3月16日(火)〜17日(水) 東海連区同朋の会推進員交流研修会 ─念仏の相続─

小生の講義
小生の講義
講義に熱心に耳を傾けるご門徒
夕食懇親会
一言コーナー
三河別院
晨朝
晨朝感話
最終講義
(班別座談、班別座談発表の写真がありません。残念…)

東海連区同朋の会推進員交流一泊研修会に出講した。会場は岡崎教区会館と三河別院、宿泊は三河湾国定公園内の岡崎市民休養施設の桑谷山荘であった。先週、三重教区(桑名別院・専修寺)に2日間出講したばかりので、この一週間の半分以上は名古屋圏で過ごしたことになる。

東海連区とは高山、大垣、岐阜、岡崎、名古屋、三重の各教区の連合体。推進員とは、自ら進んで聞法精進し、お寺の住職とともにお寺を創っていく、教えの場を開いていくことを推進する門徒といえばいいであろう。この東海連区は、真宗伝統の地域であるから、推進員というと、言わずと知れたかなりの聞法者が揃っていることから、当初よりとても楽しみにしていた。小生が提出した講題は「浄土に生まれて、浄土に支えられ、浄土に還る」。現代は真のよりどころがわからなくなり、存在の尊さが見失われたことは、各分野で活躍している有識者も述べていることであり、そういう意味からも、親鸞の教えがいよいよ時期相応の教えであると確信するのである。しかしながら、親鸞や教えを絶対化して語るのはむしろ親鸞に背くことになる。なぜなら、そこに閉鎖性が生じて、現実の問題からの問いかけを聞き取ろうとしない姿勢につながってしまうからだ。現実の問題、人間の苦悩、迷いを通してはじめて教えが身に響いてくるし、うなずかされるということがおこるのである。教えが響いて、はじめてこの私にさきがけて、親鸞聖人が苦悩を引き受け乗り超える道を開いてくださったのがと、「宗祖として」の親鸞聖人に頭が下るのである。

さて、真宗の土壌で育てられたご門徒は本当にすごいと感じた。ここまでのバリバリの聞法者の集まりは見たことがない。小生の講義の後は6班に分かれて座談会。これがまた活発で、時間があっという間に過ぎてしまった。夕事勤行の感話でも実にはきはきと日ごろ考えていることを吐露される。その後、宿泊場所の桑谷山荘へ。移動中のバスの中でもとなりに座ったご門徒は、ずっと今日の講義のことやら話してきてあっという間に30分が過ぎた。山荘に着くと、食事まで1時間の自由時間。お風呂に入ろうと思いきや、小生の部屋へご門徒がいらっしゃり、講義の質問ばかりでなく、「『大経』の令諸衆生功徳成就をどのようにいただけばよいか」とか「煩悩即菩提の私の受け取りについてご意見をください」とか、ご門徒の教えに対する真向かいの姿勢に頭がさがった。夕食では、くじ引きで席を決めたのにもかかわらず、話し声と笑いが絶えない。小生も悪乗りして「一言コーナーやりませんか」と言ったら、ホスト役の岡崎の会長さんが、一言コーナーをはじめてくださった。実に楽しい。本当に楽しかった。その後、小生と語り足りないご門徒の部屋にお邪魔して12時すぎまで飲んで話しこんだ。その後は電気のついているスタッフ部屋へ。自分の部屋に戻ったのが3時30分近くだった。

翌日は睡眠不足のままに7時すぎに朝食をすませ、三河別院へ。まずは晨朝と感話。続いて教区会館で班別座談の発表。各班の発表が実に内容が濃く予定の時間を倍以上オーバーした。真剣に語り合ったことが伝わってくる。これが本来の座談の姿なのだろう。小生が御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」の呼びかけに対し「安心して迷える道に立つ」と応えたことに、「安心して迷えるとは」と各班大変活発に語りあってくださったのがうれしかった。また、どうしたら念仏が相続されていくか、深刻に受け止めているご門徒が多かった。真宗伝統の地も都市化がすすみ、土壌自体が崩れ始めている。次の世代に本当に教えが相続されていくのか大きな問題であろう。「お内仏がきちんと伝わっていくよう、先生、どんなことでもいいですから、アドバイスをください」と悲痛な表情で語る門徒さんもいた。昨日の夕食の時も、門徒さんから出た話で一番多かったのは、やはり念仏相続の問題であった。「葬儀が会館で勤めるようになったら、昔ながらの教えの継承がなくなってきてしまった」「おくりびとは癒やし。本当の救いを坊さんがきちんと伝えて欲しい」と様々な意見を聞いた。宗門では危機感がないと言われているが、本当に教えに生きたご門徒は危機感をちゃんと持っている。地域共同体の崩壊とともに念仏の相続が難しくなっている。でも現代の表層はどうであれ、本質は人々は救いを求めている。みな意識の深いところでは浄土を求めているといってもけっして過言ではない。ご門徒の声を聞きつつ、最後の講義に臨んだ。一つひとつ言葉をかみしめるように話させていただいた。真宗の教えは時期相応の教え。東海連区の情熱的なご門徒の姿に教えられることが多かったが、同時に念仏相続という大きな課題を持って帰ることになった。この私の上に教えを証明していくことは言うまでもないが、どう場を開き、苦悩する人たちと教えを共有していけるかがやはり問われているのだと思う。

〔2010年3月25日公開〕