12月24日(木) 夕張の念仏者を訪ねて ─様々な出遇い─

雪の札幌(道庁前)
札幌時計台
木口さん夫妻。夕張は雪景色一色
お内仏と林暁宇先生直筆の掛け軸
デッキの一部。他の部屋にも数台置いてある
インタビューの様子
北海道家庭料理「まさき」。左端が敬愛する片山君
「まさき」の家庭料理の数々
東京では見ることがなくなった氷柱

今年も何度となく北海道に行った。今年最後の北海道は、同朋新聞の取材であった。念仏者・木口敏雄さん、和恵さんご夫婦にインタビューをするためはじめて夕張を訪れたのだった。この季節の北海道は雪のため、飛行機の欠航が多いことから、取材前日に札幌入りした。相棒は東本願寺出版部の片山君。同朋新聞関係では、いつも彼といっしょで今年も長崎やら色々と彼と出かけた。でも、まさか彼と北海道でホワイトクリスマスを過ごすとは夢にも思わなかったのだが、色々な出遇いがあってなかなかいい旅であった。

夕張に訪れる前に、北海道教務所と東本願寺札幌別院へ。教務所では所長さんたちとしばし歓談をした。札幌別院では、ご輪番が直々に出迎えて案内をしてくださった。また『さっぽろ東本願寺』の編集責任者と1月号の小生の法話の記事について話し合いをしたりした。別院の本堂に参拝すると、ちょうど大谷婦人会の人たちのお磨きが終わったところであった。「本多先生!」と何人かの婦人会の人に声をかけられ談笑した。遠く離れた札幌で小生に声をかけてくださるご門徒がいらっしゃることは何とも言えずうれしい。ご門徒との教えを通したつながりを感じ、非常に力が湧いてきた。片山君も別院内で、宗務役員の同期とばったり会う。お互い驚きながら、またなつかしく思いながら、その後の歩みなどを話している。小生も片山君も人とのつながりのなかにあらためて自分を見つめるいい機会になった。出遇いはいいものだ。これも別院の土徳なのであろう。

別院を後にして、レンタカーで夕張に向かう。雪が降り続き、気温は日中でも氷点下であった。一面に田畑が広がり雪景色一色で木口さん宅がさっぱりわからない。木口さんに電話をすると、敏雄さんが迎えに来てくれた。そのままご自宅に行かれると思ったら「わしのお寺に行って欲しい」と言われ、お手次寺の長勝寺さんへ。ご住職夫婦がとても歓迎してくださった。お寺と門徒さんの関係が深いのが印象的だった。ご住職から「私どものお寺にもご法話に来てください」と言われ、また一つご縁ができた。

木口さん宅に到着し、いよいよインタビューが始まる。インタビューといってもそんな肩苦しいことではなく、教えとの出遇いなどを語り合いながら、それが自然とインタビュー記事になるのである。家には大きなお内仏と林暁宇先生の掛け軸がある。そして法話をダビングするためのビデオデッキやDVDプレーヤー、カセットデッキなど数十台が置かれている。小生が木口さんに強い関心を持ったのは、今年の4月29日の「暁宇忌」である。その日の「住職の安心して迷える道」には、次のように書かれている。

林暁宇先生の3回忌が東京の真宗会館で行われた。地方から120名、首都圏で60名のご門徒が集結した。記念品のなかに、北海道のご門徒が林先生の法話のDVD5枚を参加者全員に渡されたことには感動した。林先生の法話を聞いてほしいという願いがひしひしと伝わる。林先生は今も生きてらっしゃると感じた。

DVD5枚分をダビングして参加者全員に配ったのが木口敏雄さんなのである。何がそこまで敏雄さんを動かすのかを尋ねたかったのだ。

敏雄さんは、戦後最後の開拓団として横浜から北海道に渡る。昭和25年に父親が亡くなったのを縁に長勝寺門徒となり、様々な聴聞の場で人と出遇う。その始まりが前田政直さんという念仏者との出遇いであった。出遇いが出遇いを生み、林先生や鈴木章子さん、井田ツルさんなど数え切れないほどの念仏者と出遇っていく。小学校を途中でやめて北海道に渡った敏雄さんは、そういう自分に対してどこかわだかまりがあったと言う。しかし、僧伽(サンガ)での念仏者との出遇いを通して、愚かな自分であったと教えられ、愚かな自分のままに如来の深い願いに生きていくようになる。敏雄さんは、教えに出遇うとは、僧伽と出遇い、教えに生きている人そのものと出遇うことだと言い切る。如来の深い願いとは、まさに自分自身の心の奥底にある本来の願いに他ならない。だから願いに目覚めることが救いなのである。教えは常に「願いに目覚めよ」と呼びかける。その声を聞く場が僧伽なのである。

妻の和恵さんとは、北海道で出遇った。和恵さんは実家の聖道門的仏教に傾倒していた父親に反発していたが、縁あって真宗の家に嫁ぐことになり希望を持った。しかし、生活は貧困を極めているなかで、夫の敏雄さんが、多くの人たちに教えを分かち合おうとすることに時間を使っていることに疑問を持ち始めた。そんな中でやはり林先生に出遇う。聴聞をかさねるなかで、林先生から「あなたの人生に何一つ無駄はありません」と言われた。自分の人生を受け止められなかったのに、その一言が和恵さんに大きな転機をもたらした。聴聞を重ねる中で、少しずつ自分の人生を受け入れていき、夫の敏雄さんの教えに対しての純粋な姿勢に感動し、本当の意味で夫についていこうと思ったという。夫の姿に自分の自我が崩れ落ちて喜びを持つようになっていったのであろう。貧困のままに夫婦で助け合い、その基盤を教えに聞くことにおいてきた深い歩みの一端を聞かせてもらったのだった。夫婦そろって「教えを聞かせていただくことによって、夫婦が本当の夫婦になっていくのです」と口をそろえる。貧困であろうと何であろうと如来の願いに生きんとするところに本当の救いがあることに深くうなずいている夫婦の姿があった。だからこそ、敏雄さんはDVDを何百枚ダビングしようと労を惜しまない。教えに対する恩返しという言葉だけでは語りつくせない敏雄さんの腹の座った生きる姿勢を見た。

人間関係が“うそとおべんちゃら”で固まっていて、利用し合う関係でしかない現代の状況のなかで、人間関係が本当に開かれるとは、また完全燃焼して生きるということはどういうことか、あらためて考えさせられた。

取材が終わり、タラバガニをごちそうになった。「カニは、お客さんが来る時しか食べないから」という和恵さんの言葉に、自分は何かとても大切なことを忘れて生きていると直感しつつ、出していただいたカニを味わって食べた。

帰る時間がきた。木口さん夫婦に見送られて、レンタカーに乗り込んだ。手を振る老夫婦を見て、この人たちに出遇えた自分は何と恵まれているのだろうと思った。片山君も同じ気持ちだったにちがいない。木口さんのインタビューは同朋新聞3月号に掲載予定である。

日が沈み札幌にもどる。秩父別の髙徳寺の金倉住職夫婦と息子さん、別院の一色君が、我々のために食事の場を作ってくださった。そこは一色君によく連れて行ってもらうススキノ南3西4ビル6Fの「まさき」という北海道の家庭料理を食べさせてくれるお店。お店のママもフレンドリーで、とてもアットホームなお店である。会話も弾み、今年最後の札幌の夜を楽しんだ。楽しみながら、木口さん夫婦のことも何度となく思い出した。

今回は木口さん夫婦との出遇いはもちろんのこと、様々な出遇いがあった旅だった。取材前日の23日の夜は、旧友と再会し、片山君と3人で食事をした。旧友と学生時代から今日のことまで色々と語り合ったが、やっぱりそのことを通して自分自身を見つめ直せたのであった。旧友もそう言っていた。旧友との会話を片山君は静かに聞いていた。小生らの会話に片山君自身が何かを感じているのだろう。時折、小生らの話に片山君も参加した。彼が旧友と会話をしていることも何とも不思議な光景であった。出遇いとは実に不可思議である。片山君は「僕も旧い友人と会ってみることにします」としみじみ言っていた。

最後に片山君のことであるが、彼は同朋新聞の取材で全国各地を飛び回っているが、いつもとんぼ返りで大変である。24日も無理をすれば最終の飛行機で何とか京都に戻ることはできたであろうが、今年ももう終わり、そんなに無理をしてはいけない。慰労を兼ねて24日は泊まって、翌日に帰ろうと彼を説得した。片山君、今年一年本当にご苦労様でした。来年もよろしくお願いいたします。

〔2009年12月31日公開〕