あなかしこ 第69号

門徒随想

チャイムが鳴ったのに授業の準備が終わっていない。授業のアンケートが悪評で埋めつくされている。そんな夢を立て続けに見た。

新型ウイルスの感染拡大を防ぐため、日本中の大学で構内への立ち入りが禁じられ、授業は「オンライン」で行われるようになった。勤務校でも五月の連休明けに開講することが決まった。

オンラインの授業というと、ライブ配信の法話のようにカメラの前で話し続けるさまを想像される方も多いと思うが、わたしが勤務校の勧めにより採用したのは「オンデマンド型」と呼ばれるものだ。教員は教材類を配信し、学生は提示された課題に答えて期限までに提出する。これを半期に7クラス×15回、すべてインターネットを通じて行うのである。

現状における最善の選択なのであろう。学びを止めてはいけない。学ぶ権利を奪ってはいけない。わかってはいる。しかし、これで本当に英語の授業になるのだろうか。心と身体がどうしても前を向かない。

そんな状況のまま1か月が過ぎた。テレビも見れば酒も飲む。しかし、頭のどこかで常に授業のことを考えている。夜中に目を覚ますと、学生から質問のメールが届いている。仕事だろうと言われればそれまでだが、気が休まらない。そして、わたしは悪夢を見るようになったのである。気を抜くと涙まで出てくるようになった。

やっかいなのは、心も身体も後ろを向いているくせに、いざ準備を始めれば、少しでもおもしろくためになりそうな授業を作ろうとしてしまうことだ。さらにやっかいなことに、一連の仕事には楽しさのようなものも内在している。教材の解説動画をつくる腕もずいぶん上がってきた。

授業の評判は悪くない。アンケートをとれば、学生たちは《考えさせる内容の教材でよかった》《解説の動画がわかりやすかった》《課題の形式にバリエーションがあって取り組みやすかった》などと言ってくれる。ところが、付け加えられた《次回も楽しみにしています》という優しいことばが、わたしへの大きな負荷となる。

学生たちも孤独と対峙しているのだろうと思えば投げ出すわけにもいかないが、この善意に彩られた負の連鎖の中で、わたしはあとどれくらいがんばればよいのだろう。

河村和也 (釋和誠 大学教員 55歳)
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