あなかしこ 第66号

口に出して称えよう

河村和也 (釋和誠 53歳)

「南無阿弥陀仏」と口に出して称えよう

念仏とは、「南無阿弥陀仏」と口に称えることだ。

私たちは、ためらったり、はずかしがったりして、なかなか、念仏が口から出にくい。だが、とらわれず、おおらかに、「南無阿弥陀仏」と口に称えよう。

念仏する根拠は、「ただわが名を称えよ、助けん」という阿弥陀仏の仰せを実行するところにある。

私がとっくに忘れてしまっているような遠い昔から、実際に身体でやったこと、ひとに言ったこと、また、心にちらっと感じたことすら、消えてなくならずに、身の底にしみつき、いま現に自分の心を生み出す種子(たね)となって、私のうちに宿っている。その宿業にしばられ動かされているのが、わが身の事実だ。

このわが身の宿業の事実を忘れ、永遠に宿業から出離する手がかりも見込みもない私を、仏にならしめようと誓いを立てられ、成就されたのが、南無阿弥陀仏という大行である。

「南無阿弥陀仏と称えよ」というこの仏の大悲が、わが身に聞き開かれた上では、尊く思って申す念仏も、また、ふと口に出る念仏も、そのまま、おのずから仏恩報謝になっているのだ。

先日お浄土に還られた近田昭夫先生は、ご法話の冒頭、三帰依文を拝読される代わりにこのお聖教のことばを朗読されることが多かった。はじめてうかがったときから、耳に心地よい先生のお声とともに、私はすっかりこのことばに魅了されてしまった。そして、回を重ねるにつれ、その由来に興味を持つようになったのであった。

どなたに教えていただいたか、知り得るまでにどれほどの時間を要したか、今となっては定かではないのだが、実は、これは『蓮如上人御一代記聞書』の第180章に基づくもので、お若い頃に先生が関わっていらっしゃった樹心会という聞法の集いから生まれたものなのである。

樹心会は代々木の崇信教会で催されていた集いである。『みんなで語りあおう』という冊子を4冊出版しているが、その1冊目の後記には次のようにある。

仏教に何ら先入観念のない青・壮年を中心に、多くのひとびとが、ほんとうに生きる道を求めて、月一回、樹心会(昭和三十七年五月発足)につどい、語り合いを中心にして聞法しています。この会の例会で朗読している『聖句』を編集したのが、本書です。

内容は、昨年二月以来、『蓮如上人御一代記聞書』、『蓮如上人行実』に基づいて、竹内維茂・稲垣俊夫・百々海怜(のちに近田昭夫も)がまとめたものです。その時その時の段階で『聞書』から感じとったもので、直訳でも意訳でもなく、むしろ私たちの了解と言った方がよいと思います。

樹心会(1964)『みんなで語りあおう/ 樹心会シリーズ1』38頁

ここには、樹心会という集いの成り立ちや、近田先生が朗読されていたことばの性格が端的に説明されている。

ご承知の通り、『蓮如上人御一代記聞書』の各章はけっして長くない。第180章も「蓮如上人、仰せられ候う。『信のうえは、とうとく思いて申す念仏も、また、ふと申す念仏も、仏恩に備わるなり。他宗には、親のため、また、何のため、なんどとて、念仏をつかうなり。聖人の御流には、弥陀をたのむが念仏なり。そのうえの称名は、なにともあれ、仏恩になるものなり』と、仰せられ候う云々」とあるのみである(『真宗聖典』886〜887頁)。これを現代に生きるひとりひとりの身の事実の上に、原文の何倍もの生活実感をともなうことばを用いて説き開いたのが、先生が朗読されていたことばということになる。

興味深く思うのは、樹心会という集いにおいては、これらの『聖句』を「朗読してい」たということだ。経文・偈文や和讃に限ることなく、数々のお聖教のことばを声に出して読むということは、今に受け継がれる真宗門徒のたしなみのひとつである。それは、このきわめて現代的な集いにおいても確かに実践されており、そのことが近田先生のご法話の作法につながっていたものと考えられる。

「南無阿弥陀仏」と口に出して称えよう

近田先生を憶念するとき、このことばは常に私のもとにある。真宗の伝統の一つをご自身のご法話を通して私たちに伝えてくださった先生に感謝申し上げる。そして、その伝統のうちに日々の生活を積み重ねることをもって、この法恩に報いたいと思う。

追記

『みんなで語りあおう』と題された4冊の冊子は、樹心会を率いるおひとりであった百々海怜先生のご子息である百々海真師のお骨折りにより、崇信教会様よりご恵贈いただくことがかなった。もう何年も前のことである。これについて何かを書き記したいとずっと思っていたが、ようやくこのような形で稿を起こすことができた。この機会に百々海師にあらためてお礼申し上げたい。

なお、近田先生が朗読された『聖句』は、1967年に刊行された『みんなで語りあおう/樹心会シリーズ3』の20〜21頁に掲載されているものである。

Copyright © Renkoji Monto Club.