐の深さがないとならない。この文章が掲載されるころは横浜でAPECの会議が開かれていることだろう。反米に立てと言っているのではない。アメリカとの関係を大切にしながらも、今までのアメリカ依存とちがった関係、そしてもともと大国であった中国やアジアとの関係もきちんと見据えなければならないということだ。アメリカに依存してきた日本が、今回のAPECの会議で試されるのであるが、自国開催でありながら、中国、ロシアとの首脳会談が難航(11月10日現在)していては、どうも期待できない。またTPPの問題もどう対応していくのか。政権与党にしても野党にしても互いの批判ばかりを展開しないで、知恵をふりしぼって日本を主体性のある国家として世界に認めてもらうことを第一義的として議論してほしいものだ。

さて、話は変わって、6日の夜は歓迎会。20組のご僧侶やご門徒でどれぐらいの方がいただろうか。おそらく150名ぐらいいたのではないか。それにつけても「信悟院殿御連枝 本多雅人先生 御来根歓迎懇親会」という垂れ看板にどう反応していいかわからなかった。御連枝は昼間に終えた別院の報恩講に数日間出仕されての歓迎会であったので実に自然に入られたと思うが、小生は「お待ち受け大会」の講師として今日来たばかりで、金崎御輪番と教務所以外の人たち以外は誰が誰だかわからない。法話が終わってのことであれば、顔がわかる人も多いし、法話を通してのことで会話も弾むものだが、とにかくどうしていいかわからなかった。とはいうものの、御連枝と教務所長の間の席だったので、お二人が色々話かけてくれたり、また20組の組長さん、別院の責役さんをはじめとした主催者や以前生の法話を聞いたことがある人などがお酌に来てくださったりして、あっという間に和んでしまった。挨拶だけでなく、坊守さんと婦人会の人たちの歌や、ペルーの人たちの歌など余興もすばらしかった。

7日のお待ち受け大会は10時から始まった。別院の会館には278名(だったと思う)のご門徒が参加された。まず開会式、小生は、御輪番、20組組長、教務所長とともに、舞台に上がった。真宗宗歌、正信偈・同朋奉讃の勤行、組長、教務所長の挨拶、講師紹介と続いた。10時30分すぎから法話(1)。この後、123名のご門徒が、信悟院殿御連枝のもとで帰敬式を受式するので、帰敬式に関わる法話をした。帰敬式は別院本堂で。やはり厳かでよかった。「釋」を名のり仏弟子となって、苦悩の現場に足をつけて親鸞聖人の明らかにされた救いを尋ねていく以外に道なしとの決意と、本当に仏弟子になっていけるのだろうかという不安が交錯するものだ。でもそれが大切。不安が聞法に向かわせるからだ。午後は法話(2)。テーマは「今、いのちがあなたを生きている ─生まれてきてよかった、生きてきてよかった─」。私たち自身の根源的課題が、私たちに先んじて釈尊、親鸞聖人、それに続く先達が自分自身の課題として証してくださったこと。つまり私たちは歴史的存在であり、苦悩することを通して、尊さとかけがえなさが回復されていく道が伝承されていることを学び合った。休憩を挟んで3時すぎまでの長い法話であったが、帰敬式を受式したばかりのご門徒も、すでに受式しているご門徒も、じっくり法話を聞いてくださった。

7日の帰りの飛行機はすでに飛んでしまっている。根室でもう一泊してもよかったが、札幌にいくつかの所用があったので、60人ほどの小さなプロペラ機に乗って札幌に向かい、札幌に泊まって東京に帰った。羽田に向かうジャンボ機の中で、とてもすばらしい雲海を見ることが出来た。ふと小学校時代の人気絶頂のテレビドラマ「アテンションプリーズ」を思い出した。そして、主演の紀比呂子がスチュワーデス(現在は「客室乗務員」という)になる理由について「私、雲海を見たいからスチュワーデスになりたいのです!」とドラマで真剣に教官に訴えているシーンが駆け巡ったのであった。昭和40年代半ばの日本は、飛行機に乗るのはごく一部の人たちだった。飛行機に乗ったという友だちがいるとうらやましかったし、ましてハワイに行ったと聞くとあこがれたものである。小生がはじめて飛行機に乗ったのは1986年の新婚旅行で北海道に行った時である。思えば、妻が「言葉がわからないところに行くより国内がいい」と言ったことから北海道になったのだが、今こうして年中北海道に来るようになったが、そもそも北海道とは深いつながりがあったのだということを雲海を見ながら思った。そんなことを思っていたら今度は「アテンションプリーズ」の主題歌を思い出し、「恋人はここにもいないかもしれない でも私は飛ぶ 私は飛ぶ 私は飛ぶ、飛ぶの」[岩谷時子作詞、三沢郷作曲/編曲、ザ・バーズ唄「アテンション・プリーズ」 (1970)]という一節を思わず口ずさんでいた。隣がいなくてよかった──。こうして今年最後の北海道が終わった。一年のうちの1カ月は北海道にいた今年。小生は半分北海道人になっていた。

〔2010年11月14日公開〕