4月4日(金) 葬式仏教再考

今日は親鸞仏教センターの「現代と親鸞の研究会」(アルカディア市ヶ谷)であった。講師には山形大学教授の松尾剛次先生をお招きし、「現代における仏教の役割 —葬式仏教再考—」というテーマで開かれた。

松尾剛次先生 研究会の様子 小生、真剣です

現代は葬儀が多様化していると言われるが、死と厳粛に向き合うということが希薄化していると言わざるを得ない。現代文明の誤りの一つに死を隠蔽した、忘れてしまったということがあげられる。

仏教離れもすすんでいるといわれるが、葬式仏教という言葉が批判的に使われているのは、厳粛な死という事実に向かい合いながら、一人ひとりの生き方を教えにたずねていくということをしないで、単に形式的儀式に埋没している僧侶のあり方に対する批判であると受け止めている。死すべきいのちをどう生きるかという課題に応えるのが仏教であろう。そこで、仏教がどう葬儀に関わり、その役割を果たしてきたかについて歴史的に検証し、現代における仏教葬儀のあり方をあらためて考え直したいという関心で松尾先生をお招きしたわけだ。

結論から語れば、松尾氏は鎌倉新仏教によって葬式仏教が成立したと指摘された。古代、中世においては、死穢(死は穢れである)の観念が強く、庶民の間では死体遺棄や風葬が一般的であったようだ。ところが1220年代に入ると、庶民の間に死体遺棄が減少しはじめたのだが、それは鎌倉新仏教の成立と境内墓地の成立が重要な背景にあったようだ。従来の官僧(官僚僧)は神仏習合で神社にも携わるため、死穢忌避の義務があり、葬式従事がはばかれていたのに対し、葬儀を望む願いに応えて、組織として葬送に従事したのは、慈悲のために穢れ忌避のタブーをものともしなかった鎌倉新仏教の僧侶たちや、旧仏教の改革派(叡存・忍性)の遁世僧たちであった。

当時、官僧世界がもう一つの世俗世界になっていたので、「遁世」とは官僧世界を離脱して、仏道修行に励むことを意味するようになったようである。叡存・忍性の教団は「清浄の戒に穢れなし」という論理により厳格な戒律を守ることが、社会的救済活動を阻害するどころか、戒律が穢れから守ってくれるので、当時のタブーから自由であり、多くの庶民の葬儀に関わった。また念仏集団は「往生人に死穢なし」という論理を持っていた。法然以前においては、極楽往生できる人は作善のつんだ数少ない人々に限られていたのに対し、法然以後は「南無阿弥陀仏と称えることは、往生のための唯一の正行であり、それをすれば、どんな人も往生できる」と説いた。念仏者はすべて往生できる以上、死穢はないわけで、死体穢れ観から、死体成仏観へと転換したことで、多くの庶民が救われた。もちろん親鸞やその門弟も葬儀に従事していたが、葬儀の従事により、信心を得る歩み(信心を本とす)を忘れることないようといった言葉が『改邪鈔』に見えるところが真宗らしい。現代的に言えば、教えをいただくことをしないで単に葬儀を勤めるということはあってはならないということだろうと思う。また、禅宗など他宗においても死穢を超越していたようである。

中世の仏教史の基本的展開は、官僧僧団と遁世僧僧団の対抗と共生関係によって説明できる。官僧が一番上に着るのが白衣であったのに対し、遁世僧は黒衣であった。黒衣のシンボリズムは、死穢をはじめとした穢れとともにあるという自己意識を示していると考えられている。延暦寺とか東大寺といった官僧の伝統を引く寺院はつい最近まで葬送を行わなかったということには驚いた。最初に述べたように死穢を乗り越え、庶民に救いを示した鎌倉新仏教が葬式仏教を成立せしめたのである。

鎌倉新仏教が確立した死穢を乗り越えた葬儀仏教から言えば、現代の葬儀で行われる穢れをはらう清めの行為は不要ということになる。小生は会葬者全員に「葬儀を縁として」というパンフレットを配り、「清め塩」に代表される清めの行為が一切不要である意味を必ずお話しさせていただいているが、皆さん心からうなずいてくださる。

松尾氏は、僧侶が葬式をきちんととり行ってくれるというのは、一人の人間にとって「誕生」とならぶ「死」という一大画期を厳粛に通過したいという願いに応えていることはまちがいないので、現代の仏教者は、葬式仏教の革命的意義を認識したうえで、葬式を丁重に行っていただきたいとエールを送ってくださる。また末木文美士氏も松尾氏同様に葬式仏教は日本仏教の誇るべき大変深い意義があることを検証してくださっている。こういった研究者の方々に支えられ、今後も死穢を超え、教えが核となった葬儀を勤めていきたいと思う。

なお、この研究会の詳細は、『親鸞仏教センター通信』および『現代と親鸞』に掲載されるので、関心のある方はぜひ読んでいただきたいと思う。

〔2008年4月6日公開〕