10月7日(火) 鹿児島での研修会

櫟暁先生 研修会の様子 記念写真 霧島山上ホテルより見る桜島 霧島と生駒高原 生駒高原のコスモス畑

東京2組の若手の会(二聞会)と帰三宝の会の合同研修会が、鹿児島県日置市吹上町の法泉寺で行われた。法泉寺とは櫟暁先生のご自坊である。法泉寺に参詣するのは2度目である。

少し櫟先生の紹介をしておこう。先生は、曽我量深先生を通して本願念仏の教えにふれられ、絶望の人生から自分を受け入れて生きていく道を見出だされた。そのような先生の求道の歩みをぜひ東京の若い僧侶に伝道していただきたいとの願いから、1986年に、東京教区に開講された伝道講習会の講師を、また練馬にある東本願寺「真宗会館」が設立された1989年に、本山の教学研究所所長であった先生に首都圏教化教導をお願いし、東京教区の僧俗に広くご教示いただいた。伝道講習会に情熱をかけられた先生は、1991年、教化研究室の開設に当たり、主幹・専任講師も務めてくださった。そして、すべての職を辞任された現在でも、85歳という高齢でありながら、月1度、東京で各法座にご出講されている。小生も「信巻聴記輪読会」と「帰三宝の会」に出席して先生の講義を聞かせていただいている。

小生が現在こうして住職を務め、教えを聞く身にさせていただいているのは、そもそも先生との出遇いがあってこそのことなのである。お寺を継ぐことに疑問を持ち、教員の道を選んだ小生だったが、伝道講習会に参加し、続けて教化研究室に加わった。「南無阿弥陀仏がなかったならば、この私の人生は成り立たなかった」という先生の言葉の背景を聞き開いていくなかで、真宗の教えに少しずつうなずくようになり、お寺を引き受けていくようになったのである。

今回、東京2組の若手の会の研修旅行を鹿児島で行うことになり、先生のお寺に参詣し法話をいただく計画が立てられた。せっかくの機会なので、小生は帰三宝の会のメンバーにも声をかけ、合同研修会となった。櫟先生は、「わざわざ来ていただいたのだから、いつまでも残る話をしなければなりませんね」とおっしゃって、選択本願と欲生の問題を中心にご講義くださった。

〈浄土真宗とは宗名ではなく、真実の教えという意味で親鸞は用いている。真実の教えとは弥陀の本願を説く『大無量寿経』であることは言うまでもない。そして、親鸞は「選択本願は浄土真宗なり」と押えた。選択本願とは、我々が選ぶのではなく、我々が仏の智慧を選びとられること、つまり仏が我々に向かって呼びかける願いである。選択とは摂取であり、善妙なるものを選取し、■悪なるものを選捨することである。親鸞は「選択摂取したまえる第十八願の念仏往生の本願を信楽するを、他力とは申すなり」と言っている。信巻の中心課題は至心信楽欲生の三信にあるが、特に曽我先生は「欲生」について、欲生を如来の呼び覚ましの声であることを強調された。如来の本願力回向である。〉

* 「■」は「鹿」が3つの字 →

このことについて様々な角度からお話しくださったが、親鸞以前の浄土の教えは完全に死後往生であったといっていい。本質的に三毒の煩悩を持った人間の迷いがなくなるということはない。だから救われるのは死んでからだと、死んでから浄土に往生するのだと説かれてきたのだろう。しかし、親鸞は、今、ここに生きている苦悩多き我々が、本願の教えに呼びかけられることによって、仏の眼をいただいて生きることができることを証してくださったのだとあらためていただき直した。今ここに浄土の功徳をいただくのである。死んでから浄土に行くのではない。質疑では、欲生心とは回向心であること、今この苦悩の身に、願がはたらく(法蔵願心)ことについて話し合った。

前坊守さんも現坊守さんも、また数名の門徒さんも法座に身を置いていらっしゃった。先生の御家族にもお世話になっているからか、とてもアットホームな感じのする研修会であった。

先生が情熱をかけた伝導講習会の道場長を小生がさせていただいていることが何か不思議であった。先生にはとても及ばないが、先生から教えていただいたことの少しでも継承していきたいと思う。先生とはいずれ今生の別れをしなければならない。しかし、大切な先生が亡くなられても、なお残るものは、先生を先生たらしめた本願の呼びかけである。本願の歴史(伝承)に学び、それを我が身の上に明らかにする(己証)ことが小生自身に深く呼びかけられていることを感じた。

研修後、いくつかのグループに分かれたが、小生は霧島温泉に泊まるグループに加わった。いっしょに聞法した法友と露天風呂に入り、酒を飲み交わすことは実に楽しいひとときだ。部屋から大自然の霧島の景色をゆっくり眺めた。遠くに桜島が見えた。このところ多忙に多忙を極めていて、自然の中に身を置く時間がもてなかったので、何かとてもうれしかった。翌日は、短い滞在時間の中で、生駒高原(宮崎県)に立ち寄った。風格ある霧島を囲むように一面コスモス畑が広がっていた。どんなに忙しくても立ち止まる時間を持つことだ。何をそんなに急いでいるのだろう。もっとゆっくり歩いていきたい。そんなことを思った。

〔2008年10月10日公開〕