あなかしこ 第68号

法話

記事中「浅田正作さん」とある所、紙媒体では「朝倉証三郎さん」と誤記されておりました。同様に「自己表現」とある所が「自己顕現」と誤記されておりました。お詫びの上、訂正いたします。
テーマ 共に凡夫
講師 松井憲一先生 道光舎舎主

真宗入門講座 
2019年9月7日(土) 於:光明寺

凡夫と知らないのが 凡夫の相(すがた)

  • 松井憲一先生

ただ今ご紹介を頂きました、松井憲一でございます。「共に凡夫」という題を出させて頂きました。

私たちは、凡夫という言葉を平生よく使いますが、凡夫という時、自分に都合よく「凡夫だから」と自分を肯定する時に使ったり、逆に都合の悪い時には「凡夫だからこんな過ちや取り違いをした」と言い訳に使ったりしております。それで、これまで自分がわかった事にしている「凡夫」ということをもう一度確かめさせて頂きたいと思っています。

いただいたメロンを硬いうちだけお内仏にお供えしたり、スーパーのレジだけでなく大事な方のお別れのお焼香までも短い列に並ぶような私たちは、元より凡夫であります。凡夫という言葉は、そういう自分中心の生活をしながら、自分の思い通りに生活出来ることが救いだと思って疑わないような私たちに「目を覚ませ」と呼びかけて下さるお釈迦様の教えの言葉です。つまり、周りに自分を認めてくれる人がいて、生活が豊かになり、何の病気にもならないのが幸せだとしか思えない、そういう私たちを深く悲しまれたお釈迦様からの呼びかけが「凡夫」という言葉であります。ですから凡夫というのは、自己肯定の言葉でも、自己反省の言葉でもありません。

凡夫に当たる言葉として群生(群がり生きる)という言葉は、『大無量寿経』にあるのですが、凡夫という言葉は、浄土三部経では『観無量寿経』にのみ3度出て来る言葉なのです。

1度目は「また未来世の一切の凡夫の浄業を修せんと欲(おも) わん者をして、西方極楽国土に生ずることを得しめん」(『観無量寿経』聖典94頁)つまり、お釈迦様が私たちのことを未来世の一切の凡夫とおさえていて、西方極楽国土に生まれるように致しましょうと言われます。つまり、凡夫は浄土を願う以外には救われる道はないとお覚りくださったということです。ところが、13番目の雑想観のところでは、お釈迦様は改めてお弟子の阿難と韋提希夫人に「無量寿仏、身量無辺にして、これ凡夫の心力の及ぶところにあらず。然るに、かの如来の宿願力のゆえに、憶想することあれば、必ず成就することを得」(『観無量寿経』聖典111頁)と告げられます。凡夫が浄土を想い浮かべる観法は、凡夫の心や力で出来るはずがないと言われる。私たちが願う浄土は自分の思いの延長線上でありますから、それは仮土・仮真土であって、本願に出遇った世界、本願の報土、真の浄土ではないのです。お釈迦様は浄土に生まれるには、如来の宿眼力、如来のお力を頂けなければ実現することは出来ないのだとおっしゃるのです。

インドの王舎城、頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)のお后、韋提希夫人(いだいけぶにん)は、子どもが授からない時は人を殺してでも授かりたいと思い、その子が成長すると親を殺すことになると予言されたら、今度は高窓からその子を産み落としたのです。阿闍世(あじゃせ)が幸いに命を落とさずに、小指を怪我しただけで成長したので、今度は蝶よ花よと可愛がって育てた。阿闍世が成人し、夫の頻婆娑羅王を投獄し、韋提希自身も王宮深く閉じ込められると「世尊、宿(むかし)何の罪有りてか、この悪子を生ずる。世尊また何等(なにら)の因縁ましましてか、提婆達多と共に眷属たる」(『観無量寿経』聖典92頁)と、我が子をそそのかした提婆達多(だいばだった)と、血が繋がっているばかりか、弟子として迎えたお釈迦様に対して愚痴と恨みをぶちまけたのです。その韋提希夫人が憂いや悩みのない世界を詳しく教えてくださいと願い「我いま、極楽世界の阿弥陀仏の所 (みもと) に生まれんと楽(ねが)う」(『観無量寿経』聖典93頁)私は極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれたいと願うのに対して、お釈迦様は「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣(しんそうるいれつ)にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」(『観無量寿経』聖典95頁)と言われるのです。あなたは本当に道理に暗い凡夫で、心も弱く、物事を正しく見通す力がないから、遠く離れた仏様の世界を見ることはできないでしょうと教えられたのです。韋提希はお釈迦様に教えられて、はじめて「凡夫」であると気づかされるのです。凡夫とは、道理を知らない、卑属の愚かな者という意味でありますけれども、凡夫でありながら凡夫と知らないのが凡夫の相(すがた)であります。

凡夫の自覚

こんな四コマ漫画がございました。1コマ目は、母親が腕組みして一本の羊羹を眺めています。男の子と女の子はそれをジーッと眺めています。そこへ父親が帰って来て、「何を難しい顔をして見ているのだ。4人になったのだから4等分するだけだから簡単じゃないか」と言うのです。ところが3コマ目には、お母さんがそうはいかないと言います。実はその羊羹は栗羊羹だったのです。4等分すると栗の多いものと少ないものに分かれてしまうではないですか。私たちの日常はその程度のものなのです。「人間の眼は他人の誤りを見る。仏様の眼は自分の誤りを見る」。人間の眼しか持たない私たちは他人の誤りばかりを見て、自分の誤りにはなかなか気づかないものです。

人間の行為には身で行うもの、口で行うもの、そして意(こころ)で行うものと、身口意の三業があります。常識では私たちの行動は、だいたいこの身と口ですることを問題にしますが、仏様の智恵は一番下の意のところまで、意の底まで照らしてくださるのです。

父親の介護をしておられる方に周囲の人が「あなたは偉い、なかなか出来ることじゃない」と言っておられました。しかし、そのことを言われたご本人は、「私は本当はそんな偉い者ではありません。本当は父親が早く死んでくれないかと願わない日はないのです」と言っておられました。その男性を非難することの出来る人は誰もいないのではありませんか。私たちは身や口をある程度慎しむことはできますが、意の思いはどうにもなりません。川柳にこんな言葉がございました。「こころの中 見せれば逮捕 されそうで」。意(こころ)の底まで照らし出されたら、私たちはみんな愚かな凡夫の身、罪業の身ということになるのでしょう。だから、凡夫と教えられて頭が下がれば、そこに、「お陰さま」「勿体ない」「かたじけない」というような広やかな世界が開かれるのであります。

親鸞聖人は『歎異抄』9章でご承知のように、念仏して踊躍歓喜したこともあったのでしょうが、その意が疎かになりましたという、お弟子の唯円坊のお尋ねに対して「仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば」(『歎異抄』聖典629頁)とおっしゃいます。つまり、仏がかねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せになって呼び続けて下さっておるのだ、そういうことをよくよく知ろうではないかとおっしゃるのです。だから、「汝はこれ凡夫なり」というお釈迦様の仰せを、我が身のこととしていただかれた親鸞聖人は『親鸞聖人血脈文集』の中で「凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし。また、わがこころよければ往生すべしとおもうべからず。自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり」(聖典549頁)とおっしゃいます。「凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし」。我々は善いこともしているように思いますが、聖人は「わるきものとおもうべし」とおっしゃいます。

「敬老日 孫を預けて 子は出かけ」。実家とは無認可無料託児所なのか。来てうれし、帰ってうれしの孫を預かりながらも、文句のひとつも言いたい。親子兄弟の間であっても、常に私たちは自分の立場からしか見ていません。「正信偈」の曇鸞大師のところでは「惑染の凡夫」、煩悩に汚染されている凡夫だとあります。道綽禅師のところでは「一生造悪」、一生の間、悪を作り続ける存在であると言われています。源信僧都のところでは「極重悪人」。そして法然上人のところでは「善悪の凡夫人」とあります。高僧方は本願に遇われて、凡夫の自覚に立たれて南無阿弥陀仏を頂いていかれたということが、これで良くわかります。自力のはからい、全部自分からしか発想できない人間の愚かさを教えて下さっているのです。

私は35才の時に初めて、お釈迦様の仏跡を訪ねるご縁をいただきました。初めてインドへ行った時にビックリしました。ホテルのロビーに世界地図が描いてあって、日本は真ん中に描いてあるものだと思っていたら、インド行ったらインドが真ん中にあり、日本は右の端の上の方です。極東と言われる意味に初めて気づかされました。私たちは、みな自分が中心なのです。

「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣(しんそうるいれつ)にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」というお釈迦様の呼びかけは、自分では気づくことができない人間の闇、自分では気づこうとさえしない私たちの闇を照らし出して下さっているのであります。それを聖人は「凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし」と言われるのです。

煩悩でできている身

私が学生の時、安田理深先生の相応学舎によく伺っておりました。そこでよく先生から「君たちは、箸には引っかからんが、棒には引っかかると思っているだろう? だから本願が響かんのだ。本願に遇うまでは、まだ助かるという思いが、取れない。本願に遇って初めて助からない身であると知らされる」ということを何度も繰り返し教えられました。それは我が心をよいものにして、修正すれば浄土へ往生出来る身であると思う、その思いそのものが実は救いに遇えない心なのだと教えられたのです。それで努力すれば真実に近づけると思っていた私たちに、親鸞聖人は「自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり」(『親鸞聖人血脈文集』聖典549頁)と教えてくださるわけであります。こうしてみますと、煩悩具足の凡夫と教えられながら、我が身に振りかけて凡夫と頭が下がらないことが多くの問題を起こす元になっていると思われます。

殺し合いせずとも人は必ず死ぬのに、集団自衛権の行使や駆け付け警護が決められました。仏教の殺生戒は殺すなかれ、殺させるなかれという非暴力主義に徹することを説いています。その精神、敵か味方かで人を見ないという伝統が仏教にはあるのです。ですから、親鸞聖人はお念仏で助かるのは、人間だけでなく様々な衆生も助かるのだという阿弥陀の願いを伝えるために、大無量寿経の異訳の経典を引いておられます。法然上人御命日の集いは、念仏を謗る人も助かることを思って念仏し合う集会なのです。一切の衆生が助かるのがお念仏の教えですが、助からないこの私がいるのは自分の中に自力の計らいがあるからです。「自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり」(『一念多念文意』聖典541頁)。「たのみ」とするものに、「わが」が抜けないのです。全部自分でできると思っているのが自力です。「正信偈」に「一切善悪凡夫人」とありますが、善導大師は善凡夫人も悪凡夫人も縁が違うだけだとおっしゃっています。縁によって変わるのが私たち凡夫であり、遇縁の存在なのです。

「募金箱 はずんでしまう デート中」。彼女の前というご縁がそうさせるのです。悪い心が浮かぶのも、思いを超えた無数の条件がそうさせるのです。凡夫の善悪は出遇った教えや境遇によって善悪になっていくもので、善悪は自分の意志で決まるのではありません。悪い縁に出遇えば悪人、善い縁に出遇えば善人になるのです。どれほど短気な人でも、今怒れと言われて怒る人はいません。車の運転も人が飛び出したり、急な病気になれば、何が起きるかわからない。だから、保険に入るのでしょう。安田理深先生は「絵描きは絵を描いている時は無心だけれども、絵を売る時はちゃんと高い方に売るものだ」とおっしゃっていました。

聖徳太子の「十七条憲法」には「人皆心有り。心おのおの執ること有り。彼是すれば我は非ず。我是すれば彼は非ず。我必ず聖に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。是く非しき理、たれか能く定むべけん。相共に賢く愚かなること、みみかねの端無きが如し」(聖典965頁)。凡夫も善人も悪人もいるようですが、仏様の平等の慈悲に触れたら共に凡夫であるのです。みみかねは丸くて端がないでしょう。

『歎異抄』には「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」(聖典626頁)とあります。阿弥陀様は老人、少年、善人、悪人の差別をなされないのです。しかし、私たちは自分を立てますから「共に凡夫」と素直にいただけないのです。仏は平等の大慈悲なのに、私たちは自分だけ特別の慈悲や救いをいただきたいのです。みんなが平等に救われると面白くない。「あのお父さんが助かるくらいなら、お寺参りをちゃんとしている私は当然助かる」と言われていたご婦人がいらっしゃいました。新聞の投書も同様で、若い世代に疑問を呈するのは高齢の人ですし、老人を批判するのは若い人たちです。

自分本意な判断、自分に執着すると「お互いに 悪いところは あんたの子」「成績が 上がった途端に おれの子だ」。人間の分別では善悪がありますが、仏の眼差しから見れば「共に凡夫」なのであります。「十七条憲法」の「和らかなるをもって貴しとし、忤うること無きを宗とせよ」(聖典965頁)とあり、その実現に「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」が必要なのであり、三宝の自覚の具体性が「共に凡夫ならくのみ」の自覚であると言えましょう。

しかし、私たちは自分の凡夫には納得しても、他人の凡夫は許さないのです。他人を凡夫とは認められないのです。『一念多念文意』には「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり」(聖典545頁)という善導大師の教えによって、親鸞聖人の凡夫観は顕かになりました。私たちは、このような自分は自分のこととして分かりやすいのです。しかし、他人の「欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく」だと困ります。自分のことは平気で許せるが、他人がそうだと許さない。「人のこと 自分勝手と みな思う」。人のことは勝手な奴だと思っても、そう言っている自分のことは勝手者だとは気づかない。お念仏は、いつもそういう私に問題があるのだと問いかけてくださるのです。可愛い孫でも、凡夫の態度を取ると、面白くないでしょう。「来年の お年玉まで 来ない孫」「お年玉 貰うとパッと 散る子ども」。孫の奴、あんなに可愛がったのに…と言いたくもなります。「お年玉 あげる幸せ 今年また」「お年玉 ケチるな来年 わからない」このようにはなかなかなりません。孫を怒りながら「もう疲れた」と嘆いたら、孫から「僕たちを怒らなかったら、疲れないよ」と返されたそうです。自分の凡夫を忘れ、孫の凡夫だけ気に掛かるのです。

正親含英(おおぎ・がんえい)先生が「煩悩具足の身というのは、煩悩を持っている身ということではなく、煩悩で出来ている身ということだ」とおっしゃっています。煩悩を持っているのなら捨てられるけれど、自分が煩悩で出来ているのだから捨てられるはずがないでしょう。この身をどうすることもできません。ただ懺悔あるのみ。私たちは、自分を頼む心ばかりですから、自分を照らし出すはたらきに参ったとひれ伏す他ないのです。自分の姿を凡夫と映し出す機縁、生涯そういった教えに遇い続けること、そして共に凡夫と深く頷いていくことです。

南無阿弥陀仏でなければ助からない身

『一念多念文意』には「『凡夫』は、すなわち、われらなり。本願力を信楽するをむねとすべしとなり」(聖典544頁)とあります。凡夫とは我でも、彼でもなく、我らなのです。本願力とは、いわば南無阿弥陀仏と出遇うことを中心とせよという仰せであります。本願力を信楽するというのは、本願が叫び続けて下さる南無阿弥陀仏でなければ助からない身だということを深く信じ、いただくことであります。

こんなことがありました。大阪にいた頃に、JR環状線で満員電車に妊婦さんが乗車されました。お婆さんと並んで座っていた5歳位の男の子が、妊婦さんに駆け寄り「座りや」と席を譲ろうとしたのです。妊婦さんは「おばちゃん、大丈夫だから、ぼくちゃん、座っとき」と応じました。すると、男の子は「おばちゃんが座るのと違う、お腹の赤ちゃんが座るのや」と満面の笑顔で答えました。これを聞いた妊婦さんは涙を流しました。声をつまらせて「では、お腹の赤ちゃんが座らせてもらうわ。本当に、おおきに」と着席しました。男の子はお婆さんの膝の上に上がり、3人で楽しそうにしていました。一連の動きを見ながら列車内は和やかな雰囲気に包まれました。妊婦さんは、おそらくお腹の子もこんな子に育ってほしいなと思ったことでしょう。

東京の中学生の投書です。「奈良京都の修学旅行の3日間、たくさんの世界遺産や文化遺産に価値あるものを見て、歴史をより深く実感することができました。教科書を見るのとは違う、実物を間近で見る大切さを知りました。さらに修学旅行で学んだことがある、それはおかげさまへの感謝です。薬師寺のお坊さんが、『今日ここへ来るのにいろいろな人に関わってもらったでしょう。そういうようにかげでみんなのためにしてくれる人のことをおかげさまと言います』と話してくれました。修学旅行に行くために先生やたくさんの人が関わっている。生まれたときからたくさんの人に関わってもらって今日の私がいる。受験生の私は今まで以上に支えられていると思う。教えてくれる先生や歩ませてくれる家族、がんばろうと共に努力する友達、他にもたくさんの人たちに助けてもらっている。感謝の気持ちを持って、おかげさまを忘れないようにしたいと思う」。中学生の感覚のすごさです。生まれたときから、いや生まれてくる前からたくさんの人に関わってもらって今の私がいる。そういった計り知れない関わりの中を私たちは生きているのです。

浅田正作さんの詩に「昔はいつも誰かと自分を比べていじけたりのぼせたり 今もやっぱりそれをやるが やったあとにそれが見える」というものがあります。南無阿弥陀仏を申しても、私たちは命をいただいたことを忘れ、比較ばかりの毎日ですが、お念仏申せば、やったあとが見えてくる。愚かな自分が見えてくる。共に凡夫だということが見えてくるのです。「なにげなく過ごした今日は、昨日亡くなった人がどうしても行きたかった一日である」。平生の私たちは、本当にそんな愚かさにも気づかず、ぼーっと生きているのです。「チコちゃん」(NHKの番組)に怒られそうです。

親鸞聖人は、500以上のご和讃を作られています。一番最後にある和讃が「是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」。85歳の親鸞聖人が「是非しらず」とおっしゃる。なにが是か非かわからないとおっしゃる。つまり親鸞聖人ご自身が如来の思し召しはわからない、是非も知らん、邪正もわからん、何が間違いか正しいかわからんこの身でありますと。やはり、自分からしか発想できない、そういう愚かな私ということです。人間的な哀れみ悲しみはささやかなものであって、現実にはどうすることもできないというのが私たちの実情でありましょう。

そのような私たちが欲しいものは何かというと、名声、いい人だと言われたい。そしてそれに応じた利益が欲しい。そして人の上に立ちたいと思う。親鸞聖人は、そういう我が身をきちんと押さえておられます。そういうところがこの大事なところであろうと思います。「凡夫はすなわち我らなり。本願力を信楽するをむねとすべしとなり」(『一念多念文意』聖典965頁)。凡夫は我らであって、ともに凡夫であると頷いて「本願力を信楽するをむねとすべし」と言われるように、本願力に南無阿弥陀仏と値遇することが大切であるとおっしゃるわけです。

本願力を信楽するというのは、南無阿弥陀仏して助かるというのではなくて、南無阿弥陀仏でなければ助からない身であるとうなずくことでありましょう。「念仏は、自我崩壊の響きであり、自己誕生の産声である」という金子大榮先生の言葉は、南無阿弥陀仏にひれ伏しておるのかということがいつも問われてきているのではないですか。

木村無相先生の念仏詩の中に「念仏念仏言うけれど 念仏してみりゃすぐわかる 念仏なかなかもうせんと 信心信心言うけれど 信心して みりゃすぐ分かる 凡夫の信心続かんと 行信ともに落第と 知らしてもらえばすぐ分かる 大悲の願心よりないと」

金子大榮先生のお母さんが病気になられて、お念仏申しても少しも喜べないと訴えたとき、「私たちの心は苦しい時には苦しいだけであり、悲しい時は悲しいだけにしか出来ていませぬ。生きたいときには生きたい心で一杯であり、死にたくない時には死にたくない心で一杯であるのが、ありのままの相(すがた)であります。その心の中へお慈悲を喜ぶ心を注ぎ込もうとしたり、その心を転じて有難い心になろうというのが無理といわねばなりませぬ。されば、唯せつなまぎれにてもお念仏の申さるることが有難いのであります。御慈悲を喜んでお念仏を申すのではなく、お念仏の申さるることがお慈悲なのであります。せつなまぎれの中からも、お念仏の申さるるが御慈悲であって、それは母上の御計らいではありませぬ。凡夫のせつなさにお慈悲がまぎれこんでお念仏となって下さるのです。されば、お念仏を申して有難くなるのではありません。お念仏の申さるることが有難いのであります。お念仏の申さるることの外に有難いことがあると思われるは計いであります」

それは、ともに凡夫として自分の思いを超えて苦しみ悲しみの中に念仏申してきた人々の歴史があって、その歴史の中に私たちが育てられたということです。ともに凡夫と教えられて念仏し、念仏したらともに凡夫と恨みやねたみを超えてあらゆる人とやわらかに再会していく、それが念仏者の生活なのでしょう。

大和の清九郎というお念仏者の言葉が残っています。

雨が降ると前の小川が音を立てる。清九郎は下帯一つで薪を洗っている。

「燃やすもの洗うて、どないするのや」母のやえがいぶかる。

清九郎はそれには答えず、「お母ア、報恩講に参ろうか」

「因光寺さんは来月やろ」

「10日先や。ご本山の報恩講やで」

10日もすれば、洗った薪も乾いてほどよく燃えてくれるであろう。

「京まで15里。朝早うたてば1日で着くやろ。2日分の泊まり賃もできた。帰りはわしが背負うたるさかい大丈夫や、な、思い切って行こ。ご開山聖人に何ぞ土産をと思うて、赤松のええとこばかりを選っておいた。これでお仏飯を炊いてもらおうと思うてな。このままでは失礼やから川で洗うといた」

山仕事と畑仕事で食うに精一杯の暮らしでは、京に上ることなど一生に一度の夢であった。

「な、思い切って行こ」

やえが仰天して口がきけないのを合点したものと思い込んで、清九郎は準備に余念がない。

10日経った。薪の束を背負い、老母の手を引いて家を出た。外はまだ暗い。昼過ぎには木津川を渡れるであろう。やえの足取りも思ったより軽い。

「ご本山参りが叶うた幸せ者やが」歩きながらやえがポツリと言った。

「どうかしたんか」

「いや、薄紙一枚が剥がれんのや」

「なんのこっちゃ」

「わての心の中や」

「信心のことか」

「この年までお寺参りで説法聞いて、なんや、みんながありがたいありがたいと喜んではるのを見て、そんなもんかいなと思うて、何となくありがたいような気にもなった。けど、本当のとこ、何がありがたいのかようわからん。はっきり言うたら、ちょっとも嬉しないのや。これではご本山へ参る所詮がない。清九郎、今日の夕方までに、このモヤモヤ晴らしておくれ」

「そらあかん」

「あかんか」

「あかんいうのは訳が2つある。一つはモヤモヤ晴らすのは、わしやお母アの仕事やない。凡夫の仕事やない。もう一つは、モヤモヤ晴らしてすっきりしたこころになろうというのが、お母アのはからいや。モヤモヤは一生モヤモヤや。そんな心を相手にせんでもええ」

「このままでええのか」

「このままでええと納得するのと違う。薄紙はがれんモヤモヤかかえた身やいうのがわかったのは、仏法聞いた身や。仏法聞かなんだらモヤモヤもないわい。仏法聞く身になった、お育てこうむった身や。ご本願のかかった身や」

「ナンマンダブ、ナンマンダブ」やえのつぶやく念仏が軽く風に乗り、木津川の渡しが近い。

「わかったというのは、わが性根に得心したことでのうて、頭が下がるいうこっちゃ」

「わかった」というのは、わが意を得たということではなくて、頭が下がるということ。清沢満之先生が『絶対他力の大道』の中で、「請うなかれ。求むるなかれ。なんじ何の不足かある。もし不足ありと思はば、これなんじの不信にあらずや。如来はなんじがために必要なるものをなんじに賦与したるにあらずや。もしその賦与において不充分なるも、なんじは決してこれ以外に満足を得ること能はざるにあらやず」と、今の自分を必要にして十分な人生でありましたと受け取っていかれた言葉が、思い出されます。「念仏は、自我崩壊の響きであり、自己表現の産声である」という金子大榮先生のことばを、こうして私たちは、そのような我が身というものを、もう一度いただき直したいことだと思い出します。

そんな了解を最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

Copyright © Renkoji Monto Club.