8月5日(火) 大雨洪水警報と小さないのちたち

5匹の子猫がいるゴミ箱 子猫を抱きかかえる親猫 親猫は食事中。子猫はこんなに小さいのです 殻から脱皮するアブラゼミ 大雨大好きのヒキガエル

昨日の夕方からの雷を伴った極地的な豪雨が今日も続いている。今年は大雨による被害が絶えない。先週の金沢の浅野川や神戸の都賀川の増水は記憶に新しいが、ついに東京も被害にあった。床上・床下浸水の被害が出たほか、各地で停電が相次ぎ、交通機関にも多大な影響が出た。また、豊島区雑司が谷の下水道管補修工事中の地下マンホール内で作業員の5人の方が急な増水によって流された。これを書いている時点で1人が死亡、4人が行方不明になっている。温暖化の問題と都市機能の弱点を考えざるを得ない。

この豪雨のなか、拙寺の境内では、4日前生まれた5匹の子猫を親猫が必死に守り続けている。この親猫が子猫を産んだ場所は深い大きなゴミ箱の中である。カラスから守るためと同時に、そのゴミ箱が直射日光をさけ風通しのよいところに置かれていたためであろう。よく考えついたものだ。5匹分のミルクをやるのだから、妻や家政婦さんがそっと餌をおいて、親猫に食べさせている。一昨日まではミルクの時間以外は、けっこう子猫から離れていた親猫であったが、昨日の雷と豪雨が始まってからは、自分が餌を食べに行く以外はぴったりと子猫を抱き抱えている。ゴミ箱の上に傘をかけたが、この豪雨では水がたまってしまうかもと心配したが、なかまで水がしみこんでいなかったのでホッとした。子猫たちは15cmほどで、まだ完全に目を開けることはできない。雷と豪雨がこわいのであろうか、子猫たちは少し震えている感じで、母親にべったりくっついている。母親は小生と視線が合うと、ハァーと威嚇してくる。子どもを守ろうとする姿だ。雷と豪雨の中で小さないのちが育まれていた。さまざまな危険にさらされながら、必死に生きていこうとする親子愛、その光景に思わず感動した。

もう一つ感動した光景を見た。この豪雨のなかでアブラゼミが殻から生まれていた。7年も土で静かにこの時を待っていたのであろう。7年前といえば、いわゆる9.11の年だ。その夏にいのちとなったセミが今ここに、成虫になろうとしている。豪雨の中でも、生きようとするアブラゼミ。いのちは生まれたくて生まれてくるのだと思った。

猫もセミも、今ある現実に何一つ文句は言わない。現実を堂々と受け入れて、生きよう生きようとしている。やっぱり人間はやっかいである。常に比較してしか生きられない。他人と比較し、一番輝いていたころの自分と比較し、劣等感と優越感のなかをぐるぐる回っている。いや、劣等感と優越感の二つがあるのではなく、劣等感がベースになって優越感があるだけなのかもしれない。仏との関係を持たねば、比較を超えたこの自分を受け止められない。人間だけが宗教を必要とする所以であろう。

玄関に入る前に、ヒキガエルに出くわした。カエルはむしろ豪雨はたまらなくうれしいらしい。豪雨が気持ちよさそうで、おっとりとゲロゲロ鳴いている。この姿も何となく心が洗われた。境内の生き物はみんな活き活きしている。この自分はどうなのか...。「活き活きしていないのは、住職、あんただけじゃないのか」と、猫にもセミにもカエルにも呼びかけられ、問われているようにすら感じた。ああ...人間はやっかいである。

〔2008年8月8日公開〕