6月18日(水) 本山での会議

東本願寺内の真宗大谷派宗務所

今日は本山の真宗大谷派宗務所での会議であった。小生は、本山には同朋会館教導と宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌本部事務室の企画運営委員として関わっているが、今回は後者の関係で本山に出向した。会議は2つ連続してあって、「『同朋新聞』御遠忌テーマ紙面に関する企画検討会」と「御遠忌テーマ展開に関する企画検討会」で、大変長い会議名がついているが、要するに御遠忌に向けて、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」をいかに発信していくかということを話し合う会議である。この会議は月1回のペースで開かれている。

この会議には、御遠忌本部事務室、企画室、出版部、教育部が関わっているが、毎回様々な議論がなされ大変いい刺激を受けている。それは、一人ひとりが、自分を含めた不安と孤独に満ちた現代に生きる人々に、御遠忌テーマを手がかりに、なんとか親鸞聖人が明らかにされた本願念仏の教えにふれていただき、また共に語り合っていきたいという情熱をもっているからに他ならない。そのなかで、金松出版部長が今月をもって定年退職する。出版部長とは最後の顔合わせとあって、なんとなく寂しさを感じた会議であった。やはり何だかんだといっても「人」である。出版部長が果たした役割は計り知れない。その偉大な出版部長にかわって、あらたに就任される部長はある意味大変だろうと思うが(現時点では誰が就任するかわからない)、もちろん新しい出版部長とも情熱をもって語り合っていきたい。

会議風景(初公開! お宝画像です) 右奥が金松出版部長 女性スタッフもいます 佐野明弘さん(右)とは激論することたびたび 御修復中の東本願寺 御修復前の東本願寺

さて、御遠忌テーマであるが、宗門内では賛否両論さまざまな意見が出されている。反対意見があっても、意見が出るということは大谷派宗門が腐っていない証ということだから喜ぶべきことであろう。ただ、ひとつはっきりしておかねばならないのは、このテーマは、答えではなく問いかけ(よびかけ)である。仏教は「如是我聞(にょぜがもん)」の歴史である。つまり、「私は教えをこのように聞きました」と教えに生きた人びとの歩みそのものが仏教の歴史となっているのである。テーマからのよびかけに一人ひとりがどう応(こた)えていくのかという一点が大切である。そのよびかけに応えていくことが、自己自身に出遇(であ)うことであり、本願念仏の救いの歴史に参画していくことに他ならない。小生は、このテーマからの呼びかけに「安心して迷える道に立つ」と応答している。思い通りになることが幸せだという考えから一歩も出られないということは、思い通りにならない自分を引き受けられない、愛せないという問題があるのだと思う。現代人に共通している問題はここにあるのではないか。不安、孤独、むなしさを人知では超えることはできない。それは仏の眼(仏智)をいただいてはじめて開ける。 『同朋新聞』10月号の表紙に掲載された「受け入れられない自分を受け入れて立ち上がっていくこと、それは本願力を感じることによっておこるのです」という言葉にはうなずかされる。 「おこす」のではなく、「おこる」のである。仏智とは本願念仏に他ならない。その大地を「浄土」と表現するのであろう。この大地をいただけば、愚かな自分であっても、安心して堂々と迷いながら生きていける世界が開かれていくのであろう。この私をまるごと受け止め、この私の闇を照らし続ける大地(立脚地)を見失ったのが現代人なのではないだろうか。

御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」の「いのち」とは、不安、孤独、むなしさを抱えた人間を呼び覚ましてやまない願い(本願)そのものであり、そのはたらき(南無阿弥陀仏)に出遇わなければ(その本願念仏がはたらく大地が「浄土」)、私が成り立たないということではないかと小生はいただくのである。

同朋新聞は、さまざまな人を通して、人間そのものについて考え、御遠忌テーマを学ぶ手がかりとする紙面を作っているので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思う。また、「しんらんしょうにんホームページ」の御遠忌ギャラリーのなかに同朋新聞のコーナーがある。そのコーナーに近いうちに記事内容も掲載していきたいと思う。

追伸

金松出版部長、お疲れ様でした。定年になって益々、親鸞聖人の御教えを共に聞いていきたいと思います。いつも「今、ここに」です。よろしくお願いします。

追記 ('08.07.01)

辻森企画室長も、7月1日付で高岡教区高岡教務所長に転任されました。

室長ご苦労様でした。

〔2008年6月21日公開。7月1日追記〕