3月1日(土) 行きつけのバーは“仏法のサロン”

今日もこうして語り合う! バー全体を占拠(?)したこともたびたび──

今日は1週間早い門徒倶楽部である。通常は第2土曜日であるが、来週は北海道の雨竜郡秩父別のお寺で2日間にわたって法話をするので、今月は第1土曜日開催となった。

会が終了した後、居酒屋で恒例の飲み会がはじまり、2軒目は行きつけの亀有北口のバーによった。今日は、このバーで今まで以上に深い感慨をもって酒を味わった。

実は2月19日にこのバーが入っているビルのオーナーである蓮光寺ご門徒のYさんが亡くなった。ご自宅で枕経を勤めたときのことである。正信偈・同朋奉讃を家族で勤めようとしたとき、Yさんの長女さんが蓮如上人のお書きになった「白骨の御文」をぜひ拝読してほしいと、そしてそれを録音したいと小生にお願いしてきた。亡くなったYさんは、Yさんの父親が亡くなったときに、人間の死すべきいのちについて深く考えることがあって「白骨の御文」の虜になった。すべてを暗記してしまうほど、何度も何度も読み続けてきた。今度は、それを長女さんが覚えたいという。父親の死を通して、父親がこよなく大切にした「白骨の御文」の意味をいただきたいということであった。昨今、家庭からお内仏(お仏壇)が消え、快適さと欲望の空間と化した家庭のなかにあって、Yさん宅には家庭の中心に北陸門徒並みの大きなお内仏が安置されていた。父親の死という悲しい事実を通して、本当に生きるということがどこで成り立つのかということを教えに聞く場が開かれていた。この場にいて、小生はふるえが出るほど感極まってしまった。Yさんは亡くなったが、お内仏を通して、教えが伝わり、いのちの願いが継承されていた。それこそがYさんのいのちであったのだ。

そして、Yさんは家庭のみならず、ご自分のビルのバーに、仏法を語る場を作ってくださっていたのだ。小生はこのバーでご門徒さんばかりでなく、宗門関係の仲間たちとも仏法を語り合ってきた。そして多くの先生方からもここで教えを聞かせていただいた。本多弘之、稲垣俊夫、二階堂行邦、近田昭夫、池田勇諦、中川皓三郎、一楽真、帯津良一、青木新門、田畑正久(敬称略)‥‥。ちょっと浮かんだだけでも錚々たる仏者がここで酒を飲み交わしている。このバーが仏法のサロンであることをご家族にお伝えしたら、ご家族は大変よろこんでくれた。Yさんのいのちは今、ここに生きていた。バーテンダーが「Yさんのご家族から、ご住職にボトルのプレゼントです」といって、小生にボトルを手渡してくれた。「いつも酔っ払って大きな声でさわいでごめんね」というと、「とんでもないです」とバーテンダーは笑って応えた。何でもない会話の中に、場の信頼があった。今日も夜な夜な仏法を語られた。今日の酒は格別においしかった。Yさん、ありがとう。

〔2008年3月4日公開〕