8月22日(土)〜24日(月) 再び北海道秩父別へ ─真宗仏事は報恩講と帰敬式(得度)に極まる─

初日の昼食です。懇親会を除いて、毎食、すべてご門徒の手作りの精進料理です。すごい!
お祝いの懇親会で挨拶する息子さん
ご門徒さんも喜びの祝辞
懇親会の様子
懇親会の二次会は外へ繰り出して。若い人が多いでしょ?
大逮夜での法要の様子

* 今回、カメラの調子が悪く、小生の法話も撮っていただいたのですが、なぜか消えていました。でも今回は、門徒さんと一体となった高徳寺さんの報恩講の雰囲気が少しでも伝わればと思っています。

昨年の3月の永代経法要で法話をさせていただいた秩父別の高徳寺に再び出講した。今回は報恩講である。昨年以来、ご住職には公私共々お世話になり、また坊守さんをはじめご門徒が待っていてくださることに何かうれしさを感じながら高徳寺へ向かった。冬は雪で見えなかった境内の全景を目の当たりにし、あらためて北海道のお寺の大きさを感じた。屋根も修復され、風格ある見事な本堂であった。暑い東京とはまったくちがって、北海道はすっかり秋であった。

北海道というと法話の数が多いところだが、高徳寺さんでは3日間の報恩講期間中に全部で10席の法話の時間が用意されていた。お手伝いのご門徒の方々は30人はいたであろうか、3日間身を粉にしてお寺に尽くされていたが、20代の若い人たちもお手伝いをしているところにこのお寺の住職さん、坊守さんの魅力を感じた。また僧侶はどの法座にも10数名の出仕者があり、大逮夜には何と19名の出仕であった。法要は晨朝を除けば、常に80人以上の参詣者で、大逮夜などは100人を超えていた。秩父別の人口は2800人であるから、それを考えるとものすごい参詣数である。東京は報恩講が形骸化し、参詣者が減ってきていると言われているが、門徒さんと一体となって3日間勤まる高徳寺の報恩講には学ぶべきことが多く、また目からうろこという場面に何度も出くわした。今回の法話の一貫したテーマは、本当に救われるということはどういうことなのかを明らかにし、また真宗の仏事はその救いをいただいていくことに尽きることをお話しさせていただいた。

22日の初逮夜から報恩講がスタートした。初逮夜では、21歳になる息子さんの得度報告法要があわせて厳修された。お寺の息子はだいたい9歳で慣例のように得度をするのであるが、彼は自分が本当に教えに生きようと感じるまで、長い時間をかけながら、ついに得度したのである。息子さんは、様々なことがあった自分の人生を振り返り、不安を持ちながらも、釋を名のる仏弟子として生きるほかに道なしと決意したのである。この仏弟子誕生の儀式が得度であり帰敬式である。彼の姿を見て、人間は悩みを抱えたり、挫折することがいかに大切かを教えられた。苦悩や挫折はつらいものだが、そこに大きな意味があると証明されたのが親鸞聖人である。その親鸞聖人の報恩講のなかで彼が門徒さんに得度した報告をし、仏弟子となれるかどうかの不安のまま踏み出した彼の姿をご門徒一同が喜び、また涙を流されるご門徒を見て、高徳寺の歴史的な報恩講に身をおかせてもらっているのだと厳粛な気持ちになった。ご門徒も息子さんの歩みをよく知っていたのである。そこには本来の真宗寺院の姿があった。息子さんは外陣に座り、はじめての導師を勤めた。同じく外陣に出仕しているご住職の顔は見ることはできなかったが、参詣席に座っていた坊守さんは、息子さんの調声(導師が一人で声を出す場面が何回もあります)を心配そうに、また今までの息子さんのことを思い出しながら緊張されている様子がよくわかった。息子さんは音楽をやっていることもあって立派な調声であった。喜びと緊張感につつまれていた中で、小生も感動をもって法話をさせていただいた。

夕方からお寺でお祝いの懇親会。100名以上の門徒さんが杯を交わし喜び合った。その席で息子さんはご挨拶。緊張しながらも不安のままに歩み出す決意を述べられた。その時のご住職の顔が忘れられない。一番喜んでいたのはご住職だった。多くのご門徒さんに「住職が一番喜んでいるのでないか」とからかわれながら酒を交わしていた。23日の晩のことであるが、酒を飲みながら、ご住職は得度した喜びを息子さんに語りかけたとき、思わず涙を流していた。親子で苦労しながらここまで来たこと、でも息子さんを信じ、息子さんのすべてを認めているご住職、それを聞いて同じように思わず涙を流す息子さん。なんという素晴らしい報恩講であろうか。教えに生きようと決意した得度や帰敬式は、仏弟子を名のった深い感動を与えるのだろう。そして、仏弟子となれるかという自分への問いかけも生まれてくるのだと思う。

さて、報恩講中に物故者追弔法要が23日の午後7時から厳修された。そこにははじめて見た光景があった。堂内は真っ暗で、ただ内陣に朱蝋がともされていた。外陣では、真宗宗歌、恩徳讃、四弘誓願などの音楽が流れるなかで、遺族一人ひとりが焼香台の前に蝋燭をともしていくのである。50〜70本ほどの蝋燭がともされ、それが夜の静けさが実にマッチして、ある意味幻想的でもあった。それが終わると蝋燭の光だけで、10数人の僧侶による伽陀、阿弥陀経の読経が始まった。阿弥陀経が終わると電気がつけられ、正信偈・同朋奉讃が始まり、ご遺族は焼香を始めた。できれば我が寺にも取り入れたいものである。夜の静けさのなかでの法話もご遺族との一体感のなかで出来た。報恩講というのは宗祖親鸞聖人限定のものではなく、亡き人は諸仏であると深くいただくこと、そのことがそのまま亡き人への報恩講であるということをお話しさせていただいた。亡き人をご縁として自分自身が教えに出遇うことが、亡き人への讃嘆供養である。

最後にもう一つはじめて見た光景がある。24日の報恩講ご満座が厳修された後、外陣の最前列に小生を真中にして出仕僧侶が参詣席の方に向いて座った。参詣席側の先頭列にはご住職、坊守さん、ご家族、そして責任役員、総代さんなど役員が座り、後方には参詣者が座って、我々僧侶に対して、報恩講が勤まったことの礼を述べられる儀式があった。こういうご挨拶はとても大事なことであり、報恩講そのものが実に締まった感じを持つことができる。ご住職は息子さんが得度した喜びと同時に、ご住職が若いときに亡くなったご尊父の「お寺に一人でも多くのご門徒をお呼びして、教えを聞いていってほしい」という言葉を紹介したとたん、大粒の涙があふれ泣き出した。ご自分自身が養子として高徳寺に入り、苦労しながら父の言葉を守り続け、それをまた息子さんが継承しようと決意された報恩講は格別なものだったにちがいない。ご住職の涙は本物であった。ご門徒の多くも涙を流していた。まさしく高徳寺の歴史的な重みをもった涙、涙の感動の報恩講であった。物故者追弔法要と報恩講終了のご挨拶の写真があれば、もっとリアルに伝えられるのだが、それがちょっと残念だった。真宗の仏事は報恩講と帰敬式(得度)に極まる。それはあらゆる真宗仏事は報恩講と帰敬式の精神によって成り立っていることに他ならない。共同体が崩壊し、真宗の伝統のうすい東京だからこそ報恩講と帰敬式の精神を伝えていきたいと気持ちを新たにした。

〔2009年8月29日公開〕