あなかしこ 第70号

門徒随想

今年(2020年)はどんな年になるのだろう? と迎えた正月から、もう1年が経ったが、非常に短く感じられた1年であった。一昨年末頃、中国武漢で新型コロナウイルス患者が見つかった程度のマスコミ報道で、その後世界でパンデミックなどが起こるとは予想もされず、旧正月の休み(春節)などには以前と同じように日本にも大量のインバウンド観光客がやって来ていた。京大医学部の上久保教授によれば、その結果、来日客から軽い症状型のコロナウイルスがもたらされ、日本人にもかなり感染し免疫が出来ていたため、欧米の4月以降のような感染拡大や重症患者化がなかったとも言われている。

多くの医学者が様々な説を展開し、何が真実か現段階で断定できるものはないと思われるが、事実として日本では欧米のようなパンデミックには今のところなっておらず、重症化、死亡者数も例年インフルエンザ罹患での死亡者数より圧倒的に少ない。なのになぜこれほど日本人は、このコロナウイルス感染に恐れおののき自粛自粛と騒いでいるのだろう? 癌で亡くなっている人は毎年30万人余、インフルエンザでも2万人前後にもなるのに、新型コロナでの死亡者数は累計でも2300人余(2020年12月5日時点)である。桁が違うのである。

新型コロナを恐れ持病の為の通院を控えたり、がん検診や治療も控えたりして進行してしまうリスクをおかしてまでも恐れる必要はあるのだろうか? ソーシャルディスタンスを取れと言われ、他者と距離を取るばかりの生活で、面前でのコミュニケーション拒否する社会が長期に一般化してしまうのではなかろうか?

ウイルスを完全にシャットアウトしたり、ワクチンが開発されても万全とはならないのに、本当の対策は各人がウイルスに負けない身体を作って行くことという論調は殆どマスコミでは見かけない。インフルエンザ感染への予防やそれを多少上回る予防措置は必要であろうが、マスクばかりの生活が、呼吸を浅くしてしまい身体の不調を招いたり、免疫力を低下させてしまうデメリットをマスコミはあまり取り上げない。それどころか、本人が多少疑問に思っても、同調圧力のようなものを内から外から受け抵抗できないから? なのか。

私が一番心配しているのは、このような社会風潮が次代を担う青少年たちに、コロナ後の社会でも当たり前という感覚になってしまわないか? ということである。

お寺に関しても、このコロナ禍が一段落しても、葬儀・法事は少人数で行われ、ますます人が死と向き合う場面が少なくなって、貴重な教えを聞く機会も減ってしまう。個人個人の苦悩などは関係性の希薄化と共にさらに進んでしまうだろうに、その相談先はどこになっていくのだろうか? 単なる生き方 How to ではなく、生きる上での根源的な苦悩、それこそが根本の原因と知る教えを学ぶ場所は、「お寺が一番なのだよ」と教えてあげたい、と思う今日この頃である。

篠﨑一朗 (釋一道 61歳)
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