6月10日(木)〜12日(土) 蓮光寺役員有志による研修旅行 ─正信偈の世界に参画する─

東本願寺札幌別院。ご輪番と
札幌別院。本堂前
「まさき」の家庭料理の一つ
高徳寺住職さんの法話
高徳寺での記念撮影
ジンギスカンパーティー
小樽運河

* 円山支院の写真をうっかり撮り忘れました。一色君ごめんなさい。

来年はいよいよ宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要が勤まる。来年5月に東本願寺への団参旅行があり、それに気持ちを一つにしていくため、今年の蓮光寺旅行会は休会とした。しかし、一部の役員から何らかの旅行をしたいという意見があって、非公式ながら役員有志で北海道へ行くことになった。その趣旨は、北海道という地で真宗にふれ、ご門徒と交流をすることによって、私たちのお寺を、私たち自身を見直そうということにあった。

ゆったりとした計画のなか、初日はまず東本願寺札幌別院に参拝。予定の時間より30分ほど遅れてしまったが、ご輪番が会議時間をずらしてまで待っていてくださったことに頭がさがる思いであった。ご輪番のご法話は「北海道開拓と真宗の伝統」に関する内容であった。北海道開拓による真宗の広まりと、そこに住むアイヌの人々との課題をきちんとおさえてお話しくださった。

現在、宗門では御影堂の「見真」の額を降ろす、降ろさないで議論になっている。「見真」の額は明治天皇からもらったものだ。近代における大谷派の負の歴史はもちろん直視しなければならないのは言うまでもないが、近代天皇制に迎合したという視点だけで「見真」の額を降ろすということでいいのかどうか、それはちょっとちがうだろうと思う。また額を掲げていることが天皇制を賛美していると結論づけるのもちがうだろうと思う。その額には、その時代の名もない人の悲しみ、またその苦境のなかで何とか真宗の教えを伝え守ろうとした人たちの情熱もしみ込んでいる。戦前は天皇制に迎合したというなら、戦後は民主主義、ヒューマニズムに迎合している宗門であってはならないと思う。それは裏表でしかない。いかなる時代的価値観があろうとも、それを超えた宗教的視点を持って「見真」額の問題と向かい合わねばならない。宗教的視点をもって議論を尽くした上で降ろすか、降ろさないかを決めるべきだとご輪番のお話をうかがってあらためて思ったことである。

ご輪番のご法話の後は、諸殿拝観をした。その後、別院が持つ6つの支院の一つである円山支院に参拝。一色君夫婦が出迎えてくださり、正信偈、同朋奉讃でお勤めをし、一色君からお話をいただいた。その後、近くにある鮭の専門店に連れて行ってもらった。東京では高価な「ときしらず」がかなり安い。さしみなどたんまりお土産に買っていった。夕食は、おなじみの北海道家庭料理の「まさき」へ。経営に携わる母子が、心を込めてサービスしてくださった。本当に旨い! 旅行者が行かない地元のお店の家庭料理にご門徒がとても喜んだ。それを見ている小生も何かとてもうれしかった。

2日目は深川市のとなりにある秩父別の高徳寺へ。住職さん、坊守さんに加え、責任役員、総代などのご門徒十数名が出迎えてくださった。正信偈、同朋奉讃のお勤め、そして住職さんの法話。「東京と秩父別というちがいがあっても私たち門徒は正信偈をお勤めするところに深いつながりを感じ、感動します」と住職さんの言葉。小生も同じことを感じていた。いつの時代でも、どこにいて、どんな生活をしようとも、真宗門徒の家にはご本尊があり、正信偈が勤まってきた。今日も、その大きな本願の歴史の真っ只中にこうして参画させていただくことに喜びを感じるとともに、小さな人間でありながら、歴史的な人間、歴史的存在であったことに気づかされる。高徳寺の開教の願いを聞き、土徳の深さを感じたが、「厳しい東京という環境のなかで真宗の教えを聞きお伝えしようとする蓮光寺の住職さんやご門徒の皆さんを見て、同じ真宗門徒としてうれしく思う」という住職さんの言葉にもやはり同じことを感じていた。過疎が進む小さな村で真宗の教えを守り続ける高徳寺の住職さん、坊守さん、ご門徒のみなさんに頭がさがる。教えを通した深い信頼を感じるのであった。これも正信偈の世界の出来事、つまり南無阿弥陀仏の出来事なのだ。

その後、お昼は近くのふれあい広場でジンギスカンパーティー。高徳寺のご門徒が献身的に、といっても自然に至れり尽くせりで接してくださった。ご門徒さんが焼いてくださりジンギスカンがとても美味しい。このふれあいを通して、蓮光寺のご門徒も様々なことを感じたと思う。やはり、東京という都会の人間関係は希薄である。無条件のふれあい関係のなかに身を置きながら、真宗寺院の本来的あり方、つまりお寺と門徒さんの本当の関係を考えさせられ、大きな課題をいただいた。食事後は地元の温泉に浸かり疲れを癒やして札幌にもどった。

最終日は小樽へ。晴天の小樽はひさしぶり。小樽にはじめて来たのは24年前に妻とであった。独特の雰囲気に感動したのを覚えている。そのころと比べて小樽も随分都市化してしまった。素朴であってほしい。東京に合わせてはだめだと何度も思った。小樽の良さが都市化によって失われないよう願うばかりだ。

北海道は真宗が息づいている。しかし、その北海道も変わりつつある。時代を越えて人々に生き続けた真宗の法灯を後世に伝えていくことは私たちの責任だ。それはこの私が教えに生きること、その一点に尽きる。

〔2010年6月15日公開〕