大逮夜法要「法話」 11月2日(木)
2018年2月8日公開
法話: 蓮光寺住職
「何を大切に生きるのか ─条件を整えても、幸せになれない─」
一生をつらぬく真のよりどころとは
本多住職
司会の河村総代(広島県立大学准教授になり、広島県庄原市から参詣に来られました)
蓮光寺の僧侶になった櫻橋淳さん
法要の様子
御文を拝読する蓮光寺お手次寺院の浄林寺住職
法話の様子
今年の報恩講の大逮夜法要の法話は「何を大切に生きているのか」ということを皆さんで学んでいこうと思っているのです。「何を大切に生きているのか」この一点がはっきりしないと人生はむなしいものになっていくのではないでしょうか。
「何を大切に生きるのか」という質問をすると、具体的に健康とか社会的地位とかいろいろ浮かんでくるでしょう。しかし、病気になったら、健康が私を支えてはくれません。人間は老いて病気をして死んでいく、これがいのちの厳粛な事実です。いくら社会的地位が高くても、老病死の前では何の支えにはならないのです。つまり、自分の一生を貫くようなよりどころにはならないということです。自分の一生を貫いて支えてくれるようなそういう世界に出遇うかどうかが問われているのです。
そこに副題がついているのですが、「条件を整えても幸せになれない」といきなりKOパンチをいれられたような感じがしますが、私たちの心根は思い通りになればきっと幸せになれるという錯覚を持っているのです。
実は8月15日(火)に、私の大切な友人であるの田口弘君(法名:釋弘願)が肥大性心筋症で急死したのです。蓮光寺の門徒として教化委員を勤められ、蓮光寺のあらゆる年中行事、聞法会、自主学習会すべて出席されていましたからご存知の方も多いと思います。さきほども申しましたように、私たちは条件を整えて、思い描いた通りに生きられたら、きっと幸せになるだろうと思って生活しているのです。しかし、田口君は、両目が見えないだけでなく、片耳は聞こえず、両親も亡くなられ、家族が一人もいないという条件のなかで、生きる意欲をお念仏の教えからいただいて完全燃焼されたのです。
田口君は、3年近く前、最愛の母親の死を縁として、品川区旗の台から亀有に引っ越してきました。親戚は叔父さん夫婦だけしかいませんでしたが、田口君を一生懸命支えてくださいました。ただご年配であることから、田口君といっしょに生活しても、それがずっと続くわけでもないので、田口君が一生生活できる場所として亀有に引っ越してきたわけです。叔父さん夫婦にはずいぶん力をあたえられたと思いますし、亀有には知り合いも多く、元気に過ごしていました。しかし、去年(2016)の年末あたりから体調が悪くなってきて、今年(2017)のはじめに人間ドックを受けました。心臓の問題があったのでカテーテルを入れ、また内臓にも問題があって色々と精密検査を受けていました。それでも田口君は蓮光寺の年中行事、聞法会はほとんど出席し、精力的に全国に法話に出かけ、坊主バーではお客さんの悩みを聞きながら、聞法生活を続けていました。
誰もが死すべきいのちを生きています。大切なことは、田口君がお念仏の教えに出遇うまでの歩みを自分の問題として受け取ってほしいのです。私たちは目が見えたとしても、誰もがどうにもならない様々な苦悩を抱えて生きざるを得ないのです。その苦悩は一人ひとりちがいますが、苦悩を超えていくというということでは、共通課題を抱えて生きているのです。田口君の歩みを通してはっきりしていることは、人間の思いは必ず行き詰るということ、そして、人間の思いを照らしだすお念仏がなければ、ありのままの自分を受け止めて生きることはできません。法話の最後に、田口君の死を縁として、私たちは何を大切に生きるのか、改めて教えに訪ねていきたいと思っています。
自分の思いを大切に生きている
私たちは、生老病死という苦悩の身を抱え、思い通りにならないいのちを生きているのです。思い通りにならないということが実は生きることであり、死んでいくことなのです。思い通りにならないところに、厳粛ないのちの事実をいただき、それを受け止めて生きる者となっていくということが親鸞聖人の明らかにした仏道です。思い通りにしたい私たちにとってなかなか聞きにくい教えですが、現実を直視すれば確かに思い通りにならないことのほうが多いのではないでしょうか。思い通りにならない時こそ、「大丈夫だよ、生きていけるよ」という励ましが本当はほしいのではないでしょうか。
最近、私は生老病死の「生苦」という言葉につくづく考えさせられるのです。生老病死という4つの苦しみがあるということですが、実は苦の根源は「生苦」に集約されるのはないかと思うのです。「生苦」とは「生まれる苦しみ」という意味です。どうして苦しみかというと、自分の思いをもって生まれてくるからです。難しい言葉でいうと「自我分別」をもって生まれてくるのです。おぎゃーと生まれた瞬間はまだ自我分別は表に出てきませんが、ちゃんと内蔵されていますから、少し成長すると分別がはじまるのです。自我分別の心はどこまでも自己中心であり比較対象化していきます。わかりやすく言えば「自分の思い通りになりたい」という心根をもって生まれてくるのです。そうやって分別し、都合のいい条件をつけて、都合の悪いものは捨てて生きていこうとしますから、生苦が老病死の苦しみを生んでいるのです。しかし、病が人間を苦しめているのではないのです。教えからみれば、病がいやだという自分の思いが自分を苦しめているのです。都合のいい自分を自分だと思い込んで生きるだけで、自分のいのちすら自分の都合で切り捨てているのではないでしょうか。
「何を大切に生きているのか」結局、私たちは自分の思いを大切にして生きているのではないでしょうか。どこまでも自分を善しとして生きているのです。自分の都合の善し悪しで分別ばかりしていると、どんないのちも、いのちそのものが等しく尊いということがわからなくなってしまうのです。
また、私たちは、豊かで便利になれば、幸せになれるという思いを持ち、経済至上主義の社会を作ってきました。しかし、現実は便利になることによって、自然を破壊し、人間関係を希薄化させてしまいました。人間の価値すらも、役に立つか、立たないかといった有用性のみによって決められてしまう社会になってしまいました。
経済発展は止まるところを知らず、AI(ロボット)が人間に代わって生産に従事するようになる時代を迎えました。より便利になりますが、関係性が完全に崩壊してしまうのではないかという危機感を覚えます。「私」という確固たる個があるのではなく、関係性を自分として生きているのです。自分は出遇い続けていくものなのです。しかし、関係性が崩壊し続けている現代において、だれもが、どこかで何とも言えないむなしさを抱え生きているのが現実ではないでしょうか。人間の自我が社会を作り、作られた社会から、また自分が苦しめられているのです。大きな経済システムのなかで、自分を見つめ直したり、深くものを考えたりすることがなくなっています。この結果、何で生きているのかがわからない。これが自我分別の持つ迷いの正体なのです。
旭山動物園に学ぶ
坂東さんと住職
9月に同朋新聞の取材で、旭川の旭山動物園の坂東元園長さんにインタビューをさせていただきました。詳しくは同朋新聞12、1月号の「人間といういのちの相」に掲載されますので楽しみにしていてください。
坂東さんは動物を通して人間の問題を語ってくださり、大変有意義なインタビューとなりました。坂東さんは「動物はそのまま死を受け入れています。死を認めるところで生があるのです。人間はあらがって環境さえも変え、不都合なものにふたをします。さらに価値観を変化させていくんですね。だから動物は常にあなたの価値観は何だと問いかけているように思いますし、その問いかけを感じていただくのが、動物園の大切な役割だと思います。」と言われました。旭山動物園は動物の死も公開するのです。そうすると、死など公開しないでいいとクレームが来るそうです。都合の悪いものに蓋をして、「死」を隠ぺいしている人間のすがたが浮き彫りになりますね。「死」に蓋をして、生きるということがわからなくなっているのが現代に生きる人間のすがたではないでしょうか。葬儀まで簡略化されるようになり、死を受け止め、死すべきいのちをどう生きるかと問われることがなくなりつつあり、亡くなった人を諸仏のひとりとして出遇い直す世界にふれることもなくなってきました。田口君は母親が亡くなった時の挨拶で「母が南無阿弥陀仏となって、諸仏のひとりとして私に念仏せよと言ってくれるので大丈夫です」と言われたことが忘れられません。
動物は病気になれば、病気を受け入れ、自分に降りかかってきたことを誰かのせいにすることもないそうです。身の事実をちゃんと受け止めているのです。人間だけが都合のよい条件を追い求め、その通りにならないと自分を大切にすることができないのです。動物はありのままの世界を生きています。
坂東さんは「ありのままの中に素晴らしさがあります。ありのままの中に尊厳を感じてほしいということを、動物園は理念にしています。人間の価値観や生き方を基準にして動物を見せるのではなく、動物のありのままの生態を通して、それがいかに尊くすばらしいものであるかを伝える場だと考えています。パンダやコアラでなくても、どの動物も素晴らしいです。どのいのちも皆尊いのです。ヒトは自分たちにとって都合のいい愛し方や関わり方をする一方で不利益になる生き物は排除してきたのです」と言われました。
パンダやコアラでなくても、どの動物も素晴らしいとはまさしく如来の言葉に相違ないです。はっとさせられました。縁によってかけがえのないいのちをいただいている。人間も男性であれ女性であれ、健常者であれ、障害者であれ、誰もがみな尊い存在だということをあらためて教えられたのです。子どものころから競争社会の中で学力重視の教育を受けさせられ、それによって序列化が生じ、劣等感、優越感、差別意識、やっかみ、争いなどの感情が植え付けられ、これが一生消えずに引きずって生きざるを得ない、だからかけがえのないいのちを生きる者として、共感することがなくなってしまったのではないでしょうか。少しつまずくと「どうせ私なんか」といった感情をいだきやすい、つまり自分の存在が尊いとは思えなくなっているのではないでしょうか。
坂東さんは、ありのままの動物の姿を見て、どの動物にも尊さがあることを感じてもらうために「行動展示」を大切にしておられます。アザラシで例をあげますと、大人たちは「なんだアザラシか」と子どもの前で言うそうです。そうすると、子どもたちのなかにパンダがすばらしく、アザラシはたいしたことない動物というレッテルを持つようになります。分別する心が差別意識を生み出すのです。ですから、野生のアザラシの素晴らしさを感じてもらうような行動展示を始めたのです。アザラシの他にもたくさんの動物たちの行動展示がされています。
人間はエゴの塊です。「アザラシなんか」と言ったと思えば、多摩川にアザラシが現れた時、めずらしさに多くの人が集まり「タマちゃん」と声をかけあったり、「タマちゃん、行かないで〜」と手をふったりしているわけです。と思えば、アザラシは氷の上で赤ちゃんを育てるのですが、地球温暖化により、赤ちゃんが育つ前に氷が解けてしまい、岩場で育てなくてはならない場合が多々あります。そうすると本来食べられるはずのないキタキツネやカラスに赤ちゃんが食べられてしまいます。こうして食物連鎖による生態系が崩されてきています。これも人間の自然破壊が原因でしょう。生態系を壊すのは人間だけなのです。
動物は、生態系のなかでお互いの存在を認め合っているそうです。ライオンはシマウマを食べるのですが、お腹がすいていない時にはシマウマを襲うことはないそうです。人間はちがいます。先日、コンビニでネギトロ巻を買ったのですが、店員さんは慌てて「すいません。これ賞味期限が切れておりました」と言うのです。賞味期限を見てみると、たった2時間しか経過していないのです。「大丈夫ですよ」と言うと、「そうはいきません。申し訳ございませんが他の商品を」と言うので、別に食べたくもないツナマヨネーズ巻を買ったのです。自己責任にされるから店員さんの気持ちもわかりますが、かなりの残飯処理が日々行われているのです。やはり人間はある意味動物以下ではないでしょうか。
坂東さんの次の言葉には本当に驚嘆しました。「一番、何を大事にしたかというと、動物の眼から見るということなんです。例えばアザラシ。アザラシの体、目、いろんなものの中に、自分がそこに入って、アザラシの目でものが見えたように感じられる瞬間が突き詰めるとあるんです」と。それは自分の小さな殻が破られる世界を持っているということだと思いました。換言すれば、私から物ごとを出発するのではなく、私が問題となっていくようなあり方が大切だと言われているのだと思います。自我分別を持った自分は、自我でしか生きられないけれども、如来の眼を通して、自我の闇が露わにさせられる、気づかされるということが大切で、アザラシの眼は、如来の眼と通底するものを感じました。
動物園も営業利益をあげていかねばなりませんが、人間のニーズに合せるのではなく、むしろ動物を通して人間の自我の闇に気づかせることを動物園の使命としているところに本当に頭が下がりました。
田口弘君
田口君出棺の様子
ネクタイ姿の田口君
聞法会ではいつも一番前の席で聴聞。2枚目の写真は今から13年前の2005年の成人の日の法話会。講師は中川皓三郎先生。田口君は43歳、若い!
昨年の真夏の法話会後の蓮光寺ビアガーデンで、鉄道の歌を歌ってご機嫌の田口君。まさか10日後に急逝するとは…
中国旅行はいっしよに4〜5回行きました。ここは上海駅です。よき思い出
田口弘君の人生に学ぶ
人間は自我分別をもっている以上、苦悩せざるを得ない存在です。しかし、ただ苦悩しているのではなく、苦悩と共に根底には本当の願いがはたらいているのであり、その願いに目覚めることが本当の救いなのです。ですから救いには必ず自覚が伴うのです。
田口君も自我によって深い苦しみを味わいました。しかし、目が見えないままに生きていける意欲をお念仏からいただき続けたのです。その歩みを語っていきたいと思います。
私は23年前、櫟暁先生が講師を勤めていた「『歎異抄聴記』輪読会」に参加した時、彼とはじめて出遇ったのですが、彼はすでに両目とも視力を失っていました。私はまだ高校の教師をしており、聞法も中途半端で講義もよくわからなかったのですが、櫟先生の講義を聞いて頷いたり笑ったりしている彼の姿を見て驚いたのです。目が見えないままに喜んで聞いている彼にとても引きつけられたのです。同世代ということで次第に親しくなり、うちのお寺にも聴聞に来てくれるようになりました。そのようななかで、彼のさまざまな苦悩を聞かせてもらいました。
彼は片目がまったく見えず、もう一つの目はかなりの弱視で生まれてきました。弱視でぼんやりとしか見えないなかでも、彼は行動力もあり、一生懸命勉強していましたから、中学校までは成績もトップクラスでした。
ただ小、中学生の頃は、毎日のようにいじめにあっていたようです。ぼんやりとしか見えないから、ものを隠されるということがよくあり、給食の時には、塩に見せかけてチョークの粉を入れられたり、絵の具を溶いた汁をかけられたりとちょっと考えられない様ないじめ方をされていましたから、彼は悔しくて、いじめっ子たちと年中喧嘩をしていたようです。ですから、彼の背中には上履きの足跡がいくつもついていた、そんな毎日だったようです。
この悔しさを晴らすには、より一層学力を向上させることがいじめられた相手に勝つ絶対的な方法だと田口君は考えたのです。つまり、相手より上位の高校に進学すれば、いい会社にも就職でき、相手に勝つことができる(勝他・しょうた)。そしてお金持ちになって豊かな生活をする(利養・りよう)。それによって、自分が社会から評価されていく(名聞・みょうもん)。そういう誰もが持っている現代の価値観で対抗しようとしたのです。そして一流高校に合格し、卒業式では生徒代表として答辞を読み鼻高々になって、いじめっ子たちを見下して卒業していったのです。
ところが一流校に入ると勉強量が違い大変です。弱視では競争しても勝てないのです。田口君は、徐々に成績が落ちていき、ついに皆から置いていかれてしまったのです。天に昇った気持ちが一変して、「孤独にして同伴なし」といった地獄の生活を味わうことになったのです。誰にも相手にされない存在になっていく気持ちに覆われ、教室にいることすら苦痛に感じるようになったのです。これは人間にとっていちばん辛いことです。こうして、自分の自我分別で善しとしてきた価値観に逆に苦しめられるようになっていったのでした。皆さんはどうでしょうかね。旭山動物園の坂東さんが「動物は常にあなたの価値観は何だと問いかけているように思います」という言葉が胸に突き刺さりませんか?
田口君は「こんなはずじゃなかった。目さえ見えたらこんなことにならなかったのに。どうせ俺なんか…」と、絶望のどん底まで墜ち、死にたくて、死に場所を探すようになりました。勉強についていけないことは苦しいことですが、それ以上についていけないことを認めることができないという苦しみがあったのです。つまり、思い通りにならない人生を、ありのままの自分を受け入れることができなかったのです。
その田口君にお念仏の教えにふれるたったひとつの縁があったのです。田口君のお母さんは栃木の生まれで、近くに真宗寺院があり、お母さんは、そこの住職さんとは同級生だったのです。彼も子どもの頃は、お母さんの実家に遊びに行く時は、そのお寺にも行って遊んでいたようです。住職さんに可愛がれていたので、僧侶に対する信頼感を持っていたのです。それで、お母さんにも後押しされて、いっしょにその住職さんを訪ねたのです。人間というのは、「死にたい」という気持ちに覆われたとしても、根底には本当は「生きたい」という深い願いが念々とはたらいているのではないかと感じます。
住職さんは田口君に「長川一雄先生に会ってみなさい」と勧められました。長川先生に会うと、田口君は「どうして目が見えないのだろう。悲しすぎる。目さえ見えたら勝てるのに。目さえ見えたら…。僕、死にたいです」と愚痴を言い続けました。「どうして目が見えないのだろう」という気持ち、わかりますよね。例えば、交通事故に子どもが巻き込まれたとしたら「なぜ私の子でなければならなかったのか」とか、癌を宣告されると、やはり「なぜ私が」と苦悩しますね。世界中の人が癌であれば苦しまないですね。やはり比較心が人間を苦しめるのですね。まわりは元気なのに、なぜ私だけが、という思いがね。
長川先生は「君は目が見えたら、目が見えたらと繰り返し言うけれど、何百回言っても見えるようになりませんよ。それにそんなに目が悪ければ、競争社会では勝てないでしょう。しかし、勝つことが一番大切なことなのですか。君は何のために生まれてきたのですか。君は実に寂しい生き方をしています。私は悲しいです」と応えられました。愚痴を言う田口君をしっかり受け止めた長川先生に対して、田口君は、励ましてくれると思ったら、ずばっとはっきり言われてしまったが、何か大切なことを言ってくださっているのではないかと感じ、長川先生のもとで真宗の教えを学び始めました。
田口君は「目を治してあげます」という宗教勧誘に散々あってきました。それで目が治らないと「あなたの信心が足りないからだ。あなたのお布施が足りないからだ」と言われるのが落ちです。「あなたの目が不自由なのは、○○代前に成仏していない先祖がいて、その霊が彷徨ってあなたを苦しめているので、供養してあげましょう」という誘い方もあります。この誘いは、自分が悪くないのに苦しめられるのは、何か見えない力が私を不幸にしていると考えがちな人はいとも簡単に入信してしまうのではないでしょうか。例えば火葬場は友引が休みですね。世間では「友を引く」、つまり亡くなった人が私を引っ張っていくという迷信が本当のように語られています。道理を知らないのです。生まれてくるいのちも、亡くなっていくいのちも、暦はまったく関係ありません。では誰がそんなことを言っているのかというと、生きている私たちの迷いの心がそうさせているのではないでしょうか。東京ではひとつだけ友引営業をしている火葬場がありますが、かなり空いているようです。ある時、「友引は空いているからその日にしましょう」と私がお施主さんと話し合い決まりかけたことがありましたが、親戚から「なぜそんな不吉の日に行くのか」と顔を真っ赤にして非難され、その日はできなくなりました。こういう人は迷いを迷いと思っていないし、むしろ積極的に迷信を信じこんでいます。宗教勧誘にひっかかりやすいですね。道理を知らないで、思いをにぎりしめているのです。皆さんはどうですか? 真宗門徒だから大丈夫と言い切れますか? 田口君はそういう勧誘にひっかかることはなく、「人の不幸につけこんで何を言うか! 帰ってくれ」と言い続けたそうです。しかし、長川先生はそんなことは一言も言われなかったので、田口君にとって衝撃的であったのです。
長川先生のもとで真宗の教えを学び始めた田口君でしたが、長川先生が言われる「幻を追いかけなくていいのです。ありのままの自分を生きなさい。なぜなら、あなたはかけがえのないいのちを生きているからです」ということが、どうしてもわからなかったのでした。それは「目さえ見えたら」という我執がなかなか消えなかったからです。自分の自我分別を善しとする心では、お念仏の教えをどれだけ聞いても響くことはあり得ません。
しかし、わからないままに聞き続けていくうちに、長川先生が「自分の今の姿をきちんと受け入れて生きるということが浄土真宗の教えです。君はそう願われているのです。幻を追いかけるのではなくて、幻を追いかけなくてもいいような人生を送ることが本当のご利益なのです」といわれた言葉が、お念仏の呼びかけとして、思いもかけず聞こえてきたのです。
田口君は、人間は自分の都合で自分すら捨ててしまう。しかし、お念仏からの呼びかけは、どんな人も捨てないという摂取不捨(せっしゅふしゃ)の世界であったと気づかされていくのです。人間は自分の全存在を受け止めてくれる真のよりどころを持たないと生きていけないのだとつくづく教えられます。田口君は「愚かな凡夫とは、自分のことだった」と、そして「そんな自分が願われている存在であった」とお念仏によって呼び覚まされたのです。田口君は長川先生を通してお念仏の心にふれることができました。人生において、師に出遇うことの大切さを痛感します。
田口君の自覚は、自我分別を超えた、人間の上に表れ出た宗教心といってもいいでしょう。それは、人間の都合で求める心ではなく、真実を見失っている人間に求められる心、つまり凡夫である人間を照らし出してくる如来の心です。これを如来の本願というのです。人間は自我分別を翻して、何も足さない、何も引かない等身大のありのままの自分に出遇いたいのではないでしょうか。それが人間の根底にある本心だと思います。目が見えなくなっていくことが彼を苦しめているのではなく、それを不幸だと受け止められない彼の自我分別が彼を苦しめていたのです。自我分別が翻されると、かけがえのないいのち、存在の尊さが回復されていくのです。ですから、救いには自覚が伴うのです。
その後、田口君は京都の専修学院で学び、僧侶になりました。28歳で完全に視力を失うまで、旭川別院の僧侶として法務に尽力していました。
田口君は視力を失い、旭川別院の法務を断念することになりました。旭川別院でご指導いただいた畠山明光先生から「「親鸞聖人の教えを聞いていきたいと、そして聞いた教えを多くの人と共にしていきたいという気持ちだったら、別院を出ても君ができることはいくらでもあります。君を坊さんにさせたものが必ずあるのだから、それを裏切らずに生きていけばいいのです」と言われたことが田口君のその後の人生の大きな力になりました。やはり師を持つということは大切なことですね。
東京に帰り、常に聞法に心がけ、様々なところで法話をしたり、坊主バーでお客さんの悩みを聞きながら、法話をする生活が始まりました。
大切なことは、田口君は目が見えなくても、家族がいなくなっても、平気で生きられたのではありません。真宗は立派になっていく教えではありません。田口君も時には「目が見えたなら」と愚痴をこぼし落ち込むことがあります。やはり自分の自我分別がまったく消え去るということはないのです。人間である以上、迷いや不安は消えません。田口君は、不安があったからこそ真剣に教えに訪ね、如来の眼から人生を受け取り直す生活を続けていたのです。田口君の愚痴もお念仏の世界の出来事なのです。お念仏が彼を包み「かけがえのないいのちを生きてほしい」と願われていることを彼は深くいただいていたからことの愚痴なのです。田口君はお念仏に照らされた凡夫なのです。彼はまさしく「安心して迷うことができる生活」を貫いたのです。迷いの存在のままに、しかし、その存在に尊さがあたえられてくるのです。
「阿弥陀如来(お念仏の教え)が私にふさわしい人生を与えてくれた」と田口君は言います。自分の自我分別では人生を放棄してしまったかもしれないなかで、お念仏の教えによって、かけがえのないいのちを生きる者とさせていただいたからこそ、この言葉が出るのでしょう。如来が田口君となって、いっしょに歩んで下さる、換言すれば、仏になる因をあたえられて、彼は生きられるようになったのです。そういう歩みがあったからこそ、私は、急逝した彼の顔を見て、完全燃焼したと、つまり成仏した、浄土に還ったと頷かされたのです。
「条件を変えるということで、幸せになれるという錯覚がありますけれども、条件を変えても幸せにはなりません。条件を超えて生きていける、そういうものとの出遇いが人生ですごく大切です。私は不思議な存在として今、縁を生きている。この縁を生きる自分自身を受け止めるということが私たちにできれば、生きていけるのです。仏から見れば、皆同じではないけれども、皆尊い。そういうことが私たちの中にいつも呼びかけられているのです」と田口君は言われます。
この田口君が歩んだ道は、私たち一人ひとりが求められている道なのです。誰もが、自我分別によって苦しみ、どうにもならない問題を抱えて生きています。そうであっても存在の尊さを失わずして生きていけることが、誰にも願われていることだと思います。その願いが言葉となったのが南無阿弥陀仏です。
田口君はお母さんが住職さんと同級生であったという一点で救われています。どうぞお寺で聴聞し、お念仏の教えに出遇い続けてください。条件を整えて都合よく生きたいという人間の愚かさは一生消えません。しかし、お念仏によって、その愚かさに気づかされ、存在の尊さが回復されていく道があるのです。思い通りにならなくても生きていけるということが全人類的課題なのです。
報恩講の夕べ トーク&コンサート 11月2日(木)
2018年2月17日公開
「夜が明けるよ」
やなせななさん(奈良県、浄土真宗本願寺派教恩寺住職、シンガーソングライター)
やなせななさん
大逮夜法要後の「報恩講の夕べ」では、今回で4回目となるやなせななさんのトーク&コンサートが開かれました。
やなせさんは子宮体癌を患い苦悶したことや、音楽事務所の倒産など、様々な苦悩の経験を通して、本願念仏の教えを訪ねながら、直接的に教えの表現をとらなくても、人間の苦悩を超えていく道を歌にしてきました。また、東日本大震災では、あっという間に人々のいのちが奪われ、故郷が壊滅していくなかで(やなせさんの知り合いもたくさん亡くなりました)、人間の悲しみと、立ち上がっていこうとする人間の相(すがた)を歌にし、被災地に入り「まけないタオル」プロジェクトを立ち上げ、被災地で支援活動をしつつ、被災地の人々からも多くのことを教えられてきました。
そういう経験を通して、2016年に5枚目のアルバム「夜が明けるよ」を発表し、日常生活にスポットをあて、人間の喜び、悲しみを表現されました。今回は、そのアルバムを中心にトーク&コンサートが開かれました。(住職のために「さくら」も歌ってくれました)
前日、いつ亡くなるかわからない状態にあるおばあちゃんに会ってきたやなせさん。現在、101歳と長寿ですが、苦労多き人生をすごされたようです。戦争に駆り出された夫は「仏教徒がなぜ人を殺さねばいけないのだ。戦争は絶対に反対だ」と言っていたそうです。たまたま出征したときに赤痢にかかり、人を殺すことなく、亡くなりました。その後、おばあちゃん女手ひとつで子どもを育て、夫の両親を看取り、お寺を守り続けました。田舎のお寺なので、息子夫婦は外で働いていたので、やなせさんはおばあちゃんに育てられ、毎日いっしょに「正信偈」を唱和して、親鸞聖人のお話をよく聞かされたそうです。そのおばあちゃんがいつ亡くなってもおかしくないという心配のなかでおばあちゃんを想いながらのコンサート、その想いがさらに聴衆を引きつけたのでした。様々な日常の中でおこる苦悩する人たちをとりあげながら、どうにもならなくても、いのちは尊く、大切な人が亡くなってもちゃんとつながっていることを語ってくださいました。
やなせさんは「私は浄土真宗があまり好きではありませんでした。私がどんなにつらくても、子宮体がんになっても阿弥陀さんは何も助けてくれなかったからです。手を合わせて、私を助けてくれと言っても聞いてくれなかったし、どうにもならんと何回も思っていました。でも最近ちっともそう思えなくてなってきました。ありがたいと思います。さきほど、本多ご住職がご法話で言われた通り、私たちは救われがたいいのちを生かされてます。救われようがない、極悪人(縁しだいで、まちがいを起こしたり、善悪の基準が変わってしまう人間のあり方)の人生です。そういう私なのに、自分のあり方を見つめることもなく、怒って泣いてもがいて、死にたくない、夢をかなえたいと、自分の首をぎゅっと絞めて生きてきたのです。そうやって、ぎゅっと絞めているときに光がさしてきて、見上げたら阿弥陀様の光がありました。『かまへんから、ここにおいで』と言われた気がしました。『正信偈』に、仏様の名を称えない極重悪人は、皆光の中に摂(おさ)めとられているのに、私の眼がそれをさえぎって見えないけど、ちゃんとつつまれているのだと。そのことに目覚めることで、そのままでいいんだよと言われていることが身に沁みます。このことをずっと心のなかで大切にしています。どんな状況であろうと、この私はかけがえのないいのちを生きている。いや、みな、そうやって生かされているのです」と語られました。どんな状況でも、阿弥陀様に励まされて、苦悩を真正面から受け止めて生きていける世界があることを彼女の言葉で表現されました。
日常生活の悲しみを通した人間そのものの尊さやすばらしさをトークと歌で披露したやなせさんに、多くの聴衆が涙しました。
曲名
- なないろの朝に
- お正月
- タロー
- ひよこのコーヒー
- ありがとう
- さくら
- 星のパパへ
- (アンコール)夜が明けるよ
日中法要(御満座)「法話」 11月3日(金)
2018年2月4日公開
法話: 波佐谷見正先生(北海道厚岸郡正念寺住職、昆布漁漁師、62歳)
「濁世の目足をたまわる」
波佐谷見正先生
司会の上野さん
原総代の挨拶
日中法要(御満座)の様子
先生の紹介(住職)
法話の様子
御礼言上
お斎(手作り精進料理)
何を聞いていかねばならないのか?
北海道から来ました波佐谷見正と申します。正念寺というお寺をお預かりしております。限られた時間ですけれども、みなさん方と本当の意味で何を聞いていかなければならないのかを大切にしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
私のお寺の報恩講は先月25〜27日に勤めさせていただきました。私が必ず言うことは「京都の親鸞聖人に聞こえるくらいの大きな声でお勤めしてください」と。「間違ってもいい。音が外れてもいい。精一杯お勤めしてください」と。声がでかすぎるとか、高いとか低いとか、合うとか合わないとか、大事な事ではありますけれども、精一杯さというのは表現のしようがない。人それぞれですよね。形はそれぞれですけど、ただ精一杯何を表現してきたのかなということが問われますね。
私、62歳になりましたが、北海道の歴史を学びながら、毎年報恩講を勤めてきたその願いは何だったのだろうかなということを今でも考えさせられます。最後にあらん限りの声で「如来大悲の恩徳は…」と斉唱します。私のところは「おさらえ勤行」をします。「如来大悲の恩徳は…」で「今年もご苦労さん良かったね」と終わらないのです。内陣を平日のお飾りに戻して、翌朝「おさらえ」のお勤めをするのです。おさらえとは、さらえる、つまったところを通しよくするという意味です。「おさらえ」で勤める和讃は「仏智疑惑和讃」です。その一首を紹介しますと、
「不了仏智のしるしには 如来の諸智を疑惑して 罪福信じ善本を たのめば辺地にとまるなり」
(仏さまの智慧を明らかにいただいていないしるしとして、仏さまの智慧の諸々な徳を疑っている。悪いものを避け、よいものを選び取ることができると自力のはからいをはなれずに念仏を称えている、自分の手柄にしている行者は、仏さまの智慧を本当には了解していないので、浄土に迎えられても、浄土の方ほとりに留まってしまう)
「報恩講が勤まって良かったね」と言っておりながらも、もう一回確かめさせてもらうというか、それだけ人間の闇は深いというか、私たちのいただき、学びを確かめさせていただくことはとても大切なのです。
宗祖親鸞聖人を憶(おも)う
金子大栄先生の書物のなかで『宗祖を憶う』というのがあります。憶うということは憶念ということですね。一度いただいた心を忘れることもあるのです。一度本当にいただいた心がどこで起こってくるのかといったら、折にふれて、様々な状況、つまり縁ということですね。よって起こるわけですから、縁起ということですね。私たちは体だけ変化するわけではありません。身も心も状況によって、厳粛なるものを受けているわけです。縁起ということは常に変わるということですよね。変化していく存在であるということです。そういう意味では私たちのいのちの姿は厳粛です。それを教えてくれたのがお釈迦さまです。生老病死、「老病死を見て世の非常を悟る」とお釈迦さまは言われます。『大無量寿経』で説かれています。そんなことも含めて、老病死ということは時間が止まらないということでしょう。一分一秒待ったなしです。次から次といろんなことで私たちの身も心も動いていく中で折に触れて憶う、憶念ということがね。私たち真宗門徒は、仏壇と言わないで「お内仏」と言ってきたということは、お内仏の前に座って、誰と出遇ってきたのですか? そのことが大切なのです。「お内仏」は家庭の本堂ということですからね。
金子先生は、『宗祖を憶う』という中で、おじいちゃんでもおばあちゃんでも息子でも誰でもいいのですが、でもあえて金子先生は歩みの中で「宗祖を憶う」と言われました。
そのことを私自身がいつも報恩講を迎えるたびに、宗祖の出遇い、それに限らず、日々の生活の仲間たちから、いただくことです。たまたまご縁があって蓮光寺さんのご門徒になられたと。たまたま本多住職のご縁があって、仏さまの教えにふれるご縁ができたと。では、そのことを通して何か変わりましたか?
人は変わるのです。変わらなかったらおかしいですよ。いろいろな辛いことや悲しいことの中に、出遇ったそのことが情ですから。報恩講は情の世界だと思っています。情が薄らいでいくということは、何を勉強するかということが明確でないから、勉強すればするほど薄らぐのです。
ちょっと金子先生の『宗祖を憶う』という言葉をゆっくり読みますから聞いてみてください。黒板に書きません。字の説明もしません。言葉の響きを聞いてみてください。ゆっくり読みますから。
「昔、法師あり 親鸞と名づく 殿上に生れて庶民の心あり 貧道となりて高貴の性を失わず
己(すで)にして愛欲の断ち難きを知り 俗に帰れども道心を捨てず 一生凡夫にして 大涅槃の終りを期す 人間を懐かしみつつ 人に昵(なづ)む能わず 名利の空(あだ)なるを知りて 離れ得ざるを悲しむ 流浪の生涯に 常楽の郷里を慕ひ 孤独の淋しさに万人の悩みを思ふ 聖教を披くも、文字を見ず ただ言葉のひびきをきく 正法を説けども、師弟を言はず ひとへに同朋の縁をよろこぶ 本願を仰いでは 身の善悪をかへりみず 念仏に親しんでは 自ら無碍の一道を知る 人に知られざるを憂えず ただ世を汚さんことを恐る 己身の罪障に徹して 一切群生の救ひを願ふ」
願わくはこの功徳をもって、平等に一切を施し、同じく菩提心をおこして、皆さん一緒に安楽国に往生しましょう。最後は善導の回向文は要です。回し向けられているということですね。どちらからですか?
仏さまの方から回し向けられているお心です。そのお心は、いうまでもなく「信心」と言ってきたわけです。わかるか、わからないか別ですよ。親鸞聖人はそれを「真実信心」と言われた。真実とは何かと言ったら、信心です。信心は如来の心だと。そのお心が宗の要です。それが「濁世の目足をたまわる」ということではないですか。でも私たちはその御心に出遇ったその自分の心を頼りにするのです。面倒くさいね、私たちは。自分で頷くということは大事なことです。でも頷いても忘れてしまうのですね。
『宗祖を憶う』を続けます。
「その人逝きて数世紀 長えに死せるがごとし その人去りて七百年 いまなほ生けるが如し その人を憶ひてわれは生き その人を忘れてわれは迷ふ 曠劫多生の縁 よろこびつくることなし」
表現は難しいかもしれませんが、でもどうですかね。「宗祖を憶う」と言わねばならないほどに、ご開山聖人と金子先生との関係性があったということでしょうね。関わりの深さが出遇いの深さですからね。
人間って何だろう?
「あなたに出遇えてよかった」というのが、私たち一人ひとりが持っている関心事ではないですか?
悩んだり苦しんだり、それを不安という形で表現するのでしょう。「どうしたらいいのか」という関わりの心ですよ。手も足も出ない。手も足も出るうちは知識ですね。それを小賢しいっていうわけです。また善人と言ってきたわけです。先に言っておきますが、私自身も実に小賢しい善人なのです。皆さんはどうなのでしょうかね。
「あなたに出遇えてよかった」これは恩ということでしょう。どうですか? もし、そういう人がいなかったら、それは笑えない。何年生きても悲しいことです。でも言うはやすしですが、実はなかなかできないのです。そんな中にあって「あなたに出遇えてよかった」としつこく言うのは、「正信偈」に書かれているからです。「お釈迦様、あなたに出遇えてよかった」続いて七高僧ですね。「7人の高僧様、あなたに出遇えてよかった」と。釈尊も七高僧も誰もが悩みをかかえながらも、生きていける道を説かれた。「あなた」という感覚が大事です。「私」と「あなた」ということがあって初めて、「私たちは」ということでしょう。「私」だけではね、自分可愛さに人を傷つけ、自分の都合で人を憎む。誰のことですかね。皆そうではありせんか。
35年ほど前に、脳性小児麻痺の町田知子さんが琵琶湖学園『十七歳のオルゴール』(柏樹社)という本を出しました。私が大切にしている本です。
「自分では何一つできない。トイレも歩くことも風呂に入ることも何にもできない。一体私は牛? サル? 犬? それ以下の生物だろうか? 一体人間って何だろう。誰もわたしのことをわかってくれない。可哀想にと同情はしてくれるけれど、それ以上のこともない。」
彼女は「一体人間って何だろう」と自己表現していくのです。私が彼女と出遇ったきっかけは、実は私の兄が障害を持っていたからです。今年[2017年]の1月25日に67歳で亡くなりました。これから話すことは、自分のこととして、身近なところで考えてほしいと思います。母は3年前に亡くなりましたが、母の口癖は「この子を残して死ねない」ということでした。母は晩年に認知症になりましたから、兄とは別々の施設で生活していました。「この子を残して死ねない。そんなこと言ってどうするのだ。障害を持っていても、生きていけるじゃないか」と言っていた私は母の情につぶされ続けました。でも思いは、そうあったとしても、障害、健常者、何処でともに生きていけるのかが願いとしてあるのではないでしょうか。
私は三男なのです。次男は家が貧乏だからと出て行ってしまったのです。私は、家のかまどでは大学に行けないからと、会社に就職しましたが、やっぱり辞めてしまいましたね。金になるから辛抱できるという問題でもないのですね。保障されているから頑張れる人もいるかもしれないけど、結果的には人間関係だと思います。いくら給料が良くても、労働条件が良かったとしても、やっぱり人は生きていけないということが状況として起こりうるということです。
その次男の兄が長男の通夜葬儀に帰ってきたのです。長男は人工透析を35年続けてきたけれど、それができなくなりました。透析ができなくなると、心肺蘇生をつけなければ、だいたい1週間しかもたないのです。透析をすると、血圧が90以下になり、多臓器不全になります。臓器移植は是か非かは、今日はおいておきますけど、本人が申請できなくなりましたので、医者が判断するようになりました。私が医者に直接呼ばれて「お兄さんは臓器提供を願っておりますけれども、諦めてほしい」と言われました。本人の申請ではなくて、医療機関がそれを決める。そんなことも考えさせられますね。
葬儀の準備をしているときに、2番目の兄が「死んだ兄貴は、おまえにも世話になり、みんなに世話になり、幸せだったべな」と言うので、私はかちーんときたのです。「兄貴(次男)が言うな。死んだ兄貴(長男)が間際でも幸せだったと言うならいいけれども、兄貴が幸せだったと言うな。兄貴も俺も冷たかったじゃないか」と。そう、冷たかったのです。兄が障害もっているだけで冷たかったのです。葬儀委員長は上手に話されましたが、途中から私が話しました。「私は冷たかったのです。委員長は上手に言ってくださったけど、聞けば聞くほどつらいです」と言いました。冷たかったのです。でもここから出遇い直していくことはできるのです。
私は35年前に北海道に戻ってきて、月並みにも僧侶になり、歩み出したひとつのキッカケとなったのは、障害者施設に関わるお寺さんの法話を聞きながら「一体、人間って何だろう」ということでした。「人間の心を回復しようとか,そう言っている人間って何なのだろうか」それが私のスタートラインでした。と同時に、その言葉を思い出すたびに出遇うものがあるということです。常に状況はめまぐるしく変わっていきますけれども、あえて言えば、味わいが変わるということがあるのです。
私も田口君を思い出しました。私は目が見えるわけです。こういう言い方は失礼かもしれませんけれど、見えない、聞こえない、わからないという、そういう人たちの事を慮(おもんばか)る。何ができるかということよりも、慮る心が起こってくることがあるのではないですか。仏教徒だから真宗門徒だからではなくて、私たちひとり一人が抱えているものがあるのではないですか。そういうことが何処で私たちが感じることができるのか。「あなたに出遇えてよかった、あなたの言葉に出遇えてよかった」とそんな人が一人でもいてくれたらば、生きていけるのではないですか。
自分が自分を見捨てていく
3年前母が亡くなったと言いました。85歳でした。痰が絡んで、看護師さんが巡回して戻って来たら、亡くなっていました。「検死とか結構です。大変お世話になりました」と言って、母を連れて帰ってきたのですが、母がとても綺麗だったのです。こんな綺麗な母を見たことなかったですね。つやつやしていて、しわの一本もないのです。遺体と神妙に向かい合っていたら、長女が帰って来ました。長女は札幌で美容師をしています。私、6人子供がいるのです。本当は7人ですが、1人亡くなってしまいました。現在6名と妻。そんな状況です。長女が帰ってきて、母の顔を見ながら、何と言ったかというと「お父さん、怒っていないおばあちゃんの顔初めて見た」と。私は娘の言葉で泣きました。「怒っていないおばあちゃんの顔初めて見た」と。素敵じゃないですか。そんな表現できないですよ。やれと言ってもできません。思い立つ心とはそういうことではないですか。そのままを言ったのではないですか。孫にとってみれば、いつもお母さんとおばあちゃんが喧嘩している顔しか見ていなかったということです。でもその事が、「お父さん、怒っていないおばあちゃんの顔を初めて見た」と。私はその時初めて、「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)という言葉が聞こえてきました。すべてのやっかいなことから解き放たれるということですね。死んだら解き放たれるのではありません。この身が今生において度するということは、必ず死んでいく身であるけれども、今を本当に生きてほしいということではありませんか。私たちは苦悩をなくそうと苦悩しているのではないですか。そこに「濁世の目足をたまわる」のです。
あるお寺の掲示板に
「生まれては喜ばれ、老いては嫌われ、病んでは邪魔にされ、死して忘れられる」
と書かれていました。私はびっくりしました。生老病死のことですですが、ストレートすぎるではないですか。亡くなってから忘れられるのは結構あります。でも生きているうちに忘れられるのは一番辛いですね。いるんだか、いないんだか、わからないというのは。そのご住職がどんな思いでそれを書かれたのかは、翌月の掲示板でわかりました。
「生れては他を愛し、老いてしおれず、病んで色あせず、死してもなくならない。そんないのちを願い,生きたい」
掲示板ですから、不特定多数の人が見るわけです。でも言葉に関心のある人には「ん?」ってことです。素通りする人もいるだろうけれども。「え〜っ」と考えさせられるわけです。私の寺の掲示板で一番反響があったのは「死ぬぞ」と書いたのです。これは大反響でした。大反響というか苦情の電話でしたね。周りは漁師ばっかりですから。「住職、これから沖に行かなきゃならないのに──死ぬぞって縁起でもない」というわけです。違いますよね。みなさん方はそんなこと思われませんよね。縁起がいいとか悪いとか言っている人間はあんぽんたんですからね。「あんぽんたん」って優しく言っているのですよ。縁起がいいとか悪いとかと言うのは立派な人に多いのです。たぶん、阿弥陀さんは、じれったいじれったいと思っているかもしれないですね。「いつになったら目を覚ましてくれるんだ」と。でも「死ぬぞ」は大反響でした。死という言葉は非常に印象付ける言葉なのでしょう。でもいのちは終わっていかなければならないのです。そしてこの人生が最後の人生ですね。最後生という言葉があります。最後ですよ。もう二度と生まれ変わらなくてもいいのです。今を本当に生きてほしいということです。蓮如上人はそれを「後生の一大事」と言われたのです。後生とは最後生ということです。
最近の若い門徒さんのなかには「死んだらどうなるかわからないから、今が大事だ」とストレートに言います。これは決してこれは若い人だけの感覚だけではないですよね。死んだらどうなるかわからないから今が大事だし、お寺とお墓だけ決めておこうということでしょう。頼りにする人はいないのかと思いますね。終活とはそういうことでしょう。気が付いてみたらひとりぼっちではないですか。家族はいたはずです。でも家族が素晴らしいという話を私はしたいのではないのです。家族ほど面倒くさいものはないのです。でもお互いに面倒だなと思ったら、どこかで助けあうってことが起こるのではないですか。喧嘩してでも、どうあってもね。お金がなかったら、ないって言えばいいのです。だったら稼ごうってなるわけです。だから私は昆布漁の船に乗ったのです。ボランティアではないですからね。生活がかかっていますからね。でも、ある坊さんに「波佐谷さんは生活のために船に乗っているのだね」と言われました。ちょっと自分の事で嬉しかったです。でも、「あなた方はそんなふうに見正をみていたのか。彼は仕方なくでもなんでも寺を守らなければならない。仏道を歩まなければならない。それで船に乗っているんだぞ」と言われた坊さんがいました。そう言われたら、すごく涙が出ましたね。でも私はそこまでは思っていないです。家族を食べさすためだと。船に乗って30年ですけどね。
ただ今だけが大事だと言っている人は信用できません。どんなに立派なことを言ってもね。私は立派な人に出遇いたいとは思いません。尊い人に出遇いたいですね。
私には5人の孫がいます。孫たちが「じじ」って言った時期がありました。私は「じじというな。見正さんと言いなさい」と。最近は「見正さん」と呼ぶようになりました。
うちの門徒のあるおばあちゃんのことですが、「人のものは私のもの。私のものは私のもの」浜によっている昆布も、人が拾ったのを自分があたかも拾ったかのような顔をして自分の浜に干すおばあちゃんなのです。みんなも欲ばりだから、我も我もと拾っているから、わかんないのです。どれがなくなったかわからないわけです。でもお寺によく来るから、信心深いばばとも言うのですね。でも、お寺によく来るから、信心が深くなるということではないですからね。学び方を間違うと、来れば来るほど面倒くさくなりますよ。学んだことが邪魔になるってことがあるかもしれません。なんで私がそういうことを言うかというと、そのおばあちゃんがこう言いました。「お寺さん、こんなやっかいなばばだけど、ばば、ばばと呼んでくれる孫はめんこいもんだぞ」と。こういう世界わかりますか? 私はいつでもこの話を紹介するのです。
こういう世界を育んできたのです。思い出せば、思い出すたびに出遇い直していけるのです。亡くなった人でもいいではないですか。私は孫に見正さんと呼びなさいと。私は孫のことを「はると君」とか言っています。名のり合うとはそういうことではないですか。「阿弥陀と名づけたてまつる」ですからね。
阿弥陀は摂取不捨だと。摂め取って捨てない。同時に輝きの世界を成しているということが『大無量寿経』に出てきます。浄土とは光の世界です。願いの世界です。『大無量寿経』の後半には人間のやっかいさも語られています。それを弥勒に託すと。この経には、弥勒菩薩が出てきます。阿難尊者がでてきます。東本願寺の大門、つまり御影堂門の上にお釈迦さま、弥勒菩薩、阿難尊者が安置されています。御影堂の親鸞聖人のご真影の真向かいに御影堂門があります。あえて取って付けたような言い方ですけれども、あの御影堂門はまさに親鸞聖人が生涯大切にされた精神の象徴ではないですか? 『大無量寿経』の世界です。「真実の教を顕わせば、すなわち『大無量寿経』これなり」です。真実の教は何かというと、私は「みんな仲良くしてほしい」ということを願う教えということだと思います。どうしてみんな喧嘩するのでしょうか? みんな自分が正しいと思うからですね。ですから東本願寺に行くと「どうか、御影堂門からお帰りください」と言われますね。
では阿弥陀堂は何か? 阿弥陀さんですよね。阿弥陀さんの右側に聖徳太子、左側に法然上人の絵象が掲げられています。親鸞聖人は、聖徳太子のことを観音の化身とまでいただいたのです。法然上人も勢至菩薩の化身だと。その生きざまが、輝いていたんでしょうね。「私は輝いていますよ、私は立派ですよ」という人にろくな人はいませんからね。まわりが感じることですね。親鸞聖人はそのようにいただいたということです。「高僧和讃」のなかの「源空和讃」に
「源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき 賢哲愚夫もえらばれず 豪貴鄙賎(ひせん)もへだてなし」
とありますね。比べないということです。選ばないということ、嫌わないということです。選ばず嫌わず見捨てずってことが、私たちはできるのです。あたえられているのです。なのにどうして自分の人生を選び嫌い見捨てているんですか? 最後の悲劇は何かっていうと「私はもうだめだお寺さん、早く阿弥陀さん迎えにきてくれないか」というような話です。そんな阿弥陀さんどこにいるのでしょう。「生きよ」っていうではないですか。「ばあちゃん、生きよ」って。受け止めてくれって。耐えてくれって。我慢する事ではありません。そこにしか救いはないのです。これは私自身が教えてもらったことなのです。自分が自分を見捨てていく。自分で自分の人生を決めてしまう。
あなたに出遇えてよかった
そんな中にあって「あなたに出遇えてよかった」と言える人がいる人がいたら笑顔が生まれるのではないですか。色々あるけれども、お互いに頑張っていこうってね。私はそういうシンプルさをいただいたような気がします。
ついこの間、東本願寺に行って、改めて観音菩薩と勢至菩薩を拝見して感じたことがあります。阿弥陀さんのはたらきをあらわすのが観音菩薩と勢至菩薩ですね。念仏は智慧だと。智慧の念仏を得るということは、智慧を賜ってきたのだと。でも智慧だけだったら、私たちは小賢しくなるのです。善人です。智慧と情、ぬくもりですよ。観音という言葉にそういうことを感じます。人格までもたらしたときに観音菩薩、勢至菩薩という形になったのです。あたかも私たちがいただけるように。
阿弥陀堂、御影堂、そして御影堂門には『大無量寿経』の精神がそこに表現されているのです。
今日、紙芝居を持ってきたのです。時間がなくなってきましたので、アイヌの一人の女性の記事はあとで読んでいただくとして、最後に紙芝居を見ていただきたいと思います。
私たちは南無阿弥陀仏というそのお言葉を呼び声として、もっとシンプルに言えば、阿弥陀さんと互いに名のり合う、互いの名前を呼びあうところにいただいてきたような気がします。と同時に手を合わせるということは、自分の生活全体を受けとめていくことです。アイヌの方々はいつでもどこでも人と会った時に「イランカラプテ」と言います。「あなたの心に触れさせてください」ということです。
それでは紙芝居を始めます。「あおくんときいろちゃん」という紙芝居です
「あおくんです。 あおくんの おうち パパとママと いっしょ おともだちが たくさん でも いちばんの なかよしは きいろちゃん きいろちゃんの おうちは とおりの むこう みんな かくれんぼが だいすき ひらいた ひらいた なんのはな ひらいた きょうしつでは きちんと ならんでいるけれど かえりみちでは とんだり はねたり あるひ あおくんのママは おかいもの 「おるすばん たのむわ あおくん」 だのに あおくんは きいろちゃんと あそびたくなりました おやおや きいろちゃんの おうちは からっぽです どこだろう ここかしら あちこち さがして とうとう まちかどで ばったり あ きいろちゃん よかったね あおくんと きいろちゃんは うれしくて もう うれしくて うれしくて とうとう みどりに なりました あおくんと きいろちゃんは こうえんへ あそびに いきました とんねるくぐりを したり おれんじちゃんと おっかけっこ おやまにも のぼったり ああ くたびれた おうちに かえっていきました ところが 「おや この みどりのこ うちの あおくんじゃないよ」 あおくんの パパと ママは いいました こっちでも 「おや この みどりのこ うちの きいろちゃんじゃないよ」 きいろちゃんの パパと ママも いいました あおくんと きいろちゃんは かなしくなって なきました おおつの あおい なみだと きいろい なみだが こぼれました ないて ないて なきました ふたりは ぜんぶ なみだになってしまいました あおの なみだは あおくんに きいろの なみだは きいろちゃんに なりました 「これなら ぱぱや まま きっと まちがえっこないね」 パパも ママも あおくんを みて おおよろこび しっかりと だきあげました こんどは きいろちゃんをだきました おやおや ごらん みどりになるよ パパにも ママにも やっと わけがわかりました そこで とおりの むこうの きいろちゃんの おうちに わくわくしながら わけを はなしに いきました おやたちも うれしくて やっぱり みどりに なりました こどもたちは ばんごはんまで たのしく あそびました」
この作はレオ・レオーニというアメリカのデザイナーです。孫に作ってあげた切り絵です。もう古いですね。スイミーとかいろんな絵本が本屋さんにあります。たまたま子供会をやっていて、この絵本に出遇い、またこの絵本を通して、色と色の輝きが出遇って、それが輝きあう世界として、あえて「浄土」ということが説かれていきます。亡くなってから行くところとは説かれていません。同時に、ぬくもりの世界だと。まさに「帰命無量寿如来 南無不可思議光」です。「あなたはうちの子ではないよ。私そんな風に育てた覚えはない」と言われたらね。結構心当たりがあるのではないでしょうか。親たちが子どもたちに教えられるということです。そういう共通感覚を育んできたのが浄土真宗の教えではないでしょうか。
アイヌの記事はあとでゆっくりお読みください。去年九州に行った時、九州の新聞は被差別の問題を結構取り上げていました。北海道はアイヌのことが毎日のように新聞に出ています。これは地域性ですね。
どっちがどっちということではないです。関心ということで言えば、私はたまたまアイヌの方々と出遇いながら、特に活動をしているわけではありませんけれども、ものの見方、考え方、受け止め方、味わい方が変わったと感じます。そういう意味で私たちがこうして蓮光寺さんにご縁をいただきながら、本当に何をいただいてきたのか、 何をいただこうとしているのか、何を感じ、何を学び、何を聞いていくのかということが常に問われてくるような気がします。
私は母を思い出すたびに、母と出遇い直しています。そういう事なのです。私はシンプルなのです。
父親もそうです。どんな形であれ、思い出すたびに出遇える世界があるということです。亡き人を思い出すたびに、自分自身とも出遇っていけるし、味わいが変わっていくのです。そういうシンプルなところで、迷いが深められていくと、改めて親鸞聖人の言葉が重くいただけるのではないでしょうか。
「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし」如来は悲しんでおられるということです。私たちの姿を見てね。「濁世の目足をたまわる」とはそういうことでしょう。
まとまりのない話になりましたけども、どうか皆さん、ご縁のある方々と共に仏法を聞いてほしいです。
そして、何を感じ、何を学び、何を聞いていくのかということを常に問われて、語り合ってください。
真宗寺院と名のって存在している大いなる意義をここに感じることです。