11月26日(火)〜28日(木) 雪景色が広がる念仏の土壌

一面雪景色の樺戸郡 樹教寺 小生の法話 樹教寺から見た夕暮れの景色 帰敬式の様子

2005年7月に札幌別院の暁天講座で法話して以来、北海道での法話依頼が急増し、今年も何度となく北海道へ訪れた。

今年の北海道の最後の訪問地は樺戸郡新十津川町の樹教寺さんで、「御正忌報恩講及び永代経法要」(3日間)で法話をさせていただいた。新千歳空港に着くと、初日だけ樹教寺さんの法要に出仕する札幌別院の一色君がわざわざ迎えに来てくれていた。彼の車で樹教寺さんに向かった。

樺戸郡というと、最寄りの駅で言うなら砂川か滝川で、札幌と旭川の間の山に囲まれた水田地帯である。札幌はたいした雪ではなかったが、岩見沢を過ぎたあたりから様子も一変し、銀色に輝く雪景色が広がっていた。北海道は本州からの多くの開拓民が入っていったわけだが、この新十津川という地名は、奈良県の山奥の十津川村に由来している。人口は8000人あまりの町であるが、ほとんどが真宗門徒であり、真宗の伝統が継承されている。樹教寺さんの大きな行事には門徒さんが当番制でお手伝いをする。今回の法要でも、毎日ちがうご門徒さんたちが午前中からお寺にやってきてお昼のお斎の用意をしていた。すべて手作りの精進料理である。ちがう門徒さんが作るから、毎日ちがった心温まる味の精進料理をいただくことができた。水田地帯だけあって、とにかく新米がおいしい。門徒さんたちはみんな素朴で、とても温かく小生を迎えてくれた。樹教寺の住職さん、坊守さんに対する信頼とお寺を大切にする姿勢がそのまま小生に対しても表れているのだと感じた。朝と夜は坊守さんの手料理で、夜は住職の浅野俊道さんと杯を交わした。樹教寺さんの行事の多さには驚くばかりである。門徒さんが食事の支度をする行事だけでもいくつあるかわからない。それだけお寺と門徒が一体になっている。まだまだこういう伝統が残っていることが何かうれしくて仕方なかった。食事後、1時より法要、そして法話(2座)と続く。

この法要期間中に「帰敬式」が行われた。樹教寺のご門徒は、今まで本山か札幌別院で帰敬式を受けていたが、今回から樹教寺さんでも帰敬式を執行することになり、23名のご門徒が受式した。帰敬式は法名を名のって、仏弟子が誕生する真宗門徒にとって人生最大の儀式である。自分のお寺をこよなく大切にする人たちばかりの帰敬式には、本山とはまたちがった独特の雰囲気があった。ご門徒一人ひとりに喜びと感動があり、一人ひとりさまざまな問題を抱えながらも、この五獨悪世を生きていくには、「釋」を名のる仏弟子として生きるほかに道なしという決意が感じられた。

小生はお寺の息子ということで、9歳の時、得度して(させられて)法名「釋徹照」をいただいた。何の感動もなく、頭を剃ることがいやで仕方がなかった(真宗でも、親鸞聖人の得度にならって、得度の際、男子は頭を剃る。女子はしないでよい。また、帰敬式でのおかみそりは実際には行わず剃髪の真似事をする)。だから発心があって得度したのでも何でもない。しかし、お寺がいやで色々悩みながらも、衣と袈裟に縛られ続けてきたことが、お寺を継ぐ決心をすることになり、今こうしてご門徒と出遇い、共に教えを喜ぶことができる自分がいるわけである。実に不可思議なことである。そう感じると、あの9歳の時の得度が小生の発心であると言えるのではなかろうか。発心は自分でおこすものではない。発心は如来の本願力回向である。今こうして樹教寺さんの帰敬式に身を置かしてもらっていると、そう感じずにはいられない。「釋徹照」の「徹照」とは、「徹底的に教えに照らされないと救われない私」といただいている。迷い多き人間に本願が寄り添って呼びかけ続けてきたのが本願の歴史である。小生も本願を証明する一人なのである。

樹教寺さんの法要に身を置いていると、一昨年亡くなった留萌の岡本俊彦さん(94歳)のことを考えずにはおられなかった。小生は岡本さんとは面識がない。今年9月に発行された『仏教念仏学校』(教育新潮社)で岡本さんの文章を読んだのだ。岡本さんが生まれたのは、貧しいなかにもお内仏中心の念仏の薫りのする漁師の家であった。祖父は開拓民として北海道に来るときにお内仏(仏壇)を背負子で運んできた人で、そのお内仏の前で「今日も殺生した、勘弁してくれ」と頭をさげては念仏する人だったという。お母さんは岡本さんを産んですぐに亡くなってしまうが、仏縁で結ばれた新しいお母さんの念仏を聞きながら育った。村の大人からまま母だと言われることに憤慨し涙を流しながら、将来、母を楽にさせたいと鉄道員を志す。両親が熱心な念仏者であったことから、法座のあるときはお寺によく通ったそうだ。旧国鉄に勤めて10年目の秋、念願かなって家族パスをもらい両親と京都の東本願寺に参拝する。母親の喜ぶ顔を忘れることが出来ないと言う。「銀鱗が煌く古里は私を育ててくれた、念仏の土壌だった」と岡本さんは自分の全人生にまるごと感謝して浄土に還っていかれた。小生は本願の歴史において、岡本さんに遇うことができた。岡本さんのような人はこの樺戸郡にもたくさんいるのだろう。名もない念仏者が真宗の教えを伝えてくださったのだ。

最後の法話が終わって、小生はご門徒の顔を見ることができなかった。小生の発心は9歳の得度の時であったことをこのご門徒の皆さんが教えてくれた。

帰りは副住職さんが、砂川駅まで送ってくれた。山に囲まれた静かな樺戸郡。そこは雪景色が広がる念仏の土壌だった。

〔2008年12月1日公開〕