「報恩講」厳修
2020年11月12日公開
11月7日(土)~8日(日)にかけて一昼夜の報恩講が無事厳修されました。
コロナ禍の為、規模を縮小しての報恩講となり、初日の「報恩講の夕べ」は中止とし、2日目の手作り精進料理は初日と同じようにお持ち帰りのお弁当に変更しての報恩講でした。
大逮夜法要、晨朝法要、日中法要は予定通り厳修されましたが、お勤めはすべて「正信偈・同朋奉讃」の同朋唱和とし、「御文」(大逮夜は「御俗姓御文」)の拝読がありました。三密を避けるため、大逮夜および日中法要(ご満座)の人数は45人を目安とし(大逮夜法要、日中法要ともに46名参詣)、参詣できない方にはZoom配信を行いました。Zoomを視聴したくても見方がわからないご門徒が多かったことは課題として残りましたが、Zoomを視聴した門徒さんの多くの方から、その喜びをメールでいただきました。
玄関では、検温とアルコール消毒を徹底し、受付ではソーシャルディスタンスを取り、お寺内すべて換気を十分いたしました。2日間とも20℃を越える暖かさであったので助かりました。お茶はペットボトルをお渡しいたしました。
大逮夜法要は、蓮光寺住職が「仏法の事は、いそげいそげ」をテーマに法話。晨朝法要では、日野宮久夫総代(法名:釋喜身)と原惠子総代(法名:釋尼惠真)が感話。日中法要(ご満座)では、松井憲一先生が京都よりオンラインで「あれはあれ、それはそれ」をテーマに法話。できるだけ生の感覚を味わうため、短い時間でしたが、質疑の時間も設けました。松井先生のアシスタントとして、牧野豊丸先生のご長男で、東本願寺で勤務されておられる牧野尚史さんにもお手伝いいただきました。
コロナ禍というなかで、今まで経験のしたことのない報恩講でしたが、報恩講を本当に厳修出来るのか不安もあっただけに、今までとはちがった深い感動を多くのご門徒がお持ちになられました。
報恩講は真宗門徒にとって一番大切な法要ということが、心の底から感じ取られた報恩講でした。
その感動は、御礼言上で広島県庄原市よりご挨拶くださった河村和也総代(県立広島大学准教授、法名:釋和誠)の言葉に凝縮されています。河村総代は、毎年、蓮光寺を代表してご挨拶していただいておりますが、東京に戻ることができない悲しみの中で、報恩講のすべてをZoomで視聴され、涙の御礼言上となりました。
報恩講の様子を写真でご案内しながら、最後に御礼言上を掲載いたします。法話等はまた後日掲載いたします。
御礼言上
未知のウイルスによる感染症の拡大に伴う、いわゆるコロナ禍のもと、身体や心、仕事と暮らしに困難や不安を抱えておいでのみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
そのような状況のもとにあって、2020年の報恩講が昨日・本日の一昼夜にわたり厳修されましたことは、わたくしども蓮光寺門徒一同、大きな喜びとするところでございます。
遠く離れた地からではございますが、如来の御尊前、宗祖の御影前に、御満座の結願いたしましたことをご報告するにあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなさまに一言御礼を申し上げます。
ご法中のみなさまにおかれましては、懇ろなるお勤めを賜りまことにありがとうございました。マスクをつけてのご出仕となり、ご苦労も多かったことと存じます。今年は馴染み深い同朋奉讃式による勤行となりましたが、ご一緒させていただきましたことをありがたく存じております。
昨日のお逮夜では、当山住職の法話を聴聞いたしました。コロナ禍のもとであぶり出されるわたしの分別心や傲慢性こそが、意味・条件・価値をつけて生きざるを得ないわたしを解放する機縁となり得るのかも知れないと心得ました。ずいぶんとご法話をうかがってまいりましたが、いよいよわからなくなってきたことが、何やらうれしくてなりませんでした。
本日、晨朝のお勤めではお2人の蓮光寺門徒に感話をいただきました。和やかな空気の中、南無阿弥佛の呼びかけにより賜った信心の世界の永遠であることを確かめたことでございます。
また、満日中の法要では、松井憲一先生に京都よりオンラインでご法話を頂戴いたしました。南無阿弥陀佛のみ教えをいただくことは、真実を受け入れられず夢を追い続けるわたしのあり方から覚めること、愚者であるわたしの身の事実に目覚めることとうかがいました。漫画や川柳に描き出された愚かな人々は、取りも直さず、自分の都合で生きているわたし自身の姿であることに気付かされたことでございます。
さて、今年の報恩講は、ご法話をインターネットを通じて頂戴し、門徒もパソコンやスマートフォンの画面越しに参詣できることとなりました。このことは、わたくしのように遠く離れて暮らす者ばかりではなく、お歳をお召しの方、あるいは病の床に伏していらっしゃる方にも、一筋の光を射し得たものと思います。もとより、ともどもに相集い聴聞することが叶えば、これに勝るものはありません。わたくし自身、亀有から西へおよそ780km、備後門徒の地・広島県庄原市におり、お寺におまいりすることのできぬ現状を嘆き憂う者のひとりでございます。
「真宗中興の祖」とされる蓮如上人は、布教・教化のために御文という画期的な手段を生み出しました。揺れ動く時代の中にあって、わたくしたちもまたさまざまの方法を模索していく必要があるのかも知れません。しかし、それはあくまでもみ教えを伝え広めるためのものでなければならないと考えております。
困難な状況のもとにあっても、寺のあるべき姿を見据え、住職、坊守を先頭に、蓮光寺門徒一同、今後とも念仏三昧・聞法精進の道を歩んでまいりたく存じます。
ご出仕・ご出講のみなさま方には、変わらぬご指導とご鞭撻をたまわりたく、伏してお願い申し上げる次第でございます。
2020年の蓮光寺報恩講のご満座結願にあたり、重ねて御礼を申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。このたびはまことにありがとうございました。
(2020年11月8日)
蓮光寺報恩講2020 大逮夜法要法話 11月7日(土)
2021年4月18日公開
「仏法の事は、いそげいそげ」 蓮光寺住職
生死(しょうじ)を超える
コロナ禍のなか、真宗門徒にとって一番大切な法要である「報恩講」にご参詣くださり、心より御礼申し上げます。堂内が密にならないよう45名ほどしか入れませんが、Zoom配信もいたしております。ただ「報恩講の夕べ」は中止となり、お斎(食事)は、お持ち帰りのお弁当とさせていただきました。規模は縮小いたしましたが、こうして不要不急に値しない報恩講が勤まることはありがたいことだと感じております。
大逮夜法要のテーマは「仏法の事は、いそげ、いそげ」です。これは蓮如上人のお言葉です。コロナ禍にあって、「不要不急」という言葉が定着しています。この言葉は、単に新型コロナウイルス対策の言葉ではなく、このことを通して、人生で不要不急に値しない大切なこととは何だろうかと問いかけているようです。皆さんはいかがでしょうか。蓮如上人は「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげ、いそげ」(『蓮如上人御一代記聞書』)とおっしゃっています。つまり「油断することなく、先送りにすることなく、日々の出来事に南無阿弥陀仏の呼びかけを感じる生活を送りなさい」ということでしょう。
新型コロナウイルスの感染が終息しても、自我分別をもって生きる私たちは、様々な苦悩を抱えざるを得ない存在であることには変わりはありません。ですからコロナという感染症を機縁として、私たち自身を深く見つめ、「死すべきいのちをなぜ生きるのか」といった「生死(しょうじ=苦悩・迷い)を超える」という問題を教えに訪ねていくことが根本的課題ではないでしょうか。感染症の終息を願いながらも、常に仏法の事は明日に先送りすることなく、今ここに聞いていくということが非常に大事だろうと思います。その内実は、どこまでも迷い深き愚かな凡夫だという自覚があたえられることです。
「生死を超える」というのは結局どういうことかと言うと、どんな状況においても生き抜いていけるということですね。それは私たちには難題です。いつも言うように、自我分別がそうさせないわけです。思う通りになりたいのが私たちの心根ですから、縁によって起こったことが、自分の都合に合わなければ、それが強烈であればあるほど受け止めることはできないわけです。ですから生老病死を貫いて、この私を支える無分別の阿弥陀さんの世界をよりどころとしていくことが願われているのです。その世界にふれれば、迷い深き愚かな凡夫という自覚があたえられ、阿弥陀さんの眼を通して人生を受け止め直していくことこそ、親鸞聖人が明らかにしてくださった生死を超える内実だと思います。
しかし、愚かな凡夫と自覚することが難中の難ですね。本当に凡夫だと頷いているかどうか。うなずいていないということは教えが聞こえてこないということなのです。何回も教えられてそうだなと思うのだけれども、やっぱり凡夫だったとなかなか思えないのですね。
このコロナ禍にあって、蓮如上人の「疫癘(えきれい)の御文」がよく読まれるようになりました。感染症についてふれている御文です。親鸞聖人も『末燈鈔』のなかで感染症についてふれていますが、時間の関係で修正会にきちんとお話しいたします。さて、「疫癘の御文」の冒頭に
「当時この頃、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりて さだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。」
とあります。
「近ごろ、多くの人が感染症にかかって亡くなっています。これは、決して、伝染病によって初めて死ぬのではなく、生まれたときから定まっている業の報い、道理なのです。さほど深く驚くべきことではありません」と蓮如上人はおっしゃいます。「驚くべきことではない」と言われると、なんだか冷たく聞こえますが、真実の教えというのは決して気の利いたことは言ってくれないのです。というより自分の期待した答えを言ってほしいというのが私たちにあるのが問題であって、きちんと教えを聞き開いていくことですね。
「おどろくまじきことなり」とは蓮如さんがそうおっしゃっているというより、阿弥陀さんの呼びかけにうなずかされて蓮如さんがおっしゃっているのです。蓮如さんのお言葉の背景に阿弥陀さんの呼びかけがはたらき出ているのです。蓮如さんは、何度も感染症の流行を目の当たりにし、多くの人たちが死んでいく姿を見てきたし、おどろきたじろいでいたにちがいないのです。どうしていいかわからなくて、立ちすくんでいたのではないでしょうか。苦悩する生活の真っただ中で「驚くことではない」と阿弥陀さんの呼びかけが聞こえてきて、こうお書きになったのでしょう。そこには蓮如さんの「凡夫の自覚」を感じ取れるのではないでしょうか。
私たちは、感染症が流行ると感染症で死ぬのではと不安になりますが、なぜ死ぬかといったら生まれて来たからです。死ぬ因は生まれてきたこと、感染症で死ぬのはひとつの縁です。
感染症であってもなくても、人間は死すべきいのちを生きている。その先に書かれていることを読んでいきますと、蓮如さんは単に死を受け入れなさいとおっしゃっているのではなく、その後に、
「阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」
と書いておられます。阿弥陀如来は「末代に生きる凡夫の罪業がどれほど深くとも、われを一心によりどころとする衆生を必ず救おう」とおっしゃるわけです。
「罪業」の「罪」とは、悪いことをしたとかそういう限定したものではなくて、自我分別を持って生きていることそのものを「罪」を言っているのです。さらに言うと、自我分別をもって生きている罪に気づかないという、つまり「凡夫の自覚」が不徹底だと、それを「罪」と言うわけです。
ですから、自我分別をもっているかぎり、感染症でも苦しむし、感染症でなくても、自我分別は形を変えて、新たな苦悩を生み出します。しかし、現実の様々な事は、思いを超えて縁によっておこります。その縁を引き受けていけるような真のよりどころ、それを「阿弥陀さんの教えを聞き開いていってください」と蓮如さんはおっしゃるのです。阿弥陀さんの呼びかけが励ましとなって私たちを支えてくれるような、人間はそういうよりどころに本当は出遇いたいのではないでしょうか。
コロナの沈静化を願って、祈願するということがありますね。やはり願いたいですね。でも本当に祈願すれば、コロナは沈静化するのでしょうか。沈静化してもらいたいですけれど、残念ながらそういう対症療法的なことではけっして沈静化しません。本当はコロナの現実を受け止めて、しっかり自分の人生を枯らさないで生きていけるような方向性をいただくことが大事ではないのではないでしょうか。そういうことを感じるわけです。世間一般では自分の都合がかなうことがご利益だと考えられていますから、真宗の教えはなかなか流行らないですね(笑)。しかし、人生に苦悩がつきものであるならば、どんなに苦しくても悲しくても自分の人生に深いうなずきを持って生きていくことができたらいいですね。そこが真宗の教えの聞きどころだと感じています。「生死を超える」ということが人間の根本的課題だと思います。
「生死を超える」ということで言うと、非常に学ぶべき人がおられます。法友会に参加されているご門徒さんにはお話したことがありますが、学ぶべき人とは、えっ?と思われる方もいらっしゃると思いますが、東条英機なのです。
東条は、昭和16年、近衛文麿首相に代わって、首相、そして陸軍大臣、内務大臣を兼任して、独裁的な権力を背景に米英との戦争を拡大させ、日本を敗戦に導きます。敗戦後、自決に失敗し、巣鴨プリズンに収容された東条はA級戦犯の判決を受けましたが、処刑に至るまでの約40日間、土肥原賢二、広田弘毅ら6人のA級戦犯と同様に、教誨師の花山信勝氏(本願寺派)と面接してお念仏の教えを聞き続けました。A級戦犯の7人は皆、花山信勝氏の教えを受け、自分自身に目覚め、現実を堂々と受け止めていったのです。
その代表として東条の話をするわけですが、東条は「自決に失敗したことで、はじめて人生について考え人生を深く味わうことができ、仏法の中に入れていただき喜びで死んでいけます」と言っています。これは注目に値する発言です。あれほど戦争に全精力をかけてきた東条が、自分を見たことがなかったということです。これは現代に生きる私たちにも当てはまるのではないでしょうか。仕事をいっしょうけんめいやっているけれど、「なぜ生きているのか」「自分とは何か」ということが欠落し、自分自身がわからないで生きているならば、東条と同じ課題を抱えていると言えるのではないでしょうか。これは人間の全人類的課題と言っていいでしょう。
そして東条は「つくづく自分は凡夫だった、極重の悪人だったということがわかった。人間は生死を超えなければいかんですねえ」と言葉にするのです。凡夫(悪人)の自覚が伴っています。凡夫と悪人とは微妙に違うという先生もおられますが、凡夫と悪人は同じといただいていいと思います。その東条の自覚内容は、もちろん自分が戦争で犯した罪ということもありますが、人間存在そのものが罪を背負っているというところまで頷かれていることが『A級戦犯者の遺言』(法蔵館)を読むとよく感じられます。さきほども申しましたが、罪悪と言った場合、自我分別をもって生きていることが罪悪であり、またその愚かさにさえ気づかないという罪を言うわけです。この本は愛知県蓮成寺の青木馨ご住職が編集された本です。30冊購入しましたが、すでに完売で、寺には在庫がありませんので、読みたい方は、個々人で買って読んでみてください。
さて、東条は凡夫の自覚の上に「生死を超える」という人間の根本問題をきちんとおさえていることからも、自分を通して人間そのものに目が向けられていることがわかります。
さらに東条は「うれしいときも悲しいときも、手を合わせてなま、なま(南無阿弥陀仏)と言うように育ててほしい」と花山氏に頼みます。これは念仏相続ですね。そこまで東条は深い願いに目覚めたのです。お念仏の灯が消えかかっているとも言われる昨今、むしろ東条の言葉に勇気をいただいたように思いませんか? そして東条は、処刑という形で「生」を閉ざされる瞬間を、平然と超えてゆく姿を証していったのです。
青木ご住職は、この本のあとがきのなかで「浄土真宗の祖親鸞は、「悪」を徹底的に凝視した。人間の本質は「悪」にあり、この「悪」に対し阿弥陀仏の「大悲」の救いがここに成り立つと見出した。「悪人」が「悪人」のまま救われる、いわゆる悪人正機(悪人成仏)である。もちろんそれは、「悪」の深い自覚と慚愧(ざんき)、そして「信」と表裏である。花山氏の教誨の原点もここにあったと考える」と延べられておられます。
東条の回心は、感染症拡大で苦しむ私たちに、自我を超えた無分別の本願念仏の世界から自分を見つめ直し、罪悪深重の凡夫、極重の悪人と深く自覚することを通して、堂々と不安に立って事実と真向かいになって生きていく意欲(本願の意欲)をいただく大切さを伝えているように思えてならないのですが、皆さん、いかがでしょうか。
新型コロナウィルスを縁として、人間を深く見つめ直す
パンデミックの歴史を振り返ると、必ず「誹謗中傷」という問題が起きているといっても過言ではありません。このコロナ禍にあっても同じことが言えます。もちろん、助け合う人々もたくさんおられ、その姿には感動しますが、それに反して、最前線でご苦労されている医療関係者の方々やそのご家族、また悪者を作り上げて誹謗中傷をしていくことも起こっています。新型コロナウイルスに罹った人のご家族が引っ越さねばならなかったり、自殺に追い込まれたり人もおられるようです。この点からも人間を深く見つめていく視座が大切だと感じます。
それから東京は感染者が飛び抜けて多いですから、地方からの目が厳しいですね。東京と言えば、どちらかと言うとあこがれの大都会とみられていましたが、コロナで一転、東京は怖いという目で見られていて肩身が狭いですね。
ところで皆さん、「私は誹謗中傷などしない」と思っていませんか? 実は私もしないと思っているのです。思っていないとするならば、それは言葉を変えて言うと、自分は凡夫だという痛みをもっていないということになるのです。
今まさに報恩講シーズンですが、どこのお寺のご住職も、報恩講の規模を縮小して厳修するか、内勤めにするか、相当悩まれておられます。地域の状況、ご門徒のご意見もありますから、それぞれの決断を尊重しております。私の場合、3分の1、各地の報恩講に出講しています。3分の2はキャンセルになりました。私は、地方に出講するとき、かなり緊張しているのです。東京人はどう見られているのか、やっぱり多少不安になるのです。ところが、地方に出講してみると「東京からわざわざご苦労様です」とどこの門徒さんも心からに歓迎してくれるのです。感染が拡大している東京の人というふうに見ないのです。ありがたいことです。
ところがこの私こそがまったく愚かで恥ずかしい人間であることに気がつかされました。10月に滋賀のお寺に出講した時のことです。私は法話の時には必ずプリントを作っていきます。地方ではプリントに「東京都蓮光寺 本多雅人」と書くことが多いのですが、滋賀のお寺のプリントには「東京都葛飾区亀有蓮光寺 本多雅人」と書いたのです。それが罪であることに気がついたのは、行きの新幹線の車中でした。罪と気づいたということは、ふと教えがよみがえってきたということなのです。
「聞思」という言葉があります。真宗の教えを聞く、信心をたまわるということは、お寺で聞法し頷いたこと(聞)を、あらためて生活の中で思い出す、いただき直す(思)ということです。私は新幹線の中でふと、阿弥陀さんが「あなたの罪に気がつきませんか」とよびかける声が聞こえてきたわけです。これは「思」です。教えが湧き出てきたということです。私が「東京都葛飾区亀有」と書いたのは、柴又の寅さん、矢切の渡し、そして亀有も「こちら葛飾区亀有公園派出所」(こち亀)の漫画で有名になり、東京のはずれの下町風情が残っているところだと、ご門徒の皆さんに伝えたかったわけです。しかし、それが罪だったのです。悪人の自覚ということに対して、それを自覚できない人を善人と言うのですが、私は善人根性丸出しだったのです。私は、葛飾区亀有は都心より数段安全だとみんなが思ってくれるだろうと思っていたのです。言葉を変えると、私は新宿区民ではありません、世田谷区民でもありませんと言っているのです。「東京人は肩身が狭い」と言っている私が、東京人が東京人を差別していたのです。その罪に気がつかないのです。とにかく凡夫の自覚が欠落しているのです。気がつかないことをそのまま放置していくと、さらにエスカレートして、それが誹謗中傷の問題に繋がっていくのです。余談ですが、地方の人は新宿であろうと、亀有であろうと、同じ東京としか見ていないのが現実だそうです。まったく私はアホですね。私自身のことをお話ししましたが、自分は誹謗中傷などしないだろうという人が一番危ないんです。阿弥陀さんに呼びかけられないと、まったく凡夫とは気がつかないのです。
「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。」(『歎異抄』後序)
これは親鸞聖人のつねのおおせです。「何が善であり、何が悪であるかということは、私はまったく知らない」と。これは阿弥陀さんに照らされて初めて言えるのです。自我の中からは絶対にここまで言い切れません。私もやっぱり、自分が罪悪深重の凡夫だとどこまで本気に思っているか実に怪しい。まさしく善人ですね。
夏のお盆の頃、GoToの対象から東京は外されましたので、東京の人の帰省がなかなかできなかった頃です。青森で起きた出来事ですが、東京から帰省した人に対して、その地域の人が帰省に反対する張り紙をしていました。「知事が不要不急の外出は避けるように言っているのがわからないのか」、「菌をばらまいたらどうするのか」と。でも帰省した人はPCR検査も受けて、先祖を思い、お参りをしに来たのです。でもその人を批判している人の気持ちもわかるような気もします。批判している人たちは本当に真面目に言っていると思います。コロナ禍にあって、不安状況が長引くとストレスもたまり、やはり感染しないように自分を守りたいという気持ちにもなります。ただそこに人間の危うさがあるのではないでしょうか。自分を守りたいということで他者を排除し、誹謗中傷をしていることになりませんか。難しい問題ですね。でも、むしろ青森の人たちによって、縁によっては自分も同じようなと言うであろうということを教えていただいたということを大切にすべきではないでしょうか。阿弥陀さんの教えをいただくならば、批判をしてもいいですが、必ず自分にも?マークをつけることです。自分の立てた善悪に縛られることによって、差別や偏見が生まれる。これは人間の盲点ですね。
それがエスカレートし、さらに集団化していくと、より大きな問題になっていきます。真面目であることに問題があるというより、その状況にもよりますね。以前、池田勇諦先生が、「いつも真面目な人は、戦争にも真面目である」とおっしゃって、私はハッとしました。人間には真実はないのです。本当にそうですね。
『一念多念文意』に「凡夫というは、すなわち、われらなり」というお言葉があります。お互いが愚かな凡夫という地平に立つことが、分断ではなく、関係を開いていくのではないでしょうか。
助け合い協力している人々の中にも、縁があれば分断していってしまうこともあるし、批判ばかりしている人が突然方向転換する場合もあります。人間は定まったものではないのです。縁に遇う存在なのです。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』13章)
「縁次第では、人間は何を考え、どういう行動をするかわからない」というのお言葉を改めていただき直していきたいですね。
感染症の大流行や大災害があったりすると、マスコミが怒涛のように報道することがしばしば見受けられます。全部マスコミが悪いとは言いませんが、こういう状況の時は、なぜパンデミックは起こったのかということよりも、誰が悪いのかという、往々にして「悪者探し」が始まるのです。不安やストレスから解放されたいがために、悪者を批判し排除することで、何か心の平静を回復しようとするのです。そういう対象にされる人を「スケープゴート」と言うのです。
新型コロナウイルスが流行し始めた頃、パチンコ店がその対象になりました。確かにパチンコ屋は危なさそうに見えますから、私もうっかりその情報を信じてしまいました。官邸や知事からパチンコ店は危ない対象とされ、マスコミが、営業を続けるパチンコ店を追跡して報道したり、ある知事は営業を続けるパチンコ店の名前まで公表しました。
ところが今となったらどうでしょうか。むしろパチンコ店は焼肉店と並んで他の場所より感染しにくいということがわかってきたのです。すべてのパチンコ店がそうかはわかりませんが、基本的にパチンコ店は暗くて密閉ですから、空気の浄化にすごく優れているのだそうです。パチンコ店と焼き肉屋は、クラスターが起こらないとは言いませんが、起こりにくいのです。だけど、最初にターゲットにされたのはパチンコ店です。だからパチンコに行く人たちは、ものすごく肩身の狭い思いをしました。完全に悪者扱いです。こうして情報に振り回されて、悪者を作っていくのです。こういう状況になると、人間の愚かさとか傲慢性が露呈されていきますね。
パンデミックの歴史を振り返ってみても、こういう問題は必ず起こります。一つ例を出すと、中世ヨーロッパの魔女狩りもそうです。ペストの大流行がおこると、集団ヒステリーによって魔女狩りが行われ、多くの人が虐殺されているのです。今日の研究では、歴史上の魔女狩りの多くは社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったことが証されています。
それから、パンデミックにおいては、社会の矛盾とか不正が明らかになりますね。例えばアメリカだったら黒人やヒスパニックに感染者が多いというのは、貧困層だからです。密集して生活しなければならないからです。
さきほども少しふれましたが、排除が集団化していくという問題があります。これは感染症ではなく、大災害ですが、関東大震災の時は大変な状況下で、みんながイライラして不安が募っていました。その時に「朝鮮人が井戸に毒を撒く」という噂が流れました。そして、日本人は、正確な数は出ていませんが、相当数の朝鮮人を虐殺したのです。そこまで平気で人を殺してしまうような構造を、私たちは持っているのです。
ですから、「誹謗中傷をやめましょう」という動きが大きくなってきて、それは喜ばしいことですが、縁があれば誹謗中傷してしまう我が身であるという凡夫性に気づいていくことが、私たちの根本問題ではないでしょうか。「ウイルスは怖い」と言っているけれども、ウイルスよりも人間のほうがはるかに怖いのではないでしょうか。これもいつの時代でも同じような気がしています。
ハンセン病差別と優生思想
日本における感染症をめぐる最も大きな差別は、ハンセン病患者に対する差別です。ハンセン病の患者さんがどれほど大きな差別と偏見を持たれていたか、コロナ禍にあって、しっかりと学ばねばならないことだと思います。
今、感染症をめぐる最も大きな差別と申しましたが、ハンセン病は、実はほとんど感染することはなく、「強力な感染力を持っている」というのは全くのまちがいなのです。それから、「不治の病」、「遺伝する」ということもまちがった情報として社会に流布され、悪者扱いを受けることになったのです。
ハンセン病は「日本書紀」にも「らい」という病名で記述されていますから、相当昔からある病気ですね。明治以前は、この病に罹って仕事ができなくなり、ひっそりと暮らしていた人たちが多かったらしく、家族に負担をかけたくないと放浪の旅に出る人たちもいたそうです。
明治に入り、諸外国から文明国として患者を放置していると避難されたことを受けて、明治政府は1907(明治40)年に「籟(らい)予防に関する件」という法律を制定しました。この法律は患者の救済を目的にしたものだと言われていますが、放浪していた患者を療養所に入所させ隔離することにより、ハンセン病は伝染力が強いという情報が広まり、差別と偏見が植えつけられていきました。1931(昭和6)年に「籟予防法」が制定されて、強制的に患者を隔離することによってハンセン病絶滅政策を行っていき、差別と偏見は不動のものとなっていきます。
実は、ハンセン病の患者さんは真宗大谷派のご門徒が多いのです。私も今から30年近く前になりますか、法話実習で群馬県草津の「楽泉園」という施設で法話させていただきましたが、未熟な私の法話を患者さんたちがすごく喜んでくださったのを今でもよく覚えています。親鸞聖人の教えに生きている患者さんを目の当たりにして頭が下がる思いでした。
ただ、戦前の大谷派は、政府の政策に追従していました。そんな中にあって、愛知県の真宗大谷派円周寺の住職で医師でもあった小笠原登という方は、「ハンセン病は平凡な病」と言い切り、「3つの迷信(強力な感染力・不治の病・遺伝病)」と断じ、強制隔離に反対して在宅治療を続けましたが、差別と偏見に満ちた社会から小笠原さんの主張は受け入れられることはありませんでした。彼はおそらく「どのいのちも尊い」という阿弥陀さんの教えを身に沁みて感じておられたのだと思います。
戦後、1953(昭和28)年にはあらたに「らい予防法」が制定され、患者だけでなく、その家族も結婚や就職などがこばまれる事態となりました。この法律は1996(平成8)年に廃止されましたが、人間に植え付けられた差別・偏見はそう簡単にはなくならないのですね。1998(平成10)年には、熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴され、昨年の2019(令和元)年にようやく当時の安倍首相が原告団に、国の責任を認めた熊本地裁判決の受け入れるとともに謝罪したわけです。謝罪したことは大きな転換でありました。でも謝ったら解決したかというと、解決していない。それほど差別・偏見の問題は簡単には消え去らないのです。小笠原さんの「彼らの苦悩は疾患(ハンセン病)そのものにあらず、社会の迫害にある」という言葉は、今日のコロナの問題同様、やはり人間が一番問題だということを語っていると思います。
もう一点、小笠原さんが優生手術に反対したことも大切な視点です。戦後になると「優生保護法」が成立します。1948(昭和23)年です。皆さんは「優生思想」を知っておられますか? 生まれてきて(生きていて)いい生命と、そうでない生命とを区別する思想です。それが法制化されるということは、生まれてきてほしくない人間のいのちは人工的に生まれないようにできることを認めるということです。
優生思想というとナチスが思い浮かびますが、ナチスそのものの思想ではなく、人間の自我分別が生み出した思想だということをしっかり押さえておくことです。ナチスで言えば、ナチスは、障がい者を大量に安楽死させました。続いて約600万人のユダヤ人を虐殺しました。いわゆるホロコーストです。ナチスが実行した、生きていい生命と、そうでない生命の峻別は、実は現代でも行われていることを忘れてはならないと思いますし、安楽死という言葉にも問題性を感じます。
そのことを語る前に、優生保護法についてですが、この法律は、本人または配偶者が精神病などの場合、身体的または経済的理由で母体の健康を著しく害する場合、暴行や暴力によって妊娠した場合などが中絶できる理由になっていますが、そのなかに本人または配偶者がハンセン病の場合という項目が置かれていたのです。ハンセン病の患者さんはここまで徹底した差別や偏見を受けていたのです。
「優生保護法」は、「らい予防法」が廃止された& #39;96年に「母体保護法」へと改正されて、ハンセン病の項目はようやく削除されたのです。しかし、他の項目にも様々な問題性をはらんでいるのです。
中絶が認められるのは、妊娠22週未満とされていますが、それは何を言わんとしているかと言うと、胎児が母胎の外へ取り出されたら生きていけない期間だからです。22週目になると、母胎の外でも生きていけるので、中絶すると殺人になるのです。しかし、法律はそうなっていますが、22週未満は人間ではない、生命でもないということなのでしょうか。実に不可解です。阿弥陀さんの教えに照らされると、人間の立てる善悪の危うさを見せつけられます。現在も議論がなされているでしょうが、生命倫理の大きな課題でもあると感じています。
安楽死とは一体何なのか
さて、優生思想は、ナチスの思想ではなく、人間の自我分別に起因すると申しました。ということは私たちのなかにもあるということです。
経済至上主義の現代において、生産性のある人間こそ価値があるという感覚が、多かれ少なかれ誰もが持っているのではないでしょうか。「役に立たなくなったし、迷惑をかけるだけだな」という御年輩の方々がおられますが、私も60を超えて年を感じてきまして、年配の方々の言われることがすごく共感できる面があります。でもそこには、やはり生産性がある人間に価値があるということが裏にちゃんとくっついていることに気がつかされます。経済的に使える人間はよし、使えない人間はだめという考え方は、いのちの峻別に繋がっていくことになるのではないでしょうか。
その考え方が極端なかたちで表出したのが相模原の障がい者施設「津久井やまゆり園」の事件だったと思うのです。植松聖が、入所者45人を殺傷した事件です。なんとも残酷な痛ましい事件でした。彼は「障害者は人間ではなくて、動物として生活している。世界経済が活性化するため、重複障がい者の方が家庭内での生活、および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死を適用すべきだ」と主張しています。つまり経済的に使いものにならない人間は安楽死させろと言っているわけです。
一体、「安楽死」とは何なのでしょうか。鳥取大学医学部准教授の安藤泰至さんは、「そもそも安楽死とか尊厳死の世界共通の定義や概念は存在していないのが事実である」と言われています。安楽死という定義がないままに、安楽死という言葉が安直に使われています。ナチスも安楽死という言葉を使っています。私たちも、病に苦しんだら安楽死したいとか、安楽死させてあげたいという気持ちがおこるかもしれません。しかし、定義がないまま一人歩きしてしまった用語なのです。
やまゆりの事件における安楽死は、明らかに不要の生命を排除するということでしょう。安楽死を適用することによって、障がい者の問題を解決しようというのは、優生思想ではないでしょうか。それは「経済的に使えない人間は死んでもよい」ということでしょう。それを転ずるのは、「どのいのちも尊い」という如来の無分別智にふれる以外ないのではないでしょうか。
安楽死に関連して、ALS(「筋萎縮性側索硬化症」)についてもふれておきたいと思います。この病気は、手足、喉、舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がどんどん衰えていきます。筋肉が衰えるというよりも、筋肉を動かしている神経(運動ニューロン)が侵されていくのです。それが肺にくると死に至ります。手術して生きられたとしても、食べることも話すこともできなくなるそうです。でも、意識だけはあるのだそうです。「生きていると他人に迷惑をかけるから」という気持ちがはたらいて、人工呼吸器をつけずに亡くなっていく方も多いようです。
少し前にALSをめぐる事件が起きました。林さんという方が、2011年にALSに罹り、話すことも、手足を動かすことも出来なくてなりました。意識だけはハッキリしていました。彼女は重度訪問介護の制度を利用して、24時間、ヘルパーさんから生活のケアを受けながら生活していました。しかしあまりにもしんどいので安楽死を求めるようになり、SNSで知り合った医師二人が安楽死をさせた事件が起こりました。安楽死に定義はないと言いましたが、これは嘱託殺人と言えるのではないでしょうか。
私はALSに罹ったことないのでわかりませんけれども、おそらく私も「死にたいな」と思うのではないでしょうか。皆さんはどうですか? しかし、死にたいと思ったら、安楽死が正当化されるのはやはり問題です。死にたいと思っても、生きる意欲に転じられて生きている人もたくさんおられます。両目が見えなかった田口弘さんも死にたいと思った時期がありましたが、教えに生きる人たちを通して、彼を無条件につつむ如来の世界に出遇って生きていくことができたのです。
「死にたい」と思った時に、その話を聞いてくれる人、寄り添う人がいれば、生きようと転じることもあるのに、林さんを安楽死させた医師は、林さんのことを何も知らないのです。苦しいから安楽死をしたいと思う気持ちをそのまま受けて、善意かどうかわかりませんが、安楽死をさせてしまったのです。やはり「善悪のふたつもって総じて存知せず」という真実に目を向けていかねばならないでしょう。生きる可能性をもっているのに、死んだら問題が解決するわけでも何でもありません。私たちも安楽死を安直に捉えないようにしたいと思いますね。
存在の尊さに目覚める
先月(10月)、NHKの「クローズアップ現代」でALSの特集を放送していました。そのなかで40代の宮川さんという男性の方が出ておりました。突然ALSにかかって、その進行が早くて、まばたきすらできないくらいにまで進行してしまいました。奥さんは必死に看病します。その看病する奥さんの言葉が忘れられないですね。「私ってこんなに悪女だったとはね。いっしょに死んじゃいたいと思った時もありました」と。介護する人も大変なんですね。色々なことが頭をよぎるのも人間としてあたりまえのことですが、自分の愚かさを自覚されていることがすごいなと思いました。その自覚はどこから来たかわかりませんが、その自覚が益々夫とつながりを深めていることなっていることが感じられました。
宮川さんは、妻や息子さんに支えられているからこそ「生きよう」としたのです。24時間ヘルパ―さんが付き添う重度訪問介護を知ってから、さまざまヘルパーさんが入ってきて、彼はより一層「生きよう」と意欲を持っていきます。人工呼吸器も装着して、息子さんの小学校の入学式に親子3人で行きました。入学式から帰ってきたとき、ベッドに横になったお父さんに、息子さん「何もできなくても、たまにいっしょに出かけられるからうれしいよ」と言った言葉が脳裏に焼きついています。何ができるか、できないかということは問題ではないのです。人間にとって大事なことは「存在の尊さ」の回復です。入学式に車いすで参加するお父さん、意識はあるが、話すこともできない、体が動かないお父さん。そのありのままのお父さんの存在の重みを感じたからこその息子さんの言葉だったと思います。この家族のなかに本願がはたらいているとしか言いようがないなと感じたことです。苦悩するすべてに人間の上に本願がはたらいているんですね。如来は群生海の心です。つながり合い、支え合っている無限の如来のいのちの世界に触れれば、どのいのちも尊い。宮川さんは生きよう、生きようとしたのです。
それから、これもNHKですが、「ハートネット」という番組でALSが取り上げられていたそうです。私は見忘れて、あとから番組の内容を教えてもらったのですが、やはり「存在の尊さ」について語られていました。
身体が動かなくなった岡部さんという人に、東大生たちがびっくりする質問をしたのです。「全く動けないで、何の意味があるの?」と。すかさず岡部さんは「大して意味などはない」と答えたのです。意味づけ、価値づけ、条件づけをしながら生きているのが私たちの日常ですから、東大生たちは、岡部さんの返答に唖然とするのです。意味があるなら生きていていいとか、意味がないと生きていなくていいということになると、これはやはり優生思想ではないでしょうか。分別する心は意味があるといったら、意味のないものを生み出してしまいます。人間はどうしても、人生に意味や価値、条件を求めて生きざるを得ないのですが、実はここに人間の危うさがあるのです。人間存在そのものの尊さが捨象されていくわけです。
さらに東大生に対して、岡部さんは「意味があるとか、ないと言うことは、人間の尺度からみたいのちでしょう。こうして存在するということの前には、そういうことは大した問題ではないと思います」と言われました。「人間の尺度」とはまさに自我分別を指しています。その尺度から解放されて、岡部さんは「存在しているということの前には、何が出来るかということは実は大した問題ではない」と言われるのでしょう。
条件をいくら整えても本当に生きたことにはならない。意味や価値、条件は迷い深い人間の分別によって規定されていますから、それは終始一貫しないのではないでしょうか。でも意味を求めざるを得ないからこそ、仏法聴聞の大切さを思います。私たちは意味に苦しむのですが、これを超えているのが仏法です。仏教は存在論です。自分を成り立たせ、まるごと支え、生きる意欲を与える如来の無限のいのちの世界に目が覚めれば、人間は意味づけ、価値づけ、条件づけから解放されて生きていくことができるのではないかと、岡部さんの姿勢からあらためていただいたことです。もっと言えば、その自分のあり方が如来から照らされることによって、自分にとっては意味がないと決めつけてきたことにも対して見直す眼をいただくというかたちで、無明性(わかったつもりになる)から開放されていくということも大切な要だと思います。
最後に、もう一つお話をします。皆さんご存知のように、私は去年の6月まで『同朋新聞』の「人間といういのちの相」のインタビュア-の一人として、13年間関わってきました。様々な方々と出遇いましたが、真宗であるとか、ないとかに関わらず、どの人も本願に対する深い共感を持たれていることを感じてきました。
今日のお話の流れから、健常者と障がい者が共に支え合う社会を目指し、農業と福祉の連携を試みている佐伯康人さんを改めてご紹介したいと思うのです。読まれた方も多いと思いますが、思い出していただければ幸甚です。
佐伯さんは、愛媛県松山市在住で、脳性麻痺の障がいを持つ三つ子の父親です。真ん中の子は自分で呼吸ができないくらいの状態でした。2000年に、障がいを持った三つ子が誕生してから、生き方、考え方が大きく転換されたと言われます。
様々な悩み、葛藤のなかで、夫婦で笑って子どもたちを育てようと決意されます。でも現実は大変です。3人のお子さんのリハビリを夫婦2人で行うことは並大抵のことではありません。ところが、地域の方々が「三つ子ちゃんを支える会」というボランティア団体を結成し、リハビリ支援をしてくださるようになったのです。佐伯さんは、今まで「人の世話にならなくてもやっていける」という自分の在り方が傲慢だと気づかされたのです。私はインタビューをしながら、真宗の教えもお伝えすることも多々あるのですが、その時「佐伯さんは自分の愚かさに気づかされたのですね。それを私たちは凡夫の自覚と教えられてきました」と伝えたら、佐伯さんは深くうなずかれておられました。
三つ子ちゃんを支える会のあるおばあさんが、おじいさんと大喧嘩をして、家を出てそのまま佐伯さん宅に来た時のことです。おばあさんは「夫婦喧嘩をして機嫌が悪かったけど、足がこっちに向いちゃってね。迷惑かけちゃうかなと思ったけど、来てよかった。子どもたちの顔を見たら、一瞬で気持ちが晴れました」と言われ、子どもたちに何度も「ありがとう、ありがとう」と言っていたそうです。佐伯さんは、障がいを持っている子どもたちが、支えてくれる人の喜びになったり、支えになったりしている現実を見て、「子どもたちはそのままでいいのではないか」と思ったそうです。支える人が支えられるという反転が起こって、初めて本当に支え合う、共に生きるということが成り立つのですね。
「そのまま」ということを大切にしようと決心した佐伯さんは、3時間のリハビリのうち、2時間は子どもたちと遊ぶ時間にしました。何か予定を組んでそれを実行することよりも、「そのまま」ということを大切にすることで、子どもたちが本来持っている力を発揮できるようになったのです。
「そのまま」とは阿弥陀さんの世界です。人間は自我をよりどころとして生きているのではなく、無分別のそのままのいのちの世界に生かされているのだと感じました。
佐伯さんは、障がい者も健常者も共に支え合って生きることを大切にして、特に障がい者が力を発揮できる農業を始められました。農業によって自然との共生という感覚も育っていきます。佐伯さんの農業は、無農薬、無肥料の自然栽培に進んでいき、農業と福祉の連携につながっていくのです。
佐伯さんは「自分の思いとそれを超えた気づき。子どもたちの関わりと自然栽培に向き合ってきたなかで、そりことの繰り返しでした」と言われた時、「仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」(『蓮如上人御一代記聞書』)という蓮如さんのお言葉が頭をよぎりました。
佐伯さんは自然栽培によってできた作物を使用したレストランも経営され、店長、副店長はダウン症の30代の男女に任せておられました。店長さんが勧める料理をいただきましたが、ダウン症のままに今を喜びをもって生きている姿に感動を覚えるとともに、その人たちが作る料理は格別でした。料理は単なる味ではなく、その料理ができるまでの背景によって、味がより格別なものになっていくことを知りました。それが本当の美味しい料理なのだと感動しました。港区の八芳園でも佐伯さんたちが作った野菜を使って料理が出されているそうなので、皆さん行ってみてください。
佐伯さんは「人間は大地を失った」とくりかえし言われていましたが、佐伯さんは自然とのつながりを失った現代において、大地を失ったと言われていますが、それは、人間が真に生きるよりどころを失っていると言われているといただきました。
仏法の事は、いそげ、いそげ
まもなくタイムリミットなので、今度またゆっくり話しますが、佐伯さんたちが自然と共生している姿を見て、人間はいかに自然を利用し、破壊してきたかが問われなければならないですね。
実は、自然破壊という問題と新型コロナウイルス感染の問題は別ではないのです。ウイルスと人間との社会的距離が近接したということは、自然の乱開発によって、接しなくていい動物と接するようになったということです。それから、コロナウイルスの感染が終息しても、また別の感染症が近いうちに流行する可能性があるかもしれません。自然環境が破壊されていることが続けば、またどこかの動物と接し、それがグローバル化のなかですぐさま全世界に広がるのではないでしょうか。ですから、今回の感染症の問題は人災でもあることを忘れてはならないと思います。コロナウイルス感染拡大によって、自然破壊の問題がいよいよ可視化されたと思います。そしてコロナによって、我々が地球温暖化の問題と真摯に向き合うことが求められているのでしょう。
人間を見つめ直すということがなければまた同じことを繰り返していきます。如来の眼を通して、人間を、社会を見つめ直すことが願われているのでしょう。
こうしてみていくと、コロナの沈静化という対処療法だけでなく、コロナも人間を見つめ直す機縁になっていることを忘れてはならないと思います。ですから、「仏法の事は、いそげ、いぞげ」と蓮如さんはおっしゃるわけです。油断することなく、先送りにすることなく、日々の出来事に南無阿弥陀仏の呼びかけを感じる生活を送っていきたいと思うことです。コロナの感染拡大が続くなかで、お寺に足を運んでくださったご門徒の皆様、ZOOMで視聴してくださったご門徒の皆様、まことにありがとうございました。
蓮光寺報恩講2020 日中法要(御満座) 11月8日(日)
2021年4月18日公開
「あれはあれ、これはこれ」
松井憲一先生(京都市、聞法道場「道光舎」主宰、80歳)
分別から生じる偏見
皆さん、おはようございます。松井憲一と申します。以前も蓮光寺さまの「成人の日法話会」で法話をさせていただきました。本日、蓮光寺様の報恩講のご満座では、コロナ禍でありますので、京都から法話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
新型コロナウイルス感染拡大の中、人間と人間が分断されていく出来事がおこっています。感染した人は、感染したくて感染したわけではありません。また、誰だっていつ感染者になるかもわかりません。にもかかわらず、感染したのはその人の落ち度であるかのように責められ、憎まれることが今まさに起こっております。
古来、伝染病にかかった人を差別したり、排除したりすることは、洋の東西を問わず行われてきました。かつては、ハンセン病の患者に対する差別がありました。今回の新型コロナウイルス感染症についても感染した人を隔離しようとして、そのために地域や職場が分断されております。
全て、分断によるいさかいは、自と他を分けて分別することから起こります。人は、「人の間」と書いて人間と言うように、関係存在、ご縁によって生かされているのですから、自分あっての他人であり、他人あっての自分であります。だから、自分と他人を分けて考えてはならないと知ってはいても、どうしようもなく分別をしてしまうのが私たちであります。
新聞の投書で、ある方が「先日、会社に着いた途端に財布がないのに気づきました。地下鉄の駅でいったん荷物を置いたことを思い出し、同駅に戻り尋ねると、すぐに財布に再会したのです。中身も元通りでした。届けた人は若いフィリピン人女性だったということです。ハッと目を覚まされた気がしました。人種偏見はとんでもないと頭では思っていても、こころの底から偏見なしに外国の人を見ていたかどうか。自信がありません。駅前を通れば男性たちが昼間でもそこ、ここで腰を下ろし、通行人を漠然と眺めているので、つい急ぎ足で通り過ぎるし、フィリピンをはじめ東南アジアの若い女性と見れば、水商売に関わる人と思ってしまいます。それに、深夜スーパーの強盗が怪しげな日本語だったとか、外国人に関わるニュースは暗い、危険なイメージが多いのであります。それだけに、財布が出てきたうれしさと同時に人の親切さと人種のことなど、いろいろと勉強になった出来事だった」と書いておられました。私たちは財布を拾ってもらうようないいご縁に遇うことがなければ、自分の偏見にハッと気づくようなことはない、いいかげんな生活をしているのではないでしょうか。
しかも、その分別の偏見は、老少男女を問わず、みんな自分中心の思いでしているのであります。
新聞の4つの四コマ漫画から、自分中心で生きていることを感じとっていきましょう。
まず、漫画1を見てください。1コマ目。奥さんが押し入れの掃除をしていたら、箱の中から手紙が出てきた。2コマ目で、その手紙の中身は結婚前にお父さんからもらったラブレターが入っていた。お母さんは若いときにもてた自分を子どもに自慢したかったのでありましょう。そこで3コマ目で、お父さんのラブレターを2人の子どもに見せた。子どもは「へえー」と言って驚いている。「あのお父さんが」と思われたのでございましょう。4コマ目で、お父さんは面白くなかったのでしょう。「内部文書の放出はいかがなものか」と言っておられました。
次に漫画2を見てください。1コマ目で、お父さんが新聞を読んでおられる。2コマ目は、あちこちで内部告発が行われたと新聞の見出しに出ている。3コマ目で、ふすまを開けたら、おばあさんが仏壇に向かって何か言っておられる。そして「これも、内部告発の一種かな?」と言われる。どういう内部告発であったかと言うと、4コマ目です。おばあさんは仏壇に向かって「おじいさん!聞いてくださいな」と、お鈴を打って「うちの嫁がね」と言っておられました。
次に漫画3を見てください。1コマ目、新聞に「東電ひび割れ3回隠す」とあります。それを2コマ目で、声を出して読んでおられたお母さんを見ていた僕。「3回か」と言っておられます。3コマ目で、僕はママの顔を見て「ママなんか」と言う。そして4コマ目、「毎日隠しているよね」。何を隠しているかと言うと、顔のひびを丁寧に化粧をして隠しておられると言っておられました。
次に漫画4を見てください。1コマ目、テレビでお医者さまが、「毎日お酒を飲む人は、休肝日をつくりましょう」と言っておられます。2コマ目で、寝転んでそのテレビを見ていたお父さん。「パパも休肝日をつくるか」と言う。3コマ目で、お父さんとテレビを見ていた僕。「僕もつくる」と言う。そして4コマ目、僕が言うのは休脳日。つまり、頭を休める日と言って、「宿題をやらない日」と言っていました。
老若男女、皆、自分中心ですから、自分の都合のいいように解釈して、妄想をぐるぐる回して生活をしているのです。そのような妄想から覚めた人を仏、仏陀と言います。
夢と自己喪失
「正信偈」に、「善導独明仏正意」とあります中国の善導大師によりますと、「自覚・覚他・覚行窮満、之を名づけて仏と為す」と言われます。自らさとり、他をしてさとらしめ、またそのさとりのはたらきが他の人に次々と伝承していくということで、仏とか、仏陀とか言われるのであります。
そういう点から言えば仏教は、これひとえに目覚める教えであります。「覚」という字は、「さとる」とも「さめる」とも「おぼえる」とも読みますが、おぼえるのではなく、さとる、さめるというのが、仏という意味であります。さめるというのは、夢から覚めるということです。夢から覚めるということは、私はいろいろと思い描いております夢から覚めるということであります。人間は夢見る存在だと言われますが、まさしく夢ばっかり見て、夢を食べて生きていると言ってもいいのではないでしょうか。
昨年の七夕の日の新聞にこういう漫画がありました。1コマ目に、「七夕」と書いてあって、笹の葉にぶら下がっている短冊に、願い事がかなうようにいろいろ書いてあります。その短冊には、まず「天の川」。その次は、飛行機の型に切った短冊に「海外ツアー」とある。そして、「マイホーム」「都心のマンション」「会社」「別荘」などと書いてぶら下げてあります。2コマ目になりましたら、新婚のご夫婦でございましょう。お2人は空を見上げて、奥さんが「夢はどこへ行くの」と言うと、ご主人が「お星さまかなあ」と言っておられる。ところが3コマ目になりましたら、翌日のことでしょう。七夕の飾りが片付けられて、大きなごみ袋の中に入れられて、電信柱近くのごみ収集所に奥さんが持って行く絵が描いてありました。4コマ目では、夢の島と書いて、ダンプカーで埋め立てられている絵が描いてありました。だいたい夢というのは覚めたら消えることになっているんですね。
また、今年の新聞に、こんな詩を載せておられる方がありました。「私には欲しいものがたくさんあった。お金、地位、名誉、上品な器量、やりがいのある仕事、一旗揚げたい、脚光を浴びたい。遠くはるかな夢。手の届かない夢。まるで蜃気楼を追いかけるように、真実を受け止めようとしない自分であった」。こう言われてみれば、私たちも真実を受け止めようとせず、夢を見て生きているのでありましょう。画家の山下清さんは「いい夢でも悪い夢でも、夢は夢だな。さめてみれば、みんな同じだ」と言っておられます。
夢は、みんな夢なのであります。人生、一寸先は闇だと言われますね。ところがその闇の中で、闇だと言いながら、なお闇の中に夢を描いて、その夢の中で生きていこうとしている。そういう在り方に、覚めるということが大切なのでありましょう。
あるお寺へ参りましたら、こんな掲示伝道が書いてございました。「自分が愚かであることを忘れているのを自己喪失という」。そういうことから言えば、夢を追い求めていくような人生は自分を失っているということでありましょう。
愚者往生
それで、「覚める」ということをもう一度確かめてみますと、覚めると言っている私たちの内容はどれも立派なこと、素晴らしい教え、素晴らしい教えには違いありませんけれども、特別な内容に覚める、このように思いがちであります。けれどもそうではなくて、私の愚かさ、思い違い、考え違いということに覚める。それが覚めるということの内容でございます。
だいたい「覚る」というのは、迷っていたことを覚るのですから、夢を追い続ける内容を、はっきりさせることが覚るということでありましょう。
お釈迦さまのお覚りもそうですね。十二支縁起、これは縁起と言われる内容を、十二にまとめた教えであります。「無明」「行」「識」「名色」「六入」「触」「受」「愛」「取」「有」「生」「老死」です。
お釈迦さまの覚りの初一念は、一番初めの「無明」です。無明の自己であった。ご縁によって生かされてあるいのちを見失っていた。愚かな自分であったと、覚られたのであります。自分は何もわかっていない。全部夢の中で夢を追い求めるような生活をしていたということに、初めて目が覚めるということが、無明という目覚めです。だから覚めてまた夢を追いかけるというようなことは、おかしいので、それは覚めていないということなのであります。
これは親鸞聖人が、88歳のときのお手紙であります。聖人は、ご承知のように90歳でお亡くなりになりましたので、最晩年ですね。そのお手紙は法然上人について、南無阿弥陀仏の教えを学んでおられたときのことを、思い出して書いておられます。
親鸞聖人は、29歳で法然上人に出遇い、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」とおっしゃいました。さらに「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候」とおっしゃいました。
いずれにしても聖人は、29歳のときから90歳まで、ずっと法然上人のお念仏の教えに生きられたのであります。
その親鸞聖人が、88歳のときに、法然上人のお弟子であった吉水のころを思い出されて、こうおっしゃっているのです。「故法然聖人は、『浄土宗のひとは愚者になりて往生す』と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、(中略)いまにいたるまで、おもいあわせられ候うなり」。
それは法然上人が、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と言われたことを、「いまにいたるまで、おもいあわせられ候うなり」と書いておられるのです。
つまり、55年以来ずっと考えてきたが、大事なことは、浄土宗の人は「愚者になりて往生す」という言葉、このこと一つだと。浄土宗をわが宗とする人はたった一つ、愚者であることに目覚めることだと。愚者であることに目覚めていく生活をたまわるのが「往生」することだと言われております。
私たちも、愚者であるのですが、覚めていませんから、愚者にならない愚者なのであります。たまに愚者と気づくと、余計に賢くなろうと思って教えと逆さまの方向へ歩んでいく、どうしようもない者なのです。だいたい愚者になると聞きますと、愚者になろう、なろうと思って頑張りますが、これは頑張ってなれるものではありませんね。もともと愚者なんですから、愚者である自分を素直に認めればよいのです。愚者の自分に帰ればよい。愚者である本当の自分に帰るのを、愚者になるとおっしゃるのです。だから正直に、私は愚かだな、間違いばかりだな、思い違いばかりの人生を歩んできたなと、こう私のごまかしのない日常の姿に目覚める。これが、南無阿弥陀仏の教えをいただくということなのだと、教えておられるのであります。
このお手紙のおこころをいただけば、念仏往生と愚者往生とは同じこと。念仏往生は愚者往生であるとうなずいておられたこと、が教えられるのであります。
法然上人との出遇い
ご承知のように親鸞聖人は、20年もの間、比叡山の自力聖道門で修学と修行をされました。『教行信証』に引用されます膨大なお経さま、論、釈のご文は、比叡山時代の学修の内容だと言われています。
「正像末和讃」に「自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転の凡愚はいかでか発起せしむべき」と言われます。聖人は、比叡山で常行三昧堂の堂僧をしておられたというのですから、90日間、こころには阿弥陀仏を憶念し、身は阿弥陀仏の周りを回り、口には南無阿弥陀仏をとなえるという、身口意の三業を上げて修行されたことが幾度もあったのでありましょう。
そうした厳しい修行を通して、「いつも迷いの世界をさまよっている愚かな凡夫は、どうして自力の菩提心を起こすことができましょうか」とおっしゃるのです。
比叡山の聖道門には、凡夫のさとりはないということをはっきり実験され、六角堂の参籠を通して、吉水の法然上人を訪ねられたのでした。
その辺の状況を、親鸞聖人の奥さまの『恵信尼消息』の内容から、いただくことができます。
「山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて、後世を祈らせ給いけるに、九十五日のあか月、聖徳太子の文をむすびて示現にあずからせ給いて、候いければ、やがてそのあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、たずねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるように、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、ただ、後世の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いしをうけ給わりさだめて候いしかば、上人のわたらせ給わんところには、人はいかにも申せ、たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも、世々生々にも迷いければこそありけめ、とまで思いまいらする身なればと、ようように人の申し候いし時も仰せ候いしなり」
(現代語訳 親鸞さまが比叡山を降りられて京都の六角堂に百日間お籠もりになり、未来の救いを祈られたとき、九十五日目の明け方、夢の中に聖徳太子が姿を現されね偈文を唱えられて、歩むべき道をお示しくださいましたので、そのまま明け方、今、未来の助かる縁に遇わせていただこうと、法然上人にお遇いになりました。そして六角堂に百日間お籠もりになられたように、また百日の間、雨の降る日も晴れた日も、大風であっても、法然上人のもとにお通いになりました。上人は「未来の救いは、善人であろうと悪人であろうと、誰もが同様に、迷いや苦しみを超える道は、ただ念仏申すより他ない」とお聞かせいただき、「法然上人がおいでになる所には、人はどのように申されようとも、それがたとえ地獄に堕ちてもお供いたします。それは、自分は遠い過去から今日まで、ずっと迷いの世界をさまよってきた身ですから」と、人が念仏について色々申しましたとき、親鸞さまは、いつもこのように仰せになられました。)
と恵信尼公は伝えておってくださいます。
さきほども少しふれましたが、『歎異抄』第二章には、
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんベるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄におちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
(現代語訳 この私「親鸞」においては、ただ念仏によって自我を破って自分を回復できる如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみです。念仏は、本当に浄土の世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知りません。もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔はしません。というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏によって地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるでしょう。もともと懸命に努力しても、仏になれない身ですから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのです。)
とあります。
親鸞聖人は、仏になるような修行は一つも実行できないという、地獄は一定の自覚において、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と、うなずかれたのでありました。
こうして、法然上人に出遇われた親鸞聖人は、流罪で別れ別れになる6年の間に『選択本願念仏集』の書写と法然上人のお姿、真影の図をいただき、親鸞の名前もいただかれたのです。
法然上人に書いていただいたのは、「『選択本願念仏集』の内題の字、ならびに『南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本』」です。この『選択本願念仏集』の題の下の十四字であります。題下の十四字と読みますが、「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」の文に応答されたお言葉が、『教行信証』にあります。「明らかに知りぬ、これ凡聖自力の行にあらず。かるがゆえに不回向の行と名づくるなり」と書いておられます。
つまり、南無阿弥陀仏は仏の本願による行だから、凡聖自力の行にあらずと、凡夫であろうと、聖人であろうと自力の行ではないと教えられ、私たちから言えば、不回向の行と名づくべくものであると言われます。そして、そこからより積極的に、南無阿弥陀仏は、本願力回向の行だと教えられたのであります。
無分別の智慧にふれる
「正像末和讃」には、「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」とあります。阿弥陀如来の誓願による智慧の念仏をいただくということは、法蔵菩薩の本願力によるものです。もし信心の智慧がなかったならば、どうして涅槃のさとりを開いて仏になりましょうかと言われます。智慧は、本願の念仏にたまわるのです。曠劫(こうごう)のいにしえから、共に歩んでくださった法蔵菩薩の願力のご縁のおかげで、鈍感なわれわれの耳にも聞こえ、口にも称えるようになったのがお念仏なのです。南無阿弥陀仏は、法蔵願力のなせるなりと、法蔵願力の回向なのです。
その智慧のはたらきを、聖人は「智慧の光明はかりなし」というご和讃の左訓に語っておられます。左訓とは何かというと、ご和讃には、右に読み仮名をふられ、左にその内容を紹介してわかりやすく述べられておられます。左側が左訓です。その左訓に「智は、あれはあれ、これはこれと分別して、思ひ計らうによりて、思惟に名づく。慧はこの思ひの定まりて、ともかくもはたらかぬによりて、不動に名づく。不動三味なり」と書かれております。仏の智慧は、無分別を背景にしておりますから、「智は、あれはあれ、これはこれと分別して、思ひ計らうによりて思惟に名づく」とあります。
智慧の智は、「この思ひの定まりて、ともかくも働かぬによりて、不動に名づく。不動三味なり」と、人間の妄想分別に微動だにしない、無分別の智慧から転じた、後得分別の智慧なのです。
私たちは、仏の無分別の智慧に遇うまでは、まだ自分の分別でなんとかなるという思いが取れません。仏の無分別の智慧に出遇って初めて、できる、できない、勝った、負けた、褒められた、そしられた、損した、得したという、自我のはからい、分別では助からない身であると知らされるのであります。
あれをこれにしよう、これをあれにしようという、自分中心の分別しかない私に、いつもあれはあれでよし、これはこれでよしと、はたらいてくださるのが、仏さまの無分別の智慧であります。この無分別の智慧にふれるのは、南無阿弥陀仏の一念であって、その一念に、自分の分別に決別するのでしょう。
南無阿弥陀仏の一念に、自分の思いに死んで、あれはあれでよし、これはこれでよしと違いを認めて、よいところも悪いところも全部ひっくるめて、事実をあるがままに引き受ける。そういう方向をいただくのが、仏よりたまわる信心の智慧なのであります。
信心の智慧は、悪い人と言うと、皆すぐ自分を省いて誰が悪いのだと考えるような、そういうわれわれの在り方を翻させて、相手を尊重する。御同朋・御同行とかしずく世界を頂戴するのであります。南無阿弥陀仏と無分別の智慧に触れれば、どれだけ愚かであろうと、どれだけ煩悩があろうと、頑張るこころを超えて、事実を引き受けて生きていけるのであります。
『一念多念文意』で親鸞聖人は
「別解は、念仏をしながら、他力をたのまぬなり。別というは、ひとつなることをふたつにわかちなすことばなり。解は、さとるという、とくということばなり。念仏をしながら自力にさとりなすなり。かるがゆえに、別解というなり。また、助業をこのむもの、これすなわち自力をはげむひとなり。自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり」
(現代語訳 「別解」とは念仏申しながら他力をたのみとしないということです。「別」というのは、もともと一つであることを二つに分けるという言葉です。「解」はさとるという言葉であり、とくという言葉です。如来から賜った念仏を自力の行にしてしまっているのです。だから別解というのです。また念仏以外の行を好んで実践する人は、自力の行を励む人に他ならないのです。自力というのは、わが身をたのみ、わが心をたのみとし、自分の力で行に励み、自分がつくる様々な善をたよりにする人です)
とおっしゃっていますように、自力が出して結局のところ、人間はわが身、わがこころを頼りにしています。さらにはそれをよしとして、他力をたのまないのが私たちであります。
「あれはあれでよし、これはこれでよし」が見えない
常に自分を中心にして、わが身をたのんでいるのが私たちです。夫婦間でもそうですね。
最近は奥さんもお勤めの方が多いので、家庭の手伝いをしてくださるお父さんが、いいお父さんになっているのです。そういういいお父さんのことを、「三事のあなた」と言うんだそうです。おやつの三時の時間ではありません。育児、炊事、掃除、この三つの「三事」を見事にやってくださるお父さんを、「三事のあなた」と言うのだそうです。
最近は、男性も育児休暇が取れるようになりましたが、男性の育児休暇の取得率は、今年までに13%の予定が、まだ達成できていないようであります。だから「三事のあなた」をする男性がいいお父さん。奥さんが自分の都合を立てれば、そうなりますね。
そして定年退職になると、ごみ扱いですね。お父さんのことを粗大ごみと言う。定年退職して、何もせずに、どーんと動かずにいると「濡れ落葉」。ベターとひっついて、掃除するのに、邪魔になって、困ると言われる。
また、恐怖の「わしも族」とも言うのだそうです。奥さんは、せっせと文化教室やらカルチャーセンターに行かれるが、お父さんは勤めが終わってやれやれ、どこへも行かれない。そこで奥さんが「今から〇〇教室へ行ってきますよ」と言うと、お父さんは「わしの昼飯はどうなっとる、わしの晩ご飯はどうしてくれる」と言い、最後には「わしも連れていけ」と言うので、恐怖の「わしも族」と言うのだそうです。
それで、母の日の前の百貨店の調べでは、夫に望むのは、出世より子育てだそうです。出世を望むのは5%にすぎず、子育てや家事など協力を望むのが6割。日常の嫌いな行動では、食事の後片付けが3割を超えて、夫の世話と答えた人もあったそうです。
こんな川柳がありました。「粗大ごみ 朝出したのに 夜帰る」。お父さんも勝手ですからね、今日は夕飯用意しておいてと言っておきながら、飲み会やら会議、あるいはそういう場所に行って電話も入れず、夜遅くまで帰ってこない。今日は会議で遅くなると言って出かけたから、安心して適当なご飯で済ませていたら、早く帰宅して何も用意していないのかと言って怒る。だから奥さんに「粗大ごみ 朝出したのに 夜帰る」と言われても無理もないのですが、みんな自分中心なんですね。
自分のことも見えていません。本当に愚かなことを平気でやっておりながら、その自分の愚かさが見えていない。だから、自分の都合のいいようにしか、ものを見ない。「あれはあれでよし、これはこれでよし」と見えないのです。
そういう状況でございますから、ペアでエプロンを贈るのが、一時はやったんですね。家事をお父さんに手伝ってもらおうということでしょう。
こんな漫画がありました。1コマ目に、「ペアのエプロンを贈るのが流行」と書いてある。2コマ目で、奥さんがお中元を開いたら、エプロンが2枚出てきた。一枚を身に着けて、大きい方を手に持って「あら、うちにも来たわよ。家事を手伝ってもらいましょう」と言う。ちょうどその時にお父さんがお風呂に入っていたので、そのエプロンを脱衣籠のところに入れておいた。3コマ目で、風呂から上がったお父さん。「これは、いい」と早速エプロンを身に着けた。どう身に着けたかと言うと、何にも履かずにいきなりエプロンを体の前に着けた。肝心なところは隠れて、後ろは開けっぱなし。天然クーラーの風が当たって涼しい。4コマ目で、お座敷の机の前に座ってうちわであおぎながら、「ビール、ビール」と言っておられる。同じエプロンでも、自分の都合のいいように解釈する。奥さんは家事を手伝わせようとするし、お父さんは最高の浴衣にしている。
こういう自分の都合のいいようにしていながら、自分のことは忘れて、もっと思うままに相手を変えて、少しでも楽な生活をしようとしているのです。
こういう漫画もございました。最近は禁煙のところが多くなりました。隣に座った人にたばこを勧めるのが美徳だった中国でも、公共の場では禁煙になっているようでございます。その禁煙の漫画です。1コマ目で、奥さんが電卓をたたいてこう言われた。「1日1箱吸うとして、1カ月で6600円。1年で79200円」。2コマ目で、「あなた、79200円よ。すぐ禁煙して」と。それでお父さんは「そんな理由でか。俺の健康を考えて、禁煙と言うのではないのか」と言う。健康のためならともかく、お金のためにやめろというのはなんということだと。そういうわけです。そうしたら3コマ目で、奥さんは「考えているわよ、もちろん」と机をたたかれ、4コマ目で、奥さんが「これだけあれば、あなたの保険を増やせるでしょう」。お父さんはそれを聞いて、ひっくり返っている絵が描いてあります。そんなもんですね。何でも自分の都合です。
サラリーマン川柳の中に、こういうものがありました。「お互いに 悪いところは あなたの子」。子どもが悪いと「あんたに似た」とよく言いますね。思うように育たないと、「あなた似だ」と。あまりはっきり言うと、夫婦げんかになります。だから、そこにおられないおじいさんやおばあさんまで引き合いに出して、「おじいさん似だ」「おばあさん似だ」と。
ところが、都合がよくなるとこうです。「成績が 上がった途端 俺の子だ」と言いますが、「口惜しや あっちのじいに 孫似とる」というこころも出てまいります。まったくいいころかげんで、本当の自分のことはわかっていないのです。
こういう漫画もございました。1コマ目で、「もう、うちの主人たら。日曜となると朝からパチンコなのよ」と、隣の奥さんと話をしておられます。2コマ目になったら、「今日だって行ったきり。もうお昼過ぎたのに、まだ帰ってこないでしょう」と言う。3コマ目。「まったくあきれて、ものも言えないわ」と言う。そこへご主人が帰ってこられて、4コマ目で、ご主人がこう言った。「おまえ、俺が出掛けるときからそこにいたけど、まさかずうっと」と言っておられます。
自分のことは忘れるんですね。そして、ほとんど自分の都合のよい見方で相手のことを考えているのであります。だから、自分のことでないのに褒めていただくと、つい自分のことだと思って、返事をしてしまうことがあります。
こんなことを書いておられる人がありました。先日、夕方近所のスーパーに買い物に行った。店内を見て回っていたら、顔見知りにばったり会った。話をしながら「きれいになったわね」と言ったら、「あら、そんなこと」と手を顔に当てる。あら、何か勘違いしたのかなと思いつつ、そうじゃなくて店がきれいになったと言いたかったのに、と口から出かかっていくのを飲み込んだ。そしてなんとか話を合わせてしまった。
自分の都合のいいことにはすぐに反応するが、都合の悪いことは反応しないどころか、他人のせいにする。私には関係ないというふりをする。
新聞の投書で、新聞の投書の見方を書いておられる人がいました。新聞の投書を見ていますと、「近頃の若いもんは」と「迷惑人間」のことを書いているのが多くあります。だから、新聞を見るときに見方があるというのです。例えば、後ろの職業欄の年齢層を見ると、必ず自分と同じ年齢以外の世代を、批判しておられると言っておられましたが、本当にそうですね。だから、自分を省みる目はいつも抜いて、そして自分の都合のいいように考えて、生活をしていく。人のことを非難している自分のことはわからないんです。
選挙シーズンのときに、こんな川柳がありました。「政治家は こころと顔が 違います」。しかし、こころと顔が違うのは、政治家だけでしょうか。私はどうでしょう。
私は子どものことを思って、一生懸命育てておりますと言う。それで、コロナ禍の中でも2メートル開けて、わが子を叱りますと言う人もいます。叱るのではなくて、できるだけ褒めて育てるようにしていますと言う人もいます。
しかし、褒めるということだって、褒めればいいということではないはずです。例えば、こう言っておられる方がありました。褒めるとは、子どもを自分の価値判断に照らし合わせて評価することです。親から、「そう、それでいいのよ」と「偉いのよ」と褒められて、取りあえず嫌な気持ちになる子はいません。もっと親を喜ばせてやろう、どんなことをしたら褒めてくれるだろうと頑張るでしょう。子どもが持っている以上の力を、出すかもしれません。でも反対に、親が褒めてくれないときや、頑張れなくなったときに、子どもはどんな思いを持つのでしょうか。親に褒められない私は駄目だと卑下したり、こんな自分を、親は大切にしないのではないかと不安になったりします。
大人でも、少々お世辞と分かっていても、褒められて悪い気はしないと言われました。本当にそうですね。でも、その人の前では少し無理をしていたり、居心地が悪かったりすることってありませんでしょうか。
子どもも同じです。褒められようとしたら、無理したり。褒められないかもしれないと思って不安になったり。親の前で安定したこころでいられなくなり、自分の本当の姿を見失ってしまいます。
そして、褒められることで動いていた子どもは、親の目を通して価値判断をしているので、自分で物事を見つめ、考え、決めていく力が育ちません。褒めることは、子どもが自立する力を遮ることになります。
子どもは、自分の人生を自分の判断で生きていくためにも、褒めることで親の判断を押し付けることは恐ろしいと思います。ただ褒めることと、子どものあるがままを認めて、「あれはあれでよし、これはこれでよし」と事実を事実として受け取ることと、混同してはなりません。ただ褒めたらいいということではないのですね。
小学校の男の子が、こういう詩をつくっております。「お母さんは 工作をしているときだけ褒めてくれる お父ちゃんは はさみを返したときだけ褒めてくれる おじいちゃんは お話をしたら褒めてくれる おばあちゃんは 何にも褒めてくれん 一生懸命手伝っても褒めん いいことしても褒めん あれ忘れてるんや」。
本当に褒めるというのは、そのときの気分ですね。忙しかったら、褒めている暇がない。そのように私たちは、日常生活を点検するだけでも、間違いだらけのことばかりではないでしょうか。しかも、そんなことに気もつかずに、一人前の顔をしているのであります。
だいたい自分の姿に気がつかないというのは、自分に対する執着心が、いかに深いかということでしょう。自分はまんざら捨てたものではない、という思いが最後まで付きまとうのですね。
サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジは、自殺者が多いことでも有名だそうです。そのゴールデン・ゲート・ブリッジというのは、橋の長さが3キロあって、一番高いところは、水面から70メートルあるんだそうです。
ところが自殺するときに、一定の飛び込み方があるんだそうです。そんな高いところから飛び込めば、いのちが終わることは決まっております。しかも自分の意思で飛び込むのですから、確実ですね。
それにもかかわらず、飛び込むときに、外海の方を見て飛び込まない。内陸の側に、飛び込むのだそうです。この様子を見て、ロサンゼルスの自殺予防センターのシュナイドマン博士(エドウィン・S・シュナイドマン)は、死の瞬間まで現世に未練を残しておる、ということだと言っておられます。
そういうことを聞かされますと、本当に愚かであるという一事に、尽きるのでありましょう。けれどもその愚かさも、聞法に聞法を重ねて教えていただかなければ気がつかないという、鈍感さを持ち合わせているわけでございます。
愚かさを知らされていく
親鸞聖人が真実のお経といただかれました『大無量寿経』に、こういうお言葉があります。「身愚(おろ)かに神(たましい)闇(くら)く 心(しん)愚(おろ)かにして智少(な)し」。これが私の在り方です。身もこころも愚かで、闇で智がない。これが私のありようだと、こう教えられています。そういうわが身に気付くのが、南無阿弥陀仏の教えに出遇うということでありましょう。
「じぶん このやっかいなもの」という、相田みつをさんの詩があります。まず自分とおっしゃる。他人のことではございません。私たちは厄介なのは他人だと思いますが、果たしてそうでしょうか。
家にも、厄介な人が増えてきたなと言っていますね。同じ家族なのに、家にいる人を厄介だと言わねばならない自分は、もっと厄介だということには気がつかないんですね。
家にいるということは、よくよくの因縁があるということでしょう。その一番狭い単位の家族にさえ、厄介だと言う。親が厄介な人もあれば、子が厄介な人もおりましょうが、そういうことを言わなければならないような私が、一番厄介者ではないでしょうか。その私の厄介さに、覚めるということが大事なのでしょう。
もう一つ、同じような言葉がございます。「自分、このどうしようもないもの」。うちの子は、どうしようもないわとよく言いますが、自分はどうでしょうか。子どもを、どうしようもないとしか言えない親は、もっとどうしようもないですね。その辺には、気が付かない。そんなどうしようもない厄介なものが、自分の思いの中で楽な世界に行きたいとか、豊かになりたいとか言っているんですから、そのことの全体が間違いなのですね。
だから南無阿弥陀仏と申して、いい世界へ行きたい、楽になりたいと思うなら、それも大間違いでありましょう。極楽までの距離は、どれくらいあるだろうかと測られた方があります。近畿数学史学会会長で、大阪工業大学の元教授の山内俊平さんが、仏教書などを基にして算出された結果、10京、「京」と書いて「けい」と読むんですね。10京、10の17乗光年。光の年ですね。光の速さの乗り物でもたどり着くのに、1億年の10億倍もかかる計算。こういう結果が出たと出ておりました。
私はその計算を聞いて、なるほどと思います。つまり自分の分別では、決して届かないということです。つまり全部夢だと、気づけということでありましょう。人間の思い、人間のはからい、分別ではどれほど真剣に考えても行けない。つまり本当に自力無功と頭が下がる。下がるところでしか感得することができない世界を、浄土というのでありましょう。
だから、愚かさが知らされていくというところに感ずるのが浄土。それが南無阿弥陀仏。念仏申すということ。そのことの大事な中身でございましょう。念仏を申せば愚かさがわかる。しかし愚かさがわかる内容は、自分の力でわかるということではありません。称名の称には、はかるという意味があります。これは仏さまのはかりによって、私の愚かさを知らせていただくということです。しかし自分ではかったら、自分の愚かさが分かるというようなはかり方は、甘いですね。本当に、はかったことにはなりません。
仏さまの教えに遇えば、私の愚かさが見事に知らされます。愚痴きわまりなきものだと、知らされます。それが称名念仏。南無阿弥陀仏でございましょう。
「あれはあれ、これはこれ」
親鸞聖人は晩年になりまして、先輩である隆寛律師の『一念多念分別事』、あるいは聖覚法印の『唯信鈔』から大切な文章を取り出して、わかりやすく解説をしておられます。85歳のときです。ただ、その2つの書物の最後のところに「いなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、やすくこころえさせんとて、おなじことを、たびたびとりかえしとりかえしかきつけたり」と書かれています。つまり、とりかえしとりかえし書きつけて、言わねばならないような私がここにいる。それは何かというと、まさしく愚痴きわまりなき私。そして愚痴きわまりなき私という、うなずきが南無阿弥陀仏。こういただいて、初めて覚めたと言えるのでありましょう。
親鸞聖人は、ご自分の名前を「愚禿釈親鸞」と書かれます。愚のうなずきが釈、仏弟子にさせていただく自覚でありましょう。だから念仏申すことは、私の愚かさに目覚めていくことでございます。
自分は愚かであったと、こう覚める。これが南無阿弥陀仏の教えに遇った、覚め方なのでありましょう。つまり愚かさは、教えられなければわかりません。そのわからない私のありように、汝愚かな者よと、教えてくださるのが仏さまの教え。愚かさに覚めよ、こう教えてくださるのであります。
この愚かさに覚めて、お書きになったのが、最後のご和讃でございましょう。「是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」とあります。「是非しらず邪正もわかぬ このみなり」、物事の是非も知らず、邪正の判断もできないこの私ですと、今ここにある身をおさえて言われます。
そして「小慈小悲もなけれども」と。人間としての小さな慈悲さえも、持っていない。このような身でありますのに、「名利に人師をこのむなり」と、世間から名誉や利益のために、自分も人の先生と言われることを好んでいる私なのです、と言われます。
こういう懺悔は、本願に出遇って、吹き出した内奥からの、聖人の雄叫びでありましょう。
親鸞聖人は、仏さまの願いを磁石、金属を引っつける磁石のようなものだと言われます。阿弥陀仏の悲願について、「なお磁石のごとし、本願の因を吸うがゆえに」と例えられます。
本願の因とは、『歎異抄』の三章に「他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり」と言っておられますから、悪人の自覚、先ほどから申している言葉で言えば、愚かさに目覚めるということが本願に出遇う因、原因でありましょう。そういう愚の自覚の因を呼び起こして、吸うのが磁石、本願であると言われます。磁石というのは、同じような方向に行こうとするものは、吸い付けません。仏さまがNの力なら、自分にもNの力、仏さまと同じように覚める能力があるんだと思って近づこうとすると、永遠に近づくことはありません。
あれをこれにしよう、これをあれにしようという愚かさをひっくり返して、あれはあれ、これはこれであったとうなずかせて吸い付ける。ということは、覚めて立派になるのではなく、覚めることを自分の力でできるんだと思っているほど、厚かましく愚かな私のありように気づかせて、そして本当の愚かさに覚めさせてくださるのであります。
愚かな身に帰らしめる。愚かな身の懺悔が仏さまの教え、本願力だということでございましょう。そういうことから言えば、南無阿弥陀仏と申して愚かさに目覚め、愚かさを通して、いよいよ南無阿弥陀仏と申させていただく。それが親鸞聖人の歩まれたお念仏の生活です。
あれはあれ、これはこれと、念々に覚めていく道であろうと思うことでございます。最後までお聞きをいただき、ありがとうございました。(了)