(能登の地震と豪雨災害の中で)
人間は誰しも自分の都合がいつも最優先。
信じるも信じないもその都合だけなんだと思う。
仏さまはそんな人間を悲しんでいるのではないでしょうか。
みんな笑って生活したいのです。
お内仏に手を合わせて、周りに感謝しながら一歩ずつ進んで参りたいと思います。
小谷 まゆみ
私たちはモノを食べているのではなく、
いのちを食べていることを体で感じることです。
井手 留美
教育って、人の姿から学ぶことだと思うので、
大人たちが楽しく学んでいる姿を見せ、失敗してもそれをお互いに許し合い、
支え合うような環境であることが大事なのではないかと思います。
弱いからこそ万物と交流できることを老いが証明している、
という点に着目していかなければならない気がします。
村瀬 孝雄
次代に(伝統の)たすきをつないでいる
という感覚を持っていると、自分がたすきを受けたときに、
その先もたすきがつながるようなことをしていかないといけない
と思うのではないでしょうか。
山本 康夫
心の奥で感じているしんどいことはなかなか話しづらいですね。それを受け止めてもらえる関係が、社会で広がっていくこと、お寺はいのちと向き合う場所ですから、ひとつの拠点になってほしいと思います。
斎藤 真緒
みんなが同じことをやるのが平等ではない。
國分 一哉
大自然の中に一人投げ出されても、生きていけるという自信を持つことができれば、物はなくても、生き残るために大事な心構えがおのずと身についていくのではないでしょうか。
大石 賢斉
学校給食は食育です。多くの人たちによって成り立っているのだと何かのきっかけに学んでほしいなと思います。
中島 勝男
誰でも小さい障害をもっている。本当はみんな何らかの障害を持っているのだと認め合い、
障害のハードルが下がったらいいなと思います。
梅津 円
分別が間に合わなくなった時、行き詰った時、どうすることもできない現実のただ中に
不思議と仏さまの方が「南無阿弥陀仏」とよびかけ用(はたら)いてくださるのですね。
藤原 千佳子
地域の問題は、短期的な成果だけで評価してヒーローにしてしまいますが、
本当の成果は、地元の人が少しずつ成長し、よりよいことをやっていくことにあります。
ヒーローより凡人が大事なのです。
木下 斉
弱い立場の人たちが十分ケアされない社会の在り方は、
次は私自身の問題になってくると思います。
眞野 明美
カルト宗教と他の宗教を分けるのは、
そこに教義の押し付けと人権侵害があるかどうかではないでしょうか。
松田 彩絵
自分のことはわからなくても人のことはわかります。
だからお互いにそれをやるのです。
そして素直に聞き合うことが大切なのです。
山口 のり子
互いに思いやり 感謝しあい 尊敬しあう
そのことを自分の心に問うていくことが
大切ではないでしょうか
藤井 誠一郎
人はロボットではありません。
意思をもった一人の人間であり
家族にとっては かけがえのない大切ないのちなのです。
寺西 笑子
認知症かどうかにかかわらず
困っていること できないことは
お互いに頼りあえばいい
間違ったり 失敗したりすることも
柔軟に受けとめられる社会になってほしい
下坂 厚
であう つながる ともにある
慶讃法要事業 子どものつどい in 東本願寺
【慶讃法要円成】
南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう
慶讃法要テーマ
自分に他の人から見えない内側の世界があることに気づいたのです。そして自分にあると言うことはみんなにもあるのかと強く驚いたことは死ぬまで忘れないでしょう。私にとって、他者との出会いはそのときはじまったのだと思っています。
湯本 香樹実
性に関しての感じ方むやあり方は一人ひとりちがいます。多様な生き方を、「あなたはおかしい」と否定するのではなく、そういうあり方むもあるのだとお互いを認めあい、尊重しあいながらつながっていくことを通して社会は豊かになるのではないでしょうか。
吉田 絵理子
どんなに素晴らしい里親であっても、
どんなに素晴らしい施設であっても、
子どもにとって親の存在はかけがえのないものです。
藤林 武史
生まれることができなかった、出あうことができなかったいのちを含めて、
すべてのいのちは大事にされるためにある。
私も、そのいのちに支えられ生きている。
岸畑 聖月
ある時、急になくなってしまういのち。
私たち人間は、小さい頃から、人はやがて死ぬ、
必ず死ぬのだということを
普段の生活の中で伝えていかなければならない
のではないでしょうか。
今泉 忠明
環境がどのように変わるかは
予測できるものではありません
環境に適応することが進化であるけれど
その根底に「生きる」ということが
大事ではないでしょうか。
今泉 忠明
自分が善で、自分と異なるものは悪者であるとか、自分をよく見せたい、自分が正しいと思いたいという思いが私たちの心にあるのではないでしょうか。
吉野 安伸
流転していく生活の中で
不死のいのちを生きた仏陀を憶念し
自分への問いとしていくそれが念仏の意味であり
念仏の意味であり、念仏のある生活が開かれていくことではないでしょうか。
宮下 晴輝
発達障害の当事者の文化と そうでない人の文化が折り合っていき
お互いを尊重しながら社会を作って行くことが 私たちに求められている
伊藤 克之
ごみって何でしょう?
すべてのものが無駄にならずに
地球から得たものが過不足なく循環する社会を目指し
私たちの意識や価値観も
変わっていく必要があるかもしれません
坂野 晶
目まぐるしく変わっていく時を生きる私たちだからこそ
今、自分が生きているということを
大切にしたいと思います
おざわ ゆき
加害者とは私とは無縁の誰かのことではありません
私たちはさまざまな縁次第で 加害者にも 被害者にもなり得る存在なのではないでしょうか
阿部 恭子
相手に対する自分の行為の結果は
自分でコントロールできないこととしてあります
相手が自分の予想とは違った反応をした時に
それを受け止める余白のようなものが
必要ではないかと思います。
伊藤 亜紗
異質な他者とのであいが 社会への視野を広げていく
そのことを 私たち大人が感じ 若い人たちへ 伝えていきたいと思います。
土井 隆義
今ある一瞬一瞬を精いっぱい生きる。その積み重ねの先に人生の終わりがある。
秋山 正子
受容とは、まるっと受け止めること。
話を聞くことを通して、
大人が子どもの情景を見せてもらうこと。
裾橋 聡美
さまざまな背景を持つ私たちが、一つの事柄に問いをぶつけ合い、
思いを話すことができる場の存在は、非常に大切です。
佐藤 邦政
あきらめることを覚えてしまった子どもたちに
「生きていてよかった」「生まれてきてよかった」
と感じてほしい。
渋谷 幸靖
どんないのちも生きたいという力を持っている。できる、できないというものさしでそこにいられる人を選ぶのではなく、すでにすべてのいのちがそこにいることを許されている。
占部 まり
南無阿弥陀仏と念仏もうすとは
仏さまの「これでいいのですか」と私を問う呼び声に、
一人ひとりが向き合っていくことです。
尾畑 文正
真宗大谷派という教団にご縁をいただき 真宗門徒たらんとする限り
私たちはいつも浄土真宗という普遍的原理から問われる存在なのです。
尾畑 文正
南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう
慶讃法要テーマ
感染を恐れる気持ちから起こる、「責める」気持ち。その心の動きをなくすことはできなくても立ち止まって思い直すことはできます。
三浦 麻子
多様であることが社会の強みで、共に生きるのだという意識を一人ひとりが持てる社会になってほしいと強く願っています。
小林 美穂子
身体的に距離を取らなければならない状況にある今だけど
心はつながっていたいという思いは誰もが求めていることだと思います。
張 賢徳
障害があってもなくても、子どもも大人も人としていろいろな思いや葛藤の中で生きている存在であり、仲間だということが私の原点です。
北川 聡子
(ネットで)人を攻撃することによってしか人とつながることができないのはとても寂しいことです。
スマイリーキクチ
南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう
2023年 慶讃法要テーマ
孤立させない。みんなが助ける。一人ひとりが大切な存在だから。
古城 資久
多様性を豊かさと捉えられる社会の実現のためには「一緒だ」ということだけでなく「違いを尊重しあう」ということが必要です。
鳥井 一平
「いま」を大切する視点が子育てや教育おいても大事だと思えてなりません。
石井 志昴
障がい者問題というのは 学ぶことはもちろん大事ですが
一人対一人として出あい 関係性を築くことが 大切なことだと思います。
尾上 浩二
私たちが今一番恐れているのは、ウイルスに感染することよりも
社会や人間関係の法なのではないかと思います。
中谷内 一也
世界中に南無阿弥陀仏のみ教えを届けるべく、力を尽くしてまいります。
大谷 暢裕 真宗大谷派第26代門首
動弱者は闇に消され、都合の悪いことはすべ隠されてしまう。
それが戦争なのだと思います。
金田 茉莉
動物や植物も自然の中でいのちを終えていくのですから
人間も自然にいのちを終えていくのが大切ではないかと思うのです。
小笠原 望
自分に都合のよいことだけを求める関係では
本当の「絆」を結べていないのだと思います。
奥田 知志
日常生活の中でも、お互いの言葉を聴き合うということが大切だと
合唱をとおして教えられました。
和田 淑子
人は“死んだら終わり”では決してありません。
息子を亡くすという悲しみに出あわなければ、
そのことに気づかされることはなかったかもしれません。
丹野 祐子
存在そのもの
生きることの尊厳が見いだせる社会に
ならなければいけない
寮 美千子
「いのちの尊さ」とは、他者が評価するものではなくて、自らの内に自覚され、そして自分らしく「あるがまま」に生きていることだと私は思うのです。
内田 美智子
現代の人びとの悩みと同じ悩みを自分が抱えて
そこで苦労することをとおして発信される言葉が
ある意味世の力になっていくのだろうと感じます
楠 信生
凡夫というところに立てば、答えに立ちようがないはずなのです。
楠 信生
「私はどうして人として生まれたのか」
「私の人生は何であったか」
そのことを問い続ける人生にしたいと思っています
本願の名として伝わってきている南無阿弥陀仏に込められた仏さまの願いの深さを聞く中で、自分自身というものが明らかにされてくる。
金松 俊一
南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう
宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃〈きょうさん〉テーマ
私たちは、常識とされていることが「なぜそうなのか」ということはあまり考えません。つまり、世間に広まっているものに流されて思考停止してしまう危険が「良識」や「常識」の中にあると思うのです。
伊沢 正名
私にとって、ウンコは自分の姿と自分が身を置く世界の姿を見せてくれる鏡だと思っています。
伊沢 正名
大地への感謝を失った暮らし方が、
そのまま食べ方や農業のあり方を表していて
「本当にそれでいいのか」と今
大地から問われているように感じます。
佐伯 康人
自分の思いにとらわれてしまっても
それを超えた気づきが周りから与えられる
そういったことの繰り返しでした。
佐伯 康人
「ここに(自分の存在が)在る」ということが、何かおそろしくありがたいというか、奇跡のようなことではないかとも思うのです。
宮地 尚子
立ち止まって、もう一度「いのちって何だろう」ということを考える。それが倫理や宗教の発想ではないかと思うのです。
安藤 泰至
私たちがいのちをどのように 受けとめているか
人間をどのように 自覚しているかが問われている
安藤 泰至
一生懸命やって失敗したとしても、そこで駄目だと絶望してしまう必要のないということに頷けるかどうかだと思います。
櫻橋 淳
仏教にうなづくということは、意味を求める必要のない、このままでいいという世界が 開かれることだったのです。
志慶眞 文雄
目標を掲げなくても、達成しなくても、
「そのままでいい」という世界が誰の上にもひらかれていた。
志慶眞 文雄
自分の気持ちが、どんな人とつながったのか
どんな状況にあったのかということも
食べ物のおいしさをつくっている。
藤原 辰史
大きな世界が与えてくれた今ここにいる自分を
自分が決めた条件を超えて、好きでいられたらいいですよね。
山元 加津子
みんな誰かの何かになっているし、誰かの何かに支えられている。
山元 加津子
人間の知というのは、常に危険性を帯びているということです。
飛岡 健
南無阿弥陀仏を生きるということは、
目の前の人と寄り添うことと同義なんだなと感じました。
嶽本 あゆ美
教えに向き合うということは、普段見えなくなっている問題から問われ、
それを確かめ続けることなんだと思います。
藤井 敏夫
お互いの中に響き合う関係性がつくれる力があって
引き出し合っていく
これが生きていく上で何よりも大切なんだと思います。
金森 俊朗
一番大切なことは、自分にとってとことん大事なんだぞということが感じられることです。
学びって結局自分が見えてくるかどうかです。
金森 俊朗
動物園は、
動物のデータでは見えない部分、
感性やいのちを感じられる
場所であると思うんです。
坂東 元
動物は常にお前の価値観は何だと
問いかけているように思います。
坂東 元
私たちは、環境や条件を変えて満たそうとしますが、
親鸞の教えというのは、 そういう方向ではありません。
自分がおかれたどんな環境も受け止めて生きていける
大きな世界が開けるという、ダイナミックな教えです。
安徳 陽一
親鸞の教えのポイントというのは、自己の正体を掘り下げられるということだと思うのです。
安徳 陽一
被爆樹木は静かで
小さな存在かも知れませんが、
存在そのものの尊さを
呼びかけている。
石田 優子
小さい子どもさんを見ると、
この子たちがいい明日を迎えて、
本当に生きていてよかったと、
にっこり笑えるような国にしたいし、
世界中が平和であるようにと願っています。
澤地 久枝
事実を直視するからこそ、
現在の平穏な生が楽しめる。
「死を意識するからこそ輝くいのち」が存在する。
梅澤 充
煩悩があるから南無阿弥陀仏に出遇えるんや。煩悩に手をあわせんならんよね、私たちは。
西川 和榮
豊かだけれどむなしい。
このむなしさって
どこから来るのだろうか。
金丸 重幸
「私」の前に、
大地が私を支えているという感覚を
取り戻すことが大切です。
金山 秋男
重要なのは、自分と宇宙の関係がまずあって、
自分がどう生きるかです。
福島 智
条件を超えて生きていける、そういうものとの出遇いが人生ですごく大切なことと思います。
田口 弘
人と人との関わり合いがひらく「場」の力はすごく大切だと思います。自分が頷けることというのが「場」の力として展開していくのです。
山田 幸子
本当に、父ありてこその人生だと思います。
林 力
たのむべきは念仏以外ない。
ひとりでも念仏を心から喜び合う場を開きたい。
山中 五郎
こういう社会だからこそ、誰もが心の奥底で
教えを強く求めている。
鵜飼 秀徳
いのちについて考える種を蒔き続けたい。
そうすれば、いつか芽が出て、
いのちと向き合うことがあると思うんです。
うさ
亡くなった方は、いろんな思いをもって
今もわれわれに呼びかけてきていると思うのです。
大田 昌秀
絶対に日本が戦争をする国になってほしくない。
大田 昌秀
いい時も悪いときも
人間が生きていく土台とは何かを
教えてくれるのが真宗です。
黒沢 大司
自分の思いを破って
自分に教えが今届いたという、
歴史への深い感動が大切です。
畠中 光享
光の中を歩いている時、
いつもちょっと陰(かげ)のことを思ってほしい。
陰の中を歩いている時、
光の世界があることを信じてほしい。
あまん きみこ
人は死んだら終わりではない。
その人を思えば多くの問いをいただける。
笹原 留似子
寄り添うというのは、してあげるのではなくて、
むしろ、寄り添うことができないという、
何もできない自分を受け入れた時に
初めてできることだと思う。
藤井 美和
自分の死と向き合うことで、
まったく違う世界観が生み出される。
藤井 美和
誰もが死を避けられない。
私は今、一体何を大切に生きているのだろう。
大いなる世界とは何か
結城 幸司
人間は言葉に出遇い、
言葉に導かれていくのです。
結城 幸司
如来の誓願不思議にたすけられて、はじめて人間は人生の
根本課題に目覚めてくる。
高 史明
人間ということを考えるにあたって、
「自然(じねん)を本当の意味で見直すことができるか」
ということが大事である。
人がおらな、
生きていかれませんよ。
人はいいものですよね。
田中 早智子
この世に、ぶれない確かなものが
一つだけあるとすれば、
それは「流転する自然界」なんだと思う。
上田 勝彦
私も、彼女たちも、
地平上につながっている人間同士で、
社会の一部、世界の一部なんだと思う。
坂上 香
「見捨てられる」ことで
人はどれだけ傷つき
人間性が失われてしまうのか
坂上 香
どんなに悲しくてつらかったとしても、人は、何かに支えられて生きている。
やなせ なな
お念仏の人は、過去にとらわれずに、現在の自分を受け止めて、新しい一歩を踏み出す力を与えられている。
金光 寿郎
いのちのはたらきは無限大で、
人間の判断以前のものなんです。
金光 寿郎
私たちがすべきことは、
何も起こらないと考えるのではなく、
起こり得るということを前提にして、
その人たちが困っていることに
目を向けることだと思います。
村田 三郎
私たちの口に入る時は、
米、みかん、レタスなどと形を変えていますが、
考えてみれば、これは姿を変えた「土」なんですよね。
山下 惣一
花を一本折るのは簡単でも、
春が来るのを誰も止められないように、
いろいろな歴史を経巡ってきたけれども、
いのちの働きはこれまで続いてきたし、
これからも続いていく。
広田 奈津子
ねえみんな
ねえ大人たち
僕らのあやまちを大地は見ているよ
小さな者たちを言葉が惑わす
大きな者を追って踏み外しちゃいけない
足は大地についている
映画「カンタ!ティモール」アレックスの歌より
原爆が落とされた時の衝撃、恐怖、惨状。
多くの人が苦しみぬいて死んでいったありさまは、
絶対忘れられないことです。
関 千枝子
人間の歴史の中で、ずっと繰り返されてきた悲しみと涙、そういう底知れぬ悲しみの叫び、声なき声の結晶が、日本国憲法だと思う。
平塚 淳次郎
戦争によるすべての人の悲しみと
憲法9条を保持してきた人の努力や思いに
光があたればいいな
鷹巣 直美
凡夫であるという共通の大地から
関係が開かれてくる
人と人との関係の中で育まれ、高められていく。
それが人間の営みではないでしようか。
佐々木 賢
まだまだ終わっていない。
問題を抱えたまま、これからも続いていく
園 子温
人間の知恵・努力では
どうにもならないことがある。
後藤 一磨
自分の存在を超えた大きなものの中で生きている。
細谷 亮太
人間は、不思議な縁の中で生きている。
細谷 亮太
他人のことは、わからない部分もあるし意見が違うこともある。でも、そのことを知ることで、初めて独立し、主体性をもった人間同士として付き合える。
國府田 隆夫
毒死列島 身悶えしつつ 野辺の花
石牟礼 道子
どうしようもない人間の苦悩。
その苦悩において、人は人に返されていく。
あらゆるいのち生きるものの中で
人間だけが罪の感覚をもつ。
そしてその罪に苦しむのも人間だけだ。
だがそのことによって
一体人間に何が求められているのか。
殺人事件の被害者遺族の一人ひとりが何を感じ、
何を求めているのか、本当のところに耳を傾けてほしい。
原田 正治
人の世にいのちのぬくもりあれ、
人間にいのちの輝きあれ
藤元 正樹
外から批判することは難しくないかもしれないが、それを自分の問題として受け止められないという人間の悲しみがあるのではないか。
同朋新聞5月号 2ページ
「本当に尊いこと」と出遇う場がここにある。
どれだけ背を向けても、
ふと振り返れば四六時中
如来さまは呼び続けてくださっていた、
私は願われ続けていたのです。
宮西 久枝
迷いや悩みを抱え続ける。
それが生きるということ。
塚本 千秋
迷いの中でしか生きられない。
そういう自分を、如来のまなざしで照らされた。
志慶眞 延子
闇は光の収斂(しゅうれん)である。
「闇」は希望が失われた状態ではなく、
むしろ、希望があることを
もっとも強く表現している。
若松 英輔
看取りは、いのちのバトンリレー。
いのちのバトンとは、亡くなる瞬間まで
その人がたくわえてきた、生き抜く力と愛情。
亡くなる人が代々受けついできたそのバトンを、
そばで看取ってくれる家族や大切な人たちに受け渡してくれます。
そうして、あなたの胸のなかに、
亡くなった人が生き続けられるのです。
國森 康弘
他者の視点からの自己像を、自分自身の周りにつくりだして、
その像を生きる、それを「魂の植民地化」と呼んでいます。
安冨 歩
世の中の出来事のほとんどは、
私たちが科学的と
思っていたような考えでは
まったく押えきれない。
安冨 歩
戦場で誰が死んでいったのか、殺されていたのか。
私たちの国がしてしまった戦争の本質を聞いてほしい。
近藤 一
時には自分を見捨ててしまう。でも、生まれてきてよかったとうなずきたい。
授かったいのちいっぱいに生きるのがあなたの任務だと、勇気を持って生きていこうと励まし合うのが正しい援助です。お金やものをあげるのは大事なことだとは思いますが、人間の生き方を変えていき、尊さを失わずに歩んでいくことが大切なのです。
肥田 舜太郎
弱さの中で 孤独に閉じこもるのではなく
弱いままで 開かれていく世界が 私には必要
綾屋 紗月
人はすべてのいのちとつながっている。そのつながりを断ち切るのが原発です。
原発はいのちにとって、生きるものにとって天敵です。
本橋 成一
一番大切なことは、
この世界がどうなっているのかということを自分の中から
考えていくことではないかと思う。
高橋 源一郎
償いきれないという深い感覚のところに、人間が抱える罪の問題の本質がある。
「人間といういのちの相」より
システム化され制度化された社会に人間がいない。
五獨の中にこそ人間が求められている。
緒方 正人
「人間といういのちの相」より
誰かの命を削らなければ動かない原発をどうか止めてほしい。
嶋橋 美智子
「人間といういのちの相」3ページより
政府や県、電力会社を批判していくことも大事だが、
それだけでは本当に大事なことが見えなくなる。
飯舘村のある村民の言葉
今回は、2、3面の「人間といういのちの相」から言葉を引用しました。
実りの秋。
黄金色の稲穂が風に揺れる。
「おいしいお米を」。
人びとは、その一心で、土を耕してきた。
私たちのいのちを生かす美しき原風景。
原子力発電所の事故は、その一粒の米を奪っただけではない。
稲穂を育んできた大地を、
人びとが一粒に込めた愛情を、
その土地に生きてきた人のつながりを、
暮らしの歴史を奪った。
多くの人びとが住みなれた土地を突然追われ、帰るあてもない。
汚染地域にとどまる人びとの放射線被害に脅える日々は続く。
これは一体誰の罪なのか。
今、福島が、人間の事実を私たちに投げかけている。
自分がこの場所に生きていることによって、社会が成り立っているんだという実感がもてなければ、自分を支えることができなくなる。
中島岳志
※2〜3ページより
次の世代へ、とはおこがましいけれども
なんとか親鸞さんの教えがはたらいていってほしい
なんとか……
吉田迪子
今回は同朋新聞のなかから、大垣教区圓徳寺ご門徒の吉田迪子さんの言葉を取り上げました。
暮らしには笑うことが満ちている。そのことに敬意を持ったらいい。
徳永 進
7月号はボディーコピーの掲載はありませんが、連載「人間といういのちの相」から徳永進氏の言葉を掲載します。
花は根が張っていれば必ずまた咲きます。
寺は津波で失った人が集う場、何として寺を復興させたい
大友 一雄
6月号はボディーコピーの掲載はありませんが、大津波で寺院が全壊した仙台教区海楽寺総代の大友一雄さんの言葉を掲載します。
被災された方々に思いを馳せ、悲しみを共に…
進歩発展を疑ってもみない私たちの日ごろの心の無明性を厳しく教えてくださるものは、如来のはたらきにおいて他にありません。
安原 晃
4月号はボディーコピーの掲載はありませんが、「被災者支援のつどい」での宗務総長の言葉を掲載します。
「隣る人」(そぱにいる人)は、たとえ遠くに離れても、あるいは亡くなったとしても、「隣る人」であり続けるのです。
真城 義麿
3月号はボディーコピーの掲載はありませんが、連載「人間といういのちの相」から真城義麿氏の言葉を掲載します。
星子を見ていると、どうしても問いだらけで、答えが得られるとは思えない。
ただ、見ていると、だんだん星子が透明になって、
いのちだけで居座っているような感じがする。
最首 悟
一人ひとりが 自分の生と死の物語を 展開していけばいい
帯津 良一
死ぬな生きろという内なる肉の声を聴くことは、
春の陽が
そこに
座れという
肉にやさしく降り注ぐ陽射しの声を聴くことと、ついには同じことである。
藤原 新也 『死ぬな生きろ』 より
死の近くに生きている人は、そうでない人とは違う言葉や仕草をもっている。
徳永 進
学校のいいところ
相談にのってくれる先生や友達がいる
いつもの教室
いつもの勉強
いつもの中休み
いつものことを
いつものように
いつもの通りに
全部がいつもあるから学校に行ける
けんかがあっても、いじめがなければ大丈夫
いつものことがこわくなると
学校には行けない
私はいつものことが楽しいから
学校に行ける
小沢 牧子
一緒にめぐりを重ねて、
また一つ年を取る。
みんなで生きている、
そのめぐりを共有する。
それは一つの安心感でもある。
『「心の専門家」はいらない』(小沢牧子著)に引いた小学生の詩
年を取るということは、一人でできることがどんどん減り、
人の助けを借りないことには毎日の生活すらままならない。
そして最終的には一人でできることがゼロになる。
自分ではどうにもならないものが、
どんどん増えていくという感覚。
老いの感覚は深く人間に問いかける。
鷲田 清一
上と下にしか人がいなくて、横に人がいない社会。
いつも上の人から「お前なんか」と言われ、
自分も下の人に「お前なんか」と言い続ける。
こんな社会でいったい誰が幸せになれるのか。
湯浅 誠
いつでも
どこでも
あなたの受けとめ手として
私は居続けているんですよ、という
如来からのメッセージ
芹沢 俊介
人は生まれた時から自らが選ぶことのできない境遇に投げ出され、苦の現実に遭っていき、そして死んでいく。その中で私たちは何を願い、何を願われて生きるのか。
ぼくらは、
本当は何を求めているのだろう
悩んでいる人がいて初めて
教えが教えとなり
また教えがあって初めて
本当の生活になる
人の死をとおして
受けとめてゆくべき言葉。
それは
『人は生きた』
ということ。
人はそれぞれ
悲しみやつらさを抱えながら
誰かを愛したり支えたりして
生きている
天童 荒太
あんたと出会えてよかった。
小林 年子
病や死に直面して見えてきた
「今、生きる」ということ
そして、そこには他者がいた
藤川 幸之助
他者を支えている自分が、
実は他者から支えられていた
藤川 幸之助
今、どういう人たちが
どのようにして
死んでいっているのか。
これをつぶさに見ていく。
清水 康之
私たちは、思いどおりにならない
生老病死する身を生きている。
門脇 健
過去は死者がつくってきた。
その死者の声を聞くことで、
歴史はつながってくる。
門脇 健
病む身は病むにまかせて
現前のいのちの問いに生きなんとす
和田 稠
世界という他者は、
私が向き合うから現れる。
高村 薫
木づくりということ。
木を建材にする。
これには木との対話が大切なんです。
出蔵 喜八
勝つために生まれてきたわけではない。
負けるために生まれてきたのでもない。
田口 弘
「こんなはずではなかった」ということが、
人間にとって
一番つらいことかもしれない。
田口 弘
私といっしょに
お念仏さまもいてくださる
この我執といっしょに
ついていてくださる
井田 ツル
もっとも惨めで
もっとも闇だと思った時こそが
あなたのもっとも尊く生きた時
穂積 純
人間であることの厳粛さ
人間であることの尊さ
人間であることの難しさ
つながる場所が
あるということ
私の声を聞いてください。
人が死ぬことを願う人生なんて
送ってほしくない。
森 達也
いま現実に
死刑になる人が
目の前にいる。
森 達也
凡夫を生き抜く立脚地
組織の目標、人間関係
厳しい現実‥‥。
私たちはその狭間で、
もがき続けるのか‥‥。
橋口 茂
いま思うと、父を看取った半年間は本当に楽しかった。
それがなければ知り合うことのできない人たちとたくさん出会ったし、
医療現場の方とすごい喧嘩もしたけど、
どうやって人を看取るか、人をどう看護するかということを、
あれほど真剣に議論した日々はなかった。
田口 ランディ
コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨張シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス
『日本の原爆文学〔1〕原民喜』 ほるぷ出版
人は誰でも帰る場所を探している
不安と希望は、裏表にあるのではなく、
不安を抱えながら、
そこに喜びを見出していくことが大切です。
浜田 晋
生まれて初めて 共感ということを知った。
そのことが私には衝撃でした。
倉田 めば
生きる場を失ったら いのちは生きられない
受け入れられない
自分(人間)を引き受けて
立ち上がっていくこと、
それは本願力を
感じることによって
おこるのです
“わからない”ということは、知っていることよりずっと大きい
江崎 満
9月号は、江崎満さん作の御遠忌テーマの版画が大きく掲載されていますので、2-3ページの中から江崎さんの言葉を取り上げてみます。
子どもは「間違い」を
繰り返しながら、
ゆったりと育っていくことが大切。
大日向 雅美
いのちには
自ら育つ力がある。
〓見 美智子
※ 「〓」は「鶴」の異体字。
当たり前に思える
すべてのことが
信じられないほど
素晴らしい
難波 教行
信じ込む、思い込むということが
人生に対する
不安という闇を作り出す
高城 俊郎
思い込むということが人生に対する不安という闇を作り出す。
高城 俊郎
5月号は能登半島地震の特集のため、ボディーコピーの掲載はありませんが、連載「人間といういのちの相」から高城俊郎氏(弁護士)の言葉を掲載します。
わたしは
“生きている”ってことを
感じていたい。
人間は悲しい。
だから人は、
一人では生きられない。
自分の人生は
自分の意思どおりに
なるのではなく
向こうからやって来る
三好 春樹
これまでの医療は
今日より明日、
明日より明後日が
よくなるという世界なんですが、
介護は違います。
今日が一番いいんです。
三好 春樹
水俣で生まれた子どもたちは、私たちに何を伝えてくれたのでしょうか。
「奇形や障害がある人間は生まれてこないほうがいいのでしょうか」
「障害がある人間は劣っているのでしょうか」
「障害がある人間は不幸なのでしょうか」
「女性が子どもを産みたくない、産む気にならないという社会は、幸せな社会といえるでしょうか?」
「そもそもなぜ、こんなことが起こらなければならなかったのでしょうか?」
宮崎 和加子 『愛しき水俣を生きる 訪問介護の源から』 より
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた───
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのはいつなのか───
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
あいたくて
工藤 直子 「あいたくて」
自分自身の肌で感じるものが
こころの中に届くからこそ
いのちが見えてくる
大河内 祥晴 さんのメッセージから
何もしないでも
何もできなくても
ここにいてくれる方が
よっぽどうれしい
大河内 祥晴 さんのメッセージから
人は必ず死ぬのだから
いのちのバトンタッチかせあるのです
死に臨んで先に往く人が
「ありがとう」と云えば
残る人が
「ありがとう」と応える
そんなバトンタッチがあるのです
死から目をそむけている人は
見そこなうかもしれませんが
目と目で交わす一瞬の
いのちのバトンタッチがあるのです
青木 新門 「いのちのバトンタッチ」
どんなに辛く
悲しいことに出会っても
いのちいっぱい生きてほしい
そう あなたは願われています