5月4日(日) 結納

今日は、結納のため帝国ホテルに行った。媒酌人を務めるのは2度目だが、結納に立ち会うのは初めてである。結婚するカップルは、寺仲間の後輩と小生の教え子である。教え子がお寺の世界に嫁ぐのは、これで2人目である。とても感慨深い。本当に縁とは不思議なものだと思う。このカップルが知り合ったのはお寺の中国仏跡旅行である。それから10年の月日がたっているが、昨年のはじめ、あることがきっかけでお付き合いをするようになり、今日の日を迎えたのである。

結納品の数々 教え子の手に指輪をつける後輩 食事のひととき 帝国ホテルから見た東京の休日

6階の「梅の間」の扉を開けると、すでに結婚するふたりとそのご両親の計6人が着座されていた。部屋の中は独特の緊張感が漂っていた。結納という儀式に加え、日本を代表する帝国ホテルということがそんな雰囲気にさせていたのだろうか。ここで小生らが緊張してはよけいに雰囲気が固くなると思い、「おめでとうございます。いやいや、あまりに重々しくてなんですねえ⋯」と照れ笑いをすると、皆がどっと笑って緊張がほぐれた。まずは、いい出だしであった。そして小生らは媒酌人の席に座った。当初、顔合わせの食事会と聞いていたが、先週になって、結納を行うと聞いてびっくりした。でも儀式での媒酌人の役割については、ホテルの指示通り行えばいいことであり、それよりリラックスする雰囲気を作ることで会話が弾むようにするのが小生の役目と心に決めた。

都会では媒酌人をたてる結婚式が少なくなっている中で、結納まできちんと行うというのは実にめずらしいことといっていいだろう。そもそも結納とは、結婚の確約の儀式であるから、これで婚約が成立するということである。事実上の結婚といっても過言ではない。そう考えると、この場面がふたりの新しい出発となる人生の大切な“時”であるから、とても厳粛であり緊張するのも当然なことかもしれない。結納品が並べられていたが、全部を確認したわけではないが、のしアワビとか昆布なども供えられていたと思う。これらは、長寿や繁栄を意味するもので、真宗の教えにはそぐわないのだけれど、ふたりが結ばれ、両家の関係が構築される上での伝統的な人間の願いと受け止めることも大切で、この上に、一番大事な仏法聴聞をしていくことが願われればよいことである。こういう伝統的なことが敬遠され、自由の名のもとに結婚式が行われているが、それはそれとしていいが、やはりあらゆる関係の上に結婚が成り立っているということを心からうなずかせてもらうという意味では、結納を古いとか、封建的だとかいう言葉で切り捨てるほうが問題なのかもしれない。人間関係が希薄な今日において、結納が見直されてもいいのかもしれないと思った。事実、結納品と目録を両家が確認することで結びつきが強められたからである。これを読んだ若い人たちも伝統的な儀式について考えてみてはいかがだろうか。続いて記念品の交換を行ったが、後輩が教え子に指に婚約指輪を通すとき、ふたりのうれしそうな顔が実に印象的だった。特に指輪を通すことに慣れていない後輩(?)が冷汗をかきながら必死に指に通そうとした姿は実に愛苦しかった。最後に金屏風の前で記念撮影を行い、大切な結納の儀式は終わった。ふたりが婚約するに至るあらゆる縁が、今ここに凝縮されたひとときであった。まさに“永遠の今”である。

その後、会食となったが、とてもリラックスした雰囲気で食事を楽しむことができた。小生はふたりがどう出会い、どう愛を育ててきたかについて、ふたりのご両親にお話させていただいた。ふたりが結ばれるといっても、一つ縁が欠けたら付き合っていなかったかもしれないのだ。この縁を大切にして歩んでほしいものだ。ふたりのご両親も満足そうであった。

結納が終わった後、17階のラウンジでくつろいだ。後輩と教え子の顔は安堵感とともに、これからふたりで力を合わせて生きていく決意のようなものが感じられた。外の景色を見ると、休日でたくさんの人があふれていた。実にのどかだ。休日といえば、ほとんどお寺で法事を勤めているか、法話に出かけているので、こういう時間が過ごせることが何かとてもうれしかった。仕方がないことだが、お寺の子どもは、一般家庭の子どもよりも、休日に親と出かけることが少ないのだと思うと娘たちに申し訳ない気がした。

4時前に帝国ホテルを出た。 「せっかく外に出たのだから、歌舞伎でも見ない?」という妻の誘いもあって、新橋演舞場へ歌舞伎を見に行った。たまたまのこととはいえ、妻と休日を外ですごすなんて何十年ぶりだろうか。これも、後輩と教え子が作ってくれた縁というものだろうか。歌舞伎の後、寿司屋によって帰宅した。明日は法事がある。頭を切りかえて、また現実に立ち返っていこう⋯。

〔2008年5月6日公開〕