9月2日(火)〜3日(水) 本山「同朋会館」へ出講

本山・東本願寺内にある「同朋会館」 教導室。松井憲一先生と 晨朝法話 御影堂の修復も完成に近づいています

同朋会館教導として、本山・東本願寺の同朋会館へ出講した。同朋会館は、全国から集まるご門徒の奉仕団の聞法宿泊施設である。各奉仕団には、それぞれ同朋会館教導と補導が就く。同朋会館教導とは、かたくいえば奉仕団の方々へ法話をしたり、座談で語り合ったりするのであるが、けっして奉仕団を教え導くということではない。そう思って教導を務めている人は教導とは言えない。教導自身が、奉仕団の人々から多くのことを教わるのである。今回も奉仕団の人々と関わり、様々な人と出遇っていかないと、小生自身が思考停止になるというか、だめになっていくと思い、多忙の中であったが教導を引き受けたのだ。補導とは、奉仕団のお世話役といっていいが、補導さんもきちんとした視座を持っているならば、自分自身が教えられるために関わりたいという気持ちだと思う。教導は時には晨朝法話や帰敬式の法話を務めなければならない。今回は研修部から晨朝法話を依頼された。晨朝法話は独特の緊張感があるが、全奉仕団、修練生、一般参詣者の前で心静かに法話をさせていただいた。

さて、小生が担当させていただいた奉仕団は、三河のお寺(愛知県・岡崎教区)の世話方奉仕団であった。日程は次のように進められた(奉仕団には1泊2日と2泊3日のコースがある)。

2日11:00奉仕団結成式
12:00昼食
13:00参拝・諸殿拝観・記念撮影
14:00オリエンテーション
座談
16:30夕事勤行 感話
17:30夕食
18:30講議
19:45座談
21:45入浴 就寝
3日5:50起床 掃除
7:00晨朝勤行 法話 帰敬式
8:30朝食
9:20清掃奉仕(御影堂門)
御修復現場視察
10:40まとめの講義
11:20奉仕団解散式

このお寺はしばらく住職が不在であったが、新しく住職を迎え、これから本格的なお寺作りをしていく基礎を作りたいという願いで、住職と世話方さんで上山(本山に来ること)された。責任役員の方は年に数回上山している聞法者で、親鸞聖人の御真影の前に身を置くことの大切さを世話方さんに呼びかけ続け、その願いが実ったわけだ。小生の父が豊田市の浄覚寺から蓮光寺に養子に入ったこともあって、三河弁が飛び交っていると何かとても親しみを感じた。

三河は真宗の伝統が生きているところである。子どもたちもお寺に集い、「正信偈」を学んだりしているそうだ。しかし、一方では、伝統も崩れかけてきていることも事実で、ひとつの正念場に立たされているという感じを持った。座談では、お寺をささえていくということは、教えを伝えていくことに他ならないから、世話方自身が聞法し、多くの人が教えに出遇っていけるような縁作りをしていこうということなどが座談で話し合われた。それを受けて「私にとっての本尊」というテーマで講義(というか法話だ)をさせていただいた。奉仕団の方々と語り合っていくなかで、「お内仏の生活」がいかに大切であるかを改めて痛感した。お内仏中心の生活とは、生活現場で教えがよりどころとなっているということであり、いつも迷う私の姿が問われているということだろう。戦後の日本は、快適さや便利さを追求してきた。その結果、家庭のあり方も経済的価値観と人間の欲望が支配する空間に変ってしまったといっていい。しかし、それはけっして人間を豊かにはしなかった。それどころか、現代人は生きるよりどころ(立脚地)を失って、不安、孤独、空しさを感じて生きている。現実に真向かいになって、どんな状況におかれようとも、この人生を尽していくことができる真のよりどころが、わが身の上に明らかになっていくことこそが救いではなかろうか。その真のよりどころを「浄土」としてよびかけられてきたのであり、そのことを明らかにしてきた場所が「お内仏」であるのだ。そんなこともあって、晨朝法話では「現代の問題とお内仏の生活」ということで法話させてもらった。奉仕団に関わることで小生自身に問いが与えられることが何とも心地よい。

今回の出講では、他にもうれしいことがあった。教導室は7室ほどあると思うが、大体2人の教導で一部屋となる。今回、東京教区の同朋大会の講師をしてくださった松井憲一先生と同室になったのは、かけがえのないご縁であった。松井先生は、教えを日常語で語りながらも、実に深い話をされる先生だ。仏教用語を羅列してさっぱりわからないということではなく、かといって平易に語って中身が薄いということでもない。平易に語っていて、実に教えの深いところまで表現されている。同朋大会で松井先生のご法話を聞いた小生は、終了後、松井先生に頭を下げにいったぐらいである。その松井先生と同室になって、真宗について語れるなんて本当にありがたいご縁だった。松井先生に「明日の晨朝法話はよく聞かせていただきます」と言われたが、実に心地よいプレッシャーだった。松井先生にはぜひ蓮光寺にも法話に来ていただきたいとお願いもした。さすがにお忙しい先生であり、報恩講シーズンは予定がつまっているようだった。報恩講はあきらめたが、「真夏の法話会」か「成人の日法話会」には来ていただけるということなので、後日正式にご依頼してみようと思う。

真宗に生きる全国のご門徒と遇い、尊敬する先生と遇い、小生は幸せ者だ。寺を継ぐのがいやだったのに、寺を継いだから出遇えた人たちがたくさんいる。不思議なことだ。人生は「出遇い」に尽きる。

〔2008年9月5日公開〕