報恩講「大逮夜法要」 11月2日(土)
2020年3月2日公開
法話: 本多雅人住職
「自己をあきらかにする ─凡夫に帰ろう─」
救われがたき身 ─凡夫の身に帰る─
皆さんようこそ、お参りくださいました。3連休でどうなることかと思いましたが、たくさんの方にご参詣いただき誠にありがとうございます。
いつも申しておりますが、私たちは迷いの中で生きておりますので、本当の願いに出遇うということがなかなか難しいのです。願いを忘れて、本当でないものを本当のこととして生きていると言ってもいいかもしれません。そういう中にあって私たちに先駆けて、私たちの本当の願いを明らかにして呼びかけてきたのがお念仏の歴史そのものです。そこで、今日は「自己を明らかにする ─凡夫に帰ろう─」とテーマをつけさせていただいたのです。凡夫に帰るという、凡夫と自覚させていただく事がいかに現代に生きる私たちにとって大切なのかということを少しお話したいと思います。
ところが、まずをもって自分を凡夫だと思っておりませんので、なかなか教えが聞こえてこないということがありますが、繰り返し親鸞聖人が明らかにされた教えを「報恩講」という大事なご法要を機縁としていただいていきたいと思います。
凡夫とは、真実の如来の眼から見た人間の実相です。ですから、人が人に言う言葉ではありません。誰もが凡夫だというのは真実の如来の眼から初めて言えることです。そして、どうして凡夫と自覚することが救いになるのかということが大きな課題です。
今回、キーワードとして「私たちは本来つながり合って支え合って生きている」ということを念頭においてお話をいたしますが、日ごろ、つながり合って支え合って生きていると本当にそう思っていますか? 皆さん。どうですかね。いつもこんなことを考えている人はまずほとんどいないのではないかなと思います。実は私もそうです。そう教えられても日ごろはまったく忘れているのです。
ちょっと恥ずかしいことですけれども、新しい天皇陛下が即位され、天皇誕生日が2月23日になりました。知っているご門徒も多いと思いますが、私の誕生日と同じ日で年齢もいっしょなのです。来年は還暦を迎えるわけです。色々な人たちが「還暦祝いしましょう」と言ってくれて、ウキウキしていたのです。そんな時、ある聞法会に参加したら、ご講師の松井憲一先生から、自分の誕生日を「母難の日」と呼んでいる人がいるお話を伺いました。「母難の日」という言葉を聞いて、私は胸を突き付けられたのです。母親がおなかを痛めてこの私を生んでくれたと思ったことはあるけれども、それより「私の誕生日」という意識で日常を過ごしているのです。母親がお腹を痛めて生んでくれなかったら、この私は存在しないのです。そしてこの言葉はただ単に母親個人のことを言っているのではないと感じさせていただきました。その母の背景にもたくさんのいのちがつながっている。母も動物や植物や他の生き物のいのちを食べて、自分のいのちが繋がってきているということもありますよね。親鸞聖人の教えによって母が生かされているなら、親鸞聖人のいのちともつながった私のいのちですね。あらゆるいのちがつながり合い支え合って生きている、そういう無限のいのち世界(無量寿)の中から、私が生まれたのにも関わらず、いのちを私有化している私が浮き彫りにされました。だから色々な見えないいのちが母難という形に集約されて、無限のいのちの世界がこの私を成り立たせてくれていると気がつかせていただくと、私の誕生日と言っている自分が情けなくなりました。私は救われ難い身なのです。そういう凡夫の身であると教えられると、なにかすがすがしい気持ちになりました。真宗の教えを聞いたら、その通りになるのではなくて、ますます自分の愚かさに帰って行くのです。凡夫に帰れば教えを聞こうと言う気になるのです。迷いがなくなることはありません。けれどもただ迷っているのではなくて、如来に照らされた凡夫であることがありがたいことです。
「いのち」のはたらき
私たちのいのちはどこからつながって今ここにいるのでしょうか。ある先生が1億円の宝くじが1万回連続当たるよりも確率は少ないと言われました。色々な縁が何一つ無駄なくつながってこの私になって私が生まれてくるのです。関係性のなかで生まれてくるといってもいいでしょう。
生きるということも、やはり関係を私として生きているのですね。現代の西洋的教育を受けている私たちはいかにも主体的な私がここにいるように感じるけれども、関係を私として生きるのです。例えば、あの人に会わなければ今の私はなかったということもあるでしょう。あるいは、違う人と結婚したら全然違う生活になっています。いかにも独立主体として自分があるようだけれども、関係において初めて自分が生まれ続けるのです。縁に遇うといってもいいでしょう。自分とは出遇うものであって、固定した私というのはどこにもいません。現代人の多くは、まず自分があって、それから関係を結んでいくと考えがちですが、無限のいのちの世界のなかに私が存在し、そのなかで関係を自分として生きているのです。自分を立てていく、つまり人間は自我分別をもっていますから、つねに自己中心にものを見て、比較して生きていて、それが本当だと思い込んでいるのです。無限のいのちの世界のなかに私が存在するということは、本来分別ではない、分別を超えた世界でつながっているのです。
それから亡くなったら、死んだらどうなるか、灰になったり霊魂になったりするわけではありません。それは「有無の邪見」といい、これも人間の自我分別で妄念妄想ですね。さきほども親鸞聖人のことにふれましたが、聖人は約760年前に生命としてのいのちは亡くなりましたけれども、暮らしの中で日々迷い苦しむ私たちに、どんなに苦悩があっても自分の人生に深い頷きを持って生きる道があることを伝えてくださいました。その親鸞聖人の「いのち」は、多くの人たちに伝わって、この私にも届いているのです。そのいのちは生きています。そのいのちは消えないのです。
皆さん、NHKの「なつぞら」を見ていた方が大勢いらっしゃると思いますが、最終回に、北海道の牧場で生活するじいちゃんが、東京から会いに来たなつに言った言葉、これが忘れられません。「なつよ、わしが死んでも悲しむ必要はない。わしのたましい(いのち)も、この大地にしみこんでいる。寂しくなったらいつでも帰ってこい。おまえは大地をふみしめて歩いていければ、それでいい。それにわしはもうおまえのなかにいる。おまえのなかに生きている。」
その人のいのちを感じる場合、その人がいたところに行く。人間は目に見える形で、それを感得するということがあります。つながり合い支え合っているからこそ、どのいのちも尊いのですが、それは目に見えない世界です。その真実を伝える手立てとして、浄土の荘厳とか、阿弥陀さんの世界とか、目に見えるかたちや言葉で表現されてきたのですね。2つ目の大地は北海道に限定しているのではなく、つながり合って支え合っている世界を大地として生きろということでしょう。そして、「わしはもうおまえのなかにいる。おまえの中に生きている」ということは、目に見えなくても、ちゃんとじいちゃんのいのちはなつのなかではたらき続けているということです。いつでもどこでもどんな時でも阿弥陀さんが私に呼びかけてくださるということに通底していますね。
ですから「いのち」と表現した場合、いのちとは「この私を成り立たせ、この私を丸ごと支え、生きる意欲をあたえるはたらき」です。つまり、私が生きる上での真のよりどころなのです。それを私たちは、浄土、本願、念仏、信心といった言葉で教えられてきたのです。
親鸞聖人がお書きになった『唯信鈔文意』という書物なかに、「法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。」とあります。ちょっと訳してみますと、「法身は色も形もない真実そのものです。ですから私たちの思慮分別も及ばず、言葉で言い表すこともできません。この一如という真理そのものからかたちを現わして、方便(真実に導く手立て)法身といわれるお姿を示して、法蔵比丘と名告られて、私たちの知恵では計り知れない大誓願を起されて、現れてくださったお姿を、世親(天親)菩薩は「尽十方無碍光如来」(阿弥陀如来)と名づけられたのです」。目に見えない真実の世界からお姿を示してと、これは阿弥陀さんのことを言っているわけです。ここのところは、またいずれ詳しくお話しいたしますが、法蔵の物語は、何が救いであるかを明らかにしています。衆生(凡夫)とは、苦悩せざるを得ない、迷わざるを得ない存在ですが、同時にその苦悩を超えたいという願いがはたらいている。それを法蔵が衆生によって見出だしたのです。一切衆生の根源的な声を聞いたところに本願が生まれてきたのです。苦脳や迷いから逃れられない衆生そのものの救いとは、どの存在もみな尊いという「存在」の尊さに目覚めることです。それは同時に自我分別から解放されていくことだと教えられます。ですから真実にふれるということは、自分は真実ではない、つまり凡夫の自覚が与えられるのです。
こうして、目に見えない無分別のいのちの世界を私たちのために、形や言葉となって呼びかけてくださるのです。そして、そのことに気づかされるのは、くり返しますが、凡夫だと自覚せしめられた「とき」なのです。私たちは浄土から生まれ、浄土に支えられ、浄土に還っていく存在なのです。浄土とは、本願が南無阿弥陀仏となってはたらく世界、あらゆるいのちはつながり合い支え合っているからこそ、どのいのちも尊いと私たちに呼びかける世界なのです。その浄土を真のよりどころ(宗)として生きるから「浄土真宗」というのです。
自然関係との決別
法要の様子
ところが、現代に生きる私たちの多くは、「つながり合い支え合っているいのちの世界」を忘れて生きています。
現代は、関係性が完全に崩壊の一途をたどっています。それは本当に生きたことにならないでしょう。人間関係だけではなく自然との繋がりも崩壊しつつあります。今年も台風の被害が大きかったですね。近年の台風は自然災害によるものとは言い切れませんが。人災であることはまちがいありません。なぜこんなに大きな台風が来ているのか皆さんご存知ですか? 人間が自然との関係と決別したからです。私たちは豊かになれば幸せになれるんだということを明治以降ずっと叩き込まれてきたからです。経済のためにはいくらでも自然を利用し破壊してもいいとしてきたのは私たちなのです。そのために地球温暖化になったのです。
産業革命以前より1.5度上がったら地球はいよいよ崩壊するかもしれません。しかし、これを止めることは至難の業かもしれません。現在、海水温が益々上がって、台風の速度が遅くなり、洪水の大被害は毎年のように起こります。そのうち東京湾に台風が発生し、ゲリラ台風になることも予想されます。沈んでいく島や国も出てくるのではないでしょうか。
温暖化の問題が起こっているのは、つながり合って支え合って生きているということを忘れている人間一人ひとりのあり方をどうして見つめていかないのか。この根源的問題が宗教課題なのです。ところが宗教すら人間は排除し始めています。私は無宗教ですと言う人がいます。もちろん不気味な宗教もあるでしょうが、宗教、こと仏教は、人間の深い迷いに呼びかけ、人間を成就する教えです。そういった宗教に対して、無宗教ということは私の方が上だということです。自分のものさしを絶対化しているのです。こうして自分を見つめる眼を人間は失ってしまったのではないでしょうか。
台風のことで、色々教えられるのですが、10月初旬に滋賀のお寺の報恩講に出講しました。天気予報は台風直撃だったのです。念のため1日前に京都に入る予定にしましたが、台風はそれて、山陰から韓国の方向に向かいました。その時、私は「それてよかった」とホッとしました。ホッとした後、阿弥陀さんの「愚かな凡夫とはあなたのことだ」という声が聞こえてきました。それたということは、他の地域が犠牲になっているということです。台風が直撃した地域は大変だと思わないわけではありませんが、それよりも自分のところが被害にあわなければいいという根性が強いのです。もっと言えば「それてくれ」という気持ちが消えないのです。温暖化が招いたのは私たち人間の問題だと言っていながら、結局自分のところに来なくてよかったという、ほんとうに救われがたき身です。
台風15号の時には寺の境内が葉っぱの絨毯になりましてね、木が2、3本根が持ち上がっていて倒れそうでした。その時ふと思いおこしたことがありました。ご門徒の方々が「蓮光寺さんの庭はいつもきれいで空気がおいしくて癒されます」と言われます。境内は掃除のおじさんのおかげということは重々わかっていますが、空気がおいしいと言われると、自分の手柄のように感じていたのです。倒れそうな木々を見て、木が茂っているから新鮮な酸素を作り出してくれて、それを私たちが吸っているという感謝の気持ちがあったのだろうかと、また「凡夫はあなただ」と言われた気がしました。本来は木のいのちともつながっているのです。台風でも雑草の力強さにびっくりしました。その時も私は思いました。「雑草って何だろう」、そして「害虫って何だろう」と。人間は自分の都合に合わないものを雑草とか害虫と言うのです。つながり合って支え合っている世界なんて日常ほとんど感じていないのではないか、台風は様々なことを私に教えてくれました。
グレタ=トゥーンベリさん、ご存知ですね。ノーベル平和賞にノミネートされた16歳のスウェーデンの女性です。今年の9月23日にニューヨークの国連気候行動サミットで演説をしましたね。彼女は「すべてが間違っています。大絶滅を前にしているというのに、あなたたちはお金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。私はあなたたちを絶対に許さない」という内容でした。彼女は8歳の時に温暖化の状況を見てショックを受けました。昨年、金曜日の学校の授業をボイコットして一人でストライキを起こして、国会前で座り込みをしていました。それが世界中に広まり、このニューヨークの会議の前に世界中で400万人が温暖化阻止のデモをしました。彼女に対して批判的な大人もかなりいますが、彼女の言っていることは正しいのです。ですから、若い人たちの危機感を少しでも大人たちが受け止めて、ともに温暖化を考える連帯が大切ではないでしょうか。京都議定書が日本で採択されてパリ協定ができた流れまでは日本はよかったけれども、日本は莫大な化石燃料を使っていますから、温暖化阻止の本格的動きにどう対応していくのでしょうか。私たち一人ひとりもできることから始めていくことがまず大切だと思います。
安倍さんが「自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく」と令和を迎える時に発言されましたけど、現実は全く逆です。安部さんのような方を善人というのでしょう。しかし、安倍さんのなかに自分を見ないといけません。そうでないと安倍さんの個人批判になってしまいます。本当に自然とともに生きることを日常真剣に考えているのか、そういうことが問われます。私も善人なのです。善人とは、愚かな凡夫である自分を自覚していない人のことを言うのです。
人間関係をどう回復していくのか
今度は人間関係について、少しお話をさせていただきます。関係を自己として生きている私たちが、関係性を失うことは、人間疎外につながります。経済発展が何よりも優先され、強力な経済システムが作られ、私たちはそのなかで生きざるを得なくなってしまいました。システムは大切ですが、システムに人間が縛られていくのは大問題です。巨大なシステムの中で成果を上げて人から評価されるということが一番の関心事になってしまっています。システムに依存しているのです。現代の多くの人が成果を出すことしか価値を見出せなくなって、「あなたは不要です。代わりならいくらでもいる」と言われたら、自分がなくなってしまうような錯覚を持っているのではないでしょうか。だから必死にしがみつかざるを得ないのです。そうすると、働いていることに喜びが持てなくなるのです。以前はいくらシステムのなかにあっても終身雇用だから、会社は最後まで社員の面倒をみたから、みんな会社のために本気で働いたのです。そういう場合は仕事をしていることと自分が生きるということは別々ではなかった。でも今は労働を提供して成果を出して評価されることが目的だから、結局働いていても自分が生きるということと問題が乖離して一つになっていないのではないでしょうか。だから自分が全くわからなくなるのではないかと思います。
これは人のことを言っているわけじゃないのです。坊さんだってそうです。真宗大谷派という、これも娑婆のシステムという面があります。そのシステムのなかで評価を得ようと法務をしていても、僧侶としての活動と生きるということが一枚にならない。葬儀の時に、お経をあげてさっさと帰ろうとする坊さんに当たったら悲しいですね。布施だけもらって、一応坊さんらしく見せて人から評価されたいという坊さん、みなさんたまらないでしょう。遺族に寄り添い、自分のこととして受け止めてくれ、亡き人を縁として、死すべき身をどう生きるかという人生の根本問題を、教えを通して語ってくれる坊さん、その葬儀によって坊さん自身が皆さんから教えられる姿勢をもっている坊さんに出遇いたいでしょう。僧侶活動と自分が生きることと乖離しているかどうか、私自身が問われているのです。乖離しているならば、坊さん自身も何で生きているかわからなくなっているのではないでしょうか。
ですから、サラリーマンだけの問題ではなく、現代の人間が多かれ少なかれ抱えている問題です。どうでしょうかね。本当になんで生きているのかわからないのです。
そういうなかで、現代人は自己肯定感覚が弱いと言われています。「これが私です」と認められない。それは「ありのままの私」ということです。癌のままに尊い私を生きる。老いのままに尊い私を生きるということがなかなか成り立たない。皆さんご存知の田口弘君は、目が見えないままにかけがえのないいのちを生ききったのは無分別のいのちの世界にふれたからですね。そういう人に出遇うことが大切ですが、自分の思い通りにならないと「どうせ私なんか」と自分を裁く傾向が強いのではないかと思うのです。自分の裁きから解放されるのもお念仏のはたらきですが、つながり合い支え合っているからどのいのちも皆尊いという存在の尊さが捨象されてしまっています。
もう一つの問題は、自分を裁いている方向から、他者あるいは社会に向かった場合どうなるでしょうか。憎悪感をいだくのです。川崎の殺傷事件がありましたね。容疑者も自己肯定感が弱く自分を責めていたようです。ある時、それが他者や社会に向いたのです。そして多くの人を刺して2人の死者が出ました。事件そのものは残虐であるけれども、では私たちはこんなことをしないだろうと、自分に関係ないことだと思っていませんか。あそこまでやるかやらないかは別としても同じ自己肯定感覚が弱い自分であり、もし外に向かったら、どうでしょうか。自分が不幸でつらい時、幸せそうな人を見るとむかつくとか、そういうことありませんか。どこにやらないという保証がありますか。さらに問題なのは、容疑者は引きこもり的傾向があると報道されたことです。そうしたら、元農水事務次官が引きこもりの息子が罪を犯すかもしれないと、息子を殺してしまいましたね。この一連の事件から、引きこもりは犯罪予備軍としてレッテルを貼られてしまっているのです。どこにつながり合って支えあって生きているのでしょうか。そのうえ引きこもりは犯罪予備軍であるというのは根拠がないのです。現代は情報を鵜呑みにして、思考停止状態になっている人が多いのではないでしょうか。他者に非寛容な上、自分に目が向かないのです。本当に自分はやらないし、引きこもりにはならないと言い切れるでしょうか。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』十三章)という親鸞聖人のお言葉をどう受け止めますか。一人ひとりが愚かな凡夫だと言う地平に立たない限り、この問題に真向かいになることはできません。行為は許されるべきことではないけれども、この問題を縁として、私たちのあり方を見つめ直すことが大切ではないでしょうか。つながり合って支え合って生きているということも、自分の都合のいい場合しか言えないのではないでしょうか。
レッテルを張ることによって、問題の本質が見えなくなります。引きこもりの子は社会から見放されてしまう存在なのでしょうか。誰もが引きこもりになる可能性を持っているといただけるかどうかが問われているのでしょう。社会では、引きこもりは非生産的で甘えであるとされていますが、引きこもるまでのプロセスは様々ですから、簡単にレッテルを貼るべきことではありません。
如来の本願は苦悩を通して、そこからどう生きるかを問います。つながり合い支え合っている如来のいのちの世界からみれば、引きこもった事実に立って、自分自身を見つめ直す大切な機縁なのです。引きこもりになったからこそ、本当の自分に出遇うことができたという喜びを持つことができる世界があるのです。もし、みなさんの大切な人が引きこもったとして、それを機縁として教えに訪ね、自分に出遇うことができたら、こんなうれしいことはないのではないでしょうか。どんな問題にも、根底には宗教的課題があるのです。その方向性を見失い、情報に踊らされてレッテルだけが独り歩きする社会では、誰もが引きこもってしまう可能性は十分にあることを自覚できるかどうかが私たちに問われているのです。
共に愚かな凡夫としての大地が開かれてくるということは、レッテルを貼っていた自分のあり方に悲しみと傷みが与えられる生き方に転じられていくのではないかと思うのです。
ドナルド=キーンさん、ご存知ですね。この方は日本文学を研究者、この前亡くなりましたけど、3.11が起こった時に、日本人が好きで、日本人として死にたいと言って、日本国籍を取得しましたね。それほど日本人の繊細な心を非常に愛した人です。キーンさんが、なぜ日本人になったのかということが最近わかってきました。アメリカのタフツ大学のチャールズ・イノウエ教授(日本文学)とのメールのやり取りが公開されたのです。今から1か月くらい前にNHKで放送していました。キーンさんは、外人では、外からものを言っても相手にされないから、日本人となって内側から覚悟をもって日本人の見失った姿を批判しようとしたのです。それはキーンさんが日本を好きだからです。それがキーンさんの最後の勤めと思っていたのですが、それを果たす前にお亡くなりになりました。
キーンさんは次のようなことをメールに書かれていたようです。「私が懸念しているのは、日本人は私がいかに日本を愛しているかを語った時しか、耳を傾けてくれないことだ。あなたのこういうところが間違っていますよと言うとき、日本人は耳を傾けない。月刊誌などを見ても日本人は何故韓国人を嫌うのか、韓国人は何故日本人を嫌うのかという記事ばかりです。立場や考え方が違っても話せば何か解決策に到達することができるのではないか」。自己中心的な日本人、経済発展の影で、歴史や平和について無関心になっていく日本人、他者への寛容さが失われていく日本人をキーンさんは嘆いていたとイノウエさんは言われています。関係性が希薄化した現代社会の内実を実によく見ていらっしゃると思います。つながり合い支え合って共に生きていくことが、人間が人間に成っていくことだとキーンさんは語っているようです。
くり返します。つながりあって支え合っているからこそ、どのいのちもみな尊いのです。その呼びかけが聞こえてくるのは、「凡夫とはこの私のことであった」と自覚せしめられる「時」です。それは同時に、真のよりどころが回復され、生きる意欲があたえられる「時」なのです。
「私たちは本来つながり合って支え合って生きている」ということを念頭において、凡夫に帰るという、凡夫と自覚させていただく事がいかに現代に生きる私たちにとって大切なのかということについてお話をさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。
報恩講 日中法要(御満座) 11月3日(日)
2020年3月21日公開
「仏さまのよびかけ」 藤原千佳子先生(石川県・浄秀寺前坊守)
われ呼ぶ声
皆さん、ようお参りでございます。蓮光寺さんに初めて寄せていただきました。きのう北陸から出てまいりました。北陸新幹線はこの間の台風19号で長野の車庫の車両がみんな水浸しになって、いつ回復するかわからないというので、蓮光寺さんに間に合うかなと思っておりました。ここによく寄せていただいておる長男で住職の正寿が「お母さん、米原回りを取っておいた方がいいよ」と言うので、切符を取っておったのですが、わりと早く回復して、昨日「はくたか」で参りました。
昨日は午後、「大逮夜法要」でご住職の法話も聞かせていただき、「報恩講の夕べ」ではシュガーシスターズの素晴らしい歌声にも遇わせていただきまして、本当にいいご縁をいただきました。今日は、私が「ご満座」でご法話をさせていただきます。
ご参詣の皆さまのなかに、去年の6月に私のおります北陸の川北町壱ツ屋の浄秀寺へ、聞法研修というのかな、ご住職と訪ねてくださって、ようこそでした。そのときもご法話をさせていただきました。今日は「仏さまのよびかけ」という講題でご法話をさせていただきます。
ちょうどこの季節になると、思い出す俳句があります。本願寺第二十三世の彰如上人、またの名を句仏上人という方の「いずこより われ呼ぶ声ぞ 秋の暮れ」というのがあります。俳句ですから五七五、季語がいりますね。「秋の暮れ」というのは秋の夕方というのと、晩秋ということ、ちょうど今ごろですかね。もみじがはらはらと散る。そんなときの夕暮れ時という意味があるかなと思います。
よぶは「呼ぶ」と書きますが、この呼ぶは弥陀の召喚(しょうかん)の「喚」という字、「よぶ」とも読みます。仏さまが呼んでくださる。声なき声ですね。「いずこより」というのは、どこからともなく。そんな夕暮れ時、一人でいるとなんか寂しいな、一人だなと。そんなとき、どこからともなく呼ばれているような気がする。そんな秋の夕暮れですという、お歌を今の時期になると思い出します。
行基さんの「ほろほろと 鳴く山鳥の 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」という和歌があります。われ呼ぶ声の中には、亡き人、皆さんも亡くされた方がおありだと思いますね。
私の生まれは三重県の桑名という城下町です。私も親鸞聖人の御命日である11月28日が来ると77歳になります。祖母が喜んでくれました。「なんとご縁の深い日に生まれてくれたかね。生まれたからには、どうかお念仏に出遇って、それこそ仏法を喜ぶ人になってほしい」という願いを込めて育ててくださって、いろいろなご縁が今、私の中に成就して、こうしてまたご縁をいただいているなと、そんなふうに思いますね。池田勇諦先生のお寺の近くで、先生のご夫妻の仲人で私は先生のお連れ合いの奥さまのお里の方へ嫁いできました。
今思いますと、桑名のまず、祖父、祖母が亡くなりました。それから、母が75歳で亡くなりました。私はもう母の年を越えました。父が86歳でした。一人ひとりの顔が思い浮かびます。亡くなって終わりではないですね。またある意味、亡くなってからの出遇いというものがあります。亡くなってから、亡き人からのよびかけ。われ呼ぶ声、「あなたも死ぬよ。どんないのちを生きていますか」というよびかけがあります。
でも、そんなよびかけと同時に自分が気がつかなくても、私自身のこのいのちの中に「われ呼ぶ声」。「本当にいろいろあったけれども、尊い人生でした。どうもありがとう」と言えるかどうか。娑婆のものさしだけだと、いいときはいいけれども、よくないときはなんでこんなんだろうと思います。
そんな全体を通してふり返ってみるとどうでしょう。うれしいこともありました。同時に悲しいこと、つらいこと、百なら百あったとしたら、一つ欠けていても、今の私ではなかった。そういうあらゆることを通して、私のいのち自身が「ようこそありがとう」と言えるいのちに出遇え、出遇えと呼びかけているでしょうか。それを「法蔵魂」とも言います。よくご門徒さんのところへお参りさせていただくと、お内仏(お仏壇)の上に、祖父である藤原鉄乗の「開法蔵」(法の蔵を開く)という額がよくあります。皆、自分で気がつかなくても、このことに遇わなかったらむなしいですね。
凡夫そのものの私
娑婆の真っただ中では、なかなか呼びかけに気がつかなくて、私たちはいいか、悪いかで生きているでしょう。このいいか悪いかというのを相対と言います。
親鸞聖人の最晩年の『唯信鈔文意』という書物があります。唯(ゆい)、ただ念仏の「ただ」という字ですね。この「『唯』は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。また『唯』はひとりというこころなり」という言葉がございます。
ひとりというと、ひとりぼっちではなく、一人(いちにん)、ある意味、私たちはそれぞれ代われない尊い一人のいのちです。この身は一人ですが、人間は思いで生きています。思いは相対です。相対というのは、今言いましたように、いいか悪いか、損か得か、好きか嫌いか、言えば切りがないですね。
仏法もそうですね。仏法も大事だけれども、生活も大事。2つ並べてしまいますね。本当は全て仏さまのおはたらきの中にあるのですが、われわれの意識はそういうふうに分別します。
幸とか不幸も分けますね。世のなかでは、家も立派で、お金持ちだし、名誉もあるし、みんな元気だしと、私たちが願っている条件の多い方を幸せな人だねと言います。しかし、そうでない方がおられる。大事な方とは別れるし、病気にはなるし、マイナスの条件の多い方を皆さんは、不幸な人だねと、両極にあります。
私はこうしていろいろな方に出会いますと、こういうことをおっしゃる方がいます。「本当につらいことも、悲しいことにも遇いましたが、今思うと、そのことに遇ったからこそ、今この身をいただいています」と、明るく言われます。ここが世間の物差しと、仏法の救い、という世界の大きな違いだなと思います。本当にいろいろなことに遇ったけれども、一つも無駄でなかった。そのことが今まで私を育ててくださった尊いご縁でした。そこまでいただくまでには、お育てもいりますね。でも、「ひとりというこころなり」というところに、いつも私たちは相対の分別から、その相対を破るようなはたらきとして、一如の世界からといいますか、お念仏が照らし出してくださるわけです。
私たちは、いいか悪いか、損か得かの思いで生きている凡夫そのものです。本当に仏法を聞いたらましなものになるかと思いますが、どうですか。ましなものというのは、腹が立たなくなったとか、愚痴を言わなくなったとか、そんなわけではないですね。私の近所によくよく聞いてくださるおばあちゃんが、やっぱりおっしゃっていました。「聞いても、聞いても、腹立つこころも、愚痴なこころも取れないから。いよいよ聞かせていただかなければならん」と。ここがありがたいね。そうだから、もう聞くのはやめたというのと違います。苦悩とか煩悩とか、それがご縁になって、お念仏に遇わせていただく。それがこうしてお互いに身を運んで聞かせていただくことかと思います。
「土徳」(どとく)のなかでお念仏に出遇う
報恩講ですから、立派なご荘厳ですね。五具足になって、仏華が両側にあって、思わず皆さんは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏申されたと思います。ここに来たけれども、何も言わなかったという方もおられるかな。やはり、手を合わせて、南無阿弥陀仏と。このお念仏は南無阿弥陀仏という漢字を覚えてからとかね、「色々な意味を覚えてから南無阿弥陀仏に出遇いましたか」と、みんなに聞くと、どこへ行っても皆さん、首を振られる。「いつの間にかお念仏に出遇ったのよ」と。これは「遇う」という字です。
こんにちはと会うときは「会」ですね。この「遇う」は不思議なご縁で「たまたま」とか、「ぐう」とか、「もうあう」といろいろな意味があります。不思議なご縁でたまたま南無阿弥陀仏という言葉が先に届いてくださった。これがありがたいなとこのごろ思いますね。私自身は、先ほど言いました祖母のお育てが大きいのかなと思います。
東京大学に仏教学の下田正弘先生という方が3年前、ご本山の報恩講中に「親鸞聖人讃仰講演会」で「称名念仏」について話されました。「皆、声を出して、こころの中でも称えるけれども、主に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、これは声を伴います。声は音ではありません」と言われてね。「車の音とかじゃない。声です」と。「声は人を伴います」とおっしゃいました。本当にそうですね。南無阿弥陀仏というのは声を伴い、また人を伴うのです。
私の母と祖母と本当の親子です。父は愛知県のお寺からご養子に来てくださったのです。本当の親子というのは、けんかするのです。「親子げんか一つ収まらんな、南無阿弥陀仏」と。私は収まればいいのにと思ったけれども、自分の日々の煩悩とともに、仏さまからよびかけてもらって生きていたんだなと、そんなふうにも思いますね。
私たちは、お母さんのおなかの中でお念仏を聞いていたかもしれません。やはり、そういう出遇いがあって、そして、ここにいる。お念仏を申させてもらっている。ただここに私たちがいるわけではなくて、一人ひとりにいのちの背景がある。生まれる前からずっとこの年に至るまでのいろいろなことが全て成就して、今ここにお互い出遇わせていただいている。そのように思います。
去年、私は山梨県の甲府別院で報恩講のご縁をいただきました。10月16、17日でした。実は、うちの報恩講はずっと変わらず、10月19、20日です。「17日の晩に帰ると、1日でうちの報恩講なので断ろうか」と若坊守に言いました。若坊守は「お母さん、遊びに行くなら私は反対しますが、ご法縁だから行ってきてください。お母さんがいなくても大丈夫です」と。その言葉は今でも効いていますね。
報恩講の前は忙しいのです。北陸は特に100人以上の方のお斎(おとき・食事)の準備とか、ご僧侶方にも輪島塗の御膳とかでお昼を出すので、忙しいのです。だから、きっと若坊守はお母さんがいないと駄目、行かないでくださいと言うと思ったのです。でも、「お母さんがいなくても大丈夫です」と言われてね。でも、大丈夫と言ってくれるのだからありがたいですよ。「じゃあ、行かせていただくね」と。一抹の複雑な思いはありましたが(笑)、行かせていただきました。
私は16日の昼から17日の午前、午後の法話というご縁でした。別院の報恩講さまですから白衣に替えて、勤行に出ました。ご輪番が、「藤原さん、この辺はあなたのおられる北陸のように土徳(どとく)がないので、別院の報恩講にしては参詣者が少ないのです」と言われました。土徳というのは、さっきから言っていますように、生まれてからお念仏に出遇って、お念仏をよりどころとして、人生を歩まれた。「いろいろ厳しいこともあったけれども、尊かった。生まれさせていただいてよかった。仏法に出遇えてよかった。尊い人生でした。どうもありがとうございました」と言って、いのちを尽くしていかれた方々のお念仏の徳が土に染み込んでいるというのを、土徳と言います。
でも、甲府別院で白髪のおばあちゃんが一人おられて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と時折言われてね、いや、お念仏をよく申される方がおられるなと思って。明くる日の午前、午後も、そのおばあちゃんが同じ席の真ん前におられて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と。
休憩の時間に「おばあちゃん、よくお念仏申されますね」と言ったら、にこっと笑って、「奥さん、遠いところからようこそ。私は楽しみに待っておりました。実は本山から出ているあなたのCDをずっと聞いています。毎晩聞いていて、今度あなたが来てくださるのを楽しみにして、一番前に参っているんです」と。続けて、そのおばあちゃんが言いました。「私が3歳のとき、私の祖母が言いました。『あなたは幾つになる』と言うから、3歳と言ったら、『おばあちゃんのお願いや。夜寝るときに、年の数だけお念仏申してくれや。それがおばあちゃんのお願いや』と言われた」と。さらに続けて「私が11歳のときに祖母が亡くなりました。でも、その約束を守って、ずっと夜寝る前、年の数だけお念仏申していました。でも、そのうち数は問題でなくなりました。夜、今日一日ありがとうと言って、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、いろいろあったなと、そう思いながらね。朝、目が覚めると、今日もおいのちいただいたな。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、いつも仏さんと一緒にいるようでした。でも、私は84歳になります。今振り返ると、なかなか厳しい人生でした。結婚して、子どもが3人おりまして、連れ合いは50歳代で亡くなりました。一番悲しかったのは、末っ子の女の子が五年生のときに交通事故で亡くなったことです。でも、出遇ったお念仏が、その都度、その都度、力になってくださいました」と言われたんです。お念仏の徳に支えられてきたのですね。これも心に残りました。
お念仏のおかげで事故に遇わずに済みましたとか、悪い病気が治ったのと違うのね。出遇うものには出遇いますね。その都度、その都度、お念仏が力になってくださった。どうですかね。私たちはお念仏に出遇わせていただいても「念仏申しながら、他力をたのまぬなり」(『一念多念文意』)という言葉があります。念仏は申しておるんだけれども、信じていない。「日ごろのこころにては、往生かなうべからず」(『歎異抄』)という言葉もありますね。私たちは日ごろのこころです。お念仏に出遇っても、ご縁があれば病気にはなるし、交通事故にも遇うのです。
ただ、交通事故で、今病院のベッドにいたら、「事故に遇ったその身を生きよ。病気で治療しているなら、その身を生きよ」という、私のこの身の事実によびかけてくださるお念仏のおはたらきがある。そういうことを思います。
挙足一歩(こそくいっぽ)
北陸には「挙足一歩」(こそくいっぽ)という言葉も生きています。足を挙げて一歩歩むということです。挙足一歩というのは、自坊の境内の鐘楼堂の梵鐘に書かれている言葉です。祖父の鉄乗が書かれました。鐘を打つところには、南無阿弥陀仏と書いてあります。その左に歌が一首あります。「生あり死あり、生なし死なし、只にい往かん一筋の道」と。
飛行機に乗ると、よく着陸態勢に入りましたと。いつも自分のことかなと思います。人生も着陸態勢に入ったのかな、「また来てください」と言われて、「また来られるかな」と思います。でも、明日ではない。あさってではないね。やっぱり、直線上に死をどうしても思います。寺にいますから待ったなしだよと言われる通り、そういう事実にも出遇わせてもらっています。今年は雪がなかったけれども、去年は久しぶりに北陸は大雪だったのです。2月の初めに猛吹雪で、こんなときはどこも出なくても、お米もあるし、お餅もあると言っている矢先に人が亡くなった。吹雪くのが収まってから死のうか。そんなわけではないですね。待ったなしです。
若いものがいなかったので、前住職と私でご門徒の家に伺いました。おじちゃんが亡くなったと思ったら、そこのお兄ちゃんだった。大学の3回生、20歳、くも膜下出血だったのです。おばあちゃんは泣かれるし、お母さまも「目を覚まして!」みたいな──おじいちゃんは「代わってやりたい」と言われるけれども、代われないしね。
枕勤めをしましたが、私は涙が出て声になりませんでした。今年1月に一周忌がありました。本当に待ったなしのいのちなのに、私たちはまたそのうちとか、生あり死ありやね。でも、鉄乗の歌は「生なし、死なし」とも書いてあります。「生あり死あり、生なし死なし」、その後が「只に往かん」、只というのは、ひたすら、往かんというのは、歩ませていただきましょう。一筋の道。二筋というわけにいかないですね。今日はご用もあった方もあるでしょうが、ここに参らせていただきますと、一筋選ばれたのですね。
亡き父正遠(しょうおん)は、一筋のことをいつもレコードの針と言っていました。今はCDばかりになったけれども。レコードの針を置くと回り始めます。音楽ならなり始めるね。あれは筋がいっぱいありますね。でも、あれは一筋です。私たちもおぎゃあと生まれて、自分の一筋道をこうして歩み、あるとき娑婆の縁が尽きると止まる。本当に私たちは一筋道を今歩ませていただいているのですね。
南無阿弥陀仏の右側に「挙足一歩」と書いてあります。これは私が嫁に来たときからいつも見ています。こんな字が書いてあるなと思っていたのと、この字が自分の方によびかけてくださっていることに気づくのに時間がかかりましたね。ここ4、5年、どうして挙足一歩と書かれたのか、選ばれたのかなと。足を挙げて一歩歩む。でも、歩むときには、やっぱり歩む大地が必要です。一人一人の立つ場所です。皆さんも自分のおうちから今日身を運ばれたと思います。ご縁が済んだら、また帰られる。そこが私の寄って立つ場所やね。隣のおうちがいいねというわけにいかんね。やっぱりここですね。
うちの掲示板に「今が一番いいとき、今が一番大事なとき、ここが一番いいところ、ここが一番大事なところ」というのがありました。いつも見ていかれる方が、あるときこんにちはと来られて、「私の部屋の横に貼っておきたい。これが私へのよびかけになるから」と言って持っていかれました。「ここ」というのは、自分の居場所です。ここでいのちを尽くさせていただきます。南無阿弥陀仏。
挙足一歩というと、何か足を挙げて、自分のところで元気に働いているイメージですが、それも挙足一歩だけれども、さっきから言うように、ご縁があって、交通事故に遇った。骨が折れて、今入院していると。初めはがっかりしますが、この病院のベッドで養生する。ここでさせていただきましょうということになったら、病院のベッドが挙足一歩です。
その都度、私の状況に合わせて、自分のおらせていただける場所、そこで立って歩むおはたらき、それが挙足一歩。私たちは元気でいるときは、仏法を喜んでおりますと言っていますが、ひどいことに遇うと、この喜びはすぐにどこかへ行ってしまいますね。
2014年9月27日に御嶽山が爆発して、命日だというので、先般法要をされていました。御嶽山が爆発したのは、お休みのものすごくいい天気のお昼時でしょう。一番登山客が多いときですね。あれがもっと平日の夜中の雨の日の、誰もいないときに爆発すればと思うけれども、そんなわけでないね。あのとき、噴石で亡くなった方が、みんな普段心がけが悪かったかというと、そんなことはないですね。みんな遇うべくして、いろいろな条件が重なって遇われた。そういうことを思いますね。
そこに不思議と立ち上がって歩む力になってくださる。おはたらきがある。いっぺんにすぐすくっと立って、足を挙げて歩めません。しゅんとします。なんでこんなことに遇うのと。世の中、本当に苦悩にあふれています。どうして、おじいちゃんを置いて、若い子が先に亡くなるのでしょうか。そういうこともあります。いろいろなことがありますね。
祖父の鉄乗の「打ち砕かれ、打ち砕かれてほがらかに わが罪人は起(た)つにあらずや」という歌があります。「たつ」というのは、起き上がるという字が書いてあるんです。「あらずや」というのは、立ち上がろうではありませんかということです。「打ち砕かれ」というのは、われわれ夢を抱いていますね。若いときはいろいろ人生設計を描きます。結婚して子どもができて、子どもが大きくなったら、その子どもが結婚して、孫ができてとか、娑婆のいろいろな幸せの設計を描きます。みんなその通りにいくかといったら、そうじゃないね。思うようにいかないことばかりです。
「打ち砕かれてほがらかに」というのは、胸に悲しみやら、つらいことやら、いろいろ持ちつつでも、この私のこの身の事実の場所に立たせていただける。病気になったら、病気の場所で、その都度、その都度、私の業縁に従った場所で挙足一歩させていただく。さっきの甲府のおばあちゃんは力になってくださったね。
そういうはたらきがお念仏にはあります。「他力というは、如来の本願力なり」(『教行信証』行巻)というお言葉があります。親鸞聖人の他力は世のなかの他力本願=人任せというのではなく、如来の本願力です。如来というと、「如より来たる」と書きます。「正信偈」の「如来所以興出世(にょらいしょういこうしゅっせ)」というのは、あれはお釈迦さまのことです。仏さまとして、如来、如というのは、一如の真実の世界から来たってくださる。どこに来たるかというと、誰でもない私のただ今の身の事実に来たってくださるのです。そして、その本当の願いが届くと、不思議とそのつらいこと、いろいろなことがあるままで、立ち上がって歩む力になってくださる。そういうはたらきがあります。
はたらきというと、不思議と言います。マジックショーの不思議ではなく、仏法不思議です。「仏法不思議ということは、弥陀の弘誓に名づけたり」とご和讃にもあります。私はいつもはたらきのときは、風をたとえに出します。今日外に出ると風が吹いています。風に吹かれると、あら、いい風だねと、吹かれた方は言います。でも、それは私が吹かれてみないとわからないですね。でも、私自身が外に出て、風に吹かれると、あら、本当、いい風だねと。これが、おはたらきです。誰でもない。私自身のただ今の身の事実にはたらいてくださる。
これも人生、運命だと思って、諦めて、仕方がないわと言うと暗くなりますね。そうじゃないですね。つらい、暗い方向から明るい方向へ「転」じてくださるはたらきが仏法にはあります。
私たちが願うのは「変」です。これは嫌なことだから、いいように変えてください。どうぞよろしくお願いします。なんかちょっと適うとご利益があると。今のほとんどの宗教がそうですね。そうではない、反対です。仏さまの真実のはたらきがどうにもならない私の身の事実の方によびかけてくださる。厳しいね。でも、それがただ今のあなたの身の事実だから、そこでその身を生きよ。そこで立ち上がらせて、挙足一歩させていただくのです。
親鸞聖人は「和讃」をたくさん書いてくださいました。さっき皆さんと「正信偈」の真四句目下を唱和しました。また「嘆仏偈」の中の「正覚大音(しょうがくだいおん) 響流十方(こうるじっぽう)」という言葉を思い出しました。「正覚大音」、正しい覚り、大きな音となって、そして「響流十方」。響きが十方に流れる。皆さんのお勤めが本堂に響き渡りました。その響きはここだけ響いているのではないね。十方だから、あらゆるところ、隅々までです。でも、そんな言葉を一字一句知らなくても、皆さんとお勤めすると、その響きが染み渡りますね。その響きに身を置くというのもありがたいですね。
「和讃」は、510首ぐらいつくってくださいました。親鸞聖人は最後に「愚禿悲嘆述懐和讃」に「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」と述べられました。「さらになし」とは、そういう自分が嘆き悲しみ、うなだれて、一生が終わることかと若いころは思います。そうではないですね。「無慚無愧(むざんむき)のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」と。こういうものだからこそ、はずべし、いたむべし、まことにどれだけ仏法を聞かせていただいても、まことのこころのないもの、しかもいろいろな苦悩があります。でも、こういう身にこそ、満足大悲という仏さまの大悲の方が、このどうにもならない私の苦悩の身に届いてくださる。これが何よりありがたい。いのちが生き生きするのです。うなだれるのではなくて、そういう身だからこそ、「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし」という。命令形ではなくて、そうせずにはおれませんという、「べし」だそうですね。そういうお気持ちで、最晩年に至って、ずっとエネルギッシュに書いてくださった。
だから、仏法のはたらきに遇うということは、いのちがどんな場所におっても、この愚かな身のままに、生き生きといのちを尽くさせていただける。そういうおはたらきがあります。こうしてまた身の事実はどんどん老いて年がいきますね。
私は昨日泊めていただく前に、夕飯をごちそうになって、そこへ携帯を忘れました。昔は忘れることはなかったけれども。ここの坊守さんにお世話をかけて、今朝、届いておりました。こういうことが多くなりました。年を取ると、世の中のものさしからいうと、どんどんドジになりますね。早いか遅いかというと、遅くなります。昔のことは覚えているけれども、今のことを忘れます。まことに条件が悪いですね。こんなはずじゃなかったと言って、娑婆世界だと、うなだれないといけないのです。
ところが、ほとんど娑婆のものさしで生きているけれども、ふと一瞬、南無阿弥陀仏のおはたらきに遇うと、70歳は70歳のいのちの輝き、80歳は80歳のいのちの輝き。あなたは立派でなくても、偉くなくても、尊いよ。そういうよびかけがあります。
本当に愚かなものが、愚かでなくなって、助かっていく道じゃなくて、言いたかったのは、蓮光寺さんのテーマが「安心して迷うことができる道をたずねよう」ですね。この「安心」してというときは、安心するものに出遇わないと安心して迷えないのですね。この話もちょっとしたかったんですが、時間が過ぎてしまいました。親鸞聖人の報恩講で、そのご一生を思いますときに、本当に愚かなものである。その一生を貫いてくださったおかげで、われわれは親鸞聖人のお念仏のおはたらきを、今もこうして私の身にいただいて生きていける。南無阿弥陀仏という言葉が先に届いてくださったのです。
このご縁がいよいよありがたい。「遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」と親鸞聖人はおっしゃっておられます。本当にこういうご縁に遇えましたことを、私自身も大変うれしく、ありがたく思っております。今日はありがとうございました。
御礼言上
「御礼言上」は、蓮光寺の住職、坊守、そして蓮光寺門徒が、出仕してくださったご僧侶やご講師の先生方に「報恩講」が勤まったことへの御礼を申し上げる儀式です。
「報恩講」を迎えるにあたり、住職、坊守、門徒が一体となって準備をして、ご僧侶らをお迎えしたします。このように「報恩講」をお迎えできたこと、そして法要に参詣し、仏法聴聞(聞法)をさせていただいたこと、その感動が感謝の言葉となって述べられ、お招きしたご僧侶とともに、報恩講の円成を心から祝うのです。
「御礼言上」には、門徒が住職、坊守とともにお寺を作っていく聞法道場である真宗寺院の特色が十分表現されているのです。その道場とは、生活の様々な苦悩や悲しみのなかに仏法がはたらく場です。真宗寺院の大切な伝統を引き継いでいくのは、ご門徒一人ひとりのお力によるものです。
毎年、門徒を代表して、河村和也総代が御礼を述べられますが、今回、その全文を掲載いたします。
御礼言上(2019年度の言葉)
2019年の報恩講が昨日・本日の一昼夜にわたり厳修されましたことは、私ども蓮光寺門徒一同、大きな喜びとするところでございます。如来の御尊前、宗祖の御影前に、御満座の結願いたしましたことをご報告するにあたり、ご出仕・ご出講くださいましたみなさまに一言御礼を申し上げます。
ご法中のみなさまにおかれましては、ご出仕くださり懇ろなるお勤めをたまわり、まことにありがとうございました。激しくゆり返されるお念仏のうちに、当派に伝えられた伝統を今年もこの身をもって感じたことでございます。ご法務ご多忙のため、この場においでにならないみなさまもいらっしゃいますが、感謝の思いをお伝えしたく存じます。
昨日のお逮夜では、当山住職の法話を聴聞し、繋がり合い支え合って生きている私たちの身の事実を根底から問い直されました。
また、それに続く報恩講の夕べでは、本堂に響きわたるシュガーシスターズのおふたりの美しい歌声とハーモニーに包まれ、満ち足りたときをともにしたことでございます。
本日、晨朝のお勤めではおふたりの蓮光寺門徒に感話をいただきました。飾ることのなく語られることばのうちに、教えとお寺という場への絶対の安心を感じ取ったことでございます。
また、満日中の法要では、石川県能美郡より藤原千佳子先生にご出講いただき、ご法話を頂戴いたしました。先生のお話を通じ、たくさんのことばと、お念仏に出遭いお念仏に生きたたくさんの方々とに出会わせていただきました。昨日の住職の法話と重ね合わせ、この私の存在の地平を改めて確かめさせていただいたことでございます。
さて、連休中にもかかわらず、今年も多数の門徒のおまいりがございました。まことにありがたいとことと思いおります。そして同時に、ただ数のみでなく、み教えを伝えるというお寺の存在の意味においてもさらに確かなものを求めたいと思うことでございます。
法要にも聴聞にも一定の作法があります。それは、世間で言われるマナーなどとは異なり、お念仏とともに暮らし、お念仏の教えを私たちにまで伝えて来てくださった方々の思いや願いが形になったものと心得ております。
正直申し上げ、その意味では、私たちの蓮光寺には、こころして取り組んでいかなければならないことがまだまだたくさんあるように思いおります。
このお寺がみ教えの息づく場としてありつづけることを願い、それこそ柱にお念仏の染み込んだ寺となることを願い、住職、坊守を先頭に、蓮光寺門徒一同、一筋の道を歩み続けてまいりたく思います。
ご出仕・ご出講のみなさま方には、変わらぬご指導とご鞭撻をたまわりたく、伏してお願い申し上げる次第でございます。
2019年の蓮光寺報恩講のご満座結願にあたり、重ねて御礼を申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。このたびはまことにありがとうございました。
お斎(お食事)
お斎(お食事)も大切な仏事です。私たちは動物や植物のいのちをいただいて生かされ
ています。食前・食後の言葉を唱和することも大切ですが、合掌して「いただきます」
という敬いの心を日ごろから持ちましょう。