5月21日(金)〜22日(土) 岡崎教区第24組同朋会「おとなの寺子屋」 ─父親の実家で法話─

前日の打ち合わせは盛り上がりました!

会場となった、父親の実家である浄覚寺
掲示板にも案内が
浄覚寺本堂と親鸞聖人像
「おとなの寺子屋」日程
会長挨拶。ご門徒です
三帰依文唱和
法話の様子
有志で仏間にて懇親会
23日朝、浄覚寺の写真を見る父

岡崎教区第24組同朋会「おとなの寺子屋」で法話した。会場は、父親の実家である愛知県豊田市宮町の浄覚寺。浄覚寺の住職であり本山の内局で参務を勤める杉浦義孝さんは従兄弟になる。住職の父親は今年82歳になるが、現在介護施設に入っており、介護5の車椅子で認知症もすすんでいる上、昨年からは人工肛門までつけた。父親はもう自分の実家に行くことはできない。「繁ちゃん(父親のこと)の息子さんがお出でになるで」と父親と同世代のご門徒の間で話題になっていたそうだ。

「おとなの寺子屋」は、今年で8年目を迎える青壮年の同朋会である。役員の方々は40代〜60ぐらいのご門徒であり、前日の金曜日に、一体どんな話を聞きたいか、どんなことが問題になっているか、門徒役員の方々6名と浄覚寺の智見君や如来寺の若い住職さんらと顔合わせを兼ねて打ち合わせを行った。

話し合いの雰囲気から感じ取れたことは、豊田は真宗の地盤だけあって、その伝統が残っているものの、都市化による生活形態の変化による意識の変化も進み、特に豊田自動車本社がある関係で様々な地方出身者が多くいることから、ある意味単なる地方都市でもない様々な価値観を持った地域だということを思った。彼らより上の世代は真宗の伝統にどっぷり浸かっているが、彼らより下の年代には教えがほとんど相続されていない。伝統が伝統として息を吹き返すか、単なる因習化、形骸化していくのかは、この世代の人たちにかかっているという感じがした。

といっても、様々な問題を抱え迷いの身を生きている上で、親鸞聖人の教えにふれたとき、この教えがなかったなら私の人生はむなしく終わってしまっただろうという歩みが一人ひとりの上に明らかになれば、自ずと引き継がれてくるのではないか。真宗の伝統を守るためということではなく、混迷する現代において親鸞聖人の教えが大きなささえになっていくことを確信しているから、ぜひいっしょに自分の苦悩と向き合いながら教えを聞いていきたいのだ。そして本当にそこに喜びを見出だすならば、相続されていくものである。

話し合いでは、けっしてまず親鸞ありきという形で話を進めず、相手の意見をきちんと聞きながらも、自分の問題を語るご門徒の姿を見て、こちらが励まされた。「同朋新聞5月号の芹沢さんのいう“ある”と“する”の二重構造ということについて真宗の教えにからめて話して欲しい」「御遠忌テーマが何をよびかけているのか、具体的な事例を引いて語って欲しい」「老いという問題から問われることについて」など様々な提起があった。初対面でぶっつけ本番の法話より、前日にゆっくり語り合い、何を問題とし、何を問われているかが見えてくることで、法話に厚みが出てくるし、場に信頼も生まれてくると思った。酒を飲み交わしながら、そこはすでに聞法会になっていた。

自分は胃癌にかかり、また息子が暴走族に入ってしまった時期があった。そして息子が問題を起こしたが、その時に「こんな父親ですまん」と謝ったら、息子さんが立ち直ったというあるご門徒の話は特に感動した。人間は自分をまるごとつつんでくれる存在に出遇うことによって生きていけるのだと思う。こういう苦悩を持った方がやはり親鸞聖人の教えを聞かれている。やはり教えは苦悩の身に響くものなのだ。苦悩することにやはり「尊さ」を感じる。

法話当日の22日は、祖父母のお墓参りをすませてから浄覚寺に向かった。父親に見てもらいたいので、たくさんの写真を撮って帰ろうと思い、浄覚寺内の風景を写真におさめた。認知症でもきちんと反応することもある。「本多さん」と呼ばれても反応がにぶい父親が、「杉浦さん」とよばれるとより反応するということがある。自分の生まれ育った家の写真の数々を見たらどんな反応をするだろうか。

いよいよ法話の場に立つ。父親が昭和3年に生まれ、ここで育った。それから82年後に息子が父親の故郷で法話の場に立つ。何か言葉にならないが、こみ上げてくるものがあった。施設で過ごす父親に後押しされているような気持ちにもなった。

さて法話の講題は「現代と親鸞 ─緊急の課題と永遠の問題─」。「緊急」とは日々の出来事、生活である。「永遠」とは日々のあらゆる生活の根底にあるもの、つまりあらゆることを根底からささえる真のよりどころとおさえて、我々が何を見失って迷っているのかを一つひとつあきらかにしながら、この一つが欠けたら本当に生きたということにはならないこととは何かをいっしょに学んでいった。参加者は年配の方もいらっしゃったが、50代前後の人たちが主流で、はじめて仏法にふれる若い方々も多くいた。15分の休憩を挟んで2時間30分の法話であったが、皆さん、よく聞いてくださった。

終了後、有志で座敷にて懇親会。懇親会での一言コーナーでも様々な意見が飛び交う。いくつか印象に残った話があったが、あえて一つ言うと、「この私のあり方を教えによって知らされた」とあるご門徒が言うと、「それはそうだが、知らされたということが倫理とか道徳とどこがちがうかが私の課題なんだ」と言うご門徒がいて、お互い真剣に語り合っている。そのことを小生にも尋ねてくる。これは反省と慙愧・懺悔の問題で、人間は反省ぐらいでは救われない。縁があれば何度でもやりかねない。罪悪深重の凡夫であるという自覚、自分のあり方に悲しみと痛みをあたえられた生き方が慙愧・懺悔の内容ではないか。そんな話し合いが生活実感を通して語られた。智見君に「念仏の灯がここにある。この会を大事にしていってほしい」と伝えた。

智見君はお酒を飲まず、小生を名古屋まで送ってくれた。21時10分発の「のぞみ」に乗り、すがすがしい疲労感の中で帰京した。

翌日の23日、法事が始まる前の朝のうちに、早速父親のいる介護施設へ。父親はボーとしながら写真を見つめる。何も言わなかったが、一言だけ「立派だ」と大きな声を上げた。自分の実家ということをちゃんとわかっていた。我々からではわからない父親の世界がある。認知症という世界には認知症としての世界がある。父親は自分の人生の物語をきちんと見つめていたのだった。

〔2010年5月24日公開〕