あなかしこ 第65号

聞法年齢二十歳、余命3年

谷口裕 (釋裕遊 49歳)

初めて聞法の場に赴いたのは、1998年4月29日のことだった。当時29歳であった。

その2カ月前に母を亡くしていた。菩提寺というものがなかったから、墓地は民営墓園に手配したのだが、私自身が前から仏教に関心があったので、これを機に聞法の生活を始めようと思い、私の住まいの近隣で法話会に参加させていただけるお寺を探していたところ、真宗会館(練馬区)のスタッフの方が蓮光寺を紹介してくださった、という御縁であった。折良くというべきかそれから間もない4月29日に、本多住職(当時は副住職)ほか地域の僧侶有志の方々の手作りの聞法会が蓮光寺で開かれるというので、そこに足を運ばせていただいた次第である。

歳月の流れは速いものだ。今年の4月29日をもって、私は〈聞法年齢二十歳〉となった。

私が初めて聞法会に参加した日に生まれた人が、今は二十歳になっているのである。オギャーと泣いてまだ目も開かない赤ん坊が、少なくとも世間的には一人の大人とみなされるようになるまでの期間、私は聞法してきたのである。この20年間を振り返ってみれば、しかし、深い感慨を覚えるということは全くなく、むしろ実は何も聞いてこなかった自分のすがたに改めて気づき愕然とする。

20年前、法話会に参加させていただける場を探すのは簡単ではなかった。何せ「タウンページ」を繰ってお寺に電話をかけ、「もし法話会があるなら、お邪魔させていただけないでしょうか」と尋ねると、どこも一様に何の前置きなどもなく一言目からいきなり「墓地の空きはありませんよ」と答えてくる。質問に対する回答になっておらず、会話が成立していない。29歳だった私が、生まれて初めてお寺という所に接触を試みて学んだのは、どうやら僧侶という種類の人々の多くは日本語コミュニケーション能力に難があるらしいということだった。もしかしたら英語のほうが通じるのかもしれないが、試したことはない。

そんな中、私を〈拾ってくださった〉のが蓮光寺である。実にありがたいことだ。お寺の法座に身を置くことの嬉しさを毎度かみしめていたものである。あの頃は。

ところが今、私はちっともありがたいと思っていない。お寺に来ると、玄関前の枝垂れ梅がきれいだとか、今年の藤はまだかとか、最近あの猫を見かけなくなったなとか、そんなことしか考えていない。それこそ梅雨の真っただ中に法事だなんてことになると、暑苦しい格好で参詣すること自体がめんどくさい。尊い仏縁にあずかったことを喜ぶばかりだったあの頃の自分はどこへやら。

そうしてお寺との20年の付き合いを経て、自分はどのくらい成長したのかといえば、まるで成長していない。念仏申す身になっているとはとうてい言いがたい。むしろ退行しているのではないかという気さえする。

母が亡くなったのは52歳であった。今の私は49歳である。母の還浄を念頭に置くならば、私は〈余命3年〉ということになる。母の死を機縁として聞法を始めた私は、母が生きた年数というものを常に自分の身の上に置いて考えてきたつもりだし、有縁の方々の死に際してはいつもそのことを思い出していたつもりだったが、振り返ってみれば、この20年を無駄にしながら余命3年の身になってしまっている気がしてならない。母には申し訳ないという思いばかりである。

聞法年齢二十歳にして余命3年。初めて蓮光寺の門をくぐった時の自分に立ち返らなければなるまい。これからも、いつも。

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