12月8日(火)〜10日(木) 沖縄で過ごす今年初めての休暇

沖縄伝統の民家。ここは沖縄ソバ屋さんの自宅です
勝連場跡
青い海
今帰仁城跡
今帰仁城のバックも真っ青な海
美ら海水族館
郷土村で
那覇空港のお寿司屋さんで。慶良間島出身の板前さんとは仲良し!

今年もいつの間にか終わろうとしている。来年2月には50歳を迎える。年を取ったのだろうか、だんだん1年が早く感じてきている。それにしても今年もまとまった休みが全くなかった。僧侶には定休日などはないが、それにしても忙しく駆け回った。そんななか、「少しゆっくりしようではないか」と、役職について日々助け合っている4人の僧侶で沖縄休暇を計画し、それが実現した。沖縄を選んだのは、何よりも美しい海と自然に囲まれていてホッとできること、そして異国情緒を持った沖縄の多様性にふれると自分を客体化して見ることができそうなことなどが理由であった。

沖縄は今回で2回目。初めて行った時は「ひめゆりの塔」など沖縄戦の傷跡にふれてきたが、今回はのんびり過ごすということで、世界遺産の琉球王国のグスク及び関連遺産群や美ら海水族館などを見学した。ただ「ひめゆりの塔」に行ったことがない仲間もいたので、そこは必ず行くべきということもあり、最終日はひめゆり組とスポーツ組に分かれた。

さて、沖縄は、中国、東南アジア、日本、アメリカの影響を受けながら、独自の歴史と豊かな文化を作り上げてきた。グスクや郷土村などを見た限りでは、やはり中国の影響が一番強いのではないか。家庭には位牌壇が安置され、儒教色が強く、仏教の要素は見当たらない。古くは15世紀ごろに日本の禅僧が仏教を伝えたと記録にあるが、庶民には浸透しなかったようだ。また、沖縄独特の音楽「琉歌」も14世紀に中国から三線(さんしん)という楽器が伝わってからだから、生活現場では日本より中国の影響のほうがはるかに大きいと実感した。もっとも琉球王国は中国(明・清)に朝貢していたわけだから当然のことなのだと思う。

琉球王国は東南アジアとの交易や中継貿易で栄えて、もちろん日本とも友好的関係があったが、1591年、豊臣秀吉の朝鮮出兵のため、琉球王国に助勢を命じ、島津義久が琉球に出兵したことから日本の侵略が始まるのである。その後は薩摩藩の付庸国となり、中国(清)と薩摩藩双方に属する体制のなかで、独立国家を保っていくが、1879年の琉球処分により、沖縄県が設置され、約450年続いた王国は崩壊し、日本国の一部となる。その後は、戦争に巻き込まれ、現在はアメリカ軍の基地問題を抱えている。沖縄の戦争の犠牲はあまりに大きい。同じ日本人として、やはり沖縄の歴史をきちんと見ていかねばならない。「日本は単一民族」という暴言を吐く政治家が何人いたであろうか。恥ずかしい限りである。

今帰仁城跡の資料館に、源為朝がこの地を訪れたという東郷平八郎直筆の写真があった。源為朝が沖縄に渡るなどとはとても考えが及ばない。源為朝の子孫が初代琉球国王舜天になったとの神話が残されているが、もちろん学術的な裏付けはない。むしろ13世紀に源義経がモンゴルに渡り、チンギス=ハンになったという説と類似性が感じられる。つまり、沖縄も満州ももともと日本の領土であるという考えから生まれたものではないか。そう思うと何か気が重くなった。日本と沖縄は薩摩が侵略する以前は友好的関係であったし、もちろん今は同じ日本人である。くり返すが、本当に我々はもっと沖縄の独自の文化、歴史をしっかり学ばねばならない。沖縄に学ぶことは私たちの姿勢を明らかにすることでもある。

レンタカーで移動したのだが、宜野湾市に入ると、車のナビゲーターの左半分は市街地、右半分が灰色になっていた。この灰色とは今、大きな政治問題となっている普天間基地である。沖縄の多くの人たちは、世界で一番危険な飛行場、基地の県外移設を願っているとニュースでは聞いていたが、現地の何人かの人たちに聞いても、ここは共通している点だと感じた。共通しているが、あきらめ感を持っている人もいるし、積極的に考えている人もいた。70歳半ばのおばあさんが小生にこんなことを話してくれた。「沖縄は戦争が終わった直後にもどって再出発していかねばならないね。アメリカさんが去ると、経済的に苦しくなる部分があるけれど、それは覚悟してやっていく決心が大事です。戦争経験のある人たちが生きているうちに、平和な沖縄を作っていかないとなりません」と。様々な問題を抱えていても、結局根本的な問題解決は基地のない平和な沖縄に他ならないといった強い意志を感じた。他国の侵略や重圧を受けながらも独立を保ち、日本国になってからも戦争の犠牲を最も受けてきた沖縄の人たちの苦悩を代弁していたのだとも思った。ものすごく説得力があり、思わず頭を下げた。平和ぼけしている日本人、でも同じ日本の沖縄で、戦争の惨禍を引きずって苦しんでいる人たちが大勢いることをどう受け止めていくのか。やはり沖縄に学ぶことは自分の生き方を見つめることにつながるのではないか。わが大谷派は、今年になってから東本願寺沖縄別院を開いたが、果たして沖縄の人々の心をつかむことができるか、よくよく沖縄に学び、ゆっくりとかつ積極的に開教していかねばならないだろう。

休暇で沖縄に行ったものの、やはり単なる休暇では済ますことが出来ない、たくさんのことを沖縄から学んだ。とてもいい休暇だった。そして海はきれいだし、料理はおいしいし、何よりも沖縄の人たちが活気に満ち溢れていたことが、今年一年の疲れを癒やしてくれたのだった。

〔2009年12月19日公開〕