あなかしこ 第63号

門徒随想

5月7日、真宗本廟(東本願寺)にて得度いたしました。これにより真宗大谷派僧侶、蓮光寺衆徒となりました。得度に先立つ2月22日、真宗会館にて得度考査がありました。ここでは、浄土三部経、正信偈(草四句目下)、三淘の声明考査が行われます。本多ご住職に前年秋頃より何度も稽古をつけていただき、何とか合格しての得度式受式でした。

浄土真宗は戒律を持ちませんが、得度の時、男性は頭髪と髭を剃ります。真宗は在家仏教ですので出家という観念からは離れたところにありますが、自覚をあらたにするという意味において剃髪して良かったと思っています。得度のために剃髪をすることは、勝他・利養・名聞という、「みつのもとどり」を切って求道者として新しく人生の第一歩を踏み出すことを意味します(『真宗聖典』661頁)。

得度式は、真宗本廟の御影堂において、ご門首によって行われました。

まず「願従今身盡未来際 帰依佛 帰依法 帰依僧」の三帰依文を唱和します。これは、「願わくは、今のこの身より、未来のはてを盡して、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します」という、三宝に帰依する大切な御文です。松原祐善先生がご自身の得度式を振り返って述懐されています。『私は東本願寺の得度式を受けたときのことを印象深く思っているのでございます。ご示知のごとくおかみそりの式が終わりますと、大師堂で勤行が勤まりますが、それに先だって、ご門主の声で、われわれは、「願従今身尽未来際帰依仏帰依法帰依僧」と唱和いたします。祖師のご真影の前でとなえます。いわば、仏法は三宝帰依から始まって三宝帰依に終わるのだと思います』(『真宗教学研究』第19号30頁)。真宗僧侶として宗祖親鸞聖人が明らかにしてくださった阿弥陀仏の本願を信じ、念仏を申し、御同朋御同行と共に生きる僧伽の一人となることを誓いとすることが、得度の大切な意義なのだとあらためて感じさせられました。

真宗僧侶には、修行がありません。どこまでも凡夫である我々は修行によって悟りをひらいていけるような存在ではありません。真宗とは自分一人だけが修行をして悟りを得ることを目的としている仏教ではありません。むしろ家庭生活の悩みや苦しみ、日常生活の痛みや悲しみをご門徒とともにし、一緒にお念仏の教えを聴聞すること、そしてご門徒の方々に仏法のお取り次ぎをすることが使命なのだろうと思います。ご門徒の皆さまとともに、いよいよ聞法に励んでいきたいと考えております。

櫻橋淳(釋淳心) 経営コンサルタント 47歳
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