1月20日(火) 現代人が見失っているもの

熱く語り合う 出蔵さんの仕事場。木が生きている

宗門関係の仕事で、日帰りで石川県へ。石川県の美川(白山市)に、木と対話し、木の良さをそのまま建築に生かしながら情熱をかけて仕事をしている真宗門徒の大工さんがいるというので、その大工さんにインタビューするため、飛行機で小松空港に向かったのだった。空港で光闡坊の佐野明弘さんと出版部の片山君と合流し、佐野さんの車で美川に向かった。

石川県は市町村合併が激しく、小生には地名がよくわからなくなってしまっているが、とりあえず美川は白山市に属していることを始めて知った。美川といえば、マスコミでも「美川 県一の町」という大きなたて看板が紹介されたが、静かな町の中に、黄色のその大きな看板はひときわ目立った。写真を撮るまでもないと思ったが、今となっては撮っておけばよかったと思う。美川憲一さんがこの町の出身者であるわけではないが、美川憲一さんになぞらえて、「美川は石川県一の町」とちょっとジョークまじりの宣伝をして、なんとか町を活性化させたいということであろう。今日はオバマ氏の大統領就任式(日本時間21日)だが、お隣の福井県の小浜市はオバマフィーバーでにぎわっている。このような美川町や小浜市の現状を考えてみると、市町村の生き残りが大変熾烈になっているとのだと感じたことである。

さて、本題に入ろう。ただ、今回のインタビューは記事になって本山の同朋新聞4月号に掲載する予定でいるので、あまり書きすぎては宗門に申し訳ない。ここでは小生の所感を中心にちょっとだけ書き綴ってみることにする。

その大工さんの名前は出蔵(いづくら)喜八さん。実に大工さんらしい名前だ。年は小生の10歳ほど上である。4時間におよぶインタビューというか、語り合いのなかで、いかに木を愛し、木造りの建築にこだわりをもっている大工さんであるかを知り、深い感銘を受けた。

現在の家建築は木造りではなく、プレカットが主流である。つまり加工して出来上がっているものをはめ込んでいくという建築である。そういう経済政策のもと、大量生産の合理化を基本とし、スピード重視する社会的風潮が大工さんの世界にも押し寄せているのだと感じた。そして関税の問題が絡んでプレカットされたものは外国で作られ、それが日本に入ってくる。この状況はこの5年すさまじいスピードで進み、結果、美川の町でも、建具木造りにこだわる職人は今や喜八さんだけといってもよく、また建具屋さんも左官屋さんもその職を失いつつある。これは美川だけでなく全国的な状況である。手間をかけずに合理化が進んだ結果としての状況がまさにこの美川にも現れているのである。しかし、合理化がはたして人間を豊かにしたのだろうか。

近代は合理的ものの考え方によって形成されたといってよい。事実をありのままに受け入れるのではなく、まず観念的にせよ、事前に人為的に計算されたものを現実的にあてはめていく発想である。ドイツの各家庭の屋根がみんな同じ角度をしているのもそのことによるのであろう。機械は決まった枠しか仕事が出来ない。つまり、まずものさしを決めてから発想するわけだから、そのものさしにすべてあわせようとする。しかし、木ひとつとってみても、それぞれの木の特性があり、その特性が生かされて、ひとつの家が建てられていることを喜八さんは大切にする。従来の日本の屋根はそれぞれの家で微妙に角度が違っているのは、その木の特性を生かしているからに他ならない。

最近は耐震が問題になっており、耐震に合格することが前提となっている。それは大切なことだが、耐震にとらわれると、木の特性を無視して、木と木をのりではりつけて強固なものを作り上げる。しかし、強固なのりには寿命があり、今、合格しても5年後は果たして保証されるかわからない。そのことはすべてボルトを使うことが基本となっている現代の建築にも表れている。木は生きている。ボルトは西洋から導入された金属であり、木の状況によっては緩んでしまう。むしろ、木の特性を生かし、釘を使わない日本古来の木と木を組み合わせたやり方のほうが耐震にも強いのではないだろうか。

喜八さんは、ボルト使用について、ボルトは陸梁に代わるほどの強度は不可能であると言う。昔ながらの木組構造に学びながら新たな木組が発想できるとも言っている。最近の家造りは、早く完成させることだけを求め、また求められるなかで、ボルトと簡単な仕口でものを造ってしまうのは、ただあせくって死を急いでいると言う喜八さんの警鐘は大切にいただかねばならない。

もう少し喜八さんの考えを披露しよう。木造建築に使う木が育つには、何十年何百年かかるから、その木を使う時には、その木の育った時間の長さで、木のリズムで使うべきだと。例えば、現代は木材を人工乾燥して柱などに使うのが当たり前になってしまっている。昔から、10年20年水に漬けたり雨ざらしにして、自然の力を利用して乾燥したのである。今は腐らないように薬品漬けにして使う。そのために新たに問題になっているのがシックハウス症候群である。最近のその対応として、全室強制換気することが法律で決まった。だが、もし昔ながらの土壁で、自然乾燥した木を使い、ベニヤ板でなく本物の木を使って家を建てれば、家は呼吸しシックハウス症候群も起こらない。そして100年、200年びくともしない家が建つということである。家と言っても、木々はそれぞれの役目をもって調和しいて一つの家を造っている、つまりささえあっていると喜八さんは力説する。

喜八さんの話を聞いていて、大工さんの世界に疎い小生でも、次のことははっきり言うことができる。合理化は一面的であり、それによって非合理が生み出されているのではないか。左官屋さんしかできない仕事、建具屋さんしかできない仕事が、すべて合理化のもとで消え去ろうとしている。これはもちろん建築の世界だけの話ではない。合理化の正体は排他であり、ありのままにそのまま受け入れる視点が欠如している。コストダウン、大量生産の経済優先政策という合理化のなかで、人間と人間の関係が遮断され、また自然との関係も遮断されてしまっているのはまぎれもない事実である。そのなかで大切なものが見えなくなってしまっている。

その価値観のなかで、喜八さんの大工根性には教えられる。大工としての喜びは、自分が死んでも、自分が作ったものが残り継承されることにあると言う。目先のことではなく、永遠を相手に大工として生きている喜八さんの姿がある。以前は、大工という職業を持つことで、その人の人生観、生き方すべてが見えたのではないか。今や職業はお金を得る手段でしかない。お金は大切である。しかし、お金だけでは語りきれない人間のあり方がそこにあるのであろう。

では、僧侶はどうであろうか。たまたま寺の住職をして、法事を勤める形だけの僧侶なのか、教えに生きている僧侶なのか、大変大切な問いである。僧侶も時代社会に埋没し、経済生活を成り立たせるだけの僧侶しかないならば、寺院離れは益々進むであろう。

喜八さんは、商品化され、目先の利益しか考えないあり方について、それは永遠を的にしている念仏者になっていないからだと目を輝かせて言った。この言葉が4時間語り合った中での一番言いたかったことであり、小生自身に響いた言葉である。

小生は現代の建築について、えらそうに能書きをたれる資格などない。ただ、喜八さんの大工さんとしての姿勢を通して、合理化の名のもとに、現代人の見失っているものをあらためて考えさせてもらったのである。北陸の地で念仏に生きる人とまた出遇うことができた。念仏の世界は無限である。

〔2009年1月23日公開〕