10月1日(木)〜6日(火) 札幌別院3支院(山鼻支院・現来寺支院・円山支院)報恩講に出講

札幌別院
山鼻支院
報恩講日程(山鼻)
大逮夜(山鼻)
慰労会(山鼻)
現来寺支院
初夜後の懇親会(現来寺)
御満座(現来寺)
ご門徒の御礼言上(現来寺)
御満座法話(現来寺)
慰労会(現来寺)
円山支院
初夜法話(円山)
初夜後の懇親会(円山)
ご門徒の御礼言上(円山)
慰労会(円山)

10月1日〜6日まで札幌別院の3支院の報恩講を次々と巡回し、法話をさせていただいた。

9月30日に札幌入りしたので、6泊7日札幌で過ごした。

札幌別院(本院)は、6つの支院(他に、北三条支院・豊白支院・北支院)を抱えている。支院を抱えている別院は少数で、名古屋別院、難波別院などの一等別院でもせいぜい1支院だが、札幌別院の6支院、函館別院の5支院というのは極めてめずらしい。

1、2日は山鼻支院、3、4日は現来寺支院、5、6日は円山支院という順で巡回した。支院報恩講の日程は、〈初日〉午後1時30分 大逮夜(法話2席)、午後6時 初夜(法話1席)、〈2日目〉午前7時 晨朝(法話1席)、午後1時30分日中〈御満座〉(法話1席)が基本になっている。支院によっては初夜の時間が若干早まったり、また追弔会の法要を営む場合もある。大逮夜と御満座には別院のご輪番が出仕され、厳かにかつ盛大に勤められる。法話は各座に必ずあり、実に北海道らしい。

支院には別院から派遣された主任と補佐がおり、支院の教化活動等の責任を任されている。主任夫婦は支院に住んでおり事実上、支院の住職的役割を荷い、主任の妻は坊守の役割を荷う。そこに役員や婦人会のご門徒たちが集いお寺を支えている。まさしく真宗の末寺寺院の原型的姿がある。報恩講中のお斎はすべてご門徒が協力して作る。また、初夜終了後は懇親の場が設けられ、お酒を飲みながら懇親を深める。全日程終了後には、慰労会があって、無事報恩講を厳修できたことを喜び合う。

法要だけが報恩講でなく、すべてが報恩講のなかの出来事、南無阿弥陀仏のなかの出来事なのである。ご門徒と朝食を共にしたり、懇親の場で語り合ったりすることによって、関係性を構築していくのである。初夜は別院の若い列座の人たちが中心となって勤まり、その後の懇親会では、ご門徒に顔を覚えてもらったりと、親交を深める機会として、若い列座の人たちのためにもうれしい座である。そこにご輪番もいっしょになって、ご門徒と語り、若い列座の子に語りと、3支院とも本当にいい雰囲気であった。

人間模様が見える。報恩講全体の流れが見えることはとても大切だ。それは皆が参加し、皆で創るからだ。報恩講は真宗門徒にとって、最も大切な法要である。真宗門徒全員で創る報恩講こそ真宗寺院の真骨頂であろう。

また、各支院を巡回して感じたことは、どの支院も個性的で独自性をもっていること。没個性、画一化されている社会にとって、学ぶべきことである。支院の雰囲気は、どんな主任であるかによるところも大きいし、それを取り囲む門徒さんによってもちがってくる。やはり住職の責任は大きいし、お寺は常に住職一代勝負の場だと思う。

山鼻支院の主任斉藤さんは新婚ホヤホヤで、主任として迎える初めての報恩講でとにかく必死。奥さんは在家の方だから特に緊張していたが、必死に動き回る姿がとても初々しかった。それを婦人会のご門徒がしっかり支えていた。山鼻支院は実に素朴でよかった。

昨年、ご修復が終えたばかりの現来寺支院の主任は青木さん。青木さんは今回が2度目の報恩講、2回目だから落ち着いており、支院発展のために新たな試みも色々されているようだ。1歳数ヶ月の男の子がいて、奥さんはお腹に2人目の赤ちゃんを抱えながら動き回る。元気いっぱいの門徒さんが多く、新たに加わった若い門徒さんも目に付いた。

円山支院の主任は一色さん。一色さんは東京2組浄林寺の副住職で、小生の寺とは相手次の関係で、お寺の法事は勤め合いをしている。東京のお寺同士が、円山支院で出迎える側と出迎えられる側になって報恩講を勤める。不思議なご縁である。一色さんは別院の大ベテラン、山鼻、現来寺の若々しい主任さんとはちがって、貫禄そのもの。まるで円山支院に20年以上住み着いていたかのような住職という感じで、彼を核に支院がまとまっていて、彼の行動を察知して動く奥さんもベテランでしっかりして個性的だった。かといってやはり個性的な門徒さんがたくさんいて、支院を支えているところがやはりすばらしいし、大切なところだと思う。円山支院の大逮夜と初夜に、夕張からわざわざ木口さんという念仏者が聴聞に来てくださり、後輩の大聖寺君が友人の結婚式があった翌日ということで、大逮夜に来てくれた。こういうことも実にうれしいことだし、だれでも出入りできるのがやはり真宗寺院の特徴だろうと思う。

今回、法話で感じたことは、3支院それぞれのご門徒の前で法話させていただくので、基本的には同じ内容で行く予定であった。ところが、支院の雰囲気によって、話す内容がちがってきたり、最初から別の話をしたりした。場のはたらきが小生を引き出し、その中で小生が話したいと思ったことが思いもかけず法話という形となった。法話は自分が話すのだが、それを自分が聞くということがまず基本である。だが、門徒さんとか場の雰囲気とかまったく関係なく話すということではない。場のはたらきのなかで、小生自身がお育てをいただき、自然と法話内容が変っていったのである。門徒さんから見出された結果の法話、それはまさしく私が聞く法話である。その私が聞いた法話をご門徒もそれぞれ聞いてくださるのである。自分で予定した法話ではなく、場のはたらきによって見出された法話の重みを感じたことであった。やはり、法話は生きものである。

それぞれの支院の門徒さんは温かかった。温かみのなかに様々な苦悩を抱えていることも感じた。各支院で皆さんにお別れするのが本当につらかった。特に円山支院は3支院の最後なので、門徒さんに手を振られたとき、ちょっとぐっときてしまった。別院の車で空港に向かう時は本当に帰りたくなかった。来年は北三条支院・豊白支院・北支院の報恩講に出講することになっている。またどんなご門徒さんたちに出遇うか今から楽しみである。

またこの1週間、支院の外でも、多くの方にたらふくお食事やお酒をごちそうになった。ご輪番まで気を使って、食事の場を設けてくださりありがたかった。小生の好物を知っておられてお寿司屋さんにご案内してくれた。それから、S.A.さん、Y.I.さん、T.K.さん、To.Kさん、K.A.さん、H.O.さん、本当にごちそうさまでした。

追伸 若い列座の人たちは本当によく動き、ホテルへの送迎やら、さまざまなご接待をしてくれました。本当にありがとう。本院の報恩講が終わるまで大変だけど、気温も低くなってきたので、インフルエンザにはくれぐれも気をつけてください。
そうそう、G.T.君、結婚おめでとう。円山支院でフィアンセの顔を見そこなったのが心残りです。今度、紹介してね。

〔2009年10月8日公開〕